明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

三聖  


豊干と寒山拾得で三聖という。バチカン認定ではないけれど他にも聖が付く人物を作った。〝劇聖”九代目市川團十郎〝俳聖”松尾芭蕉、まだいたような気がするが、来年あたり浄土宗の法然上人を作る予定もある。以前、聖が付くだけで〝拳聖”ピストン堀口〝角聖”常陸山を作りそうになったから、私の場合頭で考えることにロクなことはない。結局、こう聖付きの人を並べてみても、作った人間はさっぱり偉くも何ともないことが判るだけである。 寒山拾得の昨年作ったバージョンが気に食わなかったのは、不気味な理由が判らず不気味といえば顔輝派の表情に影響受けていたことと人間臭すぎた。もっと人に非ず的な田舎の土産物のお面のような固まった笑みを。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


三聖  


豊干と寒山拾得で三聖という。バチカン認定ではないけれど他にも聖が付く人物を作った。〝劇聖”九代目市川團十郎〝俳聖”松尾芭蕉、まだいたような気がするが、来年あたり浄土宗の法然上人を作る予定もある。以前、聖というだけで〝拳聖”ピストン堀口〝角聖”常陸山を作りそうになったから、私の場合頭で考えることにロクなことはない。結局、こう聖付きの人を並べてみても、作った人間はさっぱり偉くも何ともないことが判るだけである。 昨年作った寒山拾得の首が気に食わなかったのは、不気味な理由が判らず不気味といえば、顔輝派の表情に影響受けていたことと人間臭すぎた。もっと人に非ず的な田舎の土産物のお面のような固まった笑みを。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




寒山と拾得の髪は粘土でなく、以前河童で使った人形用のヘアーを使う予定だが、それを残し、二人の首がおおよそ完成した。寒山が人間臭さが強いところがまだ難ありだが。予定になかった布袋尊を作ってしまった、ということを考えると鉄拐仙人一体残して首を作った物をすべて手掛けることが出来た。先日まで仙人3人を断念もやむなし、などといっていたからまずまずだろう。鉄拐仙人は何かのタイミングで作ることにして、寒山拾得の身体部分を作るか、他の連中の仕上げにかかるか、いつもと勝手が違うので、話に夢中でうっかり決め事を破ってしまう『虎渓三笑』のお笑い三人組の轍を踏まないように、全体を見渡しながらことを進めて行かなければならない。私の苦手とするところであるが。 手掛けたい物はいくらでもあるが、初めての試みでもあるし今回の完成だけを目指したい。写真のモチーフとしては、一千年以上の間の物が埃を被り、手付かずのまま私を手招いている。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


一日  


ブログなどで食事内容をアップする人が多いが、こんな物を摂取し、私は作られているとの確認だろうか?さすがに大便をアップする人は居ないが、便には健康状態が表れるのでチェックしている人は多い。そう思うと、同じく作品には大便並みに私の成分が現れている。出来た作品を見て『私はこうことをしようとしていたのか。』と感心したり呆れたり、己を知ったりする。特に、無意識に知らないうちに身に着いた物しか役に立たない、という行き当たりばったりの無手勝流で、先日も鯉に乗ってる琴高仙人の髭が、鯉のヒゲ状なのを、指摘頂いて初めて気が付いたくらいである。 ワクチン3回目2月中旬に予約。葛飾区の知人などは一月中にすでに打ったという。コロナのことなど考えている時間が有ったら仙人を作っていたい。

 

 

 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




独学無手勝流の私が、勉強はすれば良いという物ではない、と、入った物は出て行かないことを恐れ、欲動に従い”考えるな感じろ”で来た。昨年の今頃、金魚を眺めてばかりいたが、性能の悪い頭で考えてはいけない、と私なりの策だった。『虎渓三笑図』『慧可断臂図』『臨済義玄』『一休禅宗』と作り進め、出来ていた寒山拾得の首には風狂味がない。仙人作ったのは余計だった、と思っていたが、拾得の首が出来て見ると、金魚を眺めていた昨年の今頃と何が違うのかは良く判らないが、とにかく出来た。頭で考えていたらこうは行かない。人間も草木同様自然物、肝心な物はすでに備わっている。と思う。 昔からアリの作った蟻塚と人間の作ったビルは本来同じ自然物だと考えていたが、原発などは”感じるな考えろ”で出来ているようである。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




森鴎外の『寒山拾得』によると最後二人は唐突にどこかへ行ってしまう。おそらく二度と戻らなかったろう。しかし答えを虚空に放り出して消えてしまったところが、この物語の肝心なところで、まさに考えるな感じろ、と言い残したおかげでこの画題に対するチャレンジャーを無数に輩出した理由であろう。金魚を眺めていようという奇手を用いる輩まで現れた。 拾得の首が出来たが、丸一年かけてネズミ一匹という感じで昨年作り、未練がましく持っていた首と何が違うのか?すでにゴミ袋の中であるからこれでいいのだろう。30年以上通った木場の居酒屋がまだあったなら、今晩あたり拾得の首をポケットから取り出し、コメントのしようがない常連を困らせていたことであろう。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




禅宗の画題として絵師、画僧、文人に長い間描き継がれてきた寒山拾得。寒山詩の序に書かれた話が元になったイメージで、森鴎外もそれを元に書いている。 その外見が、どのように描かれて来たかというと兄弟ではないのに何故か双子のように描かれることが多い。痩せていると書かれているのに関わらず、肥満体の、また子供のような唐子調も多い。むしろ痩身は少ない。中国土産として日本で親しまれた寒山寺の拓本自体が二人の肥満体として描かれている。伊集院光が自分にそっくりだ、と入手したくらいである。 風狂無頼の徒だけに、ボロの着物に爪は伸びている、ところが、星の数程あるだろうが、髭が描かれた物を見たことがない。 岸田劉生の麗子像に影響を与えた、といわれる無気味なアルカイックスマイルは、おそらく顔輝が描いた物が発祥のようだが、実は思ったほど多くはなく、私が知っているのは5点ぐらいか。外見の特徴を並べると、こんなところであろう。 一度二人の首が出来たが、物足りなかった。タスマニアデビル2匹がじゃれあっているかのような、遠くから観ると可愛らしいが、実際はバケモノ染みた怪奇性が欲しい。という訳で、本日拾得の首がほぼ完成した。毛髪は河童以来、人形用の毛髪を使いたい。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




頭部を作った仙人は蝦蟇仙人、鉄拐仙人、琴高仙人で、結局鉄拐仙人以外は仕上げを残し完成した。龍の頭に乗る呂洞賓は、それにかこつけ龍を作りたいだけであったので、何とか耐えた”人間は頭で思い付いた物を作るように出来ている”養老孟司の言葉に後退った私である。しかし作って面白い物しか作る気にならないのは何よりである。 作家シリーズはこんな面白い場面を作らせて貰えるのは、作家の発想のおかげだ、と感謝したが、中国で生まれ日本に伝わったイメージの、自由奔放さに関すればそれ以上である。そして肝心なのは、自ら人物像を作り、被写体とする私の自由を阻むのは陰影ではないか?と定め、ここ何年も陰影のない石塚式ビクトリアリズム(日本的絵画主義写真)と一人はしゃいでいる訳であるが、最近のモチーフば至るべくして至ったモチーフであり”考えるな感じろ”の成果であることは間違いがない。鯉に乗った仙人や寒山拾得に陽が当たって陰影が有ったら、そちらこそがヘンであろう、と東洋人である私は思うのであった。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




琴高仙人乾燥に入る。鯉と共にローンレンジャーのハイヨーシルバーのような感じで水上にジャンプしたシーンを首の制作時から考えていたが、ジャンプすれば水飛沫が飛ぶ。 被写体から陰影を削除する私の作品は、同時に水の艶も反射もない、ということになる。火は筆描きでこなしたが、解決策は見つかっていない。そう思うとあまりバシャバシャさせたくない。今後私はどうするつもりなのであろうか?学生時代試験前、今日寝てしまったら明日の私は勉強しない訳に行かないはずだ。であれば明日の私に任せて今日は寝てしまおう。そしてお決まりのパターンで、翌日の私は昨日の私を裏切り万事休すとなる。しかし試験勉強と違い、こちらはやりたくてやっている。シャッター押せば写る物を、それでは我慢できないのなら仕方がない。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




夕飯を食べごろごろしていたら、最近見ないな、と思っていた鯉に乗る琴高仙人の首が棚の上の雑物の陰にあった。 一休を制作以降、禅も風狂に気分が傾き気味である。三本脚のガマガエルや、仙人でも作らなければ作らなかった表情が作れたものの、一休を先に手がけていたら、古典的モチーフとはいえ道教に属す仙人まで手を伸ばすことはなかったかもしれない。実際、一年も経つのにまだ一カットも撮っていない。スケジュール的に仙人はどうだろう、と思い始めており、残り二人を残し、端から仕上げ、着彩、撮影に向かうべきか、と考えていた。しかし昨日のブログで、昨日、今日浮かんだものをただ作っているだけなので、と書いている。案の定というべきか、鯉こそ後回しになったが、琴高仙人を作っているのであった。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




64年の東京オリンピック以降、東京に何が出来ようとなくなろうと興味が全くない私だが、引っ越し時に、当時の家族や風景が写っていたアルバムを置いて来てしまったことにより、さらに拍車が掛かった気がする。それは同時に、外側にレンズを向けず、眉間にレンズを当てる念写に対する思いにも拍車が掛かった気がするのである。 私は長らく死の床であれが作りたかった、これも作るべきだった、と苦しむことは決まっていると想像しては嫌な気分になっていたが、よーく考えて見ると、ただ昨日、今日浮かんだ物をただ作っているだけなので、その点は心配することはなさそうである。 子供の頃に頭に浮かんだ物は何処へ消えていってしまうのか、と悩みそれを消える前に確認しようというのが制作の動機にもなっているが、本当に不思議なのは、何で浮かぶのか、なのだが、それは解明されずに終わるだろう。まあ、頭の中にやっぱり在ったな、と確認する手段を持てた分マシだったろう。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




小学生の何パーセントがストレスを感じていて何パーセントが鬱だ、とテレビでいっていた。数字は忘れたけれど。可哀想だが仕方がない。子供とはそういう目に遭うものである。私の場合、大人からすれば忘れ物は多いし宿題はやって来ない、人の話しは聴いていない耳が遠いからではないか?子供だからこういう目に遭うのだ、今に見ていろ大人になったら好きなことばかりやってやる。と思っていた。しかし好きなことといっても、目の前の物を見て描くというのが致命的に嫌いで、まして人の作った石膏見て描くなんて無理である。算数と同じぐらい嫌である。それに加えて。   40年前架空のジャズ、ブルースマンを作っていた頃、それまでに自分の中に在る情報だけで作るべきであって、実実と違っていようと、本当のことを学べば自分らしさ、特徴がなくなってしまう、と思い込んでいた。今思うとバカな考えであり、どこかヘンだが、何が変だか解らない、という長い独学者の苦難を味わうことになる。その後、実在者をモチーフとするようになり、本当のことが身に付いてしまったが、私の頭で思いつく程度の物は形に出来るようになった。思えば遠くに来たものだが、今のモチーフを手掛けるようになり、小学生時代のことが思い出されて仕方がない。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




一休和尚は風狂無頼な人物ながら、明快に伝えることを持っているし、禅師にまでなった生身の人物だが、同じ風狂といっても、寒山と拾得は、おそらく実在しない説話上の人物であり、ほとんど妖精の如き存在で、まさに”考えるな感じろ”といっている。強振すればスルリと逃げる大リーグボール3号のような存在である。寒山拾得の物語はゲラゲラ笑いながらどこかへ消えてしまって終わる。 昨年の今頃は水槽の金魚をただ眺め暮らそうと考えたが、未だに仲々の策だったと考えている。しかし達磨大師のように面壁9年とは行かず、作ることでしか打開はできない。仙人はともかく『虎溪三笑図』『一休和尚酔臥図』『一休宗純』『布袋尊』『豊干禅師』というこの流れはまずまずといえるかもしれない。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




糠床にプラスチックコップに穴を開け糠床の水抜き。乳酸菌の効果絶大であり、昨年クリニックでもらった薬でも芳しくなかった腹の調子が良い。昨日寝違えた腰は安静にしていて治った。 豊干禅師の杖を作り、それを握る左手を作る。その他の修正。正面を向かせたこともあり、左右に寒山と拾得を配置し『三聖図』としたい。制作中一瞥もくれなかった背後はひどい有様だが、時間があったら、作り足して展示もしたい。展示の際は虎という訳にはいかないので岩にでも座らせれば良い。そろそろ寒山と拾得の頭部に再度取り掛かっても良いのではないか。変に間が空くと雑念が湧いて来てしまいそうで危険である。英一蝶のユーモアはなかなか気に入っている。不動明王が滝に打たれている。その傍らには濡れてはならない、と背中の火焔を外して置いてある。せっかく作った仙人を断念の可能性もある。横道に逸れるのは布袋だけでよい。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




豊干禅師は虎に乗りながら杖をついている設定なので、後は杖と、握っている左手をを作れば完成である。例によって写る所しか作っていないが、それまで一瞥もくれなかった背後を見たら、後から付け足し、展示も可能かもしれない。今はそんなことをやっている余裕はない。朝起きて、天気も良く良く、と思っていたら、寝違えたか腰が痛くて起き上がるにも産まれたての小羊状態。畳に座布団の生活も、いよいよ限界のようである。64年の東京オリンピック以前の東京をなどと粋がっていたのだが。ちゃぶ台のテーブル化計画も折りたたみの脚も用意してあるが、どうしても作品制作を始めてしまい、そのままになっている。これが完成すれば全て椅子の生活になる。いずれはサーフボードのように立て掛けたままになっている。今はなき木場は『河本』のカウンターにも脚を付けてみたい。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ