明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



夜は電球1灯、電気毛布も着けっぱなしなのだが、通帳見ると昨年12月の電気代が5579円とある。これは褒賞ものだ、ということで、鎌倉の古美術店から河鍋暁斎が届く。新聞紙をクシャクシャにしたような衣の表現と、ガキどもの馬鹿ヅラが特徴的である。こういう戯画調作品を見ると北斎好きなのかもしれない。毎日上から見下ろしていてもらおうという趣向である。これにて準備万端。 ついでにハサミで散髪。高校に入学してすぐに、自分で切るようになった。半ズボンの頃から床屋が苦手。ありもしない髭を剃る時、薄い布ごしにオヤジの鼻息が顔に当たる、あの顔がすぐそこにあると思うと可笑しくて耐えられない。常に太ももをつねって耐えていた。髭はいいです。といえば済むことに気付いた時には高校生になろうとしていた。男子校では女子を気にする必要もない。以来自分でカットしている。 竹竿に骸骨の一休は見下ろしているし、髪はサッパリ。こうして深く静かに潜航するような日常がまた始まろうとしている。明日はどっちだ。



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一昨日、Facebookに23歳頃作った人形が流れて来た。とぼけていたら、持ち主から見た?と電話が来た。我が家のゴミ箱に捨ててあったらしい。未だにそうだが、出来てしまった物に私は冷たい。 自分の陶芸用窯を作るため、団地にぶら下がっている物干しを一つ140円で作っていたが、小学校の図工の先生の所に遊びに行って、今こういう粘土がある、と教わり、手持ち無沙汰で作り始めた。数年後、第一回の創作人形展で招待作家となった時だったろうか、主催の粘土メーカーの社長に「石塚さんの使ってる粘土、小学生用ですよ。」慌ててグレードを上げた。 子供の頃から、何かを参考に作るというのが苦手で、架空のジャズ、ブルースマンを作っていたせいで、肖像権が発生しない、よって広告など使い安かったのだろう。 独学でも40年やってりゃ上手くなる。好きなことは努力の必要がないのが幸福である。いや努力の自覚がなく、というべきか。友人には次第に〝魚のいない所に釣り糸を垂れてるように”見えるらしいが、何と言われようと、私が一番見たいのは次の新作である。



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一昨日、Facebookに23歳頃作った人形が流れて来た。とぼけていたら、持ち主から見た?と電話が来た。我が家のゴミ箱に捨ててあったらしい。未だにそうだが、出来てしまった物に私は冷たい。 自分の陶芸用窯を作るため、団地にぶら下がっている物干しを一つ140円で作っていたが、小学校の図工の先生の所に遊びに行って、今こういう粘土がある、と教わり、手持ち無沙汰で作り始めた。数年後、第一回の創作人形展で招待作家となった時だったろうか、主催の粘土メーカーの社長に「石塚さんの使ってる粘土、小学生用ですよ。」慌ててグレードを上げた。 子供の頃から、何かを参考に作るというのが苦手で、架空のジャズ、ブルースマンを作っていたせいで、肖像権が発生しない、よって広告など使い安かったのだろう。 独学でも40年やってりゃ上手くなる。好きなことは努力の必要がないのが幸福である。いや努力の自覚がなく、というべきか。友人には次第に〝魚のいない所に釣り糸を垂れてるように”見えるらしいが、何と言われようと、私が一番見たいのは次の新作である。



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昨日の滝に打たれた不動明王の、濡れて肌に張り付いた衣だが、濡れた不動明王を見たことがないし、そのディテールを撮る事を想像すると、それは写真的好奇心であり、絵で描けば良いではないか、ということにはならない。 肌に張り付いた布と言えば、三島由紀夫の『潮騒』における初江である。例によってただの素人にモデルをお願いしている。鈴木邦男さんに「何で素人の娘さんがモデルになってくれるの?」と何故か恥ずかしそうに聞かれたのを思い出す。 モデルは近所の居酒屋の長女で、実家でもある居酒屋の屋上で、お母さんに柄杓で水をかけて貰いながら撮影した。他の海女が全裸に海女着なのに初江はブラジャーをしていたが、それを外して、とは彼女の実家の屋上で、母親の前で言えない。   数日後、店で親父相手に飲んでると、娘に電話をかけ「ブラジャー着けてるなんてダメだろ」なんて撮り終わったと思って心にもないことをいっていた。リアルさに欠けるので、初江に許可を取り修正した。確か今は2人の子の母親である。いやもっと殖えてるかもしれない。彼女とお母さんには拙著『貝の穴に河童の居る事』に出てもらったし、次女とお母さんには、牡丹燈篭のお露と待女お米になってもらった。



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アイデアが一つ浮かぶ。浮かぶのは良いが、そのためにはまず、その一カットのためだけに、被写体を作らなければならない。随分先の話になってしまうわけだが、しかし完成までのモチベーションを保つためには、作るだけの理由が必要である。その思い付いたアイデアが実現した所を見てみたい、逆に言えば、それがなければ始めることは出来ない。思いついたことというのは、英一蝶の滝に打たれる不動明王が、濡らす訳には行かない、と背中の火炎を傍に置いている、という作品で、この手のユーモアが大好きなのだが、その面白さは戯画的ではあるけれど、一蝶の作品で充分である。なので、それだけで私が手掛ける訳にはいかない。思い付いたのは、不動明王を裸で作り、衣を布で作り、滝に打たれ、慣れた衣が身体に張り付いている。というもので、不動明王の体色は濃いし、むっちりした不動明王に、濡れた衣は効果的だろう。これを見たいがためだけに、数ヶ月かけることが可能となり、私の不動明王図の見どころ、ということになるだろう。



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2011年の『三島由紀夫へのオマージュ 男の死』(ギャラリーオキュルス)は、おかしな連中に押し掛けられても、と二ヵ所のギャラリーに断られた末の開催であった。私は三島にウケることしか考えていなかったので、おかしな人間などまったく気にしていなかった。そんなある日昼食を済ませて画廊に戻ると、まさかの鈴木さんがお見えでびっくりした。楽しそうに観て頂いた。その後雑誌で対談させていただき、先日書いたばかりなので詳しくは書かないが、トークショーにも参加させていただいた。 鈴木さんについては各方面の方々が書かれるだろうから、質問を一つさせていただいた事を書きたい。   三島が丁度死の10年前に、同性愛誌に変名で、原稿を書き写させてまでして自身の作である事を隠した『愛の処刑』だが、正式に全集に入った。そこには青年(作中は少年)に看取られながら割腹したいという願望がすでに描かれている。青年に看取られながら、しかも介錯まで、とすると〝あの方法〟しかないとも思われ、そのために我々は、と思う会員もいるのではないか?その点を伺うと「楯の会の連中は本なんか読みませんから。」と笑っておられた。確かに文学青年を嫌い、森田必勝も愛読者ではなかった。 完結編たる『三島由紀夫へのオマージュ椿説男の死』(ふげん社)を観て頂けなかったのが残念でならない。安らかに。合掌。



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昨年の個展の前に、坂崎重盛さんとお会いした時、一休宗純の『狂雲集』の話が出た。そこには一休の実態があからさまに描かれている。反骨を通り越して殆どエロ爺い炸裂である。当時の常識からして男も女も両方行ってるし。しかし、多くの人が一休といえば、とんちの小坊主のイメージであって、案の定、私の不精髭の左卜全のような一休に驚いている人が多かった。友人なら知らないお前が悪い、と言ってしまえるが、わざわざ足を運んでいただいてる方には、これは私の捏造ではなく、曽我蛇足という、一休の弟子の絵師が、おそらく一休を目の前で描いたに違いない物を元に、と説明する事になる。 これを最初にやったのは、97年、作家シリーズの第一回の個展で、困惑した表情の美少女に、ふんどし姿で空中に浮かんでいる稲垣足穂を指差し、これタルホなんですか?と問われた時であった。おそらくお星様キラキラのイメージだったのか、そうです。といささかサディスティックな心持ちで答えた。 友人らはどうせなら、もっと魚が居そうな所で釣り糸を垂れろよ、というのだが、それでは面白くないのだから仕方がない。



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なんだか変だと思ったら、昨日のブログ2回書いていた。その日のブログを出来るだけ夜の10時までに書いているが、書けない場合は翌日の午前中に。それが間違いの元である。もっとも一日一回の薬を、さっき飲んだのか、昨日なのか、記憶を視覚に頼っているものだから、単調な日常、絵ヅラが殆ど変化がないので区別が付かなくなる。こうやって少しづつボケていくのだろうか。しまいに自分のツバでむせてしまったりすると嫌になるが、足腰が急速に弱ろうと、粘土を捻っていられさえすれば、まぁ良いか、という了見がいけない。アマゾンは玄関先まで粘土を持って来てくれるし。寝床で何故か脛が痛い。暖かくなったらストレッチを始めよう。



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寒い。布団から出ず携帯でタウン誌の原稿を書く。明日は家から出ずに寒山と拾得の頭部の別バージョン制作の予定。 一つくらい髭のある寒山拾得があっても、と思うのだが、名品の中には見当たらない。それがたとえ爺さん風であっでも。腹の中に何もない、幼児性の表現だろう。同時に不気味に見える笑いの由来でもあるだろう。 横尾忠則さんの国立博物館での『寒山百得展』は百もの寒山拾得を描いたからだそうである。私も気持ち的には、そのぐらい描き倒したいようなモチーフである。しかし用いる手法が手法なので、そうも行かない。私の生来の性格、面倒臭がりからして、まさか粘土をちびちびちまちまと練り付けて行くような事になるとはまったく考えもしなかった。思い通りには行かないものである。18で入った工芸学校、リンゴを作る課題で、私を含めたど素人集団は、まずリンゴ大の粘土を丸めようとする。そうではなく芯を想像しながらやるのだ、とちびちびと。それからずっとその調子である。



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一休宗純は、堺の街を朱鞘の大太刀を持って歩き回ったという。理由を聞かれた一休「これは木刀で人を斬れない。今どきの僧と同じで、見かけは立派でも役に立たない」その太刀は、佐々木小次郎どころの長さでない、太刀を傍に椅子に座る一休像が何点か残されている。竹竿にシャレコウベといい、人騒がせな風狂僧である。〝大人向け”の一休を作りたい私としては、こちらもやってみたい。しかしシャレコウベを枕に酔い潰れさせた私としては、ただ残された絵画の立体化などは、例によって写真になるのだから面白くはない。 例えば褌姿であぐらをかき、肘には脇息、傍に酒器、後ろに朱鞘。 3点目のこれで一休のやり残しを無くすとするならば、背後に寝乱れた女の背中、などあしらいたいところである。詰め込み過ぎならば、同じ一休に、背景だけ赤鞘と寝乱れた女の二種、というのも一興かもしれない。ここまでやれたら、一休はもう良いだろう。



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一日  


寒山拾得などの動釈画、禅画の歴史のあるモチーフを、寒山拾得に関心を持って以来、私の中に浮かんだ程度のイメージを作る、ということならば可能だろう。やるやらないはともかく、ブログで書いた記憶がある物、書かなくても頭にあった物を思い出してみる。 寒山拾得の日常図?以外では、江戸時代の英一蝶は、太鼓持ちでもあっただけに、なかなかユーモラスな作品を残している。滝行をする不動明王、背中の火焔を傍に下ろしている。炎が消えては困る、ということだろう。『慧可断臂図』で振り返る達磨大師を制作したが、あまりにも定番過ぎるが達磨大師だけを正面を向かせても見たい。登り龍を2メートルのプリントで、というのも良い。龍虎図も考えないではないがネコ科はどうも気が進まない。子供の頃の怪獣映画の立看板を思い出す。十六羅漢とは言わないが羅漢像も制作してみたい。浄土宗の寺用に法然像も予定している。とりあえずは寒山拾得の日常からだろう。



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ふげん社での個展の際、私の到着前に画廊に着き、さっき入って来た人が開口一番「また変なことを」って言ってたぞ、と言った2人と飲む。入って来ると奥の2メートルの竹竿にガイコツ掲げた一休宗純のプリントが迎える趣向であった。飯沢耕太郎さんのその反応は〝感心されるくらいなら呆れられた方がマシ“という私からすると満足すべき反応といえただろう。 そういえば2人は、昨年の花見の後で拙著『貝の穴に河童の居る事』の中で河童と共演してくれた名うての〝注ぎ殺し“2人と合流し、1人は飲み過ぎて頭部から出血、救急車に乗って以来、断酒宣言をしていたはずだが、個展の時は、既に宣言は反故にされていたことになる。しかし本日も、もう一軒と言い出すのは判っていた。 彼は寒山拾得など、誰も知らないようなモチーフを何故やるのだ、とまだ言っている。誰でも知っていることに、やってみたいと思わせてくれることがないことと、森鴎外の『寒山拾得』を一読すれば判るが、放り出されるような結末に、歴史上の絵師達と同様ハマり、極端にいえば一生続けても良いようなモチーフなのだ、では納得が行かないらしい。



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写真  


機械音痴のせいもあり、写真に興味がなかったので始めたのは遅かった。昨日の一月と正月の違いが判らない5歳の女の子ではないが、絞りと露出の違いが判らなかった。自分が乱視だと知らずピントが合わないことも癪に触った。オートフォーカスのカメラを手にして、個展のDMの写真ぐらい、自分で撮れるようになりたい。写真雑誌を読むようになり、そこで知った人の写真展も覗いてみた。不思議だったのは、販売している気配がないことだった。素人からすると、ただ見せているのは趣味のアマチュアに見える。写真の場合、プロとは印刷媒体の仕事をしている人をいうらしい。これから写真をやっていくつもりなのに、先達はプリントの価値を高めるという活動をしてくれていなかったように見えた。 それにしても、色々な意味で世情の影響を受け右往左往する世界である。自分の中の現実だけを見て行きたい。子供の頃あれだけ叩かれて矯正不能だったのが、これで良かったのだ、と今になって。

 



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毎日必ずチェックし、場合によっては何度も繰り返し見ているインスタの動画が、5歳の女の子のお母さんとのやりとりである。表情の豊かさと発想の面白さがおかしくてしょうがない。面白いのは、例えば正月と一月の違いが判らず、それを理解しようとする、その様が可愛いらしく、カメラの後ろのお母さんと一緒に笑っている。 おそらくこの子ぐらいの頃だったろう。私は〝フルスピード”のことを〝古(旧)スピード”だと思っていた。幼い私の中には確かに古いスピードという物が在った。どうでも良いことばかり記憶している私も、さすがにそれがどういう物だったかは覚えていない。人は知識や経験と引き換えに様々失っていくものだろう。またそうでなければ不都合も起きる。私の場合は幼い頃の〝頭に浮かんだイメージは、どこへ消えて行ってしまうのだろう”という疑問が消えずに残り、おかげで、それを確認することに一生を賭げることになってしまった。



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昨日は冷蔵庫に食料がなかったので、近所のテーブルに味の素が置いてある定食屋でコップ酒を飲りながら、と思っているうち暗くなり、寒いな、と布団に入っていたら面倒になり寝てしまった。 子供の頃、寝転がって本を読んでいると、母が掃除の邪魔だ、と箒で掃き出そうとするので、本から目を離さないまま転がって移動し、激怒させたものである。この面倒臭がりは、頭悪い、脚短いなどと同じく、生まれつきなので、反省のしようがなく、私には全く責任はないのである。しかしちゃんとバチは当たり、辻褄が合うように出来ている。   意に反し創作手法が、年々面倒になっている。そもそも被写体を自分で作る、というところから面倒は始まっている訳で、自分の外側に撮りたい物などないのだから仕方がない。すると母の〝ヨソでそういうことを言うんじゃないわよ!”という声が聞こえて来る。判ってるよ。カメラぶら下げてる人の前では黙ってるよ。ブツブツ言ってるのは、このブログの中だけ。黙っていることとたいして変わらないだろ? 



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