明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



3時半に錦糸町で幼馴染みのYと待ち合わせる。数年前に、10年以上ぶりに、たまたま会ってお茶を飲んで以来である。考えてみたら、錦糸町駅ビルの熱帯売り場は、小中学校の頃、二人で散々通った。坂崎幸之助がラジオでやはりここに通った話をしていた。昭和三十年代、馴染みのない、バターを炒めた洋食の香りがホームを直撃していたのを思い出す。駅ビル内の店に。彼には興味がなかろう、と作家シリーズに転向して以来、個展の知らせもほとんどせず、本を出したことも知らないくらいである。二年前の金魚坂での室生犀星の個展『我が肌に魚まつわれり』のチラシを渡す。昨年引っ越しした話を手短にしてさっそく金魚の話である。小学校の病気の金魚の水槽に、ビタミン不足と聞き齧ってレモンを絞った彼が、らんちゆうの愛好会の審査員にまでなっていたとは、というと彼はレモンの件は憶えていなかった。 朝撮影してきた金魚の映像を見せると、どんな金魚をみせられるか、と思っていたら、悪くはない、といわれて嬉しかった。専門家的には尾びれの形が、とか、ここのラインが、と様々あるようだが、そんなことは私は知らない。彼は椎間板ヘルニアで水替えができなくなり、十年前に金魚は止めており、趣味としてはボディビルのジムに通っていた。金魚の形にこだわることから、自らの肉体の形にこだわることに転向した、ということになるが、それもコロナ禍により最近止めたという。だったら金魚に戻れよ、と。私は見た目はともかく、中身は昔のまんま現れ、旧友をしばしば戸惑わせてしまうのであった。

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