明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



虎渓三笑の慧遠法師と陶淵明と陸修静が乾燥が終わり、仕上げを待つのみとなった。ちょっと残念だったのは、慧遠法師と陸修静は想像で作れたが、陶淵明は小学三年の臨時教師としてお世話になった田中先生に、私があまりに人物伝を読みまくっていたので、転校される際にいただいた世界偉人伝の挿絵で覚えがあり、といっても李白と区別が付かず中国の詩人は皆ヤギ髭にどじょう髭、釣り上がった目と眉毛である、と曖昧な記憶であったが、あるからには、陶淵明だけはヤギ、どじょう髭に釣り上がった目と眉毛にすることになった。 三人を組み合わせなど初めてのことだが、表情を生かす角度で、などと三人を組み合わせていると、いくらでも面白くキリがない。中景の石橋を早く撮影し、二カット程度に納めたい。最後にはこの期に及んでまだまだ初めてのことなどいくらでもある。三人も作ったのだから、せいぜい創作の快楽を味あわせてもらわないと許す訳には行かない。石塚君は相変わらずだね、と田中先生はいうだろう。先生は子供の日記が原作の「にあんちゃん」の話をたびたびされていた。何年か前に思い出して映画を見て、子供達に伝えたいことをお持ちの先生てあったとしみじみと感動した。


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虎渓三笑の三人の最後の一人が乾燥に入った。仕上げを残し3人が出来たことになる。これで袈裟着た坊様をすでに3人作ったことになる。昨年の三島由紀夫制作に集中していた私にそのことを伝えてもふざけたことをいうな、と決して信じないだろう。さらにガマガエルを頭に乗せた蝦蟇仙人も作った、といったらどんな顔をするだろう。ディアギレフはコクトーに「私を驚かせてみろ」といったが、私は自分で作って自分で驚いている。実に安上がりである。まあ確かに私には自分で冗談をいって自分で笑っているような所があるかもしれない。 この修行のため山を降りないと決めていたのに、来客を送っていきながら、話に夢中になり、うっかり境界を越えてしまって笑うを慧遠法師を眺めていて、つい寝てしまい、私は免許が要るようなことは一切やらないと決めているのに慧遠法師作ってしまった、という夢を見た。なんでこんな物に免許が要るのだ。


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達磨大師撮影。壁に向かって九年で手足が腐って無くなってしまったそうだが、私もずっと自分を見つめ制作し続けて来たが、私の運動不足も達磨大師を思えば、まだまだ修業が足りない。散歩嫌いだが、金魚を眺めながらなら、とエアロバイクを入手したものの、組み立て完了しないまま三ヶ月は経つだろう。来週には組み立てる予定だが、改めて眺めてみると、修行の妨げにしかならない気がする。 それはともかく、寒山拾得以外はおおよそ構想も固まって来た。全体のバランスなど考えずに制作しているので、この辺りでバランスを考え、もう少しモチーフを増やしても良いのではないか。 今のウチからこうして気にしていないと虎渓三笑の教訓ではないが取り返しの付かないことになりそうである。近所の喫茶店で打ち合わせだ、と10分前まで時計を見ていたのに、手を止めずに作っていたら30分過ぎてしまって、我に還り用の目覚まし時計を買ったくらいで危険である。始業のチャイムが鳴っているのに図書室から出て来ず、出禁を喰らったのは小学3年であった。


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加齢  


一昨日より左目隅に、黒い異物が。飛蚊症らしい。ハエが飛んでいるかのようで、つい手で払いたくなる。同年輩に聞くと、結構既に経験している連中が多い。当分放っておいても良さそうであるが、無呼吸症候群といい、ヒタヒタと何か迫り来る感じはする。一昨日は久しぶりの人達と飲んだのだが、普段どんな酒だろうと生のまま飲み、氷さえ入れない、一時間も飲んでいるだろうか。しかし外で飲む時は、その場のペースに合わせる。おかけで夜明けまで何度トイレに起きたか、コロナ禍ですっかり忘れていたが、これも加齢のせいだろう。久しぶりに悩まされた。  虎渓三笑図の背景浮かぶ。前景に笑う男三人。その後ろに中国調石橋。その後ろにそそり立つ岩壁。当初滝も考えたが、他でも使いそうなので止める。どのジャンルでも私より上手く撮れる人はいくらでもいようが、私の頭に浮かぶ景色は人に任せようがない。

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陶淵明制作再開。『虎渓三笑図』は、先日書いたように、三人制作するので2カットはものにしたい。被写体も作るので、1カットで済ませたくない。被写体制作と撮影の二刀流なので、こう撮ろう、と考えながら作るので、写らない部分は冷酷なくらい作らない。ほんの少し、首の可動域を増やし、それで首の角度の違いで違う表情を抽する。 これは写らないから、展示をしないから、効率を考えて無駄を省いているといえばそうなのだが、360度作ったものと、撮影の効果だけを考えて作った被写体とは、実は違いが出る。これは二種類を撮り、ファインダーで比較でもしないと判らないだろう。誰の参考にもならない話なので、このぐらいにしておく。まあまんざら横着しているだけではない、といっておきたい。そう思うと、大谷は当然ピッチャーのことを知っているバッター、バッターのことを知ってるピッチャーなのは当然だろうと思う。

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陶淵明は小学三年の時、私があまりに伝記、偉人伝の類を読みまくっていたので、担任の田中先生が転任の際に世界偉人伝をポケットマネーで買っていただいた。一人一ページで線描ではあったが、それぞれの肖像が載っていて、肝心なのは、すべて由来のある肖像画を元にしていた。その気遣いが、幼い私に栄養を与えている。子供扱いした挿絵と、大きな活字は四年生からは拒否した。おかげで出会ったのが『一休禅師』に載っていた一休の”本当の顔“である。 『虎渓三笑図』の慧遠法師と陸修静は、検索しても特に決定版といえる肖像はなさそうなので創作したが、陶淵明は、田中先生の世界偉人伝で記憶がある。あるからには勝手なことは出来ない。ただ陶淵明と李白の区別がつかず、検索してみると、まあどっちでも良い。実在者の場合、写真資料が潤沢なほど厄介なこともある。そういう意味では作家シリーズは私にとって修行の如き物であり、年季が開けて出会ったのが現在のモチーフという感じがする。

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曽我蛇足の臨済義玄像自体が、先達の写しかもしれないが、蛇足作が元になっているであろう、長谷川等伯の義玄像の存在を知り没後400年長谷川等伯展の図録を入手した。すると等伯の義玄像は、その時点で新発見だったそうである。しかし蛇足作と比べると、迫力その他及ばず、似て非なる物で、等伯作品を改めて見てなかなか良いだけに、ホントに等伯作?といいたくなった。最初に見た臨済義玄がこれであれば作る気にはならなかった。 この時期、被写体の数を増やしておきたい。写るところしか作らない作品の中から『虎渓三笑図』を選ぶ。長いこと作って来て笑っている人物は四体くらいしか作ったことがないが、ここで一挙に三人を。慧遠法師(えおん)が仏教、陶淵明(とうえんめい)が儒教、陸修静(りくしゅうせい)が道教。儒仏道の三教一体を表す故事。まずは笑う陸修静を作ることにした。

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