明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


Hからフラワーホーンが産卵したと携帯メール。数週間前、ウチのメスはオスに対して小さすぎ、Hのメスは大きすぎるので交換したのであった。全滅を避けるために、稚魚の間に友人に分けようなどと相談していたが、オスがその気にならず、今回は失敗のようである。うちのペアはどうだろうか。ただ仲良くても駄目で、メスが傷付くほど、オスが追い回すくらいでないとうまくいかない。 夕方玄関を出ると、近所用の14インチ自転車、ワンタッチピクニカがない。そういえば、昨日、門前仲町の駅前の銀行に停めて、帰りは木場から帰って忘れていた。古石場図書館で借りた本を返しがてら、文化センターのNさんに小津安二郎のDVDを借りにいく。どこかの独立プロからもらった35ミリ撮影カメラがあるというので見せてもらう。三脚は木製だし、ズームレンズが付いている。古い機械はどんなものでも良いものである。来年一月の『第2回に江東シネマフェスティバル』で展示するそうだが、自転車が気になるので後日ゆっくり見せてもらうことに。昨年は映画にちなんで荷風や手塚、三島など展示したが、今回も荷風をとの依頼なので、焼け焦げ畳に七輪の荷風が良いかもしれない。小津がカメラと一緒に写っている写真をコピーしてもらったのをいただいて帰る。 自転車は無事でK本に直行。最近は見慣れない客が多く、常連席がなければ座れないくらいである。近所に古くからある電線会社に15歳で入社、定年を随分すぎたGさんの、海底ケーブル開発中、齧られないかと、水槽に鮫と亀を飼って試したという話に笑う。

01/07~06/10の雑記
HOME

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


入稿  


アダージョ12月配布用の作品を入稿する。前の雑記を書いてから2日くらいかと思ったら1週間たっていた。我が家の給湯器は深夜電力を使う大きなタンクだが、業者が交換に来たとき、3年前くらいに換えたばかりだといったら8年経っていた。近所の橋を塗り替えていて、また塗り替えかと妙な気がしたが、そう思うと10年以上経ってるような気がして、K本などで、しょっちゅう塗ってますね、などといわないことにした。1週間の半分は気を失っているのではないか、というくらい時間が経つ。 誰を作っているか書けるのなら、ここをこうしたいとか、そうならなかった、くらいはあったが、あまり書きようがない。入稿から配布まで1ヶ月のタイムラグがあるので、前号では紅葉を捏造したが、今回は早々に雪を降らせてみた。作ったのは女性だが、男性を作るのとは勝手が違う。男の場合は、作っていて馬鹿々しければ可笑しいし、カッコ良ければ、それだって可笑しい。哀しかったら、それがまたどこか可笑しいから、作っていても楽しいが、女性の場合は笑える要素が皆無である。私がめったに女性を作らないことと、落語で女性が主人公にならないのと似たような理由であろう。

01/07~06/10の雑記
HOME

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )


一日  


アダージョのライター藤野さんが、門前仲町近辺を取材するというので、古石場文化センターへお連れし、その後、私の愛用自転車の1台、ワンタッチピクニカで近辺を探索してもらうことにする。 センターに戻り『風の中の牝鶏』(1948)を観る。田中絹代が旦那の出征中に、子供の治療費のために売春をし、数日後に帰ってきた佐野周二が、頭では理解するが苦しむという話しである。上映時間に少々遅れ、着いたときには、田中絹代はすでに身を売った後であった。佐野が築地あたりの売春宿を訪ね、出会った売春婦と隅田川岸に腰掛けるシーンでは、昨日ピクニカで通ったばかりの勝鬨橋が映る。私は開閉していたのを覚えているが、現在開閉可能にするには10億はかかるという。古い映画を観る楽しみの一つは、かつての景色を観られることであるが、川本三郎さんは、東京でも、昭和30年代までは、戦前の風景が撮影できたといっているが、東京オリンピック以前の景色を覚えている人間には、戦前の映画だろうと馴染み深く感じることができる。逆に現在の東京の風景に関しては、私は何がどうなろうと知ったことではなく、佐野にもっとまともな職業に着けといわれ、いまさらもう無理よ、という売春婦なみの諦めようである。上映後、出てきた老人の中には、小津とおなじ白いピケ帽かぶっている人がいた。全国小津ネットワーク会議で副会長だったかをやっておられた方を紹介いただく。ポケットから取り出した小津の頭をご披露したのは、いうまでもない。 取材を終えた藤野さんをK本、K越屋にお連れし痛飲す。常に磁石を携行し、出口でいつも、入ったときと逆を行こうとする藤野さんは、方向音痴について、私と互角ではないかと疑う初めての人物である。一回角をまがるだけで駅にというところまで見送る。

01/07~06/10の雑記
HOME

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




私が容易に写真を信用しないのは、ただのシロウトの黒人を作ってしまったロバート・ジョンソンの一件が大きいが、昔の写真館は修正の技術がうりで、職人は修正の腕さえあれば、全国鉛筆一本で渡っていけた。よって同じ人物でイメージの異なる肖像写真が存在することにもなり、同じネガを使用してさえ、複写、修整のくり返しで多くの場合、別人になってしまう。私にとっては迷惑な話で、現に制作中の人物は同一のネガから発した、異なったイメージの肖像が数種存在し、その中から人物のイメージを嗅ぎ取っていかなければならない。夏目漱石を制作したときは、肖像写真のまっすぐな鼻筋に疑いを抱き、後にデスマスクをみて、その見事な鷲鼻に呆れたものである。肖像だけでなく、時にプロパガンダに利用するためなど、常に手を加えられ続けてきた写真だが、近頃は写真の世界もすっかりデジタル化し、カメラマン自らがデジタルによる修正をすることも多く、時代を恨むアナログ出のカメラマンは多いことであろう。(おおかたのカメラマンは絵を描くことは不得手に違いない)
報道における写真の重要性はともかく、本来、光画と訳すべき写真は、発明の瞬間から真など一度も写したことなどない、というのが本当のところであろう。しかし写真嫌いだった私が、写真を面白く感じたのは、まさにこの点であり、リアリズム写真の世界から疎まれ、廃れていった、かつてのピクトリアリズムを知ってからの話である。そして、いかにも真実を写すもの、という錯覚を利用し、もっともらしい嘘を描くのには最適と、写真作品を制作し、今に至るわけである。 だがそういいながらも、実験的にリアルに制作した古今亭志ん生のように、ホンモノとまごうが如きに作るのは本意ではない。私がすべて作った、といいたがりの私としては、亡くなった俳優の峰岸徹さんのように、「なんだ志ん生、あの店に来たのか」と思われては、泣き笑いのような状態に陥るからである。

01/07~06/10の雑記
HOME

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




ライターのFさんから送られてきた画像を見ると、確かに私は始めてみる写真であった。親族から出たそうで、だからといって本物とは限らないが、犯罪ドラマでよくやるように既存の写真と重ねてみると、なるほど、かなり重なる。若い時代のもので、合致するのは顔の上半分で、顎のラインは未発達で重ならない。複写を重ねたのかディテールは飛んでしまって、幸か不幸か私の造形の助けになるものではなかった。
K本にいくと、常連席には一人、建設会社のMさん。毎年恒例の人間ドッグだそうで、この間は帝国ホテルに宿泊の決まりらしく、そこから抜け出してくる。結果がどうなるか、ためしに4日酒を抜いたそうだが、定年まであと3年ほどのMさん、4日抜いたのは、大人になってから初めてだそうである。15と聞こえたような気もする。 向かいでは、飲みすぎで体調を崩し、しばらく顔を出さなかった、常連から密かに小鹿番と呼ばれる小さな親爺。すでに朝から飲んでるようで女将さんに叱られている。この調子じゃ長くは生きないだろうが、火葬場じゃよく燃えそうである。人の話に横から口を出して叱られたりもしているが、今日もニコニコ嬉しそうであった。

01/07~06/10の雑記
HOME

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




昨晩忘れた本をとりに、T屋に昼食を食べに行く。主人のHさん「昨日あれから、凄い星空だったけど見た?」「ここから帰るときは、いつもうつむいて地面見ながら帰るから見なかった」
夜7時に、新宿御苑のデザイナーWさんの事務所に集合し、恒例のアダージョ編集会議。ライターのFさんは、本日、次号の特集人物の石碑の汚れを落とそうとして、足元の段差に気がつかず捻挫。今日は厄日らしい。某寺に、見たことのない写真が奉納されていたという。聞く限り、私も見たことがないので、すでに頭部は完成しているが、明日にでもデータを送ってもらうことにする。この期に及んで、良いような悪いような話である。 十字路で悪魔と取引したといわれたブルース・ミュージシャン、ロバート・ジョンソンは、ながらく写真が見つからず、レコードジャケットは常にイラストであった。ところがあるブラックミュージックの雑誌に、1カット発見されたと載ったことがある。あまりのことに飲酒時に編集部に確認の電話をいれたくらいである。12時過ぎているのに電話に出た編集者は、そういわれてます。といっていたが、結局ガセであった。私はすでに、どこの誰とも知らない、ただの黒人の男を作り始めていた。その後3カット発見され、無事、十字路で悪魔を待たせることができた。
場所を飲み屋に移し、今後の企画、その他について。頼んだ煮込みが酸っぱい。Wさんは煮込み過ぎだろうというが、煮込みすぎて酸っぱくなるなど聞いたことがない。せいぜいアルコールで消毒に努めた4人であった。一人、今日が厄日だという人がいるが・・・。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


一日  


階下のフリーの映像関係のプロデューサーYさんから、小津安二郎の本があったからK本に持って行くと4時前に電話。今日は4時から飲んでいるわけにいかないので、一区切り付いたら行きますといっておく。小津を作る予定があり、当時使用したキャメラ(映画関係者はそういう)の詳細が知りたい。といっても、来年の話なのだが。 1時間すると、まだ来ないのかといいたげに、手持ち無沙汰の様子。もう持たないかもしれないので駄目だったら本を女将さんに預けておくということであったが、さらに1時間後、Yさん沈没し、家に帰って食事を済ませ、寝ようとしたら松竹の『母べえ』などのプロデューサー矢島さんが、K本に来るといってるから、またK本に来たという。わざわざ電話してくれたらしいが、それにしたってまだ先の話なのだが。さすがに行かねばならないとK本に行くと、監督の元木さんと若いプロデューサーまで来店。K本には、ゲゲゲの鬼太郎グッズの目玉親父がぶら下がっている。松竹には当然、キャメラその他資料は残っているそうなので、その節には松竹に見にいくことにする。 閉店の8時になり、さらにT屋に移動。店主のHさん、禁酒のはずが飲んでいる。大きな湯飲みで飲んでるので一見お茶のように見えるが。昼間、昼食を食べにいったら、店を閉めようとしていて、これから検査だというから遠慮したら、もう遅いからいいやという。ここのところ飲んでしまっているので、いきたくなかったに違いない。呑み助の気持ちは手に取るように判る。 最近来日したフーを観にいったという矢島さんと、小津ではなくロック談義に終始する。バッドカンパニーが好きだという矢島さんに、ELPの前座でフリーを観た話をする。ベースはアンディ・フレイザーではなく、山内テツであった。Yさんに借りた本を忘れる。

01/07~06/10の雑記
HOME

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


mixi  


知人から教わってミクシィを始めた当初、要領がわからないので放っておいたのだが、しばらくして私のコミュニティがあると聞いて再開した。ありがたいことである。つい私も参加してしまった。バツが悪いような気がしたが、特に何があるわけではない。知人の女性は、趣味のコミュに参加していて、しつこくメールをよこす人に閉口して止めたそうだが、どこにもおかしな人間はいるようである。私のコミュはというと、立ち上げた人がいなくなってしまったそうで、代わりに管理人を、という奇特な方が現れ、代わっていただいたようである。最近個展などご無沙汰だが、何かあるようなら、せめて事前にお伝えしたいと考えている。 アダージョのサイトのブログで編集長も触れていたが、先日『中央公論Adagio』のコミュもできた。まだ参加者は5人である。

01/07~06/10の雑記
HOME

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


一日  


6時半に田村写真の田村さんと銀座和光前で待ち合わせ、 BLD GALLERY 「写真屋・寺山修司/摩訶不思議なファインダー」展 の内覧会へ。寺山が撮ったポジフィルムからプリントした作品がならんでいた。田村さんがプリントした沢渡朔のプリントはまだ展示されていなかった。寺山自身が写った写真もみてみたいところだが、2回に分けて、来年まで開かれるので、さらに楽しみである。会場には三上寛や、元銀行員の歌手、今回出版された『写真屋・寺山修司』のAD祖父江慎などが来ていた。どこかで見たような人もいたが経年変化でよく判らず。『質問』が上映されるようだが、DVDで発売されるようだし、時間もないので後日改めて来ることにする。『質問』はどこかの屋上で、マイクを持った寺山が田中未知の質問に次々と答えるものだが、あの面白さは、映像で観てこそである。 一度新宿御苑に行き、再び銀座。閉店間際の山野楽器で人差し指用ピックを買い、さらに野暮用を済ませて木場についたのは11時近く。T屋をのぞくとK本の常連大手建設会社のMさんと小学校だか幼稚園勤務のHさん。私が来たから、もう少し飲んじゃおうなどという。店主のHさんは、検査が近いので禁酒のはずが、すでに酩酊ぎみである。私は疲れもあるし、ノリに付いていけないのでハイピッチ。地球上のあらゆる馬鹿々しい話しで終始し、最後は落ちも落ちたり、ウンコの話と、小学生並みになったところでお開き。2人が勘定を済ませ、私はその前にトイレに行くが、戻るとすでにグラスに注がれていた。「しょうがねえなァ」結局、それを3時過ぎまで繰り返し、店主Hさんの話を延々と聞くハメになる。私は注がれた酒が断われないのと、相槌のうち方が上手過ぎるのである。

01/07~06/10の雑記
HOME

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




82年の初個展以来続けていた、ジャズ、ブルースをテーマとした人形制作から、作家シリーズに転向しての初個展が97年、浅草の蔵を改造したギャラリーでの『夜の夢こそまこと展』であった。丁度サントリー・ホワイト、TVCMの人形アニメの原型を担当した時であり、ついでに宣伝されたおかげで人が入った。ナレーション担当の現、林家正蔵さんからは巨大な花が届いていた。テレビの取材は『トゥナイト2』に、もうひとつが関西TVの『痛快!エブリデイ』。そのときレポーターで来てくれたのが雀々さんである。お客がいる中で簡単なリハーサル。作品を前に、牛乳瓶の底眼鏡に、絣の着物に袴の書生姿の雀々さんの質問に答えるものであった。江戸川乱歩が気球にぶら下がる『帝都上空』の前で「この方はどなたですか?」東京では放映されないということで、もう少しで「コロムビア・トップです」とボケるところであった。外でイメージカットを撮ったり、あげくは我が家へも。雀々さんは、撮影していないところでもシロウトの私を気遣ってくれ、あまりに感じの良い人なので驚いたものである。 今日の独演会は初の書き下ろし『必死のパッチ』(幻冬舎)の出版記念である。『東の旅』のあと対談 雀々×見城徹×井上公造。帯にある、麒麟の田村裕が“はっきり言ってホームレスの方が楽でした”という壮絶な境遇を井上公造が聞いて見城徹に紹介したそうで、初版3万部である。柳の下にどじょうは2匹はいる、と笑わせながらの対談であった。トリに初めて覚えた噺『狸さい』も大爆笑のうちに終る。
ロビーでお客と握手していたので「10年前に(正確には11年前)痛快!エブリディで・・・」といったとたん「ああ!覚えてますよ!」にビックリ。なんて人なのであろう。「あの、あれ、誰だったか」といいながらの手の形は、乱歩の気球を表してるとみて「江戸川乱歩ですか?」「そう乱歩!」実に嬉しい。アダージョの志ん生の号を差し上げる。 帰宅後さっそく『必死のパッチ』を読み、滂沱の鼻水。こんな人が人を笑わそうというのだから、たまったものではない。


01/07~06/10の雑記
HOME

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




午前中、アダージョの堀間編集長と待ち合わせ、都内某所にて撮影。背景は奇跡的に残った木造の商家である。当初第一候補はここではなく、生前 Iの住んだ場所であった。ネットで検索すると文学散歩のルートになっていて、ネット上の写真を見て決めたのだが、ロケハンに行ってみると、雰囲気台なしの新築の家が建っていて断念。こうなると悔しいので、かえって変更して良かった、というところまで持っていかないと気が済まない。 木造の商家は、家主の方にお願いし、入り口の戸を開けていただくことにした。さらに保存されていた古い暖簾を使ってくださいとのお申し出。私は事前に、古い書籍に載っていた写真を元に、暖簾の画像を2種類作っておいたのだが、ボロボロに風化しているとはいえ、普段室内保管されている暖簾を、実際玄関にかけて撮影できれば、それにこしたことはない。撮影も無事に済み、フィルムを現像に出し、新橋演舞場へ。
花形歌舞伎 夜の部。イベント屋のSと待ち合わせる。1)通し狂言 伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)2)龍虎  市川海老蔵 中村獅童 尾上菊之助 片岡愛之助 尾上松緑。何が哀しくてSと2人でというところだが、急な平日ゆえ、お誘いしたご婦人方に振られた揚句であることはいうまでもない。久しぶりのSと弁当を食べたり飲んだりの5時間であった。 菊之助の政岡にはジンときたが、睨みの成田屋、海老蔵の仁木弾正の目力は凄かった。前から16列の、乱視の私にもはっきり届く。眼光をあたりにまき散らしながらの立ち回り。ようやく死んでくれた時はホッとしたくらいである。弾正の亡骸が担がれていくときは「ごくろうさん」の声。 成田屋に、私のような細い目の子が生まれた場合、一大事である。伝統継承のため、ちっちゃい目の娘と結婚してはならないという家訓があるのではないか。

01/07~06/10の雑記
HOME

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




しばしば、奥さんが朝定食の準備に起きてくる5時まで飲んでしまうT屋だが、主人のHさんからよく聞く話で、私の住むマンションの横を流れる大横川で、川鵜が極太のうなぎを、懸命に飲み込んでいるのを見たというのがある。誰も信じてくれないので、密かに仕掛けをしたというが、当然のように捕まえた話は聞かない。焼酎のコップを持ったまま、身振り手振りを交えて「ウソじゃないって」。釣り人の中には、鱗一枚を一匹と数えることに決めているのではないか、という大ボラ吹きもいるが、Hさんは、根が真面目で、そんなウソをつく男じゃないことはもちろん知っている。問題は、目撃したのが、飲酒の揚句の朝帰りの時だということである。「そんな酔ってなかったって」。酔っ払いはみんなそういう。誰かから幽霊の目撃談を訊いた場合、「それはまさか、寝床の話ではないだろうね?」大概は寝床での話であり、もうその続きはけっこうということになる。 今晩はHさんに助っ人が現れた。一緒にウナギを目撃したKさんである。「いや、でかかったよなー。あの時デジカメもってたらなァ」酔えば酔うほど、この信じる心を持たない判らず屋に対して、身振り手振りの熱弁なのだが、同じ穴のムジナが鱗の数ほど現れたところで、私の見解が揺らぐことはない。あと2、3時間で、今日だって大ウナギが現れるぜ、といいたかったが止めておいた。

01/07~06/10の雑記
HOME

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




鏑木清方の画を見ると、残された本人の写真より、よっぽど本人らしいところがさすがである。よっぽど本人らしい、ということはどういうことかというと、実際の写真とは違うということである。清方の生前には、こんな写真があったが、現在は不明である、ということはありえず、私が目にしているのと同じ写真を参考にしているはずである。私も常日頃、人体模型を制作しているわけでなし、本当のことはどうでもよい、といってはいるものの、どこまで“創作”するかは、センスの領域であろう。清方の肖像画は、ぱっと見には、目も違うし、鼻筋も唇も創作しているように見えるが、事実と違えているところにこそ、創作の秘密があるだろう。私が存命中の人物を作らないのは、本人がいるなら、本人で充分と思うからだが、とはいっても、過去の人であるほど創作の余地があり、写真が一枚しか残っていなかったりすれば、やりたい放題ではある。 私は作った御本人に会うことはかなわずとも、本人にウケることを前提としているので、生前、頭髪が薄いことを気にしていたと訊けば、時に頭髪を捏造するほどだが、清方は同時代の人物を描く場合、どう創作しているかに興味がわいている。

01/07~06/10の雑記
HOME

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




何も知らなかった男が急に出てきて、まさかと思っていたら黒人の大統領が誕生した。私がマルコムXを作っていた頃は、夢にも思っていなかった。(指を突き出すポーズなどは良く似ている)マルコムXの演説も有名だが、オバマは達者すぎて多少気持ち悪い。 想えば東西の壁が無くなるは、アメリカの大統領は黒人になるは、随分長生きしたような気がしてくる。あとは女性が男性のスポーツ記録を破るところが見たいところである。
本日K本は、みんなでお酉様の日。久しぶりに来ていた『乱歩地獄』のプロデューサー宮崎さんに、先日観た鏡地獄実験の話をする。オムニバスの『乱歩地獄』での鏡地獄は実相時監督だったが、鏡張りの球は小さめで、卵のようなイメージだった。 8時の営業時間終了と共に、外した熊手を先頭に、女将さんを囲んで富岡八幡の御酉様に向かう。竹筒の酒をいただき、三本〆。竹の青さも瑞々しい、新しい熊手を先頭に、ゾロゾロとK本に引き返し、再び乾杯。おでんや寿司をいただき、最後に正調、関東一本〆。

01/07~06/10の雑記
HOME

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




あるギターのサイトを見ていたら、自分の好きなミュージシャンの使用したギターの、キズや補修跡を自分のギターに再現して喜んでいる人がいて、色んな人がいるものだと思っていたら、最近はギターメーカーの職人が、例えば、エリック・クラプトンや、スティービー・レイボーン愛用ギターのキズや、塗装の剥がれ、タバコの焼け焦げまでを、そのままコピーしたものを、限定何本とかで、高価な値段で売っているらしい。ジーンズのストーンウオッシュのように、ギターにエイジングを施すことをレリック加工というそうである。たしかに昔見た、ロリー・ギャラガーが使っていたボロボロのギターはカッコよく見えたものだが、そこまで再現されると、自分で新たなキズを付けるわけにいかず、飾っておくしかないだろう。 知人の男に、学生運動などとは無縁なくせに、ベトナム戦争や、デモの取材でオンボロになったカメラに憧れ、自分のニコンにヤスリをかけている男がいた。見ていて呆れたものだが、あれは止め時が難しそうである。私は撮影にでも使おうと思って、頭蓋骨のプラモデルに塗装をしていて、熱中のあまりエイジング?しすぎて醤油で煮〆たようにしてしまったことがあるが、子供の頃、駄菓子屋の水あめを割り箸でこねくり、空気を含ませ真っ白くしたり、梅干を包んだタケノコの皮をしゃぶって赤く染めることを熱中したのは、決まって男の子であり、新品のギターやカメラをわざわざボロくして喜んでいるのは、おそらく男性だけであろう。

01/07~06/10の雑記
HOME

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ