明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



田村写真の田村さんから、松涛美術館でやっている野島康三展を観に行きましょうと電話。本来渋谷など、できるだけ行きたくない場所だが、野島康三となれば別である。1991年の松涛美術館の野島康三展の開催直後の図録を入手し、ブロムオイルなどの油性絵の具を使う古典技法に衝撃を受けた。ブロムオイルはモノクロ印画紙を使うが、インターネットなどもやっていなかったので、海外でいまだに制作している人たちがいることも知らず、情報もないので、神田古書街に通って、主に大正時代の文献を入手し、ブロムオイルの一歩手前、さらに古いオイルプリントを試みたのであった。その辺りのことは以前クラッシックカメラ専科という雑誌に書き、泉鏡花のオイル作品とともに掲載された。今と違ってこの類の古典的プロセスを試みる人も少なく、ましてオイルプリントは誰もやっていない。写真展など思いもつかなかったのに係わらず、人形も作らず、数ヶ月熱に浮かされ、とりつかれたようにオイルプリント制作に没頭した。ブロムオイルやオイルプリントには独特の用語があるが、こんなものは、話し相手がいてこそだと気付いて可笑しかった。野島康三の素晴らしいプリントを見て、当時の気持ちが蘇えってくるが、あんな暴走行為は二度とできないだろう。私のもともとの企みは、人形作品をオイルプリント化するところにある。当然、野島康三はもとより、海外にだってそんなことをする作家などいないが、人形というウソにオイルプリントというウソを重ねるとホントになる。例によって自分ではなんでこんなことを、と理解も出きずに没頭していた当時、私はすでに、どこかで気付いていたはずである。またこのアナログの極みのような技法は、デジタルと出会ったとき面白い効果が生まれる。  しばらくオイルプリント作品を発表していないが、作家作品を中心に、いずれオイルプリント化されるであろうデータが蓄積されつつある。泉鏡花などこの技法にぴったりだし、夏目漱石を猫とともに作品化してみたいし、ニジンスキーのシャトレ座初登場時の大ジャンプも、というようなことは常に頭にある。そもそも私がHPを始めた目的の一つに、この廃れた技法を再興するための記録の公開にあった。  それにしても松涛美術館、次の展覧が村山槐多だというからたまらない。ただ場所が悪い。
オイルプリントについて

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入稿  


杖突いて腰の曲がった婆さんの、色を塗り替えて変えて再撮。10カットも撮れば十分なので、昨日撮り終わり、すでに背景の中で婆さんを待っている主役を、フィルムがもったいないから撮ってみたのだが、現像から上がってみると昨日より良いので、主役も入れ替える。  昨日すでに気付いていたが、どうも婆さんは予定の位置と逆側の方が良いような気がしてきた。ところがどうせ写らないし、展示の予定もないので、写らない部分を作っていない。こんな場合、ここからしか撮らないと確信しているので、1センチも動かせないほど裏側は作らないのである。こんな時の私は非情である。というわけで、反対方向から撮るというわけにはいかず、急遽画像を左右反転。腰が曲がっていて隠れるので、着物の襟も作っていない。裾の合わせ目だけを左右を修正して無事収まる。始めに浮かんだ構図が、ほぼ最後まで変更なしで行くことがほとんどなので、最後に左右の配置を換えるなど、初めての経験だが、作りながら、ああだこうだやった分、愛着も湧いてきている。私の場合、始めに浮かんでしまうと、後、いくら考えても駄目なので、たまにこういうことをすると、妙に楽しくはある。画像の統合、微修正を残し、軽いJPG画像を作ってアダージョ編集長他、関係各位に送信。本データは朝までにデザイナーにお送りします、と言残し、シャワーを浴びてK本に直行。キンミヤ焼酎で腹腔内をアルコール消毒。吉田類さんが来ていて、三重県のキンミヤ焼酎に取材にいった話を訊いたが、地元三重県では知られていないそうである。どういうわけか東京の、それも下町御用達の焼酎である。そうとう売れているわけだが、社長は質素で靴を2足しか持っていないらしい。自宅で飲む場合、面倒なのでどんな酒でも水も氷も入れずに飲むが、先日来、強烈な銘酒、与那国の『どなん』を飲んでいたせいで、いくら飲んでも物足りなく感じる。返す刀でT屋へ。消毒し過ぎ。

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完成したはずの首を作り直したおかげで連休の間も制作を続け、本日ようやく撮影。前号のアダージョの森鴎外と同じく、屋上へ上がる踊り場で外光を使って撮影することにした。上がってみると、見覚えのある三脚が立てかけられていた。鴎外以来、2ヶ月間置き忘れていたことになる。 いつも背景に合わせて人形のポーズや構図を考えるが、今回は難航したぶん考える時間があったので、撮り方はすでに考えてあり、36枚撮りフィルムが1本。5分もかかったであろうか。そういえば鴎外の時は入稿日の撮影であったが、集中するため、フィルムは1本しか用意しなかったのを思い出した。食肉用を流用するのだろうが、フィルムも牛から取ったゼラチンが使われている。少ない本数で終るにこしたことはない。などと私がそんなことを気にすることはない。 同じマンションのYさんからお茶を飲みに来ないかと電話。現像を待つ間お邪魔して、大画面でハイビジョンの大相撲千秋楽を観る。観客の表情が隅々まで見えるのが実に面白い。物言いがついた一番。Yさんに今の相撲は?と訊かれるが、その瞬間の観客の表情に目がいってしまって勝負を見ていなかった。またもう一番物言い。今度もまた。カメラを意識していない観客の表情を鮮明に見ていると、弱い相撲を見ているよりよっぽど面白いのである。さすがに朝青龍・白鵬戦は集中して釘づけ。朝青龍、なぜそこで万歳をする。けっして嫌いではないが、土俵がモンゴルの野っぱらと違うことが、どうしても理解できないようである。横綱とチャンピオンとは大分違うのだが。 モンゴル人は、ほとんど日本人と見た目は変らないが、この二人は、独特の額の形をしている。特に朝青龍の額が描くアールは他には見たことがない。というわけで、ハイビジョンのおかげで人の形ばかりが目に付いてしまうが、子供の頃から、私はこの調子なので、シルエット・クイズが得意だったのは当然であろう。 現像を済ませ、スキャニングをして最後の合成作業。老婆は色を塗りなおし、明日撮りなおすことにしたが、主役は無事、画面に収まったのであった。

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アダージョ用背景の撮影に出かける。 主役は少なくとも楽しそうではないし、さらに背後に迫る不気味な老婆では、都営地下鉄駅に置かれるフリーペーパーの表紙として、適切とはいえないのではないか。おまけに本日は不安げな曇天である。曇天に関しては、丁度空にトレッシングペーパーを張ったように硬い陰影が現れず、立体の撮影には好都合なのだが、不気味さを助長していることは確かであろう。当初は不気味な老婆といっても実物ではないわけだし、そんな物をわざわざ粘土で作って表紙にすることが可笑しいし、不気味なところがかえって面白いくらいに考えていたのだが、作っているうち、うつむいて顔が見えないところが思惑を超えて気持ち悪いような気がしてきた。今の段階では説明できないが、なにしろ顔をけっして見せてはいけない老婆であり、見せてしまったら老婆でなくなってしまう、という謎々のような存在なのである。 曇天や夕闇を避け、晴々とした爽やかな日差しを老婆に浴びせれば、ある程度は回避できるだろうが、前述の陰影の問題があるし、昼間の明るさが必ずしも怖さを軽減しないことは、江戸川乱歩の『白昼夢』により学んでいる。だがしかし、私はすでに奥の手を考えていた。現場の近所に住む従兄弟を呼び出し、ちょっとした協力を仰いで、“ソレ”が現れるのを待ち伏せることにした。待つこと30分。果たして“ソレ”は現れ、無事ファインダー内に収めることに成功した。これでおそらく、必用以上に怖くなることは避けられるはずである。

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夕方買い物から帰ると、ドアの前に工務店のSさん。何時からいたのか知らないが、薄暗い中、杖ついた老人が立っているので何事かと。「Sさん気持ち悪いよ、そんなとこでー」そういえば、このあいだ来た時、こんど携帯番号教えるといって、そのままになっていた。 昨年の暮れに酔っ払って骨折していらい杖を放せないが、心臓発作で入院したりもしているので、酒もほとんど飲んでないらしく、それはそれで愚痴っぽくなり、行きつけのK越屋を出入り禁止になってしまったらしい。それにしたって、明大マンドリンクラブの主将を務めた素ッ堅気の長男や、酔っ払ったSさんを引取りに来る次男など、立派な息子達がいるのだから、私のところなどに来ることもないと思うのだが、息子達は親父をみて育ったからか、妙に堅いようで、親父と合わないのかもしれない。奥さんはSさんの唯一の趣味の骨董を解さず、隠していても、いつの間に捨てられてしまうとこぼしていた。私も時折見せてもらっていたが、ほとんど煤けた農機具の一部分といった類で、奥さんならずとも捨てたくなるような代物であった。 身体がいうことを利かなくなり、仕事もできず、喧嘩しながら仲の良かったK越屋に寄ることもできず、こうして散歩の途中で尋ねてくるのであろう。とはいいながら、私に話すことといえば、愚痴なのか作り話なのか、判然としない笑ってしまうような与太話ばかりなので、少々長いことを別にすれば苦にはならない。ひとしきり話して満足したか、杖をつく後ろ姿を見送った。  そういえば丁度杖をついた老婆を作っているところだが、都営地下鉄駅に置かれるフリーペーパーの表紙にしては、ちょっと不気味に過ぎるような気がしている。しかしこの老婆は不気味なことがウリなので、しかたがないのである。

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今回のアダージョ用の人物は、アダージョで扱った人物でも1、2を争う難航ぶりであった。今度の連休くらいは休もうとスタートを早めたのだが、すべて無駄になった。 この人物は長命だったこともあるが、齢とともに面相が随分と変化し、写真資料が集まり難かったこともプラスして、顔形を掴むのに苦労した。立体は作ってしまえば何処からでも撮れる。写真に残されていない、誰も知らない角度からも撮れる。そこが良いところなのだが、あまりにもな難産に、この角度からだけなら、その人物に見える。使う写真は1カット。それでいいことにしよう、ともう少しで妥協するところであった。それでは立体作品ならではの利点を放棄することになる。写る所だけしか作らないとか、極端にパースを着けてということは良くあるが、それは制作時間や写真的効果を考えての積極的な方法である。 などといえるのも、結果的に満足のいく顔になったからこそである。たった5、6センチの首に数週間もかけ、辛いだけで楽しいことなど一つもない作業だが、首さえ完成してしまえば、後にあるのは至福の時間である。締め切りを考えつつも、ご馳走を目の前に、自分を焦らして一人喜んでいる。いつかも書いたが、創作によるストレスは創作で晴らすしか方法はない。“さあ行け進軍、敵は我がものぞ”いよいよ鬱憤を晴らす時が来たのだ。 さてその前にK本で一杯。

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銀座4丁目でYさん等と待ち合わせ、灘本唯人、宇野亜喜良、和田誠、横尾忠則4氏のギャラリートークの会場に向かう。Yさんが拙著2冊を直接横尾さんに渡してくれており、今日はサインをしていただこうと、中学一年の時に買った講談社版『江戸川乱歩全集』第一巻(昭和44年)を持っていく。この全集により乱歩にはまった読者は多いはずだが、私にとっても、初めての大人向け乱歩であったし、布張りの装丁本を買ったのも生まれて始めてであった。全巻予約すると挿絵セットがもらえたが、私は小遣いが続かず全巻予約とはいかなかったのだが、なぜだか何巻目かにセットが紛れていた。それにサインをいただくつもりであったが、何処にしまったかでてこない。しかたがないので本そのものを持って行った。鳩居堂で金色の筆ペンを買う。「使う前に良く振ってください」。多少念入りに振り過ぎたかもしれない。  トークはお互いが青年時代からの付き合いゆえに、気心の知れた非常にリラックスした楽しい展開であった。私にしてもそうだが、若い時代に知り合った友人は貴重であり、大人になって知り合った友人とは、一味違うものである。 終了後、控え室の横尾さんにご挨拶。サインをお願いすると、「この本僕が挿絵を描いたんだ?」『白昼夢』の女の切断された首にお願いすると「もっといいのがあるんじゃない?」選ばれたのは『D坂の殺人事件』であった。ところが件のペン。インクが溢れて横尾さんの靴の上にポタリ。すぐ拭いてことなきをえたが、肝を冷やすとはこのことである。そしてこんどは紙にインクが乗らない。結局傍らの方に黒のサインペンをお借りした。 宇野亜喜良さんには、2003年『私の劇場3』にお誘いいただいて以来である。壇上より気付かれたそうで嬉しかった。アダージョの数号を差上げ話をしていると、どこの業界の女だか、私が目に入らないかのように割ってはいって一方的に話し始めた。なんでこういう無礼なことができるのか、私は8歳までは東京の下町のような、うっとおしいくらい狭い地域に強制的に住まわせ、人間関係の距離感覚を叩き込むべきだと考えている。ただし、施行すべきは凡人に限る。 それにしても横尾さん、宇野さん、こういう方々はオーラの割りに偉そうなところは一つもない。偉そうな奴で、出来る人間に私は会ったことがないのである。そこで私は出来る人間に見せかけるため、腰だけは低くしている、というわけなのである。

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一日  


久しぶりに近所の焼き鳥のK越屋に行くと、親仁が先月、『ドキュメント・ナウ』の戦争特集に出たという。客からビデオデッキを借りたというので観ると、門前仲町交差点近くの、古くからある洋品店のオバさんが証言していた。私はこの店で三島由紀夫のフンドシ用の木綿のハンカチを買った。「結婚式?」と聞かれ可笑しかったが、さらに何故だかフンドシもあるよ、といわれたのを覚えている。K越屋の親仁は、子供の頃の、郷里山形での経験を話していた。進駐軍のパレードの前でオシッコをして、進駐軍に家まで連れて帰られたそうである。お袋さんは殺されると思ったらしいが、ただピーナッツ・チョコレート?をもらったらしい。進駐しても、旗振るだけで何もしてこない日本人は、さぞかし変った猿に見えたに違いない。良くやった親仁。今日はヨーカドーの売り場の女店員が来るので自慢したい、というので、デッキの使い方が判らない親仁のためにセットをする。
先月、実家近くの行きつけの病院でした、検査結果が出たと母から電話。その声は重い。と思ったら結果は良く、チェックされた項目がほとんど無くなっているという。なんなんだ今の三文芝居は。こういうとき、必ず余計なことをする。私の成分は、その多くが母から由来していると認めざるをえない。

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アダージョ用の人物は良く見ないと判らない程度だが、眉毛が左右、非対称である。左眉が特に下がっている。それを生かすために、顔を少し右に振ることにした。そうなると老婆は人物の向かって左側を通ることになる。現場を一度観た感じでは、現場の構図からして、主人公を向かって左に配し、老婆を右と考えていたのだが、人物の左眉が、ほんの若干下がっていたがために、当初と逆になってしまったわけである。背景に合わせてポーズ考えることはあっても、さすがに背景に合わせて表情は変えない。怪人二十面相を制作した時は、もうちょっとで背景の銀座を左右反転させるところだった私である。眉毛ひとつで地球を反転させたってかまわないのだが、街歩きのフリーペーパーとなれば路地も反転させるわけにはいかないのである。  先日K本で、常連の大手建設会社の部長Mさんから、「最近、合成じゃなくて、人形を手に持って撮影ってしないの?あれも捨てがたいと思うんだけどなあ」といわれた。こういうことを、ホッピー飲みながらサラリといってくれるから堅気の衆は怖いのである。人形を左手、カメラを右手に街をいく撮影は、アダージョでは創刊2号の『向田邦子と六本木を歩く』のただ一回である。私の原点でもあるこの方法は、背景と同じ空気の中で撮影するのだから雰囲気は最高だが、撮影時に、もちろん人物像が完成していないとならない。これがまずスケジュール的に大変。事前にただ佇んでいる状態の人物をつくっても、背景が都営地下鉄沿線にかぎられ、時代のズレという問題などもあり、表紙に相応しい画にするのは難しい。よって前述のように、人形制作の段階で背景に溶け込ませるのに工夫が必用になってくるのである。背景に合わせて作るために、おかげで展示に耐える作品は少ないのも残念である。 最近人形を外で撮る人が増えているらしい。
来月の『大乱歩展』に出品する、座布団を二つ折りにし、腕枕で寝転がる乱歩。探偵小説の将来やトリックについて思いを馳せている様子である。2006年の制作当時と、現在では着彩方法が違う部分があるので、急遽一部塗りなおすことにした。この乱歩は、次どんな乱歩を作ろうかなァの“ァ”のあたりで思いついた記憶がある。なにしろ丁度その時の私のポーズそのままなのである。私がやると、いかにも役立たずなポーズである。

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壊れた携帯電話は水気が浸入していたらしい。水没させたわけではないので、たいした修理ではなさそうである。大事なデータといってもアドレスも10名くらいで困ることはないが無事であった。修理の依頼書にサインするが、今日が何年か何日かが出てこず一々聞いてしまう。さすがに9月なのは知っていた。 次号アダージョの表紙は、人物を二人使うことを決めていた。都営線沿線という条件上、一見人物と関係がなさそうな背景になる場合が多い。そこで人物を背景に収めるためには緩衝材、もしくは接着剤の類が必用になってくる。一番顕著な例が15号の『植村直己と板橋を歩く』であろう。犬を使うことを思いつかなかったら、私は植村を板橋の街中で、いったいどうしていただろう。 二人と決めた理由には、私がすでに主人公に縁のある人物を制作していたせいもある。しかし背景用の場所は、今のところ狭い路地になる可能性が高い。すぐそばに並べれば意味が出てきてしまうし、背後にたまたま通りかかったようにすることも可能だが、その人物を知っている人なら面白いだろうが、そうでなければ、通行人まで作ってご苦労なことだ、という中途半端な結果に終るだろう。そこで第二候補を作ることにした。この人物は、どう見たってただの通行人には見えない。なにしろ思いっきり腰の曲がった怪しい老婆である。

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一日  


固定電話はただ置いてあるだけになっているので、契約解除の手続きをしようとしていたら、携帯電話が壊れる。充電しようとしても反応がない。こんなときは絶対そうだ、と調べたら案の定、今日は携帯屋の定休日である。パソコンのプリンターについで嫌いな機械である。もう一つあった。あらゆる機械のリモコン。とにかく間違いなくすぐ壊れる。  午前中、向かいの小学校から聴こえる下手糞な『ラブミー・テンダー』が耳についてイライラする。よくこれほど小学生のリコーダーに向いていない曲を選んだ、と逆に感心したくらいである。運動会で流す『あなたのとりこ』といい、どうも教師の中におかしなのが混ざっている気がする。
『大乱歩展』に出品用の『D坂の三人書房』の色見本を作りに田村写真へ。これは『乱歩 夜の夢こそまこと』(パロル舎)用に制作したものだが、大正時代の団子坂は(正確にいえば団子坂上)かなり暗かったろう、店内は電球色を意識してかなり赤くしたのだが、うかつなことに店内から団子坂にもれる光を赤くしていなかったので、今回はそれを直した。欲をいえば、イタズラにショウケースに並べた三大奇書のサイズが適当なのだが、乱歩経営の三人書房にそれらを並べた、ということだけで一人ウキウキしていたので良しとした。それにしてもフォトショップのベジェ曲線を一度も使わず、プチプチと切り抜いて合成したレイヤーは軽く100を越えていたから、今思うと良くやったと呆れるが、それというのも、初登場の明智小五郎が向かいの白梅軒から、室内ではすでに女房が殺害されている三人書房を見ている、というシーンを予定していたので苦にならなかったのであろう。  田村写真では、田村さんが造形作家を撮影した8×10インチのプリントに魅入る。結局アプラナート(アナスチグマット登場以前の2群4枚の対照型レンズ)の大絞りだなと再確認。エミール・ブッシュのラピッド・アプラナートは数種確保しており、ケースの中で有事を待っている。1群1枚、これがまた満更じゃないから、レンズの開発の歴史とはなんだ、という気がする。

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先日完成したと書いた人物の首だが、実はあのあと、さらに迷走することになってしまった。先日書いたとおり、迷走を繰り返したあげくに完成したはずだったのだが。 完成すると、メールで友人等に見せびらかすのが常だが、友人の一言が妙に気になった。それはむしろ賞賛の一言だったのだが、もうちょっと、とやったつもりが、雪崩のように妙な方向に走ってしまった。なにしろ小さな首なので、そんな時は、あっという間である。そんななか良いこともあった。この人物は鼻に特徴がある。この鼻の形がなかなか掴めなかったのだが、昨日ようやく仕組みが判った。これはまったく作る場合の話で、詳しく書いても面白い話ではないので書かないが、例えば遊園地にあるトリックの部屋などで、実際はそうなっていないのにそう見える、ということがあるが、この人物の鼻が、なぜそう見えるのかが判った、というようなことである。 私の作品は、ただ似ていればいいとわけではないが、人の顔というのは、ちょっとのことで違って見えるものである。TVのタレントで日本画家みたいな顔をしている人がいるが、魚や花やちょっと形が違っても、むしろ味に見えてしまう物ばかり描いているのは、そのためで、利き手ででない方の手に筆を持って、味の演出までしていて感心した。人物、特に顔を描いたら、とんでもないことになるだろう。私が制作中の首をポケットに入れてK本にいって披露するのも、人の顔は誰だって、たとえ酔っ払っていても、ああだこうだと判断できるからである。何しろたった数センチの物に、下手をすると何十日もかけていると客観性が失われてくるものである。 肝心の首が完成したかどうかに関しては、もう書くのは止めておく。

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2時間ほどしか寝ていないが、母が父の墓参りに行くというので、ついでに次号アダージョ用ロケハンに出かけることにする。特集人物が親戚の寺から200mの所に住んでいたというので、丁度出ていた散歩雑誌を持っていく。寺収蔵の快慶作と伝わる延命子安地蔵と、木喰上人の十一面観音像を見せてもらう。何処かにしまってあると思ったら、子安地蔵は開けっ放しで、法事のたびに奥に見えていたものであった。江戸時代に地蔵通りの名の元になったというのは散歩雑誌で知った。その奥に木喰仏。初めて真近でみる。母はこの後、一度家に帰った後、茨城の父の実家に泊りがけで行くという。外出したら済ます用事は一日に一件が基本の私に比べ、よっぽどアグレッシブな八十歳である。 従兄弟の副住職に、地元の人しか知らないであろう路地の入り口を聞いて散策に出かける。人がすれ違うのがやっとという路地から入る。奥は複雑に入り組んでいて、方向音痴にはとても無理。持っている地図も縮尺が小さすぎて私には役にたたない。取りあえずは、目星をつけていた場所にたどり着きカメラを構えるが、細い路地を携帯で写真を撮りながら歩くカップルや、何か美味しいもの食べましょ的女性の二人連れ、デジカメ親父が、行ったりきたりと引きも切らず。『お散歩ブームだか知らねえが、テメエラどいつもこいつも、いいかげんにしろ』と思っている私が、バッグにはお散歩雑誌、アダージョの“~を歩く”のロケハンなのであった。あそこのデジカメ親父も、私に向かって同じこと思っているに違いない。 寝不足もあるが、今日はあっちこっちの散策は無理と判断。改めて来ることにする。収穫としては、もう一人、私の手持ちの人物を共演させようと考えていたが、少々無理があるように思えてきた。そのかわり、脇役を別に作るという方向に傾いてきた。 早々に木場に帰り、K本で飲む。なにしろ肝心の首が完成しているとなると、こうして飲んでいても数日前とは気分は天と地である。

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一日  


向かいの小学校から聴こえる、シルヴィ・バルタンの『あなたのとりこ』で目が覚める。この小学校は何年も前から、運動会や何かの練習の時、必ずこの曲を流し続ける。私も発売当時、シングルレコードを買った覚えがある。歌の内容は知らないが、タイトルからすると、小学生のかけっこに合っているのかどうか。  『ラブレターを投函するのは一夜明けてからにしろ』というのは私が大昔、自らが得た教訓である。“一夜明けて”を“酔いが覚めて”に置き換えてもよい。昨日の雑記には完成目前のようなことを書いたが、朝目が覚めて、まず確認するのは、その出来具合である。幸い昨晩と印象は変らず、早朝ポストの前で、郵便局員を拝み倒す必用はなかった。(そんなことはしたことないが) 白状すると、この雑記で完成目前などと書く間には、友人に、出来たも同然とメールした10分後に、結局駄目だった。などということを結構繰り返しているのである。これも数ミリで表情が変ってしまう、小さなサイズの作品だから起こることで、まさに一喜一憂である。しかし難航して苦しんだ人物も、どうやら首が完成したようである。
知人が本日、横尾忠則さんに会って拙著2冊を渡してくれたらしい、結構熱心に見ていただいたそうで喜ぶ。

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先月のいつからか、たった数センチの人物の頭に時間ばかりかけて結果は芳しくなかった。今日はヤスリや鋸刃などをホームセンターに買いにいったりの用事を済ませ、それから再開しようと思っていた。不調が続いていたので落ち着きたいところである。そうこうして同じマンションのYさんから電話があり、早く帰ったのでコーヒーを飲みにこないか、とのお誘い。ブラックコーヒーが苦手なので緑茶をいただきながら世間話。結局、K本に開店の4時に顔を出すことを約束し、ホームセンターへ。今日は、どんな誘いでもすべて乗っかって、作業時間がたとえ寝る前の一時間でも、そのほうが結果が良いような気がしていた。これは午前中に久しぶりに観た『麻雀放浪記』の影響では決してないが、昨日の『雀々・談春』で流れが変ったはずだという勘が働いていたのである。  K本では、今までのチューハイ用炭酸が製造中止になったとかで、先日メーカーが代わった。18の時、江戸川のガード下で、小学校の図工の先生にはじめてご馳走になったチューハイと同じ味だと、一筋20年以上だったのに、味が変わって少々残念。こればかりは仕方がない。Yさんと、よくお見かけする『泥の河』のプロデューサー藤倉さんなどと飲み、少々早いピッチで飲んだのでお先に失礼した。帰宅後ようやく制作再開。私の勘は見事に当たり、ここ数日は何だったんだ、という勢いで完成に向かう。こういう嫌な流れを断ち切るのに落語が有効なことを発見した。ただ有効なのは落語というより、桂雀々さんの惚けた表情だったのではないかという疑いは残る。 この人物がこのまま無事完成すれば、別の人物との共演も考えているのだが、時間的にどうだろうか。『グリーン・ホーネット』に『バットマン』がゲスト出演した時のような。逆だったか?

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