明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


新作が一番良いと感じるのは作家としては何よりだが、一つには目が慣れておらず新鮮に見える、ただそれだけ、ということもあるだろう。同じように、水槽内に新入りが入ってくるたび、目移りして主役を換えているようでは先が思いやられる。金魚を眺め、寒山拾得制作に備え、といっても、直接金魚自体を参考にして、という訳ではないので、いい加減にしておかなければならないだろう。他の連中が私の姿を見ると、餌を投入する水槽の左側にいつも集まっているのだが、寒山だけが、未だに一匹、右側にいて、斜め上を見ている。中学生になると、急に押し黙り、遠くを見る目になったりする奴がいたものだが、あれを思い出した。相変わらず食欲は大勢なのでそれほど気にはしていないが、主役が一匹、そっぽを向いているのもどうか。今週中には、寒山拾得の朗読CDが届くだろうから、その時に考えよう。私も新入りが来るたび、可愛い、などといってそちらの方に目が行ってしまうが、寒山と拾得は、本来、薄気味の悪さが持ち味である。そうこうして、芭蕉庵も、設置方法その他、記念館と確認し、そろそろ制作に入りたいところである。芭蕉の樹はともかく、深川に置かれるのであるから、古池もなんとかしたいところである。こうすれば可能か、と考えてはいるが、果たしてイメージ通り行くものかどうか。それこそやってみなければ判らない。ドールハウスやミニチュアを作る人はいるが、私が作るのであるから、その精巧さに関心してもらうより、あくまでも芭蕉像が引き立つことばかり考えてみたい。

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寒山こと桜東錦は、主役の座から降格となり、ベランダへ出向の可能性がでてきたが、一番パワフルで拾得を追い回していたのだが、ここ一週間ぼど、群れから一匹離れ、右隅の、底から10:センチくらいの所から、斜め45度上あたりをじっと見つめている。よく幼児が誰もいない虚空を指さし、知らないおばちやんがいる。そんな感じである。私の友人が魚に悪さをして死なせたそうで、以来、その水槽に新たな魚を入ると一日で死ぬことが何度も続いた。水を全取っ替えしようと効果がない。その魚はタフで知られていたから本来あり得ないことである。冗談で盛り塩してみたらどうだ、といったら、以来止まった。友人と書いた都合上、どんな悪さをしたかは書かないでおく。今流行りで映画化もされるらしい事故物件のような話である。事故物件云々といってる人達は、おそらく親類縁者に東京大空襲の経験者がいない地方出身者であろう。殺人だ自殺だ、呪いだ、といったところで、それがどうした、というのが大空襲である。戦後、雨の日にリンが青白く燃え、それが気持ち悪くて東京から越した人達の話を聞いたことがあるが、うちの母もそうだが、ゴキブリ一匹で大騒ぎしても、おそらく大空襲経験者に、特に事故物件的怪談話は効き目がないだろう。 それはともかく。寒山はまるで大海を懐かしむ、たい焼き君の如き風情であるが”淡水魚大海を知らず“である。体調の異変に備え、準備はしてあるが、餌の時間だ、となると血相をかえ突進してくるから、心配はないだろう。それにしても日々大きくなってきているから、いい加減私も、かわいい新入りを参入させては寒山と拾得役のキャスティングに迷っていてはいけない。最終決定は水槽の前で井川比佐史朗読するところの森鷗外『寒山拾得』を聴きながら決めることにしよう。

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一日  


新作が一番良いと感じるのは作家としては何よりだが、一つには目が慣れておらず新鮮に見える、ただそれだけ、ということもあるだろう。同じように、水槽内に新入りが入ってくるたび、目移りして主役を換えているようでは先が思いやられる。金魚を眺め、寒山拾得制作に備え、といっても、直接金魚自体を参考にして、という訳ではないので、いい加減にしておかなければならないだろう。他の連中が私の姿を見ると、餌を投入する水槽の左側にいつも集まっているのだが、寒山だけが、未だに一匹、右側にいて、斜め上を見ている。中学生になると、急に押し黙り、遠くを見る目になったりする奴がいたものだが、あれを思い出した。相変わらず食欲は大勢なのでそれほど気にはしていないが、主役が一匹、そっぽを向いているのもどうか。今週中には、寒山拾得の朗読CDが届くだろうから、その時に考えよう。新入りが来るたび、可愛い、などといってそちらの方に目が行ってしまうが、寒山と拾得は本来、薄気味の悪さが持ち味である。 そうこうして、芭蕉庵も、設置方法その他、記念館と確認し、そろそろ制作に入りたいところである。芭蕉の樹はともかく、深川に置かれるのであるから、古池もなんとかしたいところである。こうすれば可能か、と考えてはいるが、果たしてイメージ通り行くものかどうか。それこそやってみなければ判らない。ドールハウスやミニチュアを作る人はいるが、私が作るのであるから、その精巧さに関心してもらうより、あくまでも芭蕉像が引き立つことばかり考えてみたい。

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深川のコーナンにてよしずを購入。先日、お隣からの目隠しは設置したし、これでベランダで、何をしようと?安全である。コーナンには、金魚売り場がある。 うちの寒山拾得水槽はキャストとしては揃っている。60センチ水槽としてはもう良いだろう。メンバーにはセロフアンみたいな真紅からピンク、橙色と赤系の色が揃っているが、唯一、金魚といえばこれ、という朱色がかつた赤がいいないな、とは思っており、その隙間が用がないはずの金魚売り場に足を向かせた。パソコンやカメラ同様、嫌いな物が好きに転じるという現象が金魚にも現れており、嫌いだったフラダンスみたいな泳ぎが今ではそこが可愛らしく見えるし、子供の頃からランチュウの頭の肉瘤が気持ち悪かったはずが、この肉瘤のおかげで、正面から見た魚顔とは違う可愛らしさに目覚めてしまった。それまで魚の正面顔など意識したことはなかった。かといって、魚なのに背びれがないランチユウには未だ違和感があり、金魚坂で購入した中国産の琉金ショートテールや、虎役の朱文金、その他大勢のアイアンコメットを別にすればすべてオランダ獅子頭系である。コーナンには朱赤のオランダ獅子頭がいることは知っていたが、あえて見ないようにしていた。その間大分買われていき、数も少なくなっていた。しかし今は、朱赤のオランダでさえあれば、正面の顔だけである。そう思って見たら、一匹だけいた。鼻の下が口紅をくっつけたような色をしている。 子供の頃から熱帯魚、特に縄張り意識が強い魚ばかり飼ってきたので、金魚が餌をくれろ、とジタバタしているところに、入ったばかりなのに、以前から居たみたいな顔をして一緒にジタバタしている調子の良いところが可笑しい。 しかし、今後はもう寒山拾得劇団は関係なく飼っていこう、と考えなくもないが、近いうちが井川 比佐志が森鷗外の寒山拾得を朗読するCDが届くはずだし。そう考えると、拾得役の桜東錦があまりにも可愛らしく、コントラストを付けようと、わざわざ不細工な桜東錦を選んだ寒山が少々気になってくる。であれば、拾得を寒山に、本日の新入りを拾得に、今までの寒山にはベランダに出向してもらおうか、と企み始める冷酷な頭取である。といつても、金魚的には水槽より屋外のケースの方が環境的には良いそうである。


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もう夏も終わろうというのに、ベランダに日除けを立てている。こういうことをやらせると、自分で呆れるほど愚図である。まあ昨日のブログに書いたばかりだが、愚図な代わりに人形は作れるからまあいいや、というのがお尻に付くのだが。しかしベランダの日除けも、介護用の風呂か、ビニールプールで水浴びを、と企んでいたのが、来年ということになった。 昨日の話の続きだが、興味のないことには関心がないのは生まれつき極端であった。あれは小学5、6年の時だあった。私が忘れ物が多く、宿題をやって来ないので、ついに忘れ物ばかりして宿題もやってきません、とか大書きされたサンドイッチマンの格好をさせられ、前教室を回らされた。今では考えられない仕打ちであるが、考えたら我が妹の教室も行った訳で、可哀想な目に合わせたものである。ところが宿題など興味がないので、何も感じない。私の次にジャイアンみたいな奴がこの罰を受けることになったが、大泣きして嫌がり、私で終わった。この担任は、後に某区の教育委員長にまでなった。母と担任は相談の上、どこかの施設に連れて行かれ知能テストなど色々されたのを覚えている。しかし私のような興味がないことに関心を示さない子供に何か教育方法という物があるのであろうか?自分でいうのもなんだが、処置無し、というやつではないだろうか?さすがの私も下町の、窓から手を伸ばすと隣の家に手が届くようなところに育ち、母にうるさくいわれたので、知ったかぶりを身につけ、目立たないよう生きている。結局極道の道を行くしかなかった、ということであろう。私が幸いだったのは、何かを得るためには何かを捨てなくてはならず、何処かでっぱったら、何処か引っ込ませるものだということが直感的に判っていたことであろう。何もかにも得ようというわけにはいかない。掃除の時間、何をして良いか判らずフラフラしています、と通信簿に書かれた私は、その代わり人形は作くれるし写真も撮れ、あげくに寒山拾得を作るなんていってる訳である。生まれ付き足が短い人が、その人にはまったく責任がないように、私にもまったく責任はない。

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芭蕉庵制作用に、大きめのカッティングシートを注文。私のことだから買ったばかりの楢材の古い机も、あっという間に傷だらけであろう。せめてもである。今までたいした道具も使わず来たが、今度からは、机の引き出しに道具はすべて収めて、いちいち探し回ることに貴重な時間を費やすことは避けたい。普段はぐうたらしているのに制作となると、せっかちに変じ、あれがない、これがないとイライラする。それがさっきまで手に持っていたはずの物だったりすると、よけいカッカしてくる。悪いのは整理整頓が出来ない自分だから仕方がないが、今度の机は引き出しも多く頼もしい。 私の場合、自分の駄目な部分、欠点部分が、制作のために、すべてがそちらに導入されているのだ、という考えなので、駄目なところが、その分制作に関わるパートに補充されているのに決まっている。人なんて特別な人間はともかく基本的に、能力、才能なんてほとんど与えられた量は変わらないだろう。バカも刃物も使いよう一つである。なので欠けているといつても、その分脳味噌に穴が空いているわけではなく、必要な部分に回っているに違いがない。 当ブログでは、人形作家としての神秘性を自ら台無しにし続けているが、方向音痴では負け知らず、数字が苦手で計算も駄目だと平気で書いているが,実はその後に,、書かないだけで必ず(その代わり人形が作れるのだ)というのがくっ付いている。であるから私が自身の駄目さ加減を嘆いているようで、実は内心ウットリしている場合があるから油断は出来ない。 世間的にいえば、いわゆる«お目出度い人間»ということになるだろうが、お目出度くないよりは良いのではないか。最近は物忘れがひどくなったことさえも、ひどくなった部分が制作のために駆り出されていることになった、と思っている。よく、そんな状況なのに笑っていられるものだ、といわれるが、物は考えようである。といっても私の場合は、最初から思いこんでいるから、考えも何もないのである。

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ホテイアオイは咲いても一日のようで、咲いたらお仕舞いだそうである.季節が終わり、ただの大量のゴミと化した池の光景を思い出した。花が咲いたのが、小学生のアサガオ以来。考えてみると先日書いた、前半生で苦手な物を後半生で克服の一種、と言えなくもないが、調子に乗って観葉植物など買うと、何でも枯らしていた、かつての二の舞となるだろう。ホテイアオイが咲いたからといって花が好物と転じた訳でもなく、早くもゴミと化した姿を想像している有様である。興味がある物とない物の差が甚だしいのは今に始まったことではない。 水槽内の金魚は、一応役柄に応じて色など違う金魚を選んだせいで、寒山や拾得、豊干その他、相応に見えている。性格も違うし、かといって、連中の興味は餌だけであって、彼等にとって、私はただの給餌装置であろう。さすがに哺乳類と違って勘違いをさせられないで済む。 森鴎外作品の朗読CDを注文した。そろそろ彼等にも具体的に妄想を描く補助になってもらいたい。といっても、凡百の寒山拾得図が肥満体型であっても、寒山詩の序文にあるように、痩せたみすぼらしい男二人にしたい。コロコロとした水槽内の連中のようにしたくもあるが、ゲラゲラ笑いながら何処かへ行ってしまうようなキャラクターには向いているからである。しかし、そう書いてある以上、それを曲げることは出来ない。松尾芭蕉を門弟の描いた肖像画だけを参考に制作したように、やって良いことと悪いことがある。

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最近見なかった夢を見る。私が何かしでかし、それが露見しそうになり悩むという、昔からたまに見てきた夢である。どうすれば良いのだ、としばらく苦しみ、何をしでかしたんだと端から考えて行き、だんだん目が覚めながら、何もしでかしてはいないではないか、とホッとして目が覚める。何が嫌だと行って、確かに私がしでかしそうなことを端から潰して行くのだが、これがいかにも私がしでかしそうなことをいちいち思い浮かべなければならないのが、うっとおしい。私の見る夢の特徴は、シチュエーション、キヤステイング等でたらめだろうと、私は私がいかにも言いそうなことしか言わない。つまりしでかしてもいない、しかししでかしそうなことを、捻り出さなくてはならないのが夢とはいえ苦痛である。何もしていない、とホッとしても、すでにしでかしそうなことを羅列した後味の悪さも残る。 ベランダのサッシを開け放してコオロギの声を聞きながら寝たが、目を覚ますと金魚のために用意したプラスチックのトロ舟のホテイアオイの最初の花がすでに枯れて蕾がいくつも顔を出し、見ているうちに開花した。花が咲くなんて小学校のアサガオ以来なである。植物に興味はなく、青空を背景に咲く赤いバラに足を止めることがある程度である。思いの外新鮮であり、夢のダメージは薄れて行く。寿命はほぼ1日らしい。アシナガ蜂が以前から通って来ている。


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朝気が付いたらベランダのホテイアオイが薄紫の花が咲かせていた。私は観葉植物などことごとく枯らしてきた。これなら私でも、と勧められた植木、サボテンなどまったくダメであった。岡山の陶芸家のところに遊びに行って、たまたま買った花に混ざっていたとかで、知らずに植えていたら警官が慌てて抜きに来たという花ももらって来たが、すぐ枯れた。成功したのは小学生の時のアサガオくらいしか記憶にない。水があって陽が当たっていただけとはいえ、私が花を咲かせることなどないと思っていたから、まだまだこの先何が起こるか判らないなと思った。 物心つくかどうか以来、クレヨンに紙があれば何時間でも大人しく、クレヨン握ったまま寝てしまってシーツを汚して叱られたりしてきたが、そもそも何でイメージが頭に浮かぶのか?子供の頃から謎は一貫しており、そして未解決なままである。不思議なことはいくらでもあるが、やはりかつてに浮かぶイメージはどこから来るのか?それに尽きるだろう。 私はさしずめ浮かぶイメージに命ぜられるまま、降ってくるデータを3Dプリンターのように立体に出力しているだけな気がする。もともとぶきっちょなのに。その入力するデータというのは何由来の物なのであろうか。そして現在、私こと3Dプリンターは毎日金魚を眺めている。そんな心持である。 芭蕉庵は二転三転したが、様々な事情をかんがみ当初のイメージよりコンパクトに、その代わり大きなサイズだととても古池までは不可能であつたが、古池まで作れる可能性がでて来た。

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子供の頃、今は図画工作とはいわないのかもしれないが、あんな楽しい時間はなかった。ところが写生となるとがっかり。風景や目の前の物を見て描け、となったとたん、嫌になってしまうのである。風景を描くにしても、遠足の後に教室で描くのが好きなので、現場で写生は大嫌いなのであった。そう思うと、私のもともとの写真に対する興味の無さは、そんなところから来ていたのかもしれない。結果、外の世界にレンズを向けず、眉間にレンズを当てる念写が理想だ、ということに至る。それは頭の中に浮かんだイメージは何処へいってしまうのだ、という子供の頃の疑問から始まっている。そしてそれを可視化してやはり在った、と確認する。 私の母は、最初の子育てである私で、どうやら聞いていた子育てと違う。と早々に異変?に気付いて、学校を含め、様々な所に相談に行き、知能テストなどやらされたのだが、母が私に感じた異変とは、どうも外側の世界と内側の世界に対する感受性の差違に母なりに気付いていたのだろう。確かに何度も書いたが、どこかの王様に石の塔に幽閉され画用紙クレヨン使い放題、図書室は読み放題、算数宿題なんかやらなくて良いので、ここに一生おれ、なんてことを夢見ていた。そう思うと、母には、せめて外側の世界に興味があるフリぐらいできるように、とチック症になるほどうるさくと教わったような気がする。まあ、会社員にでもなろうというなら問題も生じるだろうが、内側の世界をモチーフとする渡世で生きるのであれば問題はない。と思う? そう考えてみたら、私が何故女性を作らないのか。写真となるとレンズを向けるのか。様々な理由を考えていたが、単に私の中に無いからだ、という単純な理由のような気がして来た。自分の中に無いものは出て来ない。

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金魚、食欲の収まることを知らず、餌が消えたあとも、水面の泡が餌に見えるのかエアーは充分なのにパクパクやっている。お前らの飼い主はすでに数十年前、空気を飲み込んで腹を満たせるかを試み、失敗に終わったといったろう。 外の世界にレンズを向けず、念写が理想といいながらも、芭蕉庵の芭蕉の樹や、古池には実写を使ってみたい。また寒山拾得の背景にも、わずか数十センチの石膏で作った岩山に、数百メートルの実物の岩山を、分け隔てなく配してみたい。私の場合はウソもホントも等価である。 子供の頃、家で絵を描いたり本を読んでばかりいないで外で遊んで来なさい、と言われ、外でばかり遊んでいると、今度は家にいろ、という。『いったいどっちなんだよ。』大人はかってなことをいうものであるが、今の私は外であろうと、在宅だろうとウソとホントの割合が多少変わるだけで、これは長年、まことを写す、という意味の写真という言葉に抗い続け、古いレンズを使ったり、古典技法を試み、そしてついに被写体から陰影を除くに至り、私がようやく勝ち得た状況であると考えている。だがしかし、陰影をなくすという簡単なことを思い付くのに時間がかかり過ぎた。作家シリーズから寒山拾得というモチーフに、一挙にジャンプ、あるいはワープしたのは、それについての悔やみがそうさせているのは間違いないだろう。持ち時間には限りがある。それでも今のところ、ただ金魚を眺めているしかない。いずれにしてもあらゆる謎はすべて自分の中にある。何もこの暑い中、外に出掛ける必用はないと考えている。

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和菓子屋を舞台にしたドラマを観ていて、小豆を煮るシーンで、美味そうでムラッとした。妙なことを思った。子供の頃、子供の割には甘いものを好まず、特に和菓子、あんこや羊羮が大嫌いで、どら焼きをもらうと、あんこを捨てていたくらいであった。先日、60年代に、ジミヘンが使っていた日本製エレキギターが2290万の値がつき、それは幼稚園からの幼なじみが1000円で買って来たギターだったと書いた。彼との演奏が、ラジオ放送されたカセットが出て来たことも書いたが、彼の家は通りに面した和菓子屋で、機械でいつも餅をついていたこともあり、練習場所として大きな音を出すことができた。遊びに行くとおばさんが、あんことみたらしの団子を出してくれた。みたらしはなんとかなったが、あんこは、おばさんにいうなよ、と口止めして彼に食べてもらっていた。 区の健康診断は、パンツ一丁の旧友と再会すると思い込んで行くことはなかったが、ようやく行ってみたら思いの外の悪い方の高得点をもらい、ふざけるな、そんなはずはない、と目の前の甘い物をやけくそで口にしたら「美味い?」以来食べられるようになってしまった。一方で酢が子供のこれから嫌いであったが、ある日ラジオで深田恭子が、餃子は酢だけて食べると耳にした。深田恭子がいうなら、と冗談で使って以来、かた焼きそばにはじゃぶじゃぶ、餃子は酢と胡椒、薄ボケたようなラーメンにかけることさえある。胃がもたれて何度試してもまったく飲めなかったブラックコーヒーも一昨年の銀座の個展会場のコーヒーメーカーで飲んでみたら、以来飲めるようになり、フラダンスのようなどんくさい動きが嫌いだった 金魚を眺めながら飲んでいたり。 ところで何度となく書いているが、私の場合、嫌いだ苦手だ、といっていたものが大事な物に転じてきた。写真、パソコンはその典型だし、子供の頃から写生が嫌いでデッサンも数えるほどしかしたことがなかったが、作家シリーズを始めて以来写真を参考に人物を作り続けてきた。そう考えると、前半生で苦手だった物を後半生で克服、好物に転じてきた。となると、最後死の床で「梅干しはこの酸っぱいところが良い!」とでもいうのか。だが強烈に酸っぱい梅干しだけは、歯応えだ、風味だ以前に拷問に近いから、確かにそういった時は味覚もおかしくなり死ぬ時であろう。

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3D  


寒山拾得に関しては順調に金魚を眺めており、何の問題も差し障りもなく、ただ金魚を眺め暮らすという試みに関しては成功しているといえよう。一方、芭蕉記念館の芭蕉庵は、当初私の芭蕉像が、あたかも庵に住まうが如くに、と構想を描いていたが、そうなると少々大き過ぎる。そのままではベランダからでないと家を出ないであろう。またかたわらに芭蕉の樹はもちろん、出来れば古池も欲しい。 そもそも空間を把握する能力に問題があり、何十回も行って来た個展会場の飾り付けはすべてお任せしてしまい、一度も独力でやったことがない身としては、会場の事情なども考慮しなくてはならない。半分にカットすることも考えた。いっそ実際の8分の1くらいならどうだろう。芭蕉の樹も古池も当然オーケーである。しかしそうなると、芭蕉庵にて句作に思いを馳せる芭蕉を配するために座像として制作した芭蕉像が飾れない。 昔、デイスコ用に、人間大の人形を作ったことがあるが、頭部の制作時間は大きかろうと、といつもとたいして変わらなかった。だが逆に小さくとなると話が違ってくる。手のひらに収まるというのと、私の込めたいことを込めるためにはどうしてもいつものサイズは必要なのである。 ところが本日、3Dプリンターで小さく出力する、というのを思い付いた。1997 年に、 初の作家シリーズの個展を開催したおりに、ある人物が、立体をデータとして取り込める機械が日本に一台あり、それでスキャンして映像としてその時展示していた作家を動かしてみたいといった。その時の私はというと、ワープロすら触ったことがなく、スキヤニングという言葉が使われたかどうかも定かではないが、意味も判らず相手にしなかった。もっともその当時のCG映像はたいした物ではなく、余計なことをしないで良かった、と思ったものだが。今だったらまず、ロバート・ジョンソン、葛飾北斎、松尾芭蕉を動かしてみたい。

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それにしても、金魚以上に、他人事みたいな顔した生き物がいるだろうか?本日もただ餌を求めて上え下への大騒ぎである。それに釣られて餌をやっていたら、長生きできない。しかしショップでは最低限しか餌はやらないから、ショップに居残る兄弟達に比べれば、明らかに大きくなっている。赤い色も飼い主の欲目か鮮やかになって来たように感じる。虎役の朱文金が小さすぎ、水槽を別にして 大きくしようか、とも思うのだが、これに乗る豊干役の青文魚が、水槽内では一番大きいのでなおさらである。だがしかし、そのぐらいは想像力でカバーすれば良いだろう。美人は想像力のない奴に任せておけ、と誰かもいっていた。 最近読んだキース・リチャーズのインタビューでチャーリー・ワッツがこう言ったそうだ「考えると腐る」。その通りだ。私の腐り止めのために、お前ら金魚は私に餌をもらっている。そして毎日他人事のような顔を私に向け続けている。それにしても、ただ棒が浮かんでいるだけのような魚も飼ったことがあるが、可動域の広い魚はやはり頭が良い。餌を求めている間はピラニアと変わらないが、しばらくジタバタし、今回は餌は無しだな、と理解して散会していく様子など、奴等の考えていることが手に取るように分かり実に笑わせてくれる。

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次号の『タウン誌深川』の連載"明日出来ること今日はせず"には、引っ越しを期に64年の東京オリンピック以前の生活をしようと、ホウキとチリトリ、文机に座椅子の生活に、としたつもりが、文机と座椅子は腰痛で挫折、椅子と机に戻した話を書いた。あれだけ宣言しておいて情けない話である。こういう時、すぐに頭に浮かぶのは寺山修司の『書き換えの効かない過去などない。」である。私のようにいい加減なクセに融通の効かないところがある私には、寺山がそう言ってんだから、と心穏やかに過ごせる、有難いお言葉である。 知り合いのお茶屋さんに、完全無農薬のお茶をいただいた話もブログで書いた。いくら無農薬で栽培しようと、山の上で農薬を使われては意味がない。山を一つ持っていないと実現はしない、という話を聞いた。子供の頃、母がお茶ガラをまいて掃き掃除をしていたのを思い出し、それをやってみようと思ったが、いただいたお茶の製造行程を聞いてしまったものだから、捨てずに佃煮にでもして食べようと冷蔵庫に溜め込み、お茶ガラの代用に、ちぎって湿らした新聞紙でいいや、と思っているうちに、地元の先輩からダイソンの掃除機あるけど使う?とメールが来た。私は誘惑に抗しきれず、臆面もなくいただきます。と答えてしまった。ホウキは見える所にぶら下げ、ダイソンは押し入れに隠しておけば良い、と。 一体何のための64年だ、という話だが、こうして次々と文明の利器に負けて行く可能性が高い。一度ほつれた穴はいかんともしがたい。本日、今日送るからと、電話をいただいた。「有難うございます。」電話を切るとすぐにまた電話「箱は最新のだけど、機種は前のだから。」次の機種を買うまで、前の箱とってあるんだ、と何でも届くそばからベリベリとやってしまう私は、妙に感心したのであった。

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