明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



サイゼリヤにてMさんTさんと会う。河本の女将眞寿美さんが愛用した栓抜きをようやく受け取った。Mさんとは眞寿美さんが亡くなり、数日後だったろうか。ここサイゼリヤで献杯し、マグナムを数本空け、男二人涙した。そこで今回もここで。 我々のような常連席を占めていた眞寿美崇拝者は、クーデターにより突然出入り禁止となり、線香も上げさせて貰えなかった。酷い話しである。最も、冷凍保存された最後の煮込みは我々で成仏させたし、眞寿美さんのいない河本など我々には意味が無い。 さっぱりしたら、長らく河本の暖簾を仕舞う役だったTさんと飲もうということになっていた。Tさんは“注ぎ殺し”の異名を持っているが、定年後のMさんがまた甚だしい殺し屋に変じた。友人が新入社員の頃、飲みの席では、注がれる前に注ぐ、自分の身を守る為に常にボトルに手の届く所にいると言っていたが、この二人の場合は、人も殺すがご丁寧に自分もちゃんと死ぬ。 そこへ舞台俳優の今拓哉さん。『タウン誌深川』はいつもと違い本日30日の発売である。エッセイで今さんの事に触れさせてもらったので進呈し、眞寿美さんに献杯しつつ、愉快に”殺し合い“は続いたのであった。



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サイゼリヤにてMさんTさんと会う。河本の女将眞寿美さんが愛用した栓抜きをようやく受け取った。Mさんとは眞寿美さんが亡くなり、数日後だったろうか。ここサイゼリヤで献杯し、マグナムを数本空け、男二人涙した。そこで今回もここで。 我々のような常連席を占めていた眞寿美崇拝者は、クーデターにより突然出入り禁止となり、線香も上げさせて貰えなかった。酷い話しである。最も、冷凍保存された最後の煮込みは我々で成仏させたし、眞寿美さんのいない河本など我々には意味が無い。 さっぱりしたら、長らく河本の暖簾を仕舞う役だったTさんと飲もうということになっていた。Tさんは“注ぎ殺し”の異名を持っているが、定年後のMさんがまた甚だしい殺し屋に変じた。友人が新入社員の頃、飲みの席では、注がれる前に注ぐ、自分の身を守る為に常にボトルに手の届く所にいると言っていたが、この二人の場合は、人も殺すがご丁寧に自分もちゃんと死ぬ。 そこへ舞台俳優の今拓哉さん。『タウン誌深川』はいつもと違い本日30日の発売である。エッセイで今さんの事に触れさせてもらったので進呈し、眞寿美さんに献杯しつつ、愉快に”殺し合い“は続いたのであった。

タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第16回『トラウマ』

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『石塚公昭 幻想写真展き続ける作家た18年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutubeこ2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界



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昨日、引っ越しの件について、地図で検索したりして、大まかに近しい人達に連絡していたのだが、今日になって全く違う物件を検索していたことが発覚。私の方向音痴の酷さに関しては、怒濤の快進撃で、未だ負け知らずである。白地図など渡されても、全国どころか生まれ育った東京でさえ判らない。東西南北といえば、まず世界地図が頭に現れ、上が北であることは知っている。次に西洋、東洋となる。何といつても解せないのは、左を向いた人物写真を見ながら右側を作れるのに地図だけは頭の中で微動だにせず、モニターのように動かせる物はともかく、道端に設置してある地図は、私が首をかしげるしかない。空間把握能力に欠けているのであろう。フライボールは取れなかったし。まあそれはともかく、今度の場合は、いつの間にか建物の名前からして違ってしまつたのであり、ここ2日間、蕎麦屋や居酒屋を検索していた。どうしてくれる私。

タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第16回『トラウマ』

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変化の時というものは、こうもあからさまに訪れるるものだろうか。全てが今しかない、どうぞどうぞ、といっている。ニワトリがニワトリ小屋に追い込まれているかのよう、といえなくもないが。数年前から、気分はそちらに向かってはいたが、最後の引き金は母より顔を合わせていた、河本の眞寿美さんが亡くなったことだろう。河本に最初に顔を出した時は,まだ髪も真っ黒な五十代で、私も二十代の最後の年だつたろう。距離的なことも含め、あまりにも近かった。 引っ越したら懸案であった和風で行きたいところである。まずは室生犀星の撮影に使った金魚が金魚坂から来る事になっている。さらに置き床でも置いて、九代目市川團十郎や左團次の掛け軸でも掛け、江戸川乱歩の“現世は夢夜の夢こそまこと”の短冊を眺め暮らしたい。シミジミとした光景だが、それでいて制作の再起第一戦は、おそらく、全身に竹釘を打ち込まれ、血まみれになってうめき苦しむ三島由紀夫になるはずである。『椿説弓張月』の武藤太が仇を討たれる場面である。私にしたら、本人にやられていた聖セバスチャンの別バージョンを見つけた思いであり、私の見立て通り、当時の舞台のパンフレットに三島は〝私には堕落悪への嗜欲も潜み、その夢は、雪のふりしきる中に美女達の手で虐殺される武藤太に化身してゑる〟という一文まで、私に見つけられてしまった。「承りました。汚穢屋や、ドラゴンに噛み砕かれる王子、また背中の彫り物などと同様、やり過ぎ、過剰なご本人もやれなかった事は私にお任せ下さい。」

 

タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第16回『トラウマ』

 

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16年に、深川江戸資料館の『深川の人形作家石塚公昭の世界』でその時点で展示できる作品をおおよそ出品した、2メートル超のプリントも展示できた。昨年の銀座リコーイメージングの個展では、初期の手持ちで撮影していたアナログ時代の作家シリーズを展示できた。つまりさらに初期のジャズ・ブルース時代以降の作品は虫干しがかなったといえるだろう。そしてその間に、被写体から陰影を排除した、日本調ピクトリアリズムを始めていた。今年はもう新しい作家は作らないと言いながら、つい室生犀星を作ってしまったが、頭部がすでにある人物以外は、依頼でもなけれはもう作る事はないだろう。残された時間を考えると、様々な状況が、手法、モチーフを見直す時が来たことを示している。人は変化してこそだと、私は思う。 さらにこちらに越して来て三十数年通った、息を止めても行けた『河本』の女将眞寿美さんが亡くなり、店も廃業となつた。昨日今日の客が椅子その他を持って行ったようだが、私の手元には、山口百恵でいえばステージに置いたマイクロフォンに当たる、眞寿美さん愛用の栓抜きが届くことになっている。 そんな事もあり、これを機会に引っ越しを決めた。日本でどこに住みたいか、と言って出不精の私が最初に浮かべる、全国に名前轟く砂町銀座商店街のごく近くである。

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しばらく続いた負の連鎖も、母の入院と、スマホの充電機の故障で終わったかのようである。母はまたもふくらはぎの炎症で、抗生物質ですぐ良くなるだろう。 朝、懐かしく聞き覚えのある音を聞いた。夢なのか本当の音だったかは定かではない。子供の頃、葛飾区の日曜日の早朝、布団の中で聞いた近所のドブさらいのスコップの音である。定期的に、近所の奥さん方が集まり行うもので、浅いドブでも結構体積物は溜まっている。母や隣のおばちゃんも当然参加しており、話し声とスコップの音が実に懐かしい。 その頃、叱られてばかりいた私の母への唯一の仕返しは、セールスマンに、母がうちにあるので間に合ってます。と聞いたとたん走って来て母の背中から、それウチにないよ。というものであつた。嘘をついているのは母なので、私を叱る訳にもいかない。懐かしい。東京オリンピックの前頃だろう。今度のオリンピックはホントにやるとしたら、本当に馬鹿な国である。前回のオリンピックを私は良く覚えていて感激が忘れられないが、その代わり東京の変わりようが甚だしく、私にとっての東京はオリンピック以前の思い出でしかない。以来、東京というものはそういうものだ、と諦めの境地で、その後の東京は、どう変わろうと関心がない。私にボク、口開けつ放しにしてると埃がはいるよ、といった隣のおばちやんはボクが生きている間には、もう日本でオリンピックやることないだろうね。といつていたが。それにしても、もう少しドブさらいの音を聴いていたかった。

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しばらく続いた負の連鎖も、母の入院と、スマホの充電機の故障で終わったかのようである。母はまたもふくらはぎの炎症で、抗生物質ですぐ良くなるだろう。 朝、懐かしく聞き覚えのある音を聞いた。夢なのか本当の音だったかは定かではない。子供の頃、葛飾区の日曜日の早朝、布団の中で聞いた近所のドブさらいのスコップの音である。定期的に、近所の奥さん方が集まり行うもので、浅いドブでも結構体積物は溜まっている。母や隣のおばちゃんも当然参加しており、話し声とスコップの音が実に懐かしい。 その頃、叱られてばかりいた私の母への唯一の仕返しは、セールスマンに、母がうちにあるので間に合ってます。と聞いたとたん走って来て母の背中から、それウチにないよ。というものであつた。嘘をついているのは母なので、私を叱る訳にもいかない。懐かしい。東京オリンピックの前頃だろう。今度のオリンピックはホントにやるとしたら、本当に馬鹿な国である。前回のオリンピックを私は良く覚えていて感激が忘れられないが、その代わり東京の変わりようが甚だしく、私にとっての東京はオリンピック以前の思い出でしかない。以来、東京というものはそういうものだ、と諦めの境地で、その後の東京は、どう変わろうと関心がない。私にボク、口開けつ放しにしてると埃がはいるよ、といった隣のおばちやんはボクが生きている間には、もう日本でオリンピックやることないだろうね。といつていたが。それにしても、もう少しドブさらいの音を聴いていたかった。

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一日  


本日一日、ピタゴラスイッチのように、悪い連鎖が続いた。これはもう、誰かが?仕掛けているとしか思えないほどで、〆は近所の携帯ショップの改装であつた。何故今日やる?仕方なく別店舗へ。それに〆と思っていたらまだ二つ続いた。踏み出す足場から崩れていくような感じである。これは盛り塩が必要なレベルではないか。不幸中の幸いは、暑さがしのぎ安くなった事であろう。本日を早く終わらせるべく、頂いた酒を飲んで寝ることにした。



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現在江東区の芭蕉記念館では、私の芭蕉像は小川芋銭の隣に飾られている、というのは聞いていた。行った方によると、芋銭もまた、自分の想像で芭蕉像を描いているらしい。芋銭の時代には、当然弟子達の描いた芭蕉像を印刷にしても見ているはずである。 鏑木清方は、良く知っているはずなのに、三遊亭円朝像を何故アレンジしたのか。それが近しく知っているがゆえの表現であろう。私がそれをやってはいけない。そこで私にはこう見えると清方の円朝像いへのオマージュとして、同じ構図にした。 芭蕉は俳句の枯れたイメージに利用されまくった。そこで私は嫌味なくらい門弟の描いた肖像のみを参考にした。来年の芭蕉サミットは記念館でやるそうなので、是非その点を大書きしてくれるよう言ってある。 ところで芋銭の顔を思い出していたら、少々しやくに触って来た。私がいくら乾燥機に入れられダイエットしようと、反省して心を入れ替えようと、死ぬまでに枯れそうもない。もうここまで来たら、枯れる事を一切拒否し、生臭い道を邁進すべきであろう。谷崎潤一郎という立派過ぎる先達がいる。

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近松の虚実皮膜の間ではないが、相変わらず寝起きに見る夢と現実がごちや混ぜで、懸命に考えるのだが、結局は何もなく、実に無駄なことをしている。先日など目が覚めながら、もう少しでスマホで樋口一葉について検索するところであつた。寝苦しさが関係しているのは間違いがないが、よくぞいかにもありそうな事柄を持ち掛けられるものである。私の見る夢の特徴は、シチュエーシヨンはでたらめでも、私自身は、いかにも私が言いそうなこと、やりそうな事しかしない。これがリアルさに拍車をかけるのである。例えば犯罪を犯したとして、その隠蔽の仕方など、目が覚めていても、同じ事を企みそうである。まあほとんどが、何もなくてほっとすることばかりだが、その事について考えている間は、なかなか悩ましく、このシリーズは、そろそろ終わりにしてもらいたい。そもそもはめったに夢を見ないのである。

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日中歩き回ったが、歩きながらつい自販機に。水分補給も大切だが、おかげで夜中に腹具合が悪くなることがある。全体的にガタが来ているのだろう。 そのまま帰る気にならず図書館へ。何気なく手に取った橋本治の「三島由紀夫」とはなにものだったのか (新潮文庫)。を読む。くたびれていたので、居眠りしながら最初読んでいたが、特に私がモチーフとして1番参考にしている仮面の告白に付いて、多く紙面を割いており、読み進めるうち、面白くて目が覚めてきた。なかな普通の本ではこうはならない。 三島は率直に性癖その他について具体的に書いているのに、事件直後の雑誌の寄稿文などで、親しいと言う人が、あれは仮面だ、などと言うのを、何寝ぼけた事を、と呆れていたが、それはひとえに三島の残した制作ノートの煙幕のせいだということが判った。興味深い所は他にもあったが、借りてきたらそればかりになるので、借りずに来たおかげで引用出来ず。

 

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一日  


いくらか暑さもしのぎやすくなった五時頃、母のいるホームに行き、タクシーでそのまま、以前良く行った寿司屋へ。最近色んな所で味が落ちた、と感じる事が多い。実質的な値上げであろう。運良く客が味音痴ばかりなら、何とか乗り越えられる、とでも考えるのであろうか。ホームにいると、格好の悪いザンギリ頭にされてしまう。あれだけは我が母となれば耐えられない。私が切るから、絶対ホームでは切らせるな、と言っていたが、室生犀星にかまけていた間に自分で切っていた。それがなかなか上手くいっていて、特に私が直す必要もなかった.つまり私の散髪の腕もたいしたものではない、ということであろう。10日で90となつた母は化粧をして現れた。職員にやって貰うらしい。一時期食が細くなっていたが、今日は相当食べた。職員の手助けをして、おだてられここは私がいないと、なんて言っているからまあ、良しとしよう。

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また始まった、と言われそうな三島の血みどろ場面だが、三島歌舞伎の椿説弓張月では、血が、客席にまで達しそうになり、寺山との対談であそこまでやらないよういったのだが、みたいなことを言っているが、嘘っぱちに決まっている。映画、人斬りの撮影の時、京都撮影所の使用する血糊一年分を一日で使い切り、映画憂国では、もっと血を、と増量を指示、腹から溢れるはらわたには、豚の内臓を使い、スタジオに充満する異臭香水を振りかけた、という。そんなことをしたらどうなることか判りそうなものだが、紡ぎ出す美文とはうらはらに、トンチンカンな所もまた三島らしいのである。そんな三島のために、先生もっと血をでしょ!?とやり過ぎたのが、この作品だが、私が写真としてやると、どうしてもこうなる。 歌舞伎だと、何故無惨な殺しの場面か見せ場と変じるのか、浮世絵の無惨絵も同様である。その事が気になり出すのはこの後で、結果、これは写真ではない、と言われながら陰影を無くしているが、写真そのままではやれないのであれば、写真でなくても、一向に構わないのである。この調子で作れば私の聖セバスチャンは女性ならずとも、私自身が辟易となるものになってしまうだろう。

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中学生の時に小説を読んでいると、映像が浮かび続けるものだと思っていたら、皆はそうではない、と知って驚いた事は何度か書いたと思うが、ではその間何が浮かんでるのだ、と聞くと何もない、と言う。瞑想中の坊さんじやあるまいし、そんな馬鹿なことがあるかよ、と。考えて見ると、特に作家シリーズとなってからは、文章から、イメージ化してきた。本日も暑さ逃れに図書館にいたが、普通の人のように、読みたいから読む、などと脳天気にしている訳には行かないのである。何故なら浮かんでしまうからである。読んだら浮かぶし、浮かんだら作りたくなるからである。以前はお構いなしであつたが、残された時間を考えると、横方向に拡げている時間はあまりない。よって正岡子規や萩原朔太郎の評伝など、気軽に手にしてはならないのである。小学校入学以来の伝記、評伝好きが自主規制することになるとは思わなかった。これだけ時間をかけて、この程度の人達しか手掛けられない私が悪い。 タウン誌深川次号用に、トランペットを吹くリー・モーガン。90年代初めの作品である。この頃の作品が印刷物になるのは何十年ぶりであろう。

 

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最近良く女性に私の作品の気持ち悪さを指摘される。裸が出てなくてもエロい、グロいだとか、私が例えミッキーマウスやバンビをモチーフにしても気持ち悪くなるだろう、とまでいわれる。そんな物、爪の先程も興味がないので、つい笑ってしまったが。可愛らしい金魚と室生犀星だろうと無駄なんだそうである。最もエロいのは犀星なのだが。そう言えば、画狂老人と言えば私ならこうする、と制作した大蛸に襲われながら絵筆と画帳を離さない葛飾北斎も、女性にウケたためしがない。パクパク食べといて蛸が気持ち悪いもないだろうと思うのだが。次に手掛けようという三島の男の死など最たるものであろう。三島のやり過ぎ、過剰な面ばかりで三島作品の美しさに触れようともしない私である。読めば判ることを私がわざわざすることはない。 感心されるくらいなら呆れられる方がマシ、と日頃考えているが、この辺りの、私に言わせればユーモア感覚が、女性には理解されないのではないだろうか。まあ人間の半分は男性である。気にする事はない。だがしかし、三島にビビるのは男性画廊主で、やろうと言っていただけるのは女性画廊主である。

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