明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



本日は田村正和のカメラを壊してしまった、いやそんなことはしていない、と目が覚めた。いつもより悩む時間が短くて助かった。 当初、芭蕉庵をおんぼろの東屋をイメージしていたが、周囲の門弟、タニマチがいたわけであるし、サロンのように芭蕉をしたった人達が集ったようなので、私や多部未華子のような暮らしぶりではなく、きちんとしていたであろう。門弟の中には女房に命じて、師匠宅を掃除に行かせた、なんてのもいたかもしれない。 芭蕉は酒を飲んだらしいし、門人その他と区会を催した。茶碗が十個たかいくつか置いていたらしい。それを英一蝶、だったか誰だったか、に聞いたニ、三代目かの市川團十郎が書き残している。十個かどうかはともかく、ある程度の人数を招き入れていたことは間違いはない。門弟が師匠のために、米を蓄えた大きなひようたんというのは絵的には面白いのだが、いかにも入れなさいと、目立つところにぶら下げておくのは変だろう。 三遊亭圓朝を旧知の鏑木清方が思い出しながら描いた、肖像画の傑作は、何事か企んだ表情に見え、私が見落としている圓朝がいるのではないか、と読めるだけの物を探して読んだが、師匠に裏切られても見捨てず、弟子も守るような人物で、あの表情は、芸に対する表情だあったのだ、と最終的に納得した。ただ、よく聞く話だが、身内である倅の出来が悪くて勘当している。 考えてみると、肝心な芭蕉像はすでにあるのだから、芭蕉の人となりについてはともかく置いておいて、明日は土台となる合板をと柱だけでも入手したいと考えている。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )