明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



すっかり仙人的世界?に浸って油断していたら、作家シリーズのデータを探したり撮影したりドタバタしたが、最終チェックを残し完成した。締め切りまで数日ある。”ラブレターを投函するのは一晩寝てからにせよ” 制作になるとせっかちに変身する私は、データをとっとと投函し、翌日気が変わって後悔したことが何度もある。フットボールの試合を観た後は、赤が違って見える、とかなんとか寺山修司がいっていたような気がするが、今日の私と明日の私はそのぐらい違ってしまう訳で、人形の首をポケットに入れて酒場にまで持ち歩いたのは、飲んで帰ったら、こんなはずじやなかった、となるのが恐かったからである。家に置いたままの人形が変わる訳ないが私の何かが変わる可能性は充分あるし、実際あったからそんな習慣ができてしまった。新品を開封した途端、電源が入らないマックミニは宅配業者が取りに来た。



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眼鏡に禿げの老人をいかに格好良く見せるか。そこが肝心である。元々私小説嫌いであった私の作家シリーズは、作者のビジュアルよりまず作品であり、それをそのまま反映させているので、眼鏡で禿げ頭であろうと私は格好良い、と思って作っている。太宰は女性ファンが悲鳴を上げるほど?思いっきりグダグダなところを作ってやろうと企んでいたが、私の頭がすでに仙人に向いてしまったので太宰はホッとしていることだろう。 制作中の人物は、以前書籍の出版準備中に邸宅にお邪魔し、どさくさに愛用した深々とした椅子に座ってみたが、その時、『芋虫』の妻が聴いたと同じ“ユルス”という言葉を胸の内にハッキリ聴いた。つもりになった。



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某雑誌編集部の希望は、今から25、6年前に作った作品を背景に、という希望であったが、探してもない。そこで第二案がでたが、店舗の紹介でなくて、ただ撮影は不可ということであった。ここは工芸学校時代、先生に引率されてゾロゾロと陶芸展を見に行ったら門前払いをくらった。お高くとまっていやがる。私が履いてた安全靴に泥でも着いていたか?ところが知人が作品を持っていてくれた。これで某所の宣伝をしないですんだ。またゴジラに壊されてしまいやがれ。 改めてデータという物はあやうい物だ、と思ったが、私に過去の作品を25年も持っていろ、というのがそもそも無理がある。 この作家の御子息に、手紙を書き、この作家でこんなことをしたい、さらに展覧会名に”現世(うつしよ)は夢 夜の夢こそまこと“の中から『夜の夢こそまこと』を使わせていただく許可をいただいた。この言葉は、私の一生を支配することとなった。今思うと幼い私に、外の世界に興味がない、という顔をしていてはいけない、と母が教えようと苦労したのはよく判る。



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25.6年前に制作した人形を塗り直し、眼鏡も新たに作った。背景が明日中にメドが立たなければ、左手に国定忠治の名月赤城山撮法のように人形を捧げ持ち、右手に持ったカメラを額に当てて街中で撮り歩く“名月赤城山撮法”を十年以上ぶりに試みなければならないかもしれない。デジカメに転向してからは一度もやっていない。これの難しいところは、カメラ、被写体、背景の関係が上手く行かないと、良く見たら、人物(人形)が脚立の上にでも立っているのか、もしくは地面にめり込んでいるのではないか、ということになってしまう。つまり被写体がおよそ165センチの人であれば、ファインダーの中の人形が165センチの人が、そこに立っているように見えなければならない。人形の脚を鷲掴みしているので、そこから上を撮る訳である。よって地面や床は写らないことになる。しかし見えなくとも、そこにあるであろう地面や床の上に立っているかどうかは、背景との関係で判る人には判る。 そればかりやっていた20年前は、百発百中であったが、勘も鈍っているだろう。その場合は側にいる人を見当代わりに立って貰い、ファインダーを覗いて見れば良い。



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撮影用に色を塗り直しているのは25年ほど前に作った物だが、その前年まで、黒人しか作ったことがなかったのに、一年で転向した。こういう作業はこれまでの来し方をつい考えるが、不思議なもので、写真、パソコン、写生、と苦手、あるいは嫌いな物に限って手掛けることになった。精神科の医師の友人にいわせると嫌いな物には必ず自分の要素が有るという。それにしても。 頭は仙人化していたので、すっかり油断していて、急に我にかえるような感じだが、なかなか気持ちが元に戻れない。そういう意味では眼鏡を作り色を塗り直したりの作業は良いかもしれない。片手に人形、片手にガメラで街に出て撮り歩く、私の大リーグボール1号の証し、手で持った人形の脚の部分がが手垢に汚れていた。そうこうして、こういう角度でこちらからこう撮ろう、ということが決まって来た。



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作り終わった作品に対して私は冷たい。頭の中の物を可視化し、やっぱり在ったな、と確認をし、撮影してしまえば役目は終わる。急遽某作家を撮影することになったのだが、眼鏡が出て来ない。久しぶりに作る。ジャズ、ブルース時代の楽器に比べれば楽だが、実に面倒である。背広の色も塗り直す。 仙人を作っているとつい浮世の諸々を忘れてしまい、とすべて仙人のせいにする。浮世のことはどうでも良い、という顔をしてはならない、というのが母の教えである。これで霞を喰って生きられたら私も仙人に近づけるのだが。空気を飲み込んで腹を膨らませられないか。これはすでに20代で試み失敗している。 月刊アートコレクターズ“いまこそ幻想美術”に日本初のシュルレアリズム小説といわれる室生犀星『蜜のあはれ』1カット。浮世離れした作品ばかりである。



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今まで無表情な人物ばかり作って来たが、今回のシリーズは人物に表情があるので、様々な角度から撮影してみたい。『虎渓三笑図』などは登場人物は三人である。三人も作っておいてたった一カットで済ますわけには行かない。三人のバストアップ、また山で修行中の僧が帰りに友人を送って行って、そこを越えまい、と決めていた石橋を渡ってしまって三人で笑う、ということなので、夕日が当たっていても良いだろう。つまりすべてが陰影のない石塚式ピクトリアリズムである必要はない、と考えている。  等々いちいち備忘録として書き残しておくのも、後に決して行き当たりばったりではなく、最初の計画通り事を進めて来たのだ、という顔をするためである。これはおそらく、妙な快感物質に幼い頃から取り憑かれた私を母を含め大人に、繰り返し気付けのアンモニアを嗅がされるような目に合ったせいだろう。しかしおかげで以降、私の目を覚まさせようという、一切の要素を拒絶、排除した結果、のうのうと、かつ嬉々として仙人を作っているという訳である。 ホームセンターでティッシュとマスクを貰ったら、ウォーターサーバーのパンフを手に売り込みである。「こういうのは何でもカミさんに聞かないとさあ。」仙人を作っている男がいう。



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同じ架空の人物でも、最初のジャズ、ブルースシリーズより、頭部の制作が淀みなく進む。開始から短期間で5体分の頭部が出来ている、なんて始めてのことである。何かを参考に描くことを幼い頃から苦手であったが、写真を参考に長らく続けた作家シリーズも、タメになったということであろう。次も仙人にする予定だが、私の頭の中にある人間の諸相を自由に、デフォルメを加えて作るには最適なモチーフである。この調子で行くと、制作用のロクロ台を追加し、二体同時に作ることになるだろう。仙人二体同時に、など考えただけで幼い頃から取り付かれ続けているお馴染みの快感物質が溢れ出ること間違いない。  ところで良いことばかりではない。本日マックミニを開封し,黒いテープを剥がし。が電源入らず。私はデジタルに関しては逆な意味で何か持ってると思う。



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一休宗純の頭部も完成が近い。ということは、あろうことか、竹竿にしやれこうべを掲げて、京の街を歩く一休を作ることができるということである。  ところで日本に七福神があるように中国には八仙人というものがある。先日頭部を作った鉄拐仙人もその一人だが、中に龍に乗った状態で描かれることがある仙人がいた。ムラッと来るが、単に龍を作りたいだけではないか?と自分の胸に手を当てながら、一方で、引っ越し時に捨ててきた赤毛ザルの頭蓋骨があれば、牙を引っこ抜いて龍の牙に使えたのに、と悔しがっている始末。あまり調子に乗ってはいけないが、そこは上手く出来ていて、被写体作りから撮影、完成まで一カットに嫌になるほど時間がかかるので、頭を冷やす時間は充分あるという寸法である。



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葛飾北斎もそうだが、絵しか残っていない人物は想像で作れるので完成は早い。特に禅とともに頂相(ちんそう、ちんぞう)と呼ばれる僧の肖像画を残す習慣も入って来た。一休の場合は、数体の木造も残されていて、一休の遺髪、髭を植えた穴も開いている。肖像画の傑作、鏑木清方の三遊亭圓朝像と比べても、まったく遜色ないが、清方の昔の思い出、印象を描いたという圓朝像に比べると、絵画と木造の矛盾が少なく、本人を目の前に描いたと思われる。圓朝の時は、写真と画の印象が違うので、清方が有り得ないだろう、と圓朝の性格を深読みし過ぎ、圓朝評を探しては読んだが、どうやら清方は写真より、自らの印象を優先したことを納得した。そう思えば身体のバランスも変である。しかしこれによって表現というものを改めて考えさせられた。とはいうものの、本人に会ったこともない私が制作する場合は、かつてなデフォルメは避けるべきだろう。今のモチーフはタガを外して清々しい。   三十数年通木場の煮込み屋が存続していたなら、今晩辺り、一休の頭部をポケットに入れ飲みに行くところであろう。興味のない人物の頭部を見せ付けられ続けた常連は迷惑だったろう。まあ一休の場合は、ほんとはこんな爺さんだった、とひとしきり盛り上がれたかもしれない。 



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進む  



作っていて、ほんの些細な違和感であっても、失敗の記憶に関しては膨大なデータが身体、手指に染み込んでいる。三十代の頃までは、何か変だが、打開の方法が判らずに固まる、という夢を良く見たが、結局私のような独学者は一通り経験するしか、そこから抜け出す方法はなかった。それも知らないでやっていたから良かったようなものの、知っていたらどうだったろう。それもこれも先の目標など持たず、パン食い競争のように、ただ目の前にぶら下がったパンだけを見てやって来た賜物であろう。  とはいえ、この間まで寒山拾得をどうすれば良いのか、策が浮かぶまで金魚を眺めて暮らそう、なんていっていたのが、寒山拾得を作りもせず、仙人を作り、小学生の時伝記を読んだ一休禅師を作っている。行き当たりばったりも程というものがあろう。だがしかし、こんな状況にも関わらず、頭で考え進めるよりマシだ、ということは知っているのである。これこそさんざん経験して知っている。



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寒山拾得が基本に頭にあると、そのおかげで新たな物、または事を思い付いてしまう。それは遠藤周作いうところの“やらなければならないことがある時、他の事をせずにいられない人を怠け者という”まさにこれであろう。しかしこの場合、やらなければならないことはやらないけれど、他のことはやっているのである。つまり一休禅師の頭部の制作は進んでいるのだから、今の段階においては、特に問題はない。むしろ、その仕組みを利用し、今のうちに広げるだけ広げて良いと考えている。ボディビルでは、ある時期栄養を取り、筋肉をとにかく大きくし、その後大会に向けて絞っていくという。実はまた一つ思い付いてしまったのだが、突然降って来るイメージにはあらがう事ができない。  最近事あるごとに思う。母がこんな私を心配し、某施設に相談に連れて行ったりしていた事が理解できるようになって来た。そしてこれは、治るとかいう類いの物ではない、と諦め、せめて外側の世界に興味がないような顔をしていてはならない、と私に伝えたのだろう。それもここに至れば関係ない、とばかりに仙人を作っている始末である。  子どもが口を開けたまま東の空でも眺めボーっとしていたなら、ロクなことは考えていないに決まっているの要注意であろう。

 



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いくらなんでもいきなり一休禅師を作り始めるとは。いくら臍下三寸の思い付き優先だとしても.何故こんな展開になったのか考えている。  始業のチャイムが鳴っても図書室から出て来ず、床屋にあった本を読み始めて帰らず、何回持って行って良いよといわれたろう。縁日に家族で行っても小遣いを使わず、シヤッターを半分閉めてる本屋と家族を待たせて本を選ぶ始末。おかげで一時小遣いを貰えなくなった。小学校も4年にもなると、大きな活字と略画めいた挿絵を嫌い、始めて買ってもらった大人向けの本が『一休禅師』だった。なかなか読み終わらないのが嬉しくてしょうがない。そこで感心したのが”門松は冥土の旅の一里塚目出度くもあり目出度くもなし“であった。「ホントだめでたくもあり、めでたくもない。」挿絵は竹竿にしやれこうべを掲げて歩く一休であった。   先日、久しぶりに人形とカメラを持って屋外で撮影する可能性があることを書いた。その時ほんの一瞬ではあるが、しやれこうべの一休を捧げ持ち、京都の街で撮影している私のビジョンがよぎった気がする。後で性能の劣る頭で推理すると、寒山拾得と一休、風狂繋がりか?  先ほど友人からブログに間が空いたが、どうした?と酔っ払ってしゃっくりしながら電話があった。『ヒマだからってこんな早い時間からしゃっくりしゃがって。そういえば房総の海岸で村山槐多を撮影した時人形持ってもらって撮影したな。寺山修司も持たせたか?今度は京都の街で一休禅師を持ってもらうか?』



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”人間は頭に浮かんだ物を作るように出来ている。“ 養老孟司の言葉に感心しながら、そんな仕組みがあったのか、と一方で苦虫を噛んだような心持ちした私であった。棚からぼた餅のように予告もなく降ってくるイメージは避けようがない。しかも出番を待って後ろに並んでいる鮫の歯のように後から後から降って来る。なので怖れていたのは死の床で、あれも作りたかった、これも作っておけば良かった、と苦しみ悶えるに決まっていることであった。これはあと二年時間があると仮定し、以降のことは考えない、という手を見つけた。そのくらいなら、なんとかなりそうである。ただ、厄介なのは遠藤周作いうところの“やらなけれならない事がある時、他の事をせずにいられない人を怠け者という”この仕組みが二重に重なっていることである。 毎年大晦日のブログで昨年、やれなかったこと、思い付かなかったことが出来たか?と考えることにしているが、前述の仕組みに拍車がかかり、昨年どころかついこの間まで考えもしなかった仙人を作っている始末である。さらに実在した人物は作らないと宣言し、昨晩まで考えもしたかった一休宗純、つまり一休さんを何故か作っている。 例え自分で呆れたとしても、頭より臍下三寸辺りの声を優先した方が結果は必ず良いはずである。



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何故だか今頃黄金仮面を作っている。久しぶりに大リーグボール一号での登板の可能性が出てきた。作家シリーズを始めた当初、人形とカメラを手に街に出て撮影するという、今では縫いぐるみやフィギュアなどで、誰でもやっているが、寺山修司を抱えて青森に行ったり、泉鏡花を金沢で撮影金沢まで出掛けて撮影したものである。現在の石塚式ピクトリアリズムが大リーグボール3号なら、これを1号としている。両手がふさがっているので、15分の1秒固定で撮り歩いた。 しかしそれもフィルムカメラ時代の話で、デジタルカメラでやったことはない。カメラも軽くなったし、現在の1カットに何日もかけることを思えば、パチパチやれば良いのだ、とは思うのだが。



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