崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

沖縄の独立

2013年05月20日 05時06分26秒 | エッセイ
 韓国のMBCテレビなどが「沖縄独立」という報道をした。それは中国が「琉球王国が中国の属国であった」との報道と関連するものだろう。国家によって異なった報道を見たり聞いたりするとほんとうにマスメディアは戦時中の戦争高揚のプロパガンダとちっとも変わっていないと思う。私は1972年に日本に留学し、翌年から沖縄へ数回調査旅行をして、本土復帰後の住民たちの意見を多く聞いた。当時は「経済的にはアメリカ、文化的には日本がいい」と言う人が多かった。日本の中では沖縄は中国文化の影響が強く、韓国と似てる。沖縄の人が本土や政府への不満を米国びいきに話すことは今も少なからずあるだろう。当時ある知事の反復帰論が話題になった。中国のように国内地域の問題を多く抱えている国が沖縄の「属国」説や独立などを意図的に報道するのはなぜだろう。その扇動的な報道姿勢の影響はは将来自国へ戻ってこないとは言えない。
 世界には植民地にそのまま残ることを投票で決めた地域もあり、さまざまである。いま私がそれらについて政策云々というのではない。もっと根本的なことを考えたい。国民と国家は運命的な永遠不変な関係ではない。個人は「国民」だけで存在するわけではない。個人は「自然人」でありながら世界市民になりうる時代である。理想的には国家と個人は総合的な社会福祉的関係であると思う。しかしまだ19-20世紀の植民地、領土拡張の大国主義の幻想をもって領土紛争、そこに愛国心を利用してナショナリズムを刺激して政権を維持しようとする愚かな政治家が世界中に存在する。以前紹介したように、ある病院長の話に「病院を大きくはしない、患者さんに十分満足してもらえるように規模は今のままで中身を充実させたい」という話は今の国家イデオロギーにしても良い。また北方領土のロシア人から聞いた話に「日本になって生活が便利になればそれでよい」という言葉も印象的である。世俗的な話でありながら大きいメッセージが含まれていると思った。