崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

第3弾の本

2018年08月31日 05時43分53秒 | 研究業績
 昨日は韓国からの留学希望者の学生と母親たちに会って説明会を行った。学生たちには通訳は要らないほどであり教員たちが誠意をもって説明、満足していただいたようである。その直後韓国から講演依頼があった。日程調整できず受け入れられなかった。読書会では私が戦争の残酷さと面白さ、ドキューメントと映画の差について問題提議をした。ただの事実factではなくストリーと美が加わって面白くなっていくプロセスを話した。深めて執筆したい。学問、研究そのものより社会評論的になっていくのではないかと考えている。
 出版社から読者カードと全国の数十の新聞に公告した資料が届いた。本の売れ行きを心配しながら感謝と申し訳はない気持ちである。拙著『慰安婦の真実』の発刊以降「慰安婦」に関する講演依頼が多くなった。第3弾の本は『反日から親日へ:世界の植民地を歩く』という内容で考えているが読者からの反応が気になる。

海峡座劇団の65周年記念祝賀会

2018年08月30日 05時39分10秒 | 日記

 昨日原稿の校正原稿をひとまずまとめ終わり、次の作業に入るところで出かけた。昨夜は下関地元の文化人の集まりに参加した。海峡座劇団の65周年記念祝賀会、回想談、回顧談、アルバム画像などを聞き、視る時間であった。劇団の演芸などは一切なく、ただ郷土の地元文化人たちは後付き合いの時間であった。民団と在日の方は見えない。郷土愛の深い地元人の固い皮を砕いて入らせていただいたような席であった。地方から東京への進出が夢のように語られた。私はよそ者からの挑戦である。私は恩師が韓国で演劇研究の最高権威者、私も民衆劇に注目して研究したがここには私の業績を知る人は一人もない。多くの方と立ち話をした。元市長の中尾氏、食文化の研究者の和仁氏、文化協会長の五十嵐氏、劇座長の武部氏、隣席は東亜大の櫛田学長、看護学院の村田氏・・・友人、知人と笑談した。


『インパール作戦従軍記』

2018年08月29日 05時20分14秒 | 日記

 猛暑日が続く。クーラーのない病院で死者が出たとニュースが流れた。しかし季節は変わる。田邊氏の農園からとれたまくわうりの味が夏の最後、我がヴェランダには真っ赤なハイビスカスの花が咲く、これで夏が終わると思う。鉢花を増やしてはいないが、成長してスペースをとり、玄関まで一杯になった。昔は鉢花が萎れ、枯れてしまったが今は上手くお世話ができるようになって長生きをしている。記念やお祝いにいただいた蘭類も増えつつある。ハエがくる花?(写真)が神秘的にも花が咲いた。どうしてこのように神秘的に美しいのか。誰の作品であろうか。自然の美しさに感動する。今精読している火野氏の戦争手帳の本『インパール作戦従軍記』を読んでいるが花名・樹名が多く出てきて楽しい。火の木、合歓の木、アカシアの並木・・・、芸者などが散見する。華麗なる旅行のようにも感ずる従軍である。軍人手帳によるものである。日記とは異なる。日記から読み取れる悲惨な戦争状況は少ない。


待ち会い場所は百貨店の本屋

2018年08月28日 05時38分08秒 | 日記

 ここ下関では最近の天気予報が合っていない。雨が欲しい。降雨予報が数回あったが旱魃が続く中、昨日の午後予報なしの俄雨が若干降った。朝夕は涼しいが予報は外れている。私の予測や期待も外れることが多い。時々会う場所を百貨店の本屋にしているが、本屋であれば相手も本を目にするかと予測したことである。しかしそれは外れている。書棚の本に視線を配る人はほとんどいなかった。本が売れないことが分かった。しかし私は本を書いている。大学の東アジア文化研究所が出版、発行ができるようになった。小規模でも、レベルの高いを本を出版していきたい。


週刊誌のインタビューのを受けた

2018年08月27日 05時23分43秒 | 日記

 昨日は午前中に喧嘩見物、午後は戦争の話であった。何故か喧嘩の見物から戦争の話で終始した。午前中は5,6人が関わった喧嘩、不快ではあるが面白さもあった。主人公のパーソナリティや教養などが表れた。午後は喧嘩から戦争の話に替わった。ある週刊誌記者が朝鮮戦争に関してインタビューをするために東京から来られた。彼は下関では安倍総理、田中慎弥、そして私は3番目であるという。彼は拙著『朝鮮戦争から生まれた米軍慰安婦の真実』を精読し、メモか下書き文を用意して要点に迫って質問してきた。私は本に書いたこと以外にもリアルな体験を話をした。映画や映像に観るような戦争とは異なる私の「怖さ」について語った。また子供が見物した戦争、大人が楽しむ人の喧嘩について語った。辛さと楽しさ、怖さと面白さ、彼の記事にはどう表現されるのか、早く読みたい。


「正直、公正」

2018年08月26日 05時51分12秒 | 日記

 昨日またもう一人の弟子と昼食をした。私に啓明マフィアのニックネームがついた時代の代表的な弟子の一人、蔚山大学校の魯成煥教授である。彼も定年が近いというので昔の話になる。彼はいう。私から行政役職はしないようにと言われて、それを実行して研究を続けていると。私は当時植民地研究会を提唱し旗を上げたが「親日恐れ群」(?)がついて来なくて、離れていった古い弟子たちに残念な気持ちを持っているが、それを広島大学で実現できたことに満足を表した。韓国で私の植民地研究を否定的に見ていた人たちが今になって研究し始めたことを指摘したことに、彼は中心人物が日本に行かれ「先生」を失ったのが大きい原因だという。彼は百種という民俗を研究のためにベトナムへ行く予定だという。私とは学問的に遠くなったと感ずる。しかし師弟関係には変わりはない。
 今朝のBBCで
ローマ法王のPopeがアイルランドダブリンで演説するが動画が流れている。現地調査をした時を思い出し、市内の風景が懐かしい。1200年前の教会で礼拝したことを思い出す。法王は典型的なカトリック国家であるアイルランドで主に教会の中の不正義、女性差別の改革reform within the Catholic Churchを訴えている。カトリック教会だけの話ではない。プロテスタント教会、多くの宗教、そして世俗社会へのメッセージである。石破氏が「正直、公正」を標語にして総理選に挑戦している。日本人は正直、勤勉などのイメージを戻してほしい。


中村八重氏が下関へ

2018年08月25日 05時42分02秒 | 日記

 古い師弟関係に変わりなし。馬関まつり調査のために韓国外大の中村八重氏が下関へ、昼食の席で自著交換、上程をした。私は最近新著の『朝鮮戦争で生まれた米軍慰安婦の真実』を上げ、彼女からハム・ハンヒとオ・セミナ著の訳書『海を渡った「出雲屋」~韓国のパンの百年史』をいただいた。私は植民地期の生活史を執筆中であるが、暗黒期といわれる植民地時代の生活が覗ける地方史として日本の地方の出雲で出版されたものである。植民地期には韓国人も日本や戦地・占領地などにモチ、豆腐などの店をもって出かけたのも面白い。その例が拙著『慰安婦の真実』にも書いてある。彼女に一読を薦めた。意外にも弟子たちは私の拙著を読んでいないようである。


朝鮮通信使

2018年08月24日 05時17分25秒 | 日記

 明日からの馬関祭りで朝鮮通信使行列が行われるが台風が心配であったが行事に支障はなさそうである。知人や友人が今日の朝鮮通信使行事に招請され参加するといい、ソウルから中村八重氏も来るというが私には全く情報がない。それでも噂と宣伝で参観するのは10余年目になる。しかし私は只今下関市立博物館所蔵の「朝鮮通信使江戸登城図」を韓国語と日本語で本として出版を目前にし「祝辞」も書いている、その他朝鮮通信使シンポジウム主催、研究会、講演会など数回朝鮮通信使に関して主催している。市民が大勢呼ばれる集いが今日午後あるようであるが、下関市の主催者側から私にはお誘いは全くない。どうして毎年参加しないのかと言われても、情報もお知らせももないのがとても残念である。


市民に講演OK

2018年08月23日 05時12分40秒 | 日記

 1000ミリ以上の大雨の台風の予報が続くが、ここでは強風だけ旱魃が続く。アマゾンに分野別ではあるが拙著に今朝もベストセラーマークが付いている。読者や友が増えていて嬉しい。ネット上に友の申請も多い。昨日は日韓親善協会下関の会長友松弘幸氏と拙宅で長く笑談した。彼は長い間市議員を務めた人であり人間関係が円満な方である。来月から始まる「楽しい韓国文化論」の準備の話もした。9月22日最初の時間は私が板門店の話をすることとなっている。直後二人の方から市民のために講演してくれと連絡があり、すぐOKした。『慰安婦の真実』について11月まで講演が数回予定されている。私が所長を務めている研究所から正式に出版発行、販売もできるようになり、この地域の知的活動のレベルアップができると思う。一方「慰安婦」で友を失うこともあった。前にも触れたが10年以上続いていた在日の友人が「慰安婦は確かに存在した」と絶縁宣言のような言葉を残して去っていった。友情と慰安婦問題は無関係なのに、もったいない、悲しい。*写真は先日京都・国際日本文化研究センター


高齢者文化

2018年08月22日 06時18分16秒 | 日記

 Courageというカフェーで藤中和岳氏の仲間たちと昼食をした。彼の絵作品展で、清末の大末ご夫婦と中本英雄氏らの退職高齢者の集まり、しかも私が最高齢者として迎えられた。藤中氏は金子みすずの中国語訳書に挿絵を描いた才能のある方である。彼は今小説にも挑戦している。高齢者文化を象徴するような談話が始まり、笑った。歴史ドラマは本当か、どこまでがフィクションか討論もした。残念ながら高校野球の決勝戦が始まっていたので急いで帰宅してテレビを点けた。すでに秋田のKANANOが1点失っていた。メディアはそのチームを大々的に報道し、応援していたが沈む雰囲気、大惨敗、憤慨する気持ちになった。ゲームを見るには最初は応援することなく観戦するが弱い側を応援したくなるのが常であるが、惨敗に憤慨するのは本気で応援していたということになる。


野球は紳士的なスポーツ

2018年08月21日 05時27分13秒 | エッセイ

 野球の観戦は楽しい。しかし、教訓も多い。チームワークも重要であるが個人の能力、練習から実力と運、奇跡も起こる面白さがある。ゲーム中でも一部の選手は休憩か観戦もできる。しかし小さい失敗も許されない緊張感がある。審判が複数、公正であり、クレームやスクリーンによる判定などはない。デッドボールなどにはゲーム上損得が計上されるなど、ゲーム上罰則があり、有利や不利とされる。目下、日本では相撲やアメリカンフットボールなどスポーツゲームの中での反則が社会から酷く罰、バッシングを受ける。野球にはそのようなことはない。野球からの教訓は貴重である。紳士的なスポーツの野球、今日は高校野球の最終決勝戦が行われる。


「アジア共同体」

2018年08月20日 05時37分39秒 | 講義

 日曜日には韓国の留学生3人をピックアップして教会の礼拝に参加し、礼拝後、昼食を一緒にする。昨日留学生の崔君が私の本を読みたいと言った。稀な話であり、嬉しくなった。礼拝堂には信者が一杯、和気あいあいと、新牧師の魅力を感じ始めた。金成彦牧師は「教会とは共同体Churchだ」と説教した。どう理解すべきか。今日本では経済的に豊かになっていて、ある人は150万円の腕時計をはめるなどと自慢するほど、高級・高格化する。経済成長から美化、芸術化へと進行するのだろうか、経済と芸術は直接結びつき難い。さらにそれらを繋げるのが信仰であると、説教を理解する。後期のワンアジア支援講義「アジア共同体」のテーマは「文化と芸術」である。その共同体の基礎は宗教、芸術と考えて進行したい。市民参加も待つ。


原田環先生の書評

2018年08月19日 05時18分11秒 | 研究業績

 朝夕涼しくなった。長い盆休み、大学閉鎖も長く、研究室の熱帯植物の鉢物に水をやり、研究所で執筆もした。原田環先生からお電話、拙著への書評が届いた。忙しい、感謝の一日であった。私の本を精読の上、要約そして評価してくださった名文の書評である。読者にも紹介したい。

崔吉城著『朝鮮戦争で生まれた米軍慰安婦の真実』(ハート出版、東京、2018年)

                        県立広島大学名誉教授 原田 環    

本書は、『韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたか』(ハート出版、東京、2014年)、『朝鮮出身の帳場人が見た慰安婦の真実』(ハート出版、東京、2017年)等で、慰安婦問題を熱心に取り上げてきた文化人類学者の崔吉城氏が、『韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたか』を全9章の1冊の本に増補改訂したものである。新たに韓国のセマウル運動、韓国陸軍士官学校での生活にも言及していて、内容がより豊かなものになっているが、本稿では紙数の関係上、慰安婦問題に絞って検討したい。

慰安婦問題については、2015年に日韓の外相間で「最終的かつ不可逆的な」解決を図った「日韓合意」が確認されたが、韓国側の日本批判は止まない。韓国は第二次大戦における朝鮮人慰安婦の存在を日本の性犯罪とし、「強制連行」「性奴隷」等の言葉を用いて批判している。この韓国の動きは、慰安婦の存在を日本の不法行為の結果発生したものだという外在論が前提になっている。

これに対して崔氏は本書で、慰安婦問題は「強制性」に絞って議論すべきだとした上で、慰安婦が誕生する朝鮮社会の内在的歴史要因に目を向けることを提起している。具体的には、自らの個人史を経糸に、朝鮮戦争(1950-53)と「貞節」ナショナリズムを緯糸にして慰安婦問題を取り上げている。自らの個人史を柱の一つにしているため、慰安婦問題を韓国内部から歴史的に捉えたものとなっている。

そもそも慰安婦とは何か。崔氏によれば、慰安婦とは戦場において軍人に慰安を提供する女性(売春婦)であった。慰安婦をめぐる運動では戦前のものをターゲットにしているが、戦後にも存在した。これらの慰安婦の存在が、慰安婦問題において、「強制」を伴ったものか否かが問題になっているのである。戦前の慰安婦に関しては、崔氏は先の『朝鮮出身の帳場人が見た慰安婦の真実』において、帳場人の朴氏の日記による限りでは、日本軍の「強制」は見られなかったという。

戦後の慰安婦については、崔氏は朝鮮戦争の国連軍において直接見聞したという。朝鮮半島は1945年に日本の植民地支配から解放され、1948年に北緯38度線以南に大韓民国(韓国)、以北に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が成立した。その後1950年に北朝鮮が韓国に侵略した結果、朝鮮半島全土を戦場とする朝鮮戦争が始まった。これに国連軍(米軍中心)、中国軍が参戦した。崔氏の故郷、韓国京畿道東豆川も戦場となり、韓国軍、北朝鮮軍、米軍、中国軍が相次いで進駐した。

この時、中国軍以外の軍隊によって村の女性に対する性的暴行が起きた。主要には米軍であった。当初、東豆川の村民は米軍が共産軍から村を解放しにやって来たとして歓迎したが、米軍は村の女性達を襲い性的暴行を行った。韓国軍も自国の女性に対し性的暴行を行った。

崔氏によれば、この状況に対して村は儒教的な伝統的倫理をゆるめて、外部から売春婦をいれるとともに、各戸の部屋を売春婦に貸し出し、利益を得た。村人は売春婦を歓迎し、村は売春村と化した。売春村になると村では、米軍の性的暴行はなくなった。村はあたかも慰安所のような状況を呈した。慰安婦は外貨を稼ぐ存在となった。かくして村の利益のために米軍慰安婦が誕生した。売春は不特定多数を相手にし、慰安婦は軍人を相手にした、セックス産業であった。

朝鮮戦争以後もセックス産業は栄えた。米軍基地の周辺には売春地帯が形成された。1970年代、朴正煕政権は一方で売春婦(慰安婦)の行動を貞節の面から取締りながら、他方で外貨獲得と朝鮮半島の安全保障のために、彼女らの行動を愛国視した。韓国政府は米軍の性暴行や売春に対して大きな問題にしなかった。今日、韓国政府は慰安婦問題に関し米国に非常に寛大であるが、日本に対しては厳しく、政治的外交的カードとして用いている。

ところで崔氏によれば、村の儒教的な伝統的倫理とは、女性が守るべき「貞節」をさす。「貞節」とは、女性が課せられた「婚前の純潔」と「一夫従事」(「不事二夫」、再婚禁止)のことで、女性にとって命より大切なものと見なされていた。これに対して、男性は買春も、妾を持つことも許容されていて、明らかにダブルスタンダードであった。朝鮮社会における「貞節」とは、女性にだけ屈従を要求する家父長的「男尊女卑」によって女性を虐げるもので、再婚禁止などは、女性の再婚を妨げセックス産業においやる場合もあった。

崔氏は、慰安婦問題の「少女像」は、現代版「貞節」思想を具現したものだという。「少女像」は「貞節」の「烈女碑」から来たもので、「烈女碑」は李朝時代に於いて「一夫従事」(「不事二夫」、再婚禁止)を守った女性を表彰したものである。

「少女像」を反日慰安婦運動体が担ぐのは、朝鮮と日本の国家の関係を、純潔な朝鮮人の女性とよこしまな日本人の男性に置き換え、朝鮮人女性がよこしまな日本人によってその純潔を奪われ慰安婦になったとのシンボリックな想定がある。朝鮮が日本の植民地になったことを、朝鮮の純潔が日本によって奪われたとイメージ化することによって、反日ナショナリズムを高揚して国民を統合し、対日交渉を有利に進めようとする意図がある。このセックスナショナリズム、言い換えれば「貞節」ナショナリズムの根底には伝統的な「貞節」観が今日も生きていて、女性の解放につながっていないと崔氏はいう。「少女像」は反日運動のシンボル・手段であって「烈女碑」に示される伝統的韓国社会内部の男尊女卑を否定するものではない。

 本書は、文化人類学の立場から慰安婦問題を韓国社会内部から女性を視点に据えて検討したもので、客観的で説得力のあるものとなっている。本書には崔氏の体験に基づく知見が示されていて有益である。今後、本書が契機となって「貞節」ナショナリズムのさらなる研究が進展することを期待したい。


無味乾燥な日本語

2018年08月18日 05時43分49秒 | エッセイ

 先日、ある人から「韓国人が書いた日本文で分かりにくい」といわれ、私は「日本語で出版もしているのに」と答えた。彼は言葉とは文法を含め細かい表現、修飾語を含め、言葉のこなし方、隠喩などの表現力を指していることは理解する。外国出身の人が言葉のハードルがあるのは当然である。しかしそれを超えるのが国際化である。英語はイギリス人やアメリカ人などに限るものであろうか。日本人が英語で本を出そうとする人は多いのに無理であろうか。国粋主義者や自国語主義者は外国語の知識、広い思考力が欠けているのではないかと反問したい。言葉の原点に戻って考えてみたい。文体だけが言葉ではない。文法をはじめ思考力の表現が重要である。私は無味乾燥的には校正されたくない。