崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

ポピュリズムが消えた

2017年10月23日 05時57分17秒 | 日記

 昨日いつものように教会に行った。教会の正門の近くの左側に貼られた選挙候補者のポスターが目にはいる。今度の選挙では町角演説やスピーカー宣伝の音響、テレビ報道も少なく感じられた。以前は拍手部隊を動員し、広場演説集会などが中心であり、選挙の雰囲気か、熱風か、順風・逆風などで表現された。今度は全体的に静かな選挙期間であった。閑散たる村町の現象であって都会とは大いに異なるかもしれない。しかしここも日本であり全体の状況を示すに違いないだろう。静かな雰囲気から私は成熟した民主主義を感ずる。大きい結果の選挙であった。特に私には小池劇場のポピュリズムが消えたように思われた。国民は民意を行使する正しい識見や批評、政見の力を持っていると感じた。これは他の周辺隣接国家にも影響してほしい。
 

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日本の食文化の不思議さ

2017年10月18日 05時27分17秒 | 日記

 以前は私も食事の準備をすることがあったが今は全くない。もっぱら家内に任している。それは家内の方が韓国料理が完璧であることを意味する。水キムチは美味しい。韓国食品商の友人に商品化を勧めるほどである。私は日本に長く住んでも日本食にはそれほど馴染んではいない。私の舌はなかなか日本化され難い。滑稽な風景にも感ずるものがある。天ぷらウドンである。わざわざあげた天ぷらや焼いた海苔をスープに入れて食べるのはどうだろう。それに抵抗がないのが不思議である。サクサクに作ったものをまたスープに入れて食べるのはなぜであろう。日本の食文化の不思議さと感ずる。

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韓国籍の在日2世

2017年10月16日 05時52分36秒 | 日記

 二人の在日がわが家に訪ねてきた。一人は親しい友人の朴仙容氏、もう一人は初対面の李相進氏で、彼らは韓国籍の在日2世として、特に李氏は在日の存在が薄れて、アイデンティティの危機感を感じ、結束を図るはたらきをしようとしている。在日の代表的な団体の民団や総連が役割を果たしていない、人口の激減、同化に対しての無力感や危機感を感じているという。李氏は「門中」という血縁集団「慶州李氏同郷会」の設立総会を予定している。その会のために色々聞かれたがむしろ彼の講演を聞いているような時間であった。私は今は血縁や民族を超えた普遍的な愛の必要性を暗示する姿勢で対応した。

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台湾で「慰安婦」について基調講演予定

2017年10月10日 05時24分51秒 | 日記

 毎日書く本欄は私の日記を兼ねている。しかし日記そのものではない。長い年月日記を書いたが最近は本欄が日記を兼ねているので、別に日記は書いていない。私生活、迷惑な話などはあまり書かない。ある人は「それでも客観的か」、と言われるかもしれない。共有、知らせ、思考、エッセイ風になっており、意見交換や議論することもできる。新聞などの媒体は一方的であり、個人的なコミュ―ニケーションができない欠点がある。私のネット上の「友」は下関に多い。ただまだネットでは通信できない電話・ファックス世代の方が多いのでハガキや口コミが必要である。各種行事をほぼブログ、フェースブック、ツイッター、ホームページなどでお知らせして交流ができる。連休に「慰安所日記」(仮)のゲラを校正した。自分の文章が磨き上げられるのが面白い。その本が出るころか、12810日に台湾・中央民族研究院で「文化存亡への挑戦:エスニシティ間における和解と共生の可能性」という国際シンポジウムで「慰安婦」ついて基調講演をすることになった。*写真は私のフィールドノート

 

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教会と神社

2017年10月07日 05時23分53秒 | 日記

 昨日はキリスト教会と神社に足を運んだ。韓国からキリスト教聖潔教団の総務と日本向けの宣教牧師が来られたのでお迎えするために下関教会へ行った。周辺地域の牧師らも参加した。談話の中で私は宣教の主な対象が在日か、日本人かと質問した。牧師は聖書の聖句もってどの人種、民族でもという決りの言説。日本ではクリスチャンは極少数、さらにマイノリティの在日の極少数に在日中心の宣教では困ると反論した。宣教を叫びながらインタネットのホームページも管理していない点を指摘した。
 その後私は赤間神宮で演奏される雅楽を鑑賞した。全員起立「君が代」の斉唱から始まった。メロディ性が少なく、音が長く響く、リズムも遅い。「君が代」の起源を味わうような気分であった。雅楽は王権の聖なる権威を表す音で演奏される。私が知っている「王昭君」の話もされた。私は昔韓国の文化財専門委員としてほぼ毎年鑑賞したこともあり、韓国のものと比べて聞いた。ここでは踊りが大部あり、それも南方文化の影響のような拳式舞に特徴があると思った。

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楽しい苦労

2017年10月06日 06時21分37秒 | 日記

 文芸小説家の柳美里氏と対談したばかりでノーベル文学賞受賞者が発表された。賞と全く無縁の私にとって賞はただ社会的評価の一つに過ぎないと思うが影響は大きい。日本では日系イギリス人のカズオ・イシグロ(Kazuo Ishiguro)氏が受賞したと大きく報道している。文学に全く関心のない人さえ「日系イギリス人」だということで喜んでいる。なぜであろう。
 2年前にBBCの「著者に会う」という番組で偶然に彼の話を聞いてくまざわ書店で見つけた彼の作品を読んだことがある。戦前の思想を持ち続けた日本人を描いたという『浮世の画家』(原題:An Artist of the Floating World)である。面白い発想である。帝国臣民が戦後の状況をどう考えるかに関心があり、印象的であった。
 私の机の上には出版社から送られてきたゲラがある。脱稿して3年近くなる。紆余曲折、タイミングを待っていたので、封筒を見て開く勇気さえなかった。編集者の丁寧、完璧に近いゲラを見て頭が下がるだけであった。明日講演を終えて連休には家内と一緒に楽しい苦労の校正の味を満喫したい。
 

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非常にプライベートな話、しかしフィクション

2017年10月05日 06時11分53秒 | 日記

 今朝のハードトーク番組で作家があり溢れるラブストーリの話は、非常にプライベートな話であるがフィクションであると言った(private but fiction)。実は先週柳美里氏との対談がそうであった。深い話であった。しかし聴衆は静かに話の流れに乗ってくれた。毎日新聞の上村理花氏と長周新聞の竹下一氏によってその旨報道された。竹下氏は昨日長文の記事にしてくれた。その深い話の意味を明瞭に綴っている。感謝である。

 柳美里氏は初めに、母親が朝鮮戦争の混乱から逃れて最初に着いたのが門司港であったことなど、下関に対する特別な感情を語った。そして、在日韓国人として生まれ育った家庭環境や不登校も韓国人でもない、アイデンティティーがない」という苦悩を抱えて演劇・文学活動に入ったことを明らかにし、その後の体験から文学と人生に関する認識を発展させてきたことを紹介した。
 崔吉城教授は、「自殺をめぐる作品に関連して、「人はなぜ生きるのか」という人間的普遍性を文学を通して描く意義を強調した。また、「芥川賞作家」という肩書きを笠に着た商業的な作品ではなく、人間の内面の真実を追究する純文学への期待を語った。これに対して、柳美里氏は「息子の出産と東日本大震災が星きる価値がない”という青年期の価値観を、どんな困難な状況にあっても生きる価値がある”と、大きく変える契機となった」ことを明らかにした。また、「日本社会では毎年三万人もの自殺者が出る。とくに被災地では自殺が多く、岩手、宮城は以前の水準に戻りつつあるが、福島だけは高止まりしている。それも原発の避難区域であった浪江町、南相馬市に多い」とのべた。そして、「毎年、東日本大震災の犠牲者を上回る人人が、生きる価値がないと考えている社会について、文学者は考えなければならない」と強調した。さらに、「だれのために作品を書いているのかと問われたとき、居場所のない人のために書いていると答えている」と語った。その念頭にあるのは、東北被災地で居場所を失って生き方に悩んでいる人人である。現在、福島第一原発事故による避難指示を解除されたばかりの南相馬市小高区に居住し、作家活動の傍ら地域放送局やエ業高校の講師を担当するなど住民とともに地域振興のあり方を探っている。このことも、一人一人の被災者の物語を知って、創作に生かす活動と結びついていることも明らかにした。
 対談は、「芥川賞をどった作家が、そのあと書けなくなる」(柳美里氏)・・・・・・

 

 

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「引退牧師」

2017年09月25日 05時18分54秒 | 日記

 最近会う牧師に「引退牧師」という人が多い。一般的に定年まで職務を全うするのではなく、途中で辞められた牧師だという。牧師という職は聖職として権威があり、尊敬されるはずであるが、他方不安定な職業であることが分かった。信徒たちに同様な言葉を繰り返し説教をし、日常的に付き合っている中でその権威と尊敬を失うと無力になり、追い出される。教会は担任牧師がいなくても説教、司会、掃除、食事、案内など変わらずスムースに営まれている。牧師に似ている職が政治家である。人気や支持率で生きるが不安と緊張がある。比較的に農業は安定職である。戦争中に農民たちは「北でも南でもかまわない」と言いながら仕事をしていた。つまり状況によって変化することなく安定した職業だといえる。

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悪口の舌戦

2017年09月23日 05時23分13秒 | 日記

 韓ドラやネット上に投稿されたものを読み、観ながら韓国では言語浄化がまだ十分ではないことを痛感する。セックスに関する、特に近親相姦に関する悪口が多く、嫌な時が多い。ただ日本語の字幕や訳語によって醇化されている。韓国では言語浄化運動が長く続いているが、それは主に日本語からの外来語のワリバシなどの禁止である。北朝鮮では悪口が日常化されている。日本人を「日本の奴」というのは普通である。国営放送でも悪口は多く出ている。ジェスチャーでの悪口も多い。私の恩師の任晳宰先生は「辱説(悪口)考」を書いた。しかし朝鮮語で老人に対する悪口は少ない。トランプのロボットマンRocketmanと金正恩の「狂った老人」늙다리미치광이の悪口の舌戦が続いている。高齢者への悪口は不適切な表現である。しかしその程度は皮肉にもジェントルな悪口と言える。
 下関シアターで朝鮮学校の北朝鮮への修学旅行記録映画を観た。日本での被差別と「禁じられているいる国」に訪問というイメージを持って作り、注目されている感がした。映写中に数回上映トラブル、10分以上暗黙の時間、1950年代の映画館を思い出した。

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平和な心の国民

2017年09月22日 05時40分04秒 | 日記

 地方新聞の地域面を担当する記者からのメールがあった。解散選挙態勢に入るので他の取材は難しい。それを読んで私は解散が平地風波のように感じた。政治がこの小さい地方まで圧倒する影響があるのか。既成国会議員の任期を短縮すとか、国民に投票の機会を与えるとか、否定肯定の面がある。それより国民が政権を変えるほど民主革命的意識があるのか。人気投票のようないわばポピュリズム、世論調査のような選挙ばかりでは困る。政権に一針でも刺すような投票であれば必要であろう。昨日私は統計学担当の教授と世論調査について話しをし、韓国のある大学総長とは電話で話した。彼に戦争になりそうだと私が言うと彼は「心配無用だ」という。平和な心の国民である。読書会、講座の打ち合わせ、講義もした。いつも距離をおいているような同僚が教壇に私が座る良い椅子を運んでくださった。忙しく、嬉しい一日であった。*写真は環境美化のために電信柱を切った跡

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画家金斗鉉

2017年09月20日 05時39分34秒 | 日記

 千葉県浦安市から有名な画家金斗鉉氏が来られた。1953年日本人を母として北朝鮮の咸興で生まれ巨済島に非難したという。映画「国際市場で逢いましょう」の主人公のような方である。9才には日本に来たことがあり、1971年から日本に住んでいる。広告代理店でグラフィックデザイナーを経てフリーランスイラストレーターとされている。李朝時代の風俗画「箕山風俗圖帖」などを思い出すが、中にシャーマンの絵が私を驚かせた。彼はクリスチャンとして宗教心を表現する技を持っているように感じた。『最新イラスト・カットの辞典』(主婦の友社)「絵が描けない人のためのワークショップ」に興味が湧いてくる。来年3月下関で展示会を予定しているので楽しみである。

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敬老の日

2017年09月18日 05時53分45秒 | 日記

 台風警報に恐れ、鉢を室内へ、暴雨の中教会へ、台風は下関は無事通過した。今日は「敬老の日」、昨日ニューフェースの牧師の説教を思い出す。復活信仰、永遠に生きる生き方の話であった。イエスは30余年生きて死後2000年以上崇拝されていることとして私は掘り下げている。ニュートンなどの科学者もそのような存在である。敬老とは単なる長生きの願望を意味するだけではない。死後のことを考える意味があるだろう。死後、「あの世」を含めて考える人生観、高齢者に希望を与える。*写真はシャーマン李芝女氏の巫扇子絵

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「日本語の障害」

2017年09月14日 10時06分01秒 | 日記

 植民地朝鮮で20余年間も住んだ京城帝大の秋葉隆教授が残した文に「朝鮮語の障害」と記していた。今私自身はは「日本語の障害」があると思っている。その言葉の障害という背景には母語の存在がある。異文化をこなすのに自文化が障害になりうる。そろそろ柳美里氏の講演が間近になった。在日として在日、家族、民族、国家などをどう考えるか私は聞いてみたい。先日直接いただいた本について私の感想文をつけておく。

柳美里の「JR上野駅公園口」

崔吉城

 私が日本語、それも東北弁の多い小説を読むということは平易なことではない。論文などとは違って日本語のボキャブラリーなど相当異なる読みになる。しかも純粋文学を読むということはただ分かる程度ではなく面白く、理解し、感動することだ思っているから難しい。柳美里の「JR上野駅公園口」を完全読破、感動を持している。その感動はおそらく読者それぞれ特異なものであろう。当分の間、この感動を自分のものとして保持したい。
 文化人類学者の私の印象としては現地調査、丹念に取材したことによって作られた調査報告書エスノグラフィー、上野駅の歴史民俗学の論文としても読める。上野駅、上野公園、美術展、西郷…。小説と言えばストーリー、キャラクター、プロットなど地域の歴史や現状を描き込んでいる。単純なストーリーテラーではない。福島県の相馬出身の73歳のホームレスのカズさん。家族を養う為に東京へ出稼ぎ、21歳の息子が亡くなり、妻も65歳で病死、郷里の福島へ戻り心配してくれる孫娘が大きな津波に飲み込まれる。キャラクターが王様や英雄ではないホームレスである。この小説の主人公、ホームレスは栄華と尊敬を持っている天皇と対極点に存在する。「いま舞っている葉も、雨に濡れ人に踏まれた葉も、まだ枝についている葉も…」(河出文庫159頁)。家族、友人、職業、社会階層や階級などから裸の個人化への挑戦を読み取ることができる。天皇とホームレスの対比、幸と不幸などに直面している。

 この作品を読んで昔、青年時代に読んだカミュを思い起こす。私はホームレスに関して知識が乏しく乞食のように思っていた。しかし彼女が描いたホームレスは真面目に生きてきても、誰にも起こりうる人生を語っている。乞食は働かず、依存型の生き方である。乞食依存型は社会には多く存在している。社会福祉を含めて考えなければならない。

 

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名言

2017年09月13日 06時03分31秒 | 日記

 ブログなどには奇抜なアイディア、名言のようなことを書く人もいる。しかし名言は大きい業績や人格などを背景に成り立つものである。韓国の文大統領が独立記念日を1919年にするという名言(?)を言った。それには『月刊朝鮮』9月号に鋭い批判がある。私は決して学歴主義者ではないと思いながらも彼の発言やアイディアには「学識」が問題だと思ってしまう。彼は1919年から1945年間の歴史は植民地歴史ではなく、大韓民国の歴史だという。つまり日本統治を実際的に大韓民国の歴史として認めるということになる。それは左派を代弁しているのかもしれないが、妄言であろう。このような類が氾濫する社会、それが歌の歌詞にも出てくる「塵だらけのこの世相」であろう。

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地元の反響を得ることは難しい

2017年09月12日 05時44分31秒 | 日記

  高齢者たちが会うと病気の話から始まる。昨日の昼食は地元の知識人の山口新聞の佐々木正一氏と文化協会会長の野村忠司氏と一緒だった。病院、服薬の話、自分自身で注射をする話もあった。私は大手術は受けても今だに採血は苦手、それほど健康が回復した。お二人は地元出身で40余年前に一緒に撮った写真を見せてくれた。お二人の若い時代の人物像は私には全く分からなかった。地元の有識者の前で、私は冗談っぽく地元の文化を発掘して出版しているのに山口新聞からの反響はないことを話した。
 午後もう一人の地元の名人大越清美氏とホテルの喫茶店で茶話、92才の古川薫氏のお見舞い直後のニュースを聞いた。新聞に連載しながら長生きすること、羨ましく思った。私の高校の同級生のオーストラリア元シドニー大学教授で現在シドニー在住の韓国講座の校長を務めている友人からシドニーに講演に来ないかと誘いを受け、断れない、行きたい気持ちだけである。

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