崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

嘘文化

2019年12月31日 06時49分43秒 | 旅行

 楽しんでいる韓国ドラマのクライマックスで嘘が劇的転換となっている。結婚を約束したのに大病、結婚相手に病気を隠して大嘘、嘘に嘘を重ねてストリーが広がる。ドラマはフィクション、虚構、嘘は許される(?)芸術であり、作家が嘘に関して、作家意識はどうだろうか。韓国社会の嘘文化を表すとも言える真実リアルかもしれない。この嘘文化について書こうとする直前に同僚の知識人の金田Kanata先生が私の日韓関係に関する文に投稿されておられた。彼曰く日韓関係の最悪というのは「政府が国民におしつける虚偽意識」と指摘されている。同感卓見の文である。何と、以心転心か、敢えていうなら「・・・のために嘘」は許される、私が生まれ育った韓国文化の真髄であると言える。嘘は悪いと教えながらも忠孝のためには許される、否、積極的に嘘をついても良いというモラルの韓国文化。日本でもアメリカでも、中国でもナショナルインタレストという嘘文化はある。


韓国だけが歴史認識云々する

2019年12月30日 05時55分22秒 | エッセイ

 今日は何を書こうか。本欄のような文の投稿は私の慣れた日程の一つである。書くべき話題やイベントのようなことがなくても書く。戦時中のある人の日記を紹介したのを知っている読者も多い。日記にはある期間、空白や簡単な言葉や決まり文句だけが繰り返されるものもある。それは読者からはみるとつまらないものであるかもしれないが本人にとしては平和で良い時かもしれない。この世は毎日事件・事故が溢れているが、空白な時は感謝すべきであろう。昨日は平坦な日、何もない日、10年以上隣家に住んだ家族が遠い所へ引っ越しすると聞く。すごく親しくも疎遠でもなく暮らしたのに寂しくなる。
 先日ある記者から質問されて軽く答えた言葉が物足りなかったと思っている。最悪の日韓関係をどう思うかということに関することである。65年日韓国交正常化により韓国が近代化された戦後史は貴重なものである。しかし今になってその条約の法条文の未備・欠点を探って裁判、生きてきた時間と歴史を引っくり返すことは問題である。条約文の未備点を以て裁判し、徴用工問題が登場、日韓関係を悪化させたのは悪い。1940年代の歴史は韓国だけではない。日本帝国の植民地、戦争地の中国、台湾、サハリン、パラオそして東南アジア、太平洋地域に広がっている。韓国だけが歴史認識云々することではない。視野をヨーロッパ、アフリカまで広げて反省すべきであるが、これからの歴史を作るために努めよう。 


編集委員からインタービュー

2019年12月29日 06時17分55秒 | エッセイ

「昔々あるところにおじいさんおばあさん・・・」の昔話では例外なくハッピーエンディング。その話の素をもって書かれたシェイクスピアの悲劇「リア―王」では三人の娘の話は悲劇になっている。昨夜の韓ドラの最終回は「1年後」にして無理なハッピーエンディング、葬式の場面、黒い喪服と入館式など西洋化、否、日本の真似である。驚いた。日本を恨みながら真似し学ぶ。私は例外なく韓ドラに失望、でもまた観るのはなぜだろう。演技の上手さ。
 日韓関係、悪化でも互いに憎み合い真似している。昨日東京から三大新聞の一つの編集委員からインタービュー、三時間も楽しく話した。最新二拙著『慰安婦の真実』『帝国日本の植民地を歩く』を精読してきた方、私が歩いたところダブリン、ケープタウンなどにも行かれたと言う。インタビューとは意識せず放談となり、楽しかった。時々大きい質問、「日韓関係はどうする」、「もっと互いに言いたいことを言って、しっかり喧嘩して、その後ちゃんと和解して欲しい」と言ってしまった。どう書かれるかは相手次第である。


「校正」

2019年12月28日 06時22分25秒 | エッセイ

 ネット上年末で忙しいという投稿文が多い。私もそうであろう。研究論文と研究ノートなど校正3本、年賀状書きなどで忙しい。拙文の研究機関の校正に感謝する。次々と公開されるのは楽しい。ネット上の交流のある方へは年賀状を省略し、以前の半分にした。アメリカ・シアトル居住、私より10年上の崔主教様には長い手紙を送った。彼我高齢者である。若い人に昔話を語る老人癖にならず長いスパンの人生路程からのメッセージを語るべきであろう。「3歳の癖80まで」と言ったら日本では「三子の魂一〇〇までだ」と「校正」された。私の年末は校正一色である。*写真はロータリークラブ12.13


死刑

2019年12月27日 06時42分43秒 | エッセイ

 読書会では高齢の有名人が死を恐れているという話を聞いて、私が長い間、疑問を持っていることは死刑について話をした。その前提として私は法律的な辞典的説明を網羅することは避けたいと言った。一般的に犯罪の残酷性と死刑に対置させて語るからである。その理屈は議論したくない。「これはペンですThis is pen」式ではなく、「これは何ですか What is this」の話術rethoricで議論したいと。
 昨日福岡で4人を残酷に殺害した人に極刑の死刑執行が発表された。死を刑にすべきか。法律の何条かに書いた通りに執行したという次元ではない。自然に死ななければならない人の死生観を損傷する。死刑のような死を迎えるのは悲惨なことである。強弱の刑、強制労働など様々な刑がある。しかし刑と死を結びつけることではない。分離すべきであろう。法務大臣は深い意味を考えているのだろうか。


ネオン・クリスマス

2019年12月25日 06時07分16秒 | エッセイ

 巷のネオンの祭典のようなクリスマス。ちょっと立ち止まって考えてみる。1960年韓国・永楽教会で韓景職牧師から洗礼を受けたことは二十歳ころの私の人生の最大の変化だったと思っている。出世欲、成功へ前進の道半ばの青年に落とされた言葉、それは「病気による死」であった。生き残りたい強い意識、自己中心から他人、愛という人生観に出会った。シャーマニズムの研究者とクリスチャンとして対抗対立から混合の価値観、親日と反日の世俗からの誤解が思い出される。世間から数多く誤解されても自己中心の利己主義と人類愛の混乱の中に生きる。私にとってクリスマスは大きな意味がある。*写真:人生を語るロータリクラブの卓話2019.12.13下関グランドホテル


「韓国文化探訪」東洋経済日報コラム2019.12.20

2019年12月25日 06時07分16秒 | 旅行

日韓関係の最悪の中でも「楽しい韓国文化論」を終え、韓国探訪に行ってきた。日韓関係の良し悪し、親日、反日に関係なく「楽しい」講座を続けて八年目になった。日韓関係の「最悪」の中で「楽しい」とは相応しくない。一一月韓国探訪旅行の案内役をした。
ホテル探しに以前、近く感じたが、大通を渡ることができずバイパスを捜して、地下道を降りて上がろうとしたが、六〇余段ほどの階段が数回、疲れて登れず階段の途中で、立ち止まっていた。ある高齢の男性が私の荷物を持ち運んでくれた。日本ではありえない韓国の人情である。
 商店街の裏道の歩道は歩き難くい。よく見えない隅々まで福祉社会の道ではない。夏に見た「日本に勝つ」という大きい看板を思い出す。走る相手を追い越すことは容易ではないが、ぜひ日本に勝ってほしい。
タクシー運転さんに日本人客が減っているのかと、日韓関係を直接、話題にしたり質問したりすることは控え、問うと不満を爆発させた運転手もおられた。空港までのタクシー運転手の成氏は例外的に柔らかい。わけを聞くと下関で三年間運転する仕事をしたことがあり、国際結婚、日本人の妻(看護師)は下関出身であり往来する話、わが夫婦と同様、日韓関係が悪化しても夫婦や家族関係は全く影響されない。
滑稽な話は観光バスの運転手が道を知らずナビゲーションも持たず、釜山駅も知らなかったことである。道に迷い、目的地にたどり着くまでの時間のロス。大変困ったがびっくりして、あきれて、皆笑ってしまった。
 蔚山でクジラ博物館を観覧した。資料は不足、建物に比してあまりも貧弱であった。国民の関心が薄いのか、私と同感のような表情をしている韓国の高齢者たちが外のベンチに座っていた。その隣に座って、数人と話を交わした。政治批判の話が長かった。私はほぼ言葉を発せず表情でフィードバックしていた。それを見た我がグループの人たちは私が偶然友人と出会って喜んで話していると思ったと言っていた。
昼食のための食堂、長盛香という食堂を探すのにも迷った。皆でバスから降りて探し、新らしく開発された、アワビ定食は美味しかった。
 七〇〇〇年前のバングデ岩刻絵の所にたどり着くには遠く、険しい山道、山奥にあった。しかし川を挟んで向こうの岩に刻まれた絵を肉眼で見ることは出来ない。望遠鏡でみても分からない。遺跡だと言われても実物を直接見ることができず、図を以て解説するのを聞いた。何とシャーマンによるクジラの祭りだというストリーは一生シャーマンを研究している私の耳には入らなかった。貴重な遺跡があっても実物が見れないのは残念、延々と山道を歩いて降りた。近くで見れる他の遺跡には運転手が応じず行けなかった。
メンバーたちと釜山国際市場のモッコリ「食べもの通り」へ、たくさんの群衆が美味しく熱心に食べる。その風景は余暇も、美の空間もゼロ、私もそのただ食べるだけの群衆の一人になった。


白水繫彦氏の講演

2019年12月24日 17時46分54秒 | 講義

ハワイへのイメージはどう?という質問から公開講座の白水繫彦氏の講演が始まった。日本人の契約移民の歴史から太平洋戦争までの長い歴史が語られた。私の植民地史歩きの延長に感じた。パラオやフィリピンなどで観覧を薦められたハワイ植民地史博物館、Bishop Museumなども紹介された。行ってみたい気持ちになった。以前立ち寄ったことがあっが、今度は本格的に観覧に行こうと思った。彼を日清講和記念館と通信使上陸地に案内し、駅で見送った。彼は私に好奇心が強く、マイナスをプラスに変えて、楽しくし幸せな人生を歩んでいるんですねという言葉を残して去った。*以下質疑とコメント  
    Aloho=lover=観光、「I love you」 好奇心、ハワイへ行ってみたい。
 島でありながら海の美しさ、漁業は? 農業移民、写真見合い結婚
 沖縄からのハワイへ移民, 契約移民の契約とは
 原住民は無菌状態から多民族社会, 今の繁栄は先人の犠牲による(金光)
 太平洋戦争、真珠湾攻撃、 日本同志の戦い(福井)

 


嫉妬

2019年12月21日 05時44分03秒 | 研究業績

 昨日ある研究センターに寄稿文を送るのが大変だった。横書きの文を縦書きに組み替え編集までした。写真やキャプションなどが散乱してしまう。私には大変な作業であった。半分出版社の作業と思いながらも楽しく終えた。
 執筆中にも時々名作を読む。青春時代に読んだシェイクスピアの4代悲劇の中の2作を読んだ。名作の力はどう表現されているのだろうか。ハムレットが父の幽霊ghostを見る, オセロの嫉妬などを読みながら、拙著『恨の人類学』を照射してみた。人間社会では表面では愛と表現されながらも人の心の根底には憎しみ、嫉妬、恨みなどが横たわっている。より深く分析すべきである。今日から京都一泊・国際日本文化研究センターの研究会に参加する。

 


筆談とはSNS

2019年12月20日 06時25分50秒 | 研究業績

シェイクスピアの悲劇ハムレットを英語で読んでいる。まず漢字と縦書きから解放された気分である。日本では漢字語と漢字を使い、縦書きもしている。中国の漢字使用とも遠く離れている。昨日の読書会には言語学者の山田寛人氏が参加して討論した。彼は言語とは「慣れ」であり論理ではないという主旨で話をした。文字と話しは必縁ではないといった。しかし日本では漢字と話言葉は固い関係になっている。
 私が朝鮮通信使の筆談を例にして出した。漢字での筆談は通話と読書の混合である。話しでは失礼なことばにもなりうることばが筆談(文字)では言える。筆談は今のSNSなどとも類似している。日韓の筆談では互いに野蛮人として討論していた。善隣友好だけを強調されているが筆談にも注目すべきであり、実態を知るために夢中になっている。


「文学研究者の堀まどか氏のコメント」

2019年12月19日 05時32分31秒 | 研究業績

「文学研究者の堀まどか氏のコメント」

 最新作『帝国日本の植民地を歩く』は、他の評者もおっしゃっているように、読みやすく、わかりやすく、大学生の「日本事情」などの授業のテキストにして、みんなで話し合ったりすると良い一冊だなぁと思っております。少しは事情を知っているつもりだった私のような人間でも、あ、これは知らなかった、あ、それは気が付かなかった、あ、確認しなくちゃ、という情報が、多く散りばめられていました。
また、韓日だけではないシンガポールやパラオ、南アフリカやアイルランドという広がりがあって、『朝鮮出身の帳場人が見た 慰安婦の真実』などよりも、学生や一般にも推薦しやすいですよね。日本語も、とても流れがよくて、読みやすいです。今回の表装も好きです。先生の深い緻密なフィールドワークの成果の、「Essence」「Extract」のような本なので、細かいところを、もう一度、自分で確認してみたい、、、と読者は思わされるわけですが、それが良いなぁとも思います。たくさんの課題を、教えられる一冊、ということで、それが「教育」なのだろうと思うので。(もし、読者によって、読み方や印象が変わるとしても、その差異こそが興味があるところです。)
ちなみに、話題の『反日種族主義』(李栄薫編著)も、一読しました。(こういう本にたいして、何かを言うのは難しいし、私には何も言えません。)ただ、私が一番、強い印象を受けたのは、〈伝統的なシャーマニズムや宗教観からくる韓国特有の精神現象、集団的な心性〉ということを何度も言っているところでした。
シャーマニズムや宗教観という点で、「種族主義」的だという視点が、面白かったです。
なぜなら、まさに、崔吉城先生は、それをずっとずっと若い時代から、追ってこられたわけなので。崔先生のご研究が、どれだけ先端的だったのか、と、つくづく思いました。そして、日韓の感情の摩擦や歴史問題の混沌が、シャーマニズムや宗教観というところに因を発しているというのは、なんとなく納得してしまいました。だからこそ、日韓の問題がどんどん複雑になってしまっていると思います。
簡単には一朝一夕には解けないし、そのシャーマニズムや宗教観を知らない日本人にとっては、理解不能で、恐怖にも思えたのだろう、と感じます。でも、そういう文化の根の深いところを無視せずに、知ろうとしなければならない(あるいは、相手を理解できないならば自分自身が何なのかを知ろうとしなければならない)というのが、現在、若い人と共に、考えていきたいところなのです。
私自身に、いま確実に言えることは少ないし、自分の理解力に自信もないですが、こんなことが、先生の本を頂戴したあと、御著書を何度か読んで、考えていたことでした。

⁂メール書信から私事を除いて承諾を得て全載します。ありがとうございます。崔


無料公開講座講演会 駒澤大学大名誉教授 白水繁彦先生

2019年12月18日 05時45分20秒 | 講義

 

無料公開講座講演会

 

駒澤大学大名誉教授

白水繁彦先生

「ハワイへの移民」~日系人~

 

『ハワイ日系社会ものがたり:ある帰米二世ジャーナリストの証言御茶の水書房、2016年

 

 

場所: 東亜大学13号館1階

日時: 2019年12月23日

12時50分―14時20分

 

 

 

 

 

 

 

メール:dgpyc081@yahoo.co.jp

 

 

 

 

 

 

 

l  ハワイ、どうして「太平洋の楽園」に??

l  キャプテン・クックがハワイ「発見」 ?

l  日系、コリア系、中国系、ハワイ系、沖縄系・・・ハワイを彩る様々な文化。ハワイはなぜ多民族国家になった?

l  ハワイにはたくさんの日系人、どんな経緯で?

l  日本軍のパールハーバー攻撃、太平洋戦争勃発

☆戦中、ハワイの各民族はどう動いた?

☆ハワイに日系人強制収容はあったのか?

☆日系部隊 :なぜ二世は命をかけたのか?

l  戦後に出現した「勝ち組」:一世、二世それぞれの「愛国心」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「アジアの美」

2019年12月17日 06時19分24秒 | 講義

 我々は日常生活の上、衣装などに「美」を常に意識している。生活を美的に見ることが出来る。美はパーソナリティ、文化である。モンスーン、砂漠、草原が広がるアジアの風土に人間が光、色、形により美化してきている。上海の古街、原始美primitive art、壁画から多様な宗教画、ピカソのキュビニズムまで「アジアの美」の講義が行われた。東京藝術大学の芸術博士の東亜大学の櫛田宏冶学長がその美の世界を画像を以て語った。美化によって生活が豊かになる。講義は私の経済と美、美の資本化現象に注目すべきとの寸評を添えて終えた。


愛犬ミミの供養祭

2019年12月16日 05時53分12秒 | 日記

 昨日の日曜日、説教ではなく真言宗仏教の僧の「説法」を聞いた。愛犬ミミの供養祭、100余人が参加した。ほぼ若い年齢層であった。会場では各自、各家族の(ペット)の霊に祈りながら静かに開始を待っていた。皆が優しい心であることを共感する中で読経、念仏、焼香、説法が行われた。「菅原家のミミの霊のために」と聞いた時は生前のミミの一生が甦って、脳裏に映ってきた。説法は「ペットではなく、家族である」から始まり、共に生きた生命、そしてそれが失われてから深く考えられる「いのちと愛」に関するものだった。感動的だった映画などの例から世間話のように話す内容は、人生哲学を深く、短く、感動的に語り、心に残るものだった。


「山梨日日新聞」に新刊案内

2019年12月15日 06時31分00秒 | 日記

 長府の明屋書店に寄った。私の本が3種、数冊ずつ置かれているが、最新著『帝国日本の植民地を歩く』(花乱社)がない。読者たちからのコメントは良いが地元の新聞は冷淡である。遠く沖縄でも新刊案内があった後、出版社から「山梨日日新聞」に新刊案内として紹介されているというメールが届いた。いずれも私が主張する重要な問題点が指摘されている。拙著は時流、状況に乗ったものではないが、一緒に考えたい内容である。原田先生からから拙著の書評作成中という電話があり、互いの健康に関する話題になった。私は次の本の執筆が愛犬ミミショックでこの1か月完全中断。そろそろ切り替えて「朝鮮春画」の文、新聞コラム用の執筆作業に向かおうとしている。今日はミミの供養祭である。