崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「花の海」

2020年04月30日 06時06分25秒 | 日記

 セリ(芹)は中国や韓国、日本でも食べている。韓国では一般食から宮中料理まで用いられ、庶民にも人気の食品ある。家内がゆでて、コチュジャンと醤油、ごま油、酢などで味付け、香ある美味しい別味の韓国料理となった。山主の友人の田辺家へ届けた。喜ばれた。人との3密を避ける時ではあるが情を密にする。そこから、さらに走り、小野田「花の海」まで行ってポピーの花野を賞嘆した。


ナイチンゲール

2020年04月29日 06時28分57秒 | 日記

コロナ脅威で死を考え「生きたい」と思う人が多くなった。東洋経済日報のコラムニスト朴仙容氏は「生」に対する執着感を率直に書いた。研究室に寄って古川教授とコロナの死に方が話題。昔の話。衛生観念の強い同僚の早死を話して笑った。家内の退職、後期高齢の前に大変長くナイチンゲール精神で務めた看護職を終えた。50余年間勤めて、感謝でありながら現職の退職という言葉は相応しくなく、職場を離れても私の看護が残っている。心強い。しかし寂しい。当分の間、私が現職、そして消えていくだろう。私だけではない。不特定な皆様も歩む道、人生である。


「生」に対する執着

2020年04月29日 05時58分40秒 | エッセイ

 コロナ脅威で死を考え「生きたい」と思う人が多くなった。東洋経済日報のコラムニスト朴仙容氏は「生」に対する執着感を率直に書いた。研究室に寄って古川教授とコロナの死に方が話題。昔の話。衛生観念の強い同僚の早死を話して笑った。家内の退職、後期高齢の前に大変長くナイチンゲール精神で務めた看護職を終えた。50余年間勤めて、感謝でありながら現職の退職という言葉は相応しくなく、職場を離れても私の看護が残っている。心強い。しかし寂しい。当分の間、私が現職、そして消えていくだろう。私だけではない。不特定な皆様も歩む道、人生である。


「犬のような蛮人」

2020年04月27日 06時03分43秒 | エッセイ

 大連から安否の電話があった。日本でのマスク不足を知って、送ろうとしても無理とのこと。マスクは作れるから大丈夫と返事。武漢で早急に野生病院のような物を作ったニュースに私を含め、多くの人が驚かされたが今では世界的な現象となっている。北朝鮮からはウィルス情報はなく、金氏の重症説が流れている。本当か。軍隊にいる息子に会いたくて親の「重病通知」は結構多かった時代もあった。彼が真似する祖父、金日成の死亡説は何度もあったが、今度の重症説もそのよう類であろうか。
 敵のウィルスとの戦い、人類の不条理との戦い、国家単位の対策が明らかになった。そんな状況の中、共通の敵の前にも日韓は協力しない。永遠に絶縁状態になったようである。朝鮮通信使の日記では日本人を「倭人は犬のような野蛮人」と一貫して書いている。恨みは深く長い。「善隣友好」は無理だということだろうか。*写真は高橋啓明氏のFBからカット


子弟関係

2020年04月26日 06時10分22秒 | 研究業績

 昨日、朝日新聞に植野弘子・上水流久彦共編の本が広告として出た。上水流氏は私とは深い学縁がある。研究と教育をしてきている私としては、広くいわば子弟関係という学縁関係の人物が多い。その縁で互いに信頼し、尊敬しあうことを子弟関係といえる。私の先生との関係を含め大事にしているが広くは読者など多くの縁もあり常に感謝している。
 今度上書に寄せた拙稿「植民地研究の断絶と継承:秋葉隆を中心に」では私の学問的な系譜についても触れた。京城大学秋葉隆教授からソウル大学の任晳宰先生、李杜鉉先生、そして東京大学の泉靖一先生へ、さらに著名な文化人類学者の友人伊藤亜人さんとのつながりに触れた。植民地時代から解放され、現在へ至までの歴史、韓国から日本へ繋がった。反日と親日を遥かに超えた事実を書いた。今、私の植民地研究は上水流久彦さんと山田寛人さんに繋がっている。

 


自粛

2020年04月25日 05時55分47秒 | 日記

 久しぶりに唐戸カモンワーフまで散歩してみた。接触する人がいない。道路補修工事も終わり街が整理整頓されて、綺麗になっているが、観光客はもちろん住民もほぼ外出しない。マスクなど要らないと思えるまさにゴーストタウン。古い田園風景に戻るとも感ずる。美しく、寂しい。寂しく、美しい。
 韓国は死者ゼロ、終息しても良いかも知れないが、日本はまだまだ困難が続く。メディアでは人権、経済とのバランスが良い方がだとか失敗だとか毎日論じている。北朝鮮、中国、韓国などは隣接国家として成功例とされている。しかし世界戦争というより人類戦争と言える。自粛すること、そして考える期間である。


遠隔授業説明会

2020年04月24日 04時58分54秒 | 講義

 大学で遠隔授業のための説明会に出席した。十数年前創立記念シンポジウムで鵜澤副学長が司会で私は東アジアの大学間の遠隔講義を提案し、後にワンアジア支援講座でスカイプで実施した。昨今のコロナ危機により同じ教室でその夢が実行されるようになり、ある意味では良いチャンスになると思い、熱心に聞き、メモを取っていた。しかし予想以上に過ぎ長くなり、教室のドアや窓を開け、外は13度の寒さで1時間半を超えて説明会で我慢をして辛く危機状況と感じた。私の健康状況を心配している家内から電話が入り、退席させていただいた。全く私の体力の限界だった。途中退席で大変失礼してしまった。帰宅後、コロナより風邪が怖くなり、直ぐお風呂に入り体を温めたが、回復まで時間がかかった。これは私の体力によるものである。その時慰めのように内モンゴル大学の教え子から「崔先生、奥様 お元気ですか」と本当に慰められる慰問メールが届いた。


 新型コロナウィルス肺炎で日本全国で緊急警告がでているそうですが、お変わりありませんか。
 内モンゴルはいま頃良くなってきて、5月中旬より大学は開学できそうになってきました。
 夫は毎日学校でネット講義したり、会議したりしているが、私は娘のネット授業を受けさせ、宿題を指導し、自分の授業をやって毎日を暇なしに過ごしています。
 この状態が一日もはやく終わるよう願っています。
 先生と奥様は十分にお気をつけてくださいませ。
 
                  オンドロナ
2020年4月23日  


social distance

2020年04月23日 05時42分13秒 | 講義

 不要不急ではない、最低の食糧の買い物のためにスーパーに行ったが互いに避けて通るのが異様に感ずる。物理的距離physical distance=separationは異様、寂しいことである。コロナのために、互いに距離を遠避けなければならない。しかし逆に社会的距離social distance例えば通信やSNSなどでは近づかなければならない。人間関係を疎遠にしないようにすべきであるから物理的に避け、社会的には近づかなければならない。social distanceの意味を正しく使い、行動を正しくすべきであろう。


ユーラシア財団

2020年04月22日 06時08分30秒 | 講義

 コロナ危機で自宅待機のような生活でメールや電話通話が増えた。私からも年配の友人の石本弘之社長に安否の電話をした。そんな中、ワンアジア財団から嬉しいメールが届いた。申請していた支援を受けて行う講座が可能になった。感謝である。ワンアジア財団(理事長佐藤洋治、ユーラシア財団へと改名)から5年目の支援講座「アジア共同体論」(後期)が採択されたのである。


家内が編集長

2020年04月21日 05時35分37秒 | エッセイ

コロナ自粛により私と家内は新しい協力体制を試みている。定年後の老後生活の一つの例になるかも知れない。私が原稿の草稿をAコンピューターで書き、それをBコンピューターに伝送。それを家内が校正する。家内が校正した文を即私に戻してくれる。作業の進行が早くなった。家内が編集長になった(?)ような感じである。否、それより家内が私の発想、文体、校正まで関わって作業を進める。時には本の発送まで家内が担当する。二人で行っている出版に向けての仕事が家事になった感がする。pho.at Hanoi,2018


社会が委縮している

2020年04月20日 07時01分08秒 | 日記

コロナ脅威で社会が委縮している。人口減少により、商店街はシャッターダウンが増して寂しくなった。私は田舎生まれ、そんな風景にも違和感がない。険しい時代を生きてきたからであろうか。田園風景、家内工業などの時代を回想する。田舎の鶏が市場の真ん中に立たされたようなソウルへの転校、さらに日本へ、世界へ、本当に劇変の人生である。
それはやり直すことができない。その人生を悲惨に考えるか幸運に考えるか、ドラマを書くというなら喜劇であり、悲劇にもなりそうである。中には良い子弟学縁関係もあった。
昨日が4.19、コラムにその時を思い出して一筆した。意外に良い反応を受けた。坂実雄牧師は非常に興味深く読み、貴重な証言だとコメントをしてくださった。1960年生まれの方やその時代の韓国をよく知らない人にとって良い資料であるとか、よい教訓だとか投稿してくださった方もいる。
私と同年配の山路勝彦先生と金田晉先生からはその時代の日本の状況が教えていただいた。60年代は日本でも大荒れでした。安保改定をめぐってデモが多発し政情が不安定でした。韓国の学生はすごいエネルギーがあると。「自由からの逃走」が日本でも評判がよかった。
金田晉先生は1960年を思い出させてくれた。韓国学生の4・19革命はぼくらを感動させた。そのエネルギーに応えようとした。その運動は6月15日へと及んで行く。東欧の民主化運動にも共鳴していた。国家権力のイデオロギーにならないマルクス主義を模索していた。懐かしい。
 


「不条理」

2020年04月19日 06時16分18秒 | エッセイ

 日韓貿易商の韓国人の知人からの安否の電話、それは危機の叫びでもあった。物と人の移動商売が止まり、商売が、全くできなくなっている。こんな人こそ支援が必要であろう。不思議な「不条理」現象である。衛生的に清潔、世界最長寿国の日本をはじめ、世界の先進国と言われる西洋社会も大変な試練にあっている。ペストの時と似ているのは何回も触れたとおりである。黙々と奉仕する人も多い。ペストの主人公医師のリウーは「”いや、いや、死ぬのはいや”と叫ぶ声を僕は聞いたんです」。私も「生きたい」と言いながら死ぬ、多くの死を見てきた。医療的な戦いより政治政策的になった感がする。「不条理」との戦い。考えさせられることが多い。


1960年「四月学生革命」

2020年04月18日 18時53分50秒 | 日記

1960年「四月学生革命」(東洋経済日報コラム2020.4.17)
 
 丁度60年前の4月19日は私が生きてきた歴史の折り目を思い出させる。私は1959年ソウル大学校師範大学にい入学、洋々たる自分の夢に向かって歩もうとしていた。初めての大学講義、アメリカから留学帰りの鄭範謨先生の教育学講義を受講した。先生は後進国の政治的運命に対してエーリッヒ・フロムの『自由からの逃避』を例にして話された。その本は私が読んだばかりの本であり興奮を抑えきれず、挙手をして発言した。その時、受講生たちから「博士」というニックネームを得た。 
その本は自由民主主義とは突然現れるものではないこと、そして、突然自由が与えられたら放任主義になり、社会が混乱するという内容だった。王朝、植民地、そして李承晩大統領の独裁が長く続いていた韓国、自由と民主主義の経験がなかった韓国では民主主義は無理であろうか。本のメッセージは本当に大きかった。
 李承晩氏はアメリカの名門大学から哲学博士号を取得された神様のような老大統領であった。一般国民は彼には、さほど反感がなかった。しかし一九六〇年三月一五日に行われた不正選挙に激しい反発が起こり、学生デモが起きた。スクラムデモに私も参加した。その日は高麗大学からデモが始まり、ソウル大学校の商科大学と師範大学から大統領官邸の景武台に向かって西へ進行した。そのデモ隊に李承晩独裁政権の内務部長官の崔仁圭の発砲令によって無差別に発砲された。死者183人、負傷者6259人に達したことを後日知った。
 学生たちの流血革命によって政権は転覆した。その後、国内は混乱状態になった。自由を維持する政治文化がないのに自由が飽満しすぎ、全国的に毎日のようにデモが起きた。この時、民主主義を根下ろす時期だと思って、心より民主主義の安定を願い、祈り、私は社会奉仕のために啓蒙隊に参加し1か月半ほど奉仕した。
 やはり政治文化の基礎が浅い韓国では自由と民主主義の土着は難しい。一九六一年五月一六日に突然、私は東大門前に立っていた。武装電車と武装軍人の姿、そして夜から画像・映像で初めて小柄で浅黒い男、朴正熙氏の姿をみた。異様であった。神像のような李承晩とは真逆の印象の軍人であった。混乱していた中で憂慮されていた朴正煕軍事クーデターであった。繰り返し革命公約が流れた。反共と反日の国是から「反日」が抜けていたことは意外であった。
 長い間、大学は閉鎖、休校になった。その長い休校中にも関わらず、私は李杜鉉先生の研究室で行われていた読書会に参加していた。そんなある日のこと、ソウル大学校師範大学生が走る朴大統領の車に石を投げるという事件が起こった。朴正熙氏は無言で、車から降りて、歩いて、大学門へ行き、守衛室で学長室を尋ねて黙々と歩いて学長室へ行き、イ・ジョンス学長に「学生の指導をしっかりするように」注意をし、その場を去った。学長は即刻、解任された。それによって、その読書会も大学ではできずYMCAのビルに場所を移して続けられた。 
 また大学では異変に起きた。私の尊敬する二人の先生が逮捕されたのである。鄭範謨先生と尹泰林先生の講演会、「民主か独裁か」が東亜日報夕刊に大文字で報道されたことにより、お二人の先生は解職、逮捕されたのである。私は大きく衝撃を受けた。私は尹先生を心から尊敬しており、以前にも尹先生からは国民教育憲章を非難した寄稿文で危機を感じて逃避した話を聞かされたこともあった。後に先生は文教部次官を経られて、慶南大学校総長となられた。そして日本留学を終えた私を慶南大学へ招聘して下さった方でもある。多くの著書中、日本で出版されたものに『韓国人の性格』(高麗書林)がある。


マスク

2020年04月18日 06時15分44秒 | エッセイ

今はマスク着用の時であり異様なことではない。マスクが話題になっている。スーパーで見かけた中年女性のマスクは大きく、赤と黄のカラフルな模様、色と模様で異様、さらに慣れた我が生まれ故郷楊州の仮面劇のライ病患者役のお面を思い出した。その民俗を調査・研究を始めたのは京城帝国大学の秋葉隆教授、その影響で私の二人の恩師任晳宰、李杜鉉先生の研究があり、無形文化財に指定されている。その楊州に我が家の得意巫女が住んでおられ、私の巫俗研究がそこで始まり、そして日本と繋がって今、日本に住んでいる。先生たちは英語でマスクmaskと言いながら国際的にも広く紹介した。そのマスクは祟り強いものであり、仮面劇の公演に使っては燃やす。その私の学縁について論文を書いた。もうすぐ風響社から出る。このマスク・ダンス(mask dance)のように一回きりで焼いて終わるように早く終息して、スッピンの顔で付き合うようになることを祈る。


「人間失格」

2020年04月17日 06時28分27秒 | エッセイ

 新型コロナウイルス脅威期の昨今、引き籠りの生活パターンに変わりはない。自宅での仕事や無理な休暇の人たちには辛い時間になるだろう。コラムニスト佐々木正一氏はある会社では『武士道』の読書を勧めていると書いている。近いスーパーに寄ってみたが、すれちがう間隔に距離があると感じた。人間社会が壊れる。それがもっとも危機である。以前にもあった中国発「人工的なコロナウイルス」説が再び浮上する。事実なら「人間失格」である。