崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

生化学者の中澤敦氏の訪問を受けた

2012年06月30日 05時03分33秒 | エッセイ
中澤敦先生が昨日私の研究室に訪ねてこられた。先生は京都大学医学部出身で世界的な著名な生化学者であり、山口大、東亜大を退職して医学史の編纂に携わっておられる。特に京大生化学の先輩でもある佐藤剛蔵氏が奉天の満州医科大学や平壌医専など朝鮮と関係が深いことで、戦前の医学の交流関係に関する話を聞かせて下さった。その面で門外漢である私はただ『朝鮮医学史』の著者の金斗鐘先生のことを思い出して話しを合わせていた。私の修士論文が天然痘神に関する内容であったので若い時金先生の本をよく読んだことを思い起こした。中澤先生は帰宅されてからすぐその晩佐藤剛蔵に関する一枚の記事をメールで送ってくださった。そこには佐藤氏が校長であった京城医専出の金先生のことは出ず、李錫申(1897~1944)の名前があった。李氏は平安南道で生まれ、1921年京城医学専門学校を卒業後、東京大学医学部病理学教室で病理組織を研究し、ドイツベルリン大学に留学して、生化学を専攻の医学博士学位を受けた。京城帝国大学医学部生化学教室の助手を経てセブランス医学専門学校の生化学担当教授になった。1932年には京都大学で「朝鮮の習慣食に対して」という論文で医学博士学位を受けた。佐藤と李は京城医専と京大で関連がダブっている。
 引き上げ者を中心に戦前における日朝関係が教育や医療になると密着し現在まで強く伝統を引き継いでいるので研究すべきだと感じた。中澤先生は旧満州大学(奉天今は審陽)に招かれて講演なさったとのことである。中国では満州大学を否定して共産党が新しく「中国医科大学」としていながら開学80年とはどういうことだろうとも言っておられた。韓国や台湾でも学校などの創立を日本植民地期から数えるのと反日思想とは矛盾している。それは医学、教育などでは否定しても、消しても消せない、太い、近い歴史が連続しているからである。イデオロギーを超えて生きた人から生きる力をいただいた時間であった。
コメント (3)
この記事をはてなブックマークに追加

工事現場を観察

2012年06月29日 05時09分13秒 | エッセイ
 我がマンションから見下ろせるところでほぼ同時に古い建物を破壊する二つの工事が進行中である。その現場を見下ろしながら観察するのが楽しい。人がフォークレインやパワーショベルなど3機を使い、仕事をしているが人は補助に過ぎないようにみえる。私はその全体の計画、業者などは知らずただ仕事ぶりを観察している。二つはほぼ同様なプロセスに進行し、ただ私には対照的に見える。Aは塵と騒音を最少にしながら散水を徹底し、超スピーディに完了して新しい工事を待っている。BはAに比べて散水などは形式的あり、塵が周囲に風によってまき散らされている。休憩時間はしっかりし、工事はゆっくり進行する。私が工事を頼むならAを選びたい。
 スピーディな仕事が好きな私にとってはA組が好きである。それは真面目で精細な仕事をし、スピーディだからである。Bは時間が長く掛かるのを慎重にしているというかもしれないが、決してそうではない。一般的に韓国人がスピーディ感を「パリパリ」(早く)、中国人が「マンマンティ」(遅く)と皮肉を言いながら日本人は「真面目」に仕事をするという。本当は真面目さとスピーディは同じであろう。真面目さを言い訳の名分にして仕事を怠けではいけない。現在の日本ではそれが目立つのが心配である。 
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

小さい親切

2012年06月28日 05時01分40秒 | エッセイ
 ある人から昼食で御馳走になった和食レストランでのこと。「点心」という昼食としては数と量が多い。皿が多く、汁、ワサビなど食べ方に一瞬箸が止まってしまった。その時離れた隣のテーブルの老夫人が食べ方を教えてくれた。空き皿には漬物を出して、ワサビと汁はソバにけるのだと。彼女は食事を終えて先に席から立って挨拶までして出ていかれた。赤の他人から教えてもらい、全く知人のように別れた。私はこの小さい親切が嬉しかった。大げさに言うと日本社会全体が良く感じられた。しかし他人に干渉することを失礼だという人もいるだろう。また田舎や地方ではそうする人もいるという人もいるだろう。人間が他人であってもお互いにある程度の干渉をしながら暮らすのも楽しいものである。
 
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

失敗した授業

2012年06月27日 05時15分02秒 | エッセイ
 観光人類学の授業で教科書から「毛沢東観光化」を選び講義した。中国からの留学生が多いので良いテーマでもあり、学生との討論を期待して準備をしたが失敗だと感じた。先日映像で見たハーバード大学のある教授の授業形式を考え学生自ら発想する授業でやってみた。パワーポンを使いながら1966年文化大革命の時毛沢東の生まれ故郷を訪れた人が290万人であったが、毛氏が死亡して批判する時期には極端に減っていたが毛沢東記念館を改造して観光化して、毛主席リバイバル運動によって急増したことを説明した。毛沢東への再評価と観光化について触れて、文化大革命で知識人など40万人を殺し、1億人に被害を及ぼした人の英雄化を問題にした。しかし学生と議論することは難しかった。ただ中国を現在のように大国化し、成功した英雄だという意見が多かった。
 私は40年以上の教育経歴から授業は失敗しないように誠意を持って準備して臨んでいるが、成功することは難しい。芸術の公演のように学生と共鳴、反応を見ながら授業すべきである。むかしにはノートか窓だけを見ながら読むように講義をした教授が多かった。それでも学生は講義に集中して筆記しながらノートをとったが今とは激差がある。教員は誠意をもって最善を尽くしても学生は私語と居眠りの現象が多い。それぞれ教員が失敗成功を繰り返すはずである。中国の学生たちに毛沢東問題は重い話であったか、私の授業のやり方であったか反省すべきである。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

触れ合う、繋げる、社会網

2012年06月26日 05時10分39秒 | エッセイ
昨日は1950年6月25日朝鮮戦争勃発の記念日であった。日本ではこの日を思い起こす人は少ないだろう。韓国では戦争博物館で記念行事が行われたということをラジオで聞いた。ここ日本は台風や梅雨が始まっているが、ソウルは干ばつで農作物に憂いがある。梅雨の隙間をぬって韓国寿城大学校大学言論社と皮膚美容学科の教員と学生25人が本学を訪問してきた。東アジア文化研究所と寿城大学校「大学言論社」が姉妹提携の調印式を行った。研究所はさまざまな行事を行い、情報を発信するので言論社を通して韓国に発信することになった。所長の小生、崔吉城と言論社の主幹金ウイソク教授と署名をした。金氏は啓明大学校出身で私が指導教授をしていたサークル「仮面劇班」の学生であったと言って、親しく語り、デモの激しかった時代を想起した。
 最近は韓国との往来が頻繁になり、教員や学生たちも韓国語のあいさつを口にすることが多い。昨日の歓迎式と調印式での学長の歓迎のお言葉は「あにょんはせよ」からはじまった。韓国の反日や日本の嫌韓の時代は過ぎたような日韓親善が深まっている。しかし国家間の関係はいつ何が起こるかわからない。平和を守ることはただ安易なことではない。自然な人間同士で触れ合う、繋げる、社会網を広げること、その小さい一つが昨日の提携であった。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

もっと近く、優しく、親しく

2012年06月24日 23時58分05秒 | エッセイ
 先週我が家に集まった方々に昨日会って以前とは違う斬新な気持ちが湧いてきた。しばしば会っていても感じなかった感情であった。もっと近く、優しく、親しくなったようである。なぜであろうか。我が家というプライベートな空間を一時ではあるが、共有したからであろう。昨日は雨の中東アジア文化研究所の本の整理などを6人で行った。親しい人、初めて会う人などと一緒に本を整理してもらった。本棚を組み立てる人、本を運ぶ人、本を並べる人、清掃する人など自然に分業になり効率的だった。
 日本では「個人情報保護」という風潮が過剰に強調されて、あまりにも人間関係が閉鎖的になり、人間関係が無味乾燥しているようにさえ感ずる。形式的な礼儀作法はあっても人間関係は親しくなれない。個人の人間関係だけではない。地域住民との関係もそうである。多くの人は単身赴任のように週末空白型の人、いつも浮かんでいる冷たい群衆、孤独を自ら招く人が多いように感ずる。冷たさを温めて融合する付合いが必要である。昨日協力してくれた人からは人間の温もりを感じた。その温もりは人間関係の基盤ではないだろうか。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

本の整理

2012年06月24日 04時43分00秒 | エッセイ
 日韓交流基金から5000余の図書が寄贈されたものを本立てを解体して動かし、組み立てなおして陳列し始めた。まず英語の本、特にキリスト教関係のものから高さや内容によって分類している。本の整理は仕事でも労働ではない。本を専門的に扱う司書や書店さんとは異なる。私は本に触りながら昔読みたかったものやこれから読んで研究したい意欲が湧いてくるからである。しかし数時間の作業で完全に疲れてしまった。そこから考え方が急変した。私以外に誰が読んでくれるか、本から携帯に変わった時代に学生や一般人も本に関心があるか、私が手を放したらこの東アジア文化研究所は倉庫に過ぎなくなるのではないかとふと心配になった。老婆心である。
 3年ほど前から学生たちの憩いの談話室を作ることを提案して学長や職員たちが私に委任してくださって、やっと昨日数人の教員が清掃、整理で形を整えた。学生たちが良く歩くところに位置している。しかしそれもこれから学生が利用するかが気になる。これからソファーなどを入れて「学生ホール」として「学生様」のご利用を待つことになった。明るい空間の誕生、留学生と日本の学生が談笑したり交わったりして憩いの場として生かしてほしい。私の夢はまだまだ広がる。教職員の協力に感謝したい。
 
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

沖縄復帰40年

2012年06月23日 05時15分54秒 | エッセイ
 昨日毎日新聞の朝刊1と24面に父子の写真1枚「戦場で敵と味方」が目に入った。沖縄復帰40年、今日が沖縄の「慰霊の日」、その関連記事である。私は学生時代に読んだ「西部戦線異状なし」で二人の軍人「敵と味方」の出会いを思い浮かべながら読み、そこに東江康治先生(83)の名前に視線が止まった。その記事は彼の御家族の話であった。
 父盛長(故人)と米軍の日本語通訳兵の次男盛勇、敵対関係の父子の邂逅であった。もちろん兄弟や家族共の再会、記事は「敵兵」として故郷に戻ったことが劇的に伝わってくる。
 「沖縄復帰40年」は私の留学後40年になる。最初の調査地を沖縄とし、沖縄を数回往来し、復帰10周年記念講演の講師に招かれた。空港で迎えて下さったのが当時琉大教授の東江康治先生、夕食会には中村哲先生、外間守善先生などがご一緒であった。その後何度も東江先生に会い、最近は年賀状で近況を伺っているが、昨日の記事を読んで懐かしさとうれしさで早速はがきを送った。 
 戦争の記事は昨日一日中私の頭の中から離れなかった。下関の北方の特牛の日中戦争の参戦者小山正夫氏(写真の右、97歳)に会って話を聞いた。彼は耳がかなり遠くなって対話が難しくなっていた。二度目のインタビューであり、戦時中でも麻雀、トランプ、花札などをしたゲームの話、中国の民間人との交渉、初恋のような話が出た。明後日は朝鮮戦争の勃発の日、私には戦争の記憶がまだ続く。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

一攫千金

2012年06月22日 05時10分36秒 | エッセイ
 ウェブサイトで国際結婚に数億円の持参金を持っているとアピールしている女性に結婚を申し込んでアフリカへ発った人がいる。結婚とお金の両方ともに幸運をもたらす大変嬉しい「一攫億金」の話である。宝くじの話のレベルを大きく上回った話であろう。ネット上には時々このような一攫千金を誘う内容がある。私は別に注意を払うこともなかったが、それらを信じて夢中になっている人がいる。手ぶらの彼が何億円のお金をもっている美女と豪華な生活を始めることが実現できるかもしれない。
 結婚は一攫千金のような物であろうか。結婚と言うとすぐまず恋愛を前提にする人が多いだろう。しかし人類史の中では圧倒的に一般的には恋愛なく結ばれていた結婚であった。恋愛を前提にしなくとも結婚生活は普遍的に存在している。問題は結婚を一攫千金の対象としているその考え方に問題がある。どんな縁でもめぐり合うことは感謝であるが、一攫千金の生き方は結婚ではなくとも真面目に働くという能力主義に反する。しかし、アフリカまで行った彼がうまく彼女に巡り合って幸せな生活ができることを期待してみる。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

留学

2012年06月21日 04時59分20秒 | エッセイ
 ほぼ毎日楽しんでいる韓国のドラマで厄介者扱いを留学で解決しようとすることが気になる。特に親が不良な問題児などを外国へ逃避させる言葉として留学させると言う。それに反抗する子供の態度も硬い。ドラマを視聴しながら韓国の留学へのイメージの変化をキャッチすることができる。開化、近代化の時期以来優秀な人材が先進国に留学をして韓国の指導者になるイメージがあったが、最近それが変わっているのではないか。韓国は異例な経済発展国家として発展してきた、底力のある熱心さとスピードのある韓国国内で教育を受けさせた方が良いという意味かもしれない。一方先進国の教育体制にはいろいろと問題、行き詰まりがあるのではないだろうか。以前私が広島大学在籍中に、ある韓国の留学生が日本人の学生は勉強に熱心ではないことに失望したという文を残して帰国したことがある。私は日本に留学した経験をもっており、韓国と日本で教育に従事する者としてショックなことであった。
 最近、韓国人の留学先は先進国だけではなく、中国が主になっているように変わっている。韓国には中国からの留学生が多い反面、中国へ多く留学する。中国で何を学ぶかと聞くと例外なく、中国語だけだと答えが返ってくる。人生の重要な基礎を作りに異文化体験として「留学は遊学」でも良いという時代があった。どの国でも良いが日本は先進国として学問を留学生に提供するには十分とは言えないが、古くから周辺国家から言われてきた正直、勤勉などの安定した社会であり、異文化体験するためには良い国ではないかと思う。私は彼らの留学体験が人生に、将来に有効になると信じている。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

携帯

2012年06月20日 05時14分01秒 | エッセイ
携帯電話やスマートホーンなどが一般化している。情報が実時間で多く通信できるので重要な情報器機であるが音楽や映像なども出て玩具のように面白い。車内読書はきれいに消えていく。私もインタネットなどで楽しんで文章を書き、時代の変化にのって本を読む時間が少なくなった。しかし読書とネットを組み合わせると内容が広がり深めることができてもっと楽しい。しかし学生たちと創造的に考える討議をしようとし、深く考える力が弱くなっているのではないかと憂慮する。携帯の情報通信によって革命的な変化をもたらしているが、考える力を弱めることになりかねないと思う。
 数千年の文字文化では書くのが基本であったが打つことに変わっている。時代に逆行することはできない。弦を引くバイオリンから盤を打つピアノへ変わるようなことではなく、それらが調和する交響曲のようにすることがこれからの生きる知恵であろう。
 
 
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

『樺太・瑞穂の悲劇』

2012年06月19日 05時05分51秒 | エッセイ
ソウルから民俗苑の洪社長と福岡の花乱社の別府社長が我がマンションで最終編集会を行い、『樺太・瑞穂の悲劇』の印刷をOKした。紙の質と大きさなど余白3ミリ、カバー150グラム、コーティング、トンボなど、二人の出版人生の経歴の競り合いのように話が超スピードで進行した。私は印刷に向けての細かい仕事を理解し、通訳に大変な時間であった。これから1週間ほどで印刷が完了し、販売になる。数年間の作業が全部完成することになり、感慨無量である。
 そもそもこの作業の始まりは単純な約束からであった。下関韓国教育院の院長であった李永松氏から在日の徐氏を紹介してもらった。朝鮮学校、朝鮮大学のロシア学科出身の徐氏に会って、彼が左官などの肉体労働をしているが、ロシア文学など博識人である事を知った。私は彼が日本社会で差別されていることを雰囲気として十分感じた。サハリンを調査したことのある私は彼にロシア文の裁判関係資料を見せながらロシア語の本を翻訳してみたらどうかと言ってしまった。彼は初めて自分が認められたといって感激していた。後に彼は昼は労働、夜遅く翻訳しながら生きがいを感じながら進行したとのことである。その彼を応援しながら、私自信の言約を守るための作業であった。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

私の誕生日

2012年06月18日 04時53分26秒 | エッセイ
 昨日は私の誕生日、ソウルから来てくれた姉と甥、在日キリスト教会の牧師と信者10余人と近所の方が集まって祝ってくれた。韓国から張竜傑氏の祝電や中村八重氏と倉光誠氏の花束が式壇のようになり、家庭礼拝式になって鄭牧師のメッセージ、李相睦氏のお祈り、讃美歌を歌うなどで満たされた。私は誕生を祝っていただけることを幸せと思い感謝の気持ちでいっぱいだった。二十歳頃に人生を新しく生きると決心してクリスチャンになって教会を離れず守ってきた信仰であるが、毎日新聞の西嶋さんは初めての異文化体験のように目を丸くしていた。宇部教会の牧師から牛肉と雲丹、鄭さんからは豚肉とキムチ、下関グリーンモールにある食堂のシオンの洪女史のわかめスープやナムル、川中にある焼鳥屋さんのご主人作の焼鳥、ソウルからのキムチや餅、李長老の大型スイカ、近所から卵料理とたこめし、くだもの、西嶋氏からのお菓子、山本氏からのチョウコレットなど持ち寄りの食べ物と家内の料理もあり、豊富、豊かさを感じ、楽しい昼食の時間であった。
 私が北朝鮮で撮ったボンス教会の礼拝の映像を上映した。北朝鮮にキリスト教会があるとはなかなか信じられない反応であった。信仰の自由のない国家に教会があり、礼拝が行われることは国の宣伝にすぎないという意見が多い。北朝鮮の朝鮮キリスト教総連盟の委員長のカン牧師はこのような教会以外にも意外に「家の教会」が1万6千もあると聞いて私も信じられなかった。クリスチャンが存在するなら「将軍様」と「イエス様」は両立するのか、日本の戦前のキリスト教を思い浮かべる。信教の自由は民主国家のバローメーター、独裁鎖国の国家の北朝鮮の「自由」と「独裁」の矛盾を解明することは誰もできない。祝賀会と矛盾した話題も延々と続いた。
コメント (1)
この記事をはてなブックマークに追加

「楽しい韓国文化論」

2012年06月17日 05時24分38秒 | エッセイ
 
 東亜大学東アジア文化研究所が山口県日韓親善協会連合会と共催で文化講座(続報)を始める準備のために昨日長時間討議した。さまざまな映像画像を使い、韓国の衣食住、民俗、芸能など幅広く紹介しながら日本文化と韓国文化との似て異なる点を探っていく。今まで韓国語を覚えた人、旅行した人、韓流ドラマなどにはまった方々にとって「楽しい韓国文化論」になり、嫌な思い出や誤解したことのある方々への新しい理解を得られることを願っている。日韓親善を基礎にアジアの知識人、異文化体験の文化人、グローバル化に適する文化講座にしたい。
 韓国語をキーワード、基本表現から文化的背景を考える。その韓国語講師としてに韓国外語大学院修了(修士)、現梅光大学非常勤講師の奈良美香氏と、東亜大学の文化人類学担当の崔吉城などが担当をする。講座日程9月1日~11月17日、毎週土曜日14:00~15:30、東亜大学 13号館 202号室、8回でおこなう。※講座終了後11月22日~11月25日講師などが直接案内する韓国文化探訪、体験研修旅行を行う。朝鮮半島を目の前にしている海峡地域の文化塾の成功は地域が自主的な文化意識を持つこととつながる。皆様から関心を寄せてほしい。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

縄文の紐

2012年06月16日 05時16分15秒 | エッセイ
 
今クズのつるが我がマンションの周辺を広く被っている。蔓の先が道路まで伸びてきており、その勢いの旺盛に圧倒される。昔我が家の隣家のお爺さんがそのつるを切り取って紐を作っていたことを思い出す。足の裏を台のようにして蔓をナイフで押さえながら引っ張って皮を除去し、白い繊維を取り出しそれを両手の指先で編み、細い紐を作って、イグサのような(ワンゴル)を編んでござを作る。お爺さんは市場でそれを生活用品として売り、収入を得ていたのである。私は紐を編むことに関心があり、自分でもやってみたことことを覚えている。繊維で編んだ葛布は東アジアで広く生産されたが科学繊維が出現してからは消えてしまった。先日中国の広州博物館では名産として展示されていた。静岡県掛川市の特産品であるともいう。
 昔私が日本に留学して著名な考古学者の佐藤達夫先生に縄文土器の講義を聞いた時、土器に縄文の模様をつけるために紐を編む実習をした(写真下は佐藤先生の講義に問った私のノート1975年5月13日)。私は子供の時に覚えた通り紐を編んで先生に注目されたことがある。それは二本編み、3本編み、二重網などで変化させながら粘土に跡で模様を付けていく。私はその一学期が考古学の勉強をする楽しい時間だった。子供の時の好奇心が後に学問につながったようであった。子供の時に遊んだ小さい経験は偉大な創造力を生み出すかもしれない。私は葛を見ながら紐を編んだ楽しい追憶であるが、一般的には「葛藤」(複雑混乱)ただの「葛」であろう。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加