崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「知的活動」

2020年02月29日 06時47分07秒 | エッセイ

研究室の前に、ザボンが入った名もないビニルの袋、誰かからの人情のプレゼントと思い、研究室で大きいザボンパーティ。程よい甘さと酸味、嬉しく楽しく感謝の時間。夕食は㈱海龍の朴仙容氏から送っていただいた試食用の「海龍豚きむち煮込み」で家内がチゲ鍋を作ってくれた。試食用であるので慎重に味を確かめながら食べてみた。おいしい。水で薄めずそのまま温めて野菜や豆腐を少し入れてみた。キムチ、味噌の味も香ばしい。良かった。商品化を勧めたい。
 政府から休校の要請が出た。歓迎する。政策でもあるが、生命と健康へのメッセージとして受け取るべきであろう。韓国の大学からの情報ではネット授業を行うという。そこで考えておくべきことがある。大学の授業と教育の意味を失ってはいけない。教育は新聞や雑誌のように読者へ情報を発信するのがメイーンではない。つまり知識を売るのではない。「知的活動」をする。フェースとフェースの対面、思考活動をする。大学は一緒に考える神聖な場である。教育の本質を知って政策を試行して欲しい。


徐淑子:「植民地遺産」

2020年02月27日 22時37分11秒 | エッセイ

 昨日の読書会では、礒永和貴氏が今までを振り返って話をした。最初東アジア文化研究所が設立され、植民地時代の朝鮮総督府の機関月刊雑誌『朝鮮』を読み始めてから多くの本を読み、多数の著書や論文を彼とともに読んできた。科研を得て、巨文島調査旅行なども実施した。海苔の研究、慰安所日記を倉光氏が翻訳し、参加者とともに読むことから始まった拙著『慰安婦の真実』の産室もこの読書会であったとことを思い起した。
 私は1960年代にソウル大学で李杜鉉先生の読書会に参加し始め、留学してから成城大学院、韓国に帰国してから啓明大学校、広島大学、東亜大学に至る今日まで読書会は常に続けていた。留学、博士、研究者も多く出た。新年度から新しく著名な研究者を迎え、続ける。近くに居住し、関心がある方は声を掛けてください。

 

最初に<書評>
徐淑子:「植民地遺産」をどのように受け止め解消していくか

崔吉城著『帝国日本の植民地を歩く』花乱社、2019

 日本と韓国の両国で多数の著作がある文化人類学の第一人者による書物である。副題は「文化人類学者の旅ノート」となっている。著者によるフィールドワークに基づいてはいるものの、この本自体は学術書ではないという構えである。しかし、旅行記として読める部分の間あいだに、植民地支配と近代化、植民地からの独立・解放と民族主義・愛国主義、暴力と破壊、文化表象、歴史の記憶などの問題についての、著者の長年の研究成果を踏まえた論考が挟まれている。つまり、本書は、植民地遺構(主として戦前の日本領)を巡るダークツーリズム・エッセイにとどまらない内容を持っている。
 特筆すべきは、その構成である。研究者として、生活者として、日韓関係の変化にじっくりと向き合ってきた著者は、本書でもまず、韓国における反日感情の問題から筆を起こす。そして、アジアには反日文化圏と親日文化圏が存在するとして、中国・南京大虐殺記念館の展示を大陸中国における反日文化の一例として触れながら、次いで、台湾やシンガポール、パラオなどいわゆる旧「南洋」社会における、日本や日本人に対する肯定的な態度について、考察をめぐらせる。
 「植民地残滓」を経済的にも活用可能な「植民地遺産」として肯定するのは、日本の支配下にあった旧「南洋」だけでなく、欧米が宗主国となっていた旧植民地などにもしばしば見られる。著者の旧植民地をたどる長い旅は南回りにアジアを離れ、アパルトヘイトという深い傷を負った南アフリカ共和国にまでおよぶ。南ア社会に旧宗主国イギリスが残した影響を、近代化プロセスと関連させながら考察する。
 その後、旅の目的地は、本の構成上は南アフリカから北上し(時系列的には、著者のフィールドワークと一致していない)、同じくイギリスによる支配を長年受けてきたアイルランドに向かう。よく知られているとおり、アイルランドでは今でも英国への反発が強い。それに重ね合わせて、著者は、東アジア植民地支配の特徴とされる「近接性と近似性」について検討する。「似ている」「近い」という感覚は、他者認識の弱さとなり、同化政策が強く発想されることにつながる。
 著者の旅の最後は、スペイン、日本、アメリカの植民地支配を経験したフィリピンである。独立運動の父と呼ばれるホセ・リサールの足跡を追いながら、締めくくりで、民族的な英雄に悲劇の構造を重ねて神格化する現象と、愛国主義の限界などを指摘する。本書の第1章では、朝鮮半島の愛国者(金日成や安重根)や、中国の愛国志士の物語化について触れており、本書の終章で、長い旅の始まりに戻っていくという構図が見える。
 本書は、著者が、自分の生まれた国である韓国社会における反日感情を、文化人類学の立場から批判的に検討するという動機によって書き始められている。しかし、本書はいわゆる親日・嫌韓を煽る書物ではなく、日本の読者にとっては耳を塞ぎたいこと、罪悪感を感じたり、逆に反発したくなるようなことがらも、率直に記されている。著者は、東アジアの反日感情に非合理的な側面を認めるが、そのことと引き換えに、日本の植民地支配による被害や非人道性を帳消しにしはしないのである。むしろ、直接的な植民地経験をもたない現代の日韓市民が、反日か親日か、嫌韓か親韓か、善か悪かという単純な二元論に判断を委ねてしまうのは、どのような意識構造に由来するのか見定めることを静かに主張している。本書による長い「旅」の後には、東アジアに限らず、世界の旧宗主国・旧植民地が、それぞれ「負の植民地遺産」をどのように受け止め解消していくかという課題を負っていることが理解できる。日韓関係の困難な時代であるからこそ、読者に薦めたい書である。(了)


「手洗い」

2020年02月27日 05時39分05秒 | 日記

  私が日本に留学して根本的に変ったのは手を洗う習慣である。その習慣が衛生的な効果があるかどうかはわからず日本の清潔感のイメージを高く感じた。いま韓ドラでも帰宅家族に「洗え」という啓蒙文句が常である。それが実際衛生効果があるということで今「手洗い」が強調されている。そのイメージのない中国発祥のウィルスから日韓で死亡者が更新されている。そして世界が怖がっている。
 集会が次々に中止、延期されている。私は主治医や家内、周囲の人から高齢・持病のある者として注意させられている。来週の京都日文研での研究会にも欠席を決心した。絵はがきに関する二人の発表者や研究会代表、ホテルなどキャンセルも煩雑であった。私が書いた「絵葉書からみる近代朝鮮」を送ることにした。この時期、私は拙宅で執筆や花をいじることにする。


コロナ対策

2020年02月26日 06時02分46秒 | エッセイ

 毎晩KBS 9時のニュースを見ていつも感じることがある。日本のNHKより韓国のアナウンサーの声のトーンが少し高く、北朝鮮はさらにより非常に高い。昔の植民地期のラジオの声もトーンーが高かった。民放のCMもトーンが高い。また韓国放送は報道記者たちの自己紹介も過度に「KBS OOOがお伝えしました」などと声高らかに強調するなどの特徴がある。私が日本の放送に熟れた点もあると思うが、韓国の放送のトーンと主張が高すぎる感じがある。
 少し前、いつだったかイ・ソジョンニュースキャスターが「韓国はよく対策が出来ているのに日本では、人がどんどん死んでいくのはなぜですか」と言った言葉が脳裏から消えないうちに、今日韓が逆転している。コロナをめぐり韓国や中国そして日本という国籍が表面にあらわれる最近である。コロナ対策は、熱心に政策活動するだけでは間に合わない。医学と福祉、衛生習慣、清潔文化の総合的な努力が必要であろう。


코로나 문제

2020年02月26日 05時42分01秒 | エッセイ

 매일 밤 KBS 9시 뉴스를 듣는데 늘 느껴지는 것이 있다. 일본 NHK보다 톤이 좀 높고, 북한의 경우 더 아주 높다. 옛날 식민지기의 라디오 목소리도 높다. 민방과 씨엠도 톤이 높다. 한국 방송은 보도 기자들의 자기 소개도 지나치게 KBS OOO 소리높게 강조되는 등 특징이 있다. 일본 방송에 길들여 있는 점도 없지는 않지만 한국인의 자기 선전 의식이 너무 높은 느낌이다. 
 얼마 전에 이소정 뉴스 캐스터가 <한국은 잘 하고 있는데 일본에서는 사람이 자꾸 죽고 그렇습니까>라는 말이 지워지지 않는 가운데 역전하고 있다. 한국이나 중국이라는 국적이 표면에 드러나는 요즘이다. 코로나 문제 그냥 열심히 뛰면 되는 것이 아니라 의학 복지 등의 발전, 개인의 위생 습관, 청결문화의 총체, 그런 노력이 필요하다는 것을 늘 인식하지 않으면 안 된다. 좀더 신중하게 대처하기를 바란다.

 


『硫黄島の奇跡』

2020年02月25日 06時06分23秒 | エッセイ

 コロナ危険、人の往来にも気を使う中、山本達夫氏が私の嗜好物を持って突然訪ねて来た。隣の研究室でナチス研究をしていた元同僚、いつも変わりなく親しく付き合っている。彼ら父子と一緒に韓国へパンソリ旅行をしたのが10年ほど前。私が入院した時は慰問に来てくれた。職場と縁が切れても私たちの縁は切れない。彼はポジティブな性格の人物。彼にきた奥さんからの電話を横取し、実は初めての挨拶なのに久しぶりのような気分であった。彼のお父さんの英文学者の山本孝夫氏は昨日88才の誕生日。家族が集まると言っていた。その記念に相応しく文芸社から『硫黄島の奇跡』が出た。家族史、地域史、太平洋戦争史が分かる。これからも読書と執筆を続けるという。一読を薦めたい。


Parasite

2020年02月24日 09時57分26秒 | エッセイ

 I, myself who has been a tutor for a long time in Seoul, 1950s. I realized the difference between a poor tutor and the rich family in Seoul. parasitizing the top layer in Korea. Tension for me, this movie is really fun. A simple story, a poor student enters a tutor as like me in a rich family at that time. It does not proceed like a detective movie. The fun lasts until the end. the scenes next to next,  to the spectacle scene. In a sense, social harmony and struggle are depicted.  It is not an old style novel of the story of good and evil. I watched the movie only as art.

 

 


続『パラサイト』

2020年02月24日 06時40分19秒 | エッセイ

 70才過ぎの牧師が説教した後、講壇から降りて挨拶、嬉しく話す中、奥様の安否を聞くのに名前を呼び捨てにしてしまった。しかし自然であった。彼女はより高齢になった私の弟子だからである。
 説教の中に映画『パラサイト』に触れたので私がコラムを書いた東洋経済日報を手にして見せようとし、良い映画だと一言、言ったとたん非難された。その映画は左派映画だと批判した。私とは反対意見で論争したくないから話を切った。韓国の中でも映画を巡る賛成・反対の派が出来たようである。その映画の影響は大きい。その分、成功だと言える。同席の在日信者らはその映画を観た人は一人もおらず、私の映画の話は全く私語のようになった。投稿したコラムを記しておく。

映画『パラサイト 半地下の家族』
崔吉城

寄生虫というと虱や回虫を思い出すが、韓国映画『パラサイト』がカンヌ国際映画祭でアカデミー賞を受賞し、嬉びの反応が広がっている。私も下関のサンシャインシネマの大型スクリーンで、日本語の字幕を気にせず観た。館覧席で50人強の観客の中、その寄生虫を知っている時代の私のような高齢者は一人もいない。高齢者の映画鑑賞は居眠り半分で見たような見なかったようなで、内容も把握できないかもしれないと思ったが、私は画面に2時間以上集中注視し、一秒も見逃さず最後まで見てしまった。私を集中させたこの映画の魅力は何だろう。国際映画祭でアカデミー賞を受賞したこの話題作を韓国人口の3分の1の人が映画館で見たという。
 緊張と面白さ、本当に面白かった。単純なストリー、貧乏な受験浪人の学生が豪華な邸宅へ家庭教師に入る。そこから家族ぐるみでお手伝いさんや運転手など、職業を通してその高級な生活環境に入り込む。半地下に住む家族が金持ちの一家にたかるようにしてその豪邸に入り込み、結果的に殺し合いになる。ストリーはゆっくり進む。視聴者が予想することが外れる。探偵映画のように進行するのではない。面白さは最後まで続く。持続的に集中するようになる。その点で監督自ら書かれたという脚本の価値が高いと言える。
家庭教師を長くやったことのある私も貧富の差を強く感じた。ソウル市内の富家で家庭教師、貧富の差を実感した。この映画は実話のような半地下生活を送る場面などリアルな点、シーンが変わり、展開されるスペッタクルの映像、感動しながらついて行く。疑問に解答が出るのではなく、疑問から疑問への連続。格差社会の韓国での最上層に最下層が寄生していく。ある意味で社会階層の調和と葛藤が描かれている。純粋で正直な上層の人は寄生虫に喰われやすい。高位権力者に吸血する寄生虫が付く。この映画では貧困な人は悪賢い知恵がある。善悪の対立のストリー勧善懲悪の古臭い小説ではない。
そこには中間層が存在しない。韓国の格差社会をクローズアップしている。韓国の格差社会の問題点が次々と出している。貧富の格差を宣伝するのかと思われる懸念もある。為政者たちは大賞に酔っている。彼らは作品を鑑賞するより受賞宴を満喫しているのではないだろうか。一方アカデミー賞自体が社会主義宣伝媒体であり、受賞を非難する人も多いが映画は創意と表現の芸術で見てよいのではないかと思う。
私が観る多くの韓ドラは、面白く見ても、失望する。何時ものパターン、交通事故、赤ちゃんのとり違えなど、そして結末は無理なハッピーエンディングなど決まったスタイルを、いつ脱皮するのだろうかと思っている。この作品もその類かと反信半疑で見た。しかしそれをはるかに超え、異なっていた。この映画は創意と挑戦に溢れる。世襲、子役、人脈から成り立っている日本とは対照的で映画演劇学科の多い韓国の実力でもあろう。


生け花は仏花と違う

2020年02月23日 06時13分57秒 | 日記

 ある市民講座の女性が近着いて下関「らく-ざ」の講師としてなぜ出ないのかと不満そうな表情をした。「落とされた」と笑って答えた。3.1記念日になぜ参加しないのかと言われた時も同様な表情だった。よく付き合ったメディア、親しい同僚などが離れていく。人事異動の送別の集まりにもコロナ脅威で不参加、引きこもりになっていく気がする。
 日本社会の引きこもり現象を否定的に批判している私がそうなりそうである。今日は定年退職した隣の教会の牧師が講師として説教をする。昨日久しぶりに花屋によって若干花を買い、教会の庭の枝を加え壇上に生けた。キリスト教では花の飾りは要らないと否定的な人もいる。


乗客が少なく、幸い(?)

2020年02月22日 06時04分50秒 | エッセイ

韓国映画の名誉ある受賞に非難も多い。私の中高の同級生、アメリカに留学して成功し富裕層になった人から私の称賛記事にSNSで非難してきた。またトランプ大統領も似たことを言った(写真)。貧困層家が富裕層家の人を殺すのは競争・能力主義を非難するということへの批判だろう。一方弱者と共存し調和すべき社会主義とも両立すべきである。よく考えて欲しい。
 しかし映画を鑑賞する教養も必要である。さらに賞という意味も正しく考えるべきである。受賞して称賛されるばかりではない。反対にバッシングされることもある。映画は映画芸術である。
 昨日韓国を往来する商人と会って新型コロナの話し、フェリー往来では日韓関係の悪化により乗客が少なく、幸い(?)という(笑)。数日前KBSニュース女性キャスターが「韓国は安定しているのに日本はなぜ人が続々死んだりするか」と皮肉ぽく言ったが、昨日韓国大邱の教会で集団的な感染者が出て大きい衝撃を受けられている。誰でも病気医療に謙虚な態勢が必要である。豪華船が疫病船になったというのも大きいメッセージである。


「桜の招待争論」

2020年02月21日 05時48分13秒 | エッセイ

 「桜の花見にいってきましたか」と言われて私曰く「まだ早い」と。座中が笑った。「あぁあぁ」国会の話か。下関から大勢の安倍派が多く呼ばれたのにという意味である。残念ながら下関地元派には入っていない。排外されているのに私が安倍派、右翼と思われていたのか。それにしても「桜の招待争論」はもう止めて欲しい。美しい桜、日本の花見文化を汚さないで欲しい。イギリスでは華麗なクルーズ船が「疫病船」となって残念だと書いている。


カンボジア

2020年02月20日 05時36分10秒 | エッセイ

 友人の権藤博志氏(写真)が訪ねて来た。私は自宅着のガウン姿で談話をした。私とほぼ同年輩の彼が一週間カンボジアへ撮影旅行に行ってこられた話を聞いた。『クメールの笑顔 : ・アンコール・ワット写真集 』著者の剣持研治氏が中心に日韓親善協会の友松氏などの奉仕活動の撮影のために行った話。30度の暑さ続きの中、元気でクルーズ船ウェルスタム号のシアヌークビル港停泊やアンコール・ワットなども見たという。
 ポルポト政権による犠牲者を中心に、彼らは18年間、井戸掘りや生活環境改善のために奉仕活動を続けてきているとのことである。その成果の映像を30分でまとめるという。自分で生きるだけでも大変な時、それでも他人のために奉仕したいという心はどこから出るのか、質問したい。市民に講演と映像鑑賞会を行いたい。
 昨日ダイヤモンドプリンセスから下船した人に「辛かったでしょう」という質問に「いや、それなりに楽に暮らした」と応えた人がおられた。そのポジティブな生き方を学びたい。

 


免疫

2020年02月19日 06時42分43秒 | 日記

 下関では一番寒い時、コロナ危機の厳重な時に定期健診、良好であった。しかし主治医は肺に傷のある私のような人間が一番注意すべきだという。ただ私は多くの病気の中を生き抜いてきた免疫(?)を信じ、安心しようとしたい気持ちである。
 韓国DailyNewsの人口ウィルスというXiao氏の説を私から話題にしたら先生はスペイン、ソ連などでも作った歴史があり大変なことだという博識。私はフェークニュースと信じたいと。今度の新型ウィルスで医療のレベルと対策の国際競争のようになった。日本が中国の次の第2の危険国になったようである。それはクルーズ船からの初めての体験、負担であって困ったことであるが、今後生かされることを望む。


「日本には冬がない」

2020年02月18日 05時53分03秒 | 日記

 下関にも雪が降るという予報に期待したが、まだ降っていない。257年前、同じ一行の二人の通信使が書いた日記が残っている。「日本には冬がない」という。一人は、私が住んでいる美しい海峡の景色を見て「美しいが私たちの土地ではないのが残念である」と記している。今もそう思う人が多い。「国」を以て葛藤している。
 시모노세키에 눈이 내릴 것이라는 예보에 기대했으나 아직 내리지 않았다. 257년전 이곳에 온 통신사가 쓴 일기를 읽는다. 일본에는 겨울이 없다고 한다. 같은 일행의 두 사람이 쓴 일기가 남아 있다. 대조적이다. 한 사람은 내가 살고 있는 아름다운 경치를 보고 아름답지만 우리 땅이 아니라고 실망한다. 지금도 그런 사람이 많다. <나라>를 두고 갈등하고 있다.  


韓国籍の人たち

2020年02月17日 05時57分49秒 | エッセイ

新型ウイルス対策で国籍が優先されている。住んでいる国を前提に国籍を把握して対策を立てている。クルーズ船に乗っ旅客を国籍別に帰国させ始めようとする。韓国籍の14人の中、韓国への帰国に11人が断ったという。居住地が日本である韓国人は韓国には帰りたくないという。北朝鮮は徹底した閉鎖を実施している。日本は伝染病対策と同時に、人権問題や経済を総合的に対策実施している途中、難しい境遇に置かれている。日本人は日本が世界で一番衛生的な国だと思っていたが今は大変困っている。*写真は無関係、ゴムの木の花