崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

英語学習の玩具Kindle

2019年01月31日 06時27分37秒 | エッセイ

 コンピューターなどが好きである。1960年頃、先生のインタービュー調査のテープレコーダーの採録起こしから始まった。短期間ではあるがタイプライターを教えたことから、ハングルタイプライターへ、そしてコンピューターへ、時代が代わるごとに私の器械も変わってきた。アメリカ旅行の時Kindleを購入したのはかはり古い、故障になり、新しく購入した。同僚の鵜澤教授の勧めによりキンドルを新しく購入した。私は説明書も読まず間違っても打つことから始まる。昨日彼の説明は丁寧で分かり易く、文字サイズの調節をしてくれた。
 私には英語学習の玩具である。まず英語の古典小説、「War and Peace(戦争と平和)
」「Bible」「Gone with wind」などを購入して、主にベッドに入ってから楽しむ。難しい単語には「Word Wise」で簡単な同義語が表示される。「人物」「トピック」「画像」の分類など機能が多い。簡単に注釈を確認する。外国語の本を簡易翻訳する機能もあるそうである。先端文明を楽しんでいる。


「在日に、共生のために」

2019年01月30日 05時40分12秒 | エッセイ

 年度末に近くなり、振り返ってみる。「韓国文化論」「ワンアジア共同体」講義などで学生と市民に韓国について多く語り、論じた。日韓関係は悪いといわれる。韓国では日本嫌い、日本無視が造成されていくようである。国際化、グローバリゼーションに逆行する。日本で私は知人、付き合っている人とその状況とは変わらず平坦に暮らしている。日本を愛するから韓国を嫌う論理はない。
 「在日」は日本に住みついていながら日本を嫌うのはなぜだろう。とても残念なことである。韓国で私に日本通になろう、日本が好きだと言い、日本で職を求めた人がいた。私はそれを尊重して職を推薦した。しかし彼は日本で反日的に暮らし、定年して帰国している。今彼が私を敵対視している中心人物であることが分かった。日本でどう生きるべきか。私は在日に「共生」を訴える。

在日に、共生のために」崔吉城(東洋経済日報、2019.1.25)

 私が勤めている大学は少子高齢化の中でも留学生が増えて、国際化の雰囲気が溢れている。「アジア共同体」講義では八カ国のアジアの学生たちと楽しい講義、そして感想も多く出してくれる。それはユーチューブとSNSにも紹介している。留学生を迎え、良い教育ができると大変満足している。昔私も苦学留学の経験があり、留学生たちに強く親近感を持っている。
当時私は研究に専念し母国で教育に携わりたいという思いで帰国した。しかし、韓国では反日感情が強く苦労した。その話は既に多く触れてきたが、その中に美談のような話もある。当時、私は日本語が全くできなかったが、英語で助けてくれた友人である駒沢大学の名誉教授、白水繫彦氏を忘れることができない。彼はその後アメリカへ留学、今国際的に活躍くしてしている大学者である。先日彼の顔をBSTBSテレビで見た。
 日本人のハワイ移民の話、美空ひばりの歌を中心に作られた番組でハワイに移民した日本人がマイノリティでありながらアメリカ社会で努力し、中流階層までなったと述べておられた。その言葉が私の脳裏にインプットされた。多文化・多民族社会の中で「共生」が求められている在日が思い浮かんだ。
日本で3,4世なっても在日韓国・朝鮮人はどうだろうか。つまり日本社会での「共生」の様子、質はどうであろうか。在中朝鮮族とも対照的である。中国の朝鮮族の指導的学者の延辺大学の故朴昌昱教授、故鄭判龍教授から韓国人の反日を批判する話を聞いたことを思い出す。中国の朝鮮族は中国をウリナラ(我が国)と言う。朝鮮民族を愛しながらも中国を「我が国」として愛しているという。それは一般的でもある。それは日本の在日韓国人とは相異なるのである。
先日中国の朝鮮族の教授が下関の東亜大学に来られ講義したが、やはり中国をカーバーし、賛美宣伝する感じだった。在日とは大きく異なる。在日の反日感情、日本を「我が国」と思う人はいないだろう。中国の朝鮮族の研究者は民族としてアイデンティティ(民族的自覚、同胞意識)を以て愛国心を語る。彼らは中国や韓国に味方する。しかし一般的に在日韓国人は日本に対しては国家としてアイデンティティを持たない。
日本は少子高齢化でシャッターダウンに対処するよう入管法が改正され、労働者を受け入れるような新移民法が実行されそうである。元東京都知事の舛添要一氏は『文芸春秋』2月号で「人手不足と言いますが、安易に外国人の労働力に頼ってよいのでしょうか」と述べている。女性、高齢者などが働けるようにすべきであるという。同感である。
人手不足を埋めるための立法化ではないかと疑問ももっている。一緒に住み、働くだけで「共生」とはいえない。国民としてアイデンティティと文化を共有しなければならない。高齢少子化も一つの先進化現象である。北欧のように人口が少なくても社会福祉が良い社会にするのも自然な国家の生きる道であろう。 


「神様の意」

2019年01月29日 06時11分17秒 | エッセイ

 市役所のフローラで堀晃氏の遺作展という新聞地域欄を見て昨日寄った。彼が生前寄付した大型の魚の絵、海岸の海の絵の2点だけ、それも常においてあるものである。彼の死去については私がブログなどSNSで報じたことがある。読者はただの受け身ではない。情報発信の主体になる時代に来ている。今若い世代はネットで早く情報を得て直接コミュニケーショができる。私も朝早くネット上ヤーフ、グーグル、ネバー、ツイター、ネット新聞などでニュース、評論を読み終わって後に朝刊、テレビの順に情報を得る、その時はすでに旧聞になる。若者が新聞を読まないのは理解できる。
 昨日70年代から日韓を往来しながら牧会してきた金鐘武牧師と教会をめぐる回顧談が出来た。彼はある教会を活発に復興させている中、定年を迎えた。その消失感、戸惑い感を隠せない。私はその面で先輩であり、私の体験談が少しでも慰労になればという思いだった。私の入信体験には牧師ご夫妻は驚く表情、私が慰められた。どうしてこのように生きて来たのかという自問に彼は言った。「神様の意」であると。


父が息子の説教を聞く

2019年01月28日 06時40分10秒 | エッセイ

 いつの間にか起床時の習慣は我が家の高齢愛犬のミミを抱合して、お水を飲ませて上げることから始まる。それが私の最小限の愛情行為、ミミが生きているだけで感謝である。昨日三代牧師家系の家族と礼拝を共にした。息子の説教で父親が感動して挨拶の言葉を述べた。私も感動し、拍手をしたが他の人たちはシーンとしていた。なぜだろう。息子の自慢話と聞こえたのかも知れない。韓国では二代、三代続きの牧師の件で問題になることがあるが、日本では牧師という業種が難しく、希望者が少ない中において私は嬉しい。父が息子の説教を聞くのは異様に感じた人がいたようである。しかし私の教授生活では普通であること。教え子の発表などに参加することは多い。教え子から教えてもらうことは常である。さらに言うと育てた子供に依存するのは人間の生き方の一般的な仕組みであることを知らなければならない。kindleを購入して、最初に買ったのはBibleである。その真理を読み考える。


「東アジアの暦」

2019年01月27日 06時36分31秒 | 日記

 昨日風雪の中、撮影で世話になった権藤氏夫妻と昼食。楽しい時間であった。しかし健康に関する話から突然、死の話になった。老夫婦の話。妻が先に死ぬと夫は必ず3年以内に死ぬ、夫が先に死ぬと妻は長生きするという。特に私のように妻の看護、介護で延命するような人間にとっては3年も持たないと感じた。悲惨な話であるが、今死より生を考えなければならない。帰宅してから大坂ナオミの試合が気になった。結局彼女を応援した。韓国からまた親日といわれるだろうか、純粋な黒人女性、素直な表現、正直な投げ方が好き。


 韓国の李永松先生夫妻からちょっと遅れて届いた「年賀新年」、否早すぎるものである。旧正を前にしたものであり、うれしい。㋁5日東亜大学で中国、ベトナムなどからの留学生のために旧正祝い会を企画している。同僚の金田晉教授がレクチャーをするという。彼は旧正と新正を併用することを主張し、全国紙にも報じられている。本欄でも紹介したことがある。私は以前山口大学で「東アジアの暦」に関して講演し、論文として発表したこともあり、日本にある「年号」「紀年」は北朝鮮、台湾などにもあるが、日本は新暦の文化が定着して脱アジア的である。


「日本は良い国」

2019年01月26日 06時48分44秒 | 講義

 韓国から40数名の高校生と校長らが来校した。私は一言歓迎の言葉を語った。日韓関係が最悪とは言われても民間交流は良くなっていくという趣旨、外国・日本に初めてきたという学生もいて、私は長く住んでいて「日本は良い国」だと言った。その良いところを見てくれと言った。今回の日本旅行は無事に楽しいものであって欲しい。
 権藤氏が講義の映像記録のDVDを持ってこられ、研究室でワンアジア講義の反省会のようになった。内容も地域も多様、講義方式が様々だと、これから結果報告書を書くための意見交換になった。副学長の鵜澤先生が車で送ってくださり帰宅した。マンションの入り口の反対側を通り過ぎ回転してきてエレベーターの前まで丁寧に安全に届けてくださり、彼のやさしさを再認識、大変恐縮、感謝。
 


「地上の楽園」呉文子氏寄稿

2019年01月25日 05時44分08秒 | エッセイ

 植民地と戦争の後にも日本人は「正直、勤勉」だという評判を残した。今の日韓の不和の件でも日本が正直であると信じられるか。必ずしもそうではない。最近の政治家の言動、裁判などから日本の正直さの信頼性はかなり失われた感がある。
 植民地から解放、独立しても不幸な状況にある国は多い。アフリカの多くの国の紛争、ポルポト政権、北朝鮮政権などは不幸な状況にある。呉文子氏にが「東洋経済日報」(2019.1.18)に寄稿した文がある。
 彼女は1959
12月14日北朝鮮へ出航する新潟港前夜祭のステージで「地上の楽園を熱唱した。生活苦と辛酸をなめた日本を後に、祖国に希望に満ちた帰国であった。「共和国万歳!あれは見てはならな い悪夢だったのだろうか」。呉氏のお父さんは1962年『楽園の夢破れて』を出版した。誹謗中傷に耐えながらも、闘ったという。絶対悪といわれる植民地から解放され残虐極まりない暴政に苦しむ国は多い。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%A8%E6%97%A5%E...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


復讐しないで

2019年01月24日 05時50分04秒 | エッセイ

 人間関係では愛と裏切り、そして憎しみへ延長する場合が多い。政治や宗教で葛藤と戦争の長く多い地域、イェルサレム、シリアなどではそのようなことは多かったのではないだろうか。その中でイエスはキリスト教を通して多くの名言や知恵を語った。「あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ります」(ヨハネ13-21)と弟子や友人の中に必ず裏切るものがいるといい、「復讐しないで」と言った。人間の感情を無視した逆説である。情と知を合わせて考えなければならない。
 その難題が私自身にも起きる。私は韓国のメディアからバッシングされるにあたり、最近ある個人名が浮上した。彼は「あなたがたのうちのひとり」である。親しく、私が職を紹介して上げた人であり、驚き、恥ずかしい。しかしここに書いて置きたい。恐らく多くの人が経験することだと思うからである。裏切感情とは自分が正しいという前提に立っているのだと思われる。「復讐しない」という聖句が理解できそうである。


話はまだ終わっていない

2019年01月23日 05時44分32秒 | エッセイ

 丸二日間過去の回想の時であった。60,70年代の話を夢中でした。東大名誉教授の伊藤亜人氏との時間、別れる時はとても寂しかった。彼とは泉靖一先生と李杜鉉先生の友人関係から始まったもう一つの友人である。戦前、秋葉先生が我が故郷、楊州の巫俗、仮面劇などの研究に関わった。任晳宰先生が戦後仮面劇を調査、そして李杜鉉先生の仮面劇研究へ私が同行し、私は巫俗研究をし始め、張籌根先生との共同調査になり、このようにしてソウル大学の師範大学が植民地研究を継承するようになり、韓国文化人類学会の中心メンバーなった。

 2代目の会長の梁在淵先生と私が全国民俗調査団構成の件で批判される時、私は日本留学をし、その数年後梁先生は亡くなられた。そして植民地からの継承の文化人類学の師範大学主導から文理大学の「人類学科」中心になっていったのである。一方ソウル大への反人類学も郷土愛、民族主義的な地方中心の民俗学が国家のナショナリズムを背景に盛んになっている。伊藤氏は李杜鉉先生に韓国語を学び、71年私と会った以後のことの話が延々と続き、彼はメモを取りながら説明を加えたり、求めたりしながら質問を続けた。私は自分の過去の失敗のこともしながら含めて語り続けた。まだ終わっていない、続けたい。門司、功山寺、和布刈神社などを案内したが二人には景色観光は二の次であった。また語り、公表したい。


伊藤亜人「東アジアの課題」

2019年01月22日 05時50分20秒 | 講義

「冬のソナタ」期を除いて日韓関係が悪いのが常態である。それは政権を営む人間の質による。しかし長期的な視野からみると日韓関係は友好的な方向に進展していると思う。以前に早朝の四時帯の深夜のラジオの放送で伊藤亜人氏が話すのを聞いたことを思い出す。私が一九七一年韓国で初めて会った日本人の研究者であり、友人である。日本語を知らない留学時、大変お世話になった方である。昨日ワンアジア共同体の講義をしていただいた。私には感無量な時間であった。
 彼の調査地である韓国珍島、天童よしみの歌にも歌われるところからの話、70年代の韓国の現実を基に韓国を理解していく。少数民族が全くない単一民族として多民族との共生の経験のない韓国が今多民族共生の体験、民主化、キリスト教化、民族主義の強い国でありながら人々は海外へ進出している。北朝鮮は植民地時代から開発された産業を基礎に技術開発などに尽力している。私は朝鮮半島の南北統一は社会主義と民主主義の混合、調和にはならないか、理想的には考えられないかと質問した。彼は否定的であった。東アジアを全体的に眺め、朝鮮半島に絞って、新鮮かつ刺激豊富な内容であった。講義中受講者から3回も拍手があり、公演会のような雰囲気で奨学金授与で今学期ワンアジア講義が全部終了した。

 


「たった一人の私の味方」

2019年01月20日 21時48分07秒 | エッセイ

 毎日のように韓ドラを見て楽しんでいるが突然感激の涙、久しぶりに泣いてしまった。どうしてだろうか。KBS週末ドラマ 「たった一人の私の味方」を、ただ俳優やタレントの演技力を楽しんでいた。
 母の認知症に親孝行の息子が妻と夫婦喧嘩、離婚の話。長男が怒って出した母に言った言葉、「お祖母さんはお父さんのお母おさん、私はお母さんの息子、だから母さんが認知症になってもお父さんと同じく施設には絶対送らないよ」と、その言葉と演技に感動した。母(写真)が息子の言葉に感動する演技は感動的あった。その感激、それが私にまで伝わってきた。それは演技力だけではない。親孝行の言葉であった。私にも儒教の孝の心があるようである。


「先進国」

2019年01月20日 06時52分04秒 | エッセイ

 家具店をブラブラしてみた。大きい空間に多くの家具が陳列されている。しかし客は数人しかいない。寂しく、経営者の立場を考えてしまう。シャッターダウン、少子高齢化の現象が現実である。その危機に対処するよう入管法が改正され、労働者を受け入れるような新移民法が実行される。私も日本に来て住んでいるが居住地を選ぶ基本権は尊重されるべきであると思う。そしてこの入管法が単なる人手不足を埋めるために取り入れたのではないことを願っている。
 元東京都知事の舛添要一氏は『文芸春秋』2月号で「人手不足と言いますが、安易に外国人の労働力に頼ってよいのでしょうか」と述べている。同感である。女性、知能、高齢者などが働けるようにすべきであるという。日本は後進国から明治維新「先進国」へ発展してきた。先進国とは文字通り経済だけの「先進」ではない。高齢少子化も先進すべきである。北欧のように人口が少なくても社会福祉が良い社会になるのも自然な国家の生きる道であろう。


戦争トラウマ

2019年01月19日 06時26分39秒 | 日記

 車窓から偶然4機のジェット機の低空飛行を見て、戦争かと一瞬驚いた。戦争トラウマが潜在していると知った。日韓関係が最悪、戦争を想定する人もいる。防衛上照射が問題になっている。専門的なことは知らない、ただ日韓どちらが正直であろうか。その点では日本が有利であろう。戦前から日本人は「正直、勤勉」と言われてきた長い歴史もある。
 芸術専攻の学生さんたちの卒業作品展示会を見るために下関市立美術館に寄った。読書会のメンバーの古本氏も同行した。展示室では櫛田学長、平松教授ともお会い出来た。韓国などからの留学生の作品も含まれている。常設展示館では私が所長を務めている東亜大学東アジア文化研究所の所蔵の絵はがきも展示されている。帰宅しソウルの友人と通話した。民俗学者たちの民族主義が日韓関係の悪化に乗っているという話だった。


エスペラント語

2019年01月18日 05時52分15秒 | エッセイ

 私は外国語として英語と日本語は負担であり、魅力も感じている。昨日山田寛人氏が来られ、エスペラント語が話題になった。私はもう一つの外国語として負担を感じながら傾聴した。1912年に生まれて消えずに、いまだに存続するということは生命力のある人工語であると思った。民族間の言語壁を超えるという長点がある。ネイティブがあって外国語があり、言葉への優越や劣等の感がないという。しかし誰もネイティブから外国語にぶつかり合うのである。私にはどうしてもブロークン英語の言語世界のように思われる。外国語の障壁を超えてコミュニケーションの広さは理解できても言語が文化であることへの配慮はどうなっているのか、延々と疑問が出た。私が新しく挑戦するには、やはり遅すぎ。
 


「司法尊重」乱れ

2019年01月17日 05時11分32秒 | エッセイ
 昨日韓国から縁の深い二人のお客さんが訪ねて来られ、長く話した。その話の中で日韓関係に触れた。日韓関係が最悪であってもそれは「政治家たちの言動」でしかないという。彼らは「名士招請」として私の講演が主催側から突然直前に取り消された件にも触れた。釜山の東亜大学校に抗議の電話をし、主導の学生に「崔先生はそんな人ではない」と抗議したら「情報を聞いて動いたのだ」といわれたという。それはある種の内部告発かも知れないが、私はそれより私を支持してくれた友愛に感謝し、嬉しかった。かなり前にテレビでバッシングでがあった時は世明大学校の教授、教え子金弼東氏がテレビ局に抗議してくれたことを思い出した。
 「司法尊重」であれば、1965年日韓「条約」、2015年の日韓「合意」なども守るべきであろう。韓国だけではない。日本のゴーン氏の拘留、フランスの竹田氏問題など司法が社会を安定させるのではなく、むしろ混乱させている。沖縄が地方優先を主張し、国家を越えようとする。司法が国家を越えることは正義という価値を尊重するようであるが、地方が国家を越え、司法が国家を越え、社会を混乱させることになる。国民国家の存在自体を危くすることになり世界の秩序を混乱させることになる。