崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

映画「楢山節」

2013年06月30日 06時11分51秒 | エッセイ
 昨日東亜大学開かれた絹代塾で映画「楢山節」を上映した。40人ほどが参加した。信州の山村でまだ元気に働くおりんが70歳の冬に息子に背負われ楢山へ捨て置かれるという、山に捨てられる老婆とその息子の心の葛藤を描いた人間ドラマである。映画を見てから田中絹代メモリアル記念館の理事長である平井愛山氏の講演があり、国の大きい負担となる少子化と高齢化社会の問題を指摘しながら糖尿病が重症化して人工透析をすることによる莫大な医療費がかかることを前提に糖尿病を重症化しないために、主に減塩(stop salt)をすすめる取り組みを紹介するものでとてもわかりやすかった。
 高齢者は非生産者の消費者であり、さらに医療費が掛る。無駄な医療行為をせず、「さっさと死ね」という風潮と発言を考えさせる企画であった。若者から見て老人は負担のように、あるいは老人差別をする人も多いが、彼ら自身がいつの間にかその老人になることを考えてほしい。姥を捨てた背負い子を持って帰ったその息子もそれに乗せられ捨てられる共通の運命を映画のメッセージを深く考えさせられた。韓国では古くからこの伝説があり、1963年「高麗葬」として映画化され東京国際映画祭などで上映された。この映画は日韓を超えて高齢化の先進国へ大きいメッセージを発信している。
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メーキングフレンド(making friend)

2013年06月29日 05時20分58秒 | エッセイ
昨日帰宅の時、道端のコンクリートの壁に美しい、ブーゲンベリアと朝顔の花が満開した情景に立ち留まって写真を撮った。そこを通る時、その家主を見かけると必ず話かけたが昨日は見当たらなかった。彼はその場にいても私が歩いてくるのを気にしながらも知らんふりをする。私が「美しい、素晴らしい」というと満足そうに微笑を見せる。昨年、寒さで枯れた時はそれを話題にして立ち話は結構長かった。友達になった感がする。否、私からは友達を得たような気分である。英語ではメーキングフレンズ(making friends)つまり私としては「友達を作る」という積極的な行動であったのである。
 韓国の旧友の姜信杓氏夫婦が下関に遊びに来ると言う。彼は有名な人類学者で1960年代からの友人であり、今は釜山近くの金海の仁済大学の名誉教授(?)をしてその辺に住んでいる。私は彼を京都の国際日本文化研究センタの所長の河合氏に紹介し彼は客員教授になったこともあり、広島の我が家まで夫婦が来られたこともある。旧友との交流は英語のメーキングフレンズとは違うだろう。しかし英語の「making friend」とは新しく隣人になったのは友達性が低く、古い友人をリメークすることが大事であると言っている文があった。私のブログやフェースブックにコメントを良く書いてくれる面識のない二人が居られる。朴正人と堀光伸の両氏である。彼らは時々私を批評・非難する文も書いたが、耳を傾ける内容も多く、私は続けて対応して返答をするなど文通をしてきた。昨日朴正人氏から「これからもすばらしい文章を期待します。カンサンニダ」という言葉をいただいた。堀氏とはお中元の交換をしたのである。
 高齢、長寿の今の時代には寝たきりの方も多い。それは老弱者だけの話ではない。若く健康な人でも「寝たきり式」の生き方をしている人は多い。メーキングフレンズとは程遠い、社会活動、文化活動も一切せずただ食べて生きる「寝たきり式」の人にメーキングフレンズを勧めたい。 
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プマシ

2013年06月28日 04時49分02秒 | エッセイ
 朝、家内が犬を連れて散歩に出る時ちょっとした手伝い、ゴミ捨てに行った。そこである老女が居て我らがごみ袋をもって外に出る時我が愛犬のミミちゃんを抱いて待っていてくれた。家内は面識のない人が親切にしてくれると言った。しかし彼女は我等を記憶していると言う。いつだったか、かなり前にマンションが停電した時、階段を歩いて登る時途中で彼女が荷物を持って休んでいた。家内が彼女の荷物を持って一緒に歩いてあげたことを覚えていてくれた。ほんの小さいことで忘れていても相手がしっかり覚えていてくれることがある。教育では小さい話が大きい効果を出すことが多い。しかし多くはやってあげても相手からかって来ることはあまり期待出来ないのが一般的である。そのバランスを取るのは難しい。韓国語でプマシということばがある。やった分は貰える。その分相手へ返すという単純な法則がある。その法則とは緩やかなもので物物交換のようなものではない。
 私は母からほんとうに無限な愛情をいただいたが返さなかった。それを広く考えてみると人間関係の失敗部分の大部分は人からの恩を返せなかったことであると反省している。私の教え子に二つのタイプがある。一つはA女(男)は私が忘れたことにも感謝している。B女(男)はやってあげても当然のように考えて感謝を見せたことはない。このようなことは孝行と不孝とか、恩と不恩などのアンバランスの関係であろう。普通の人間関係や社会関係もこの延長線で言えるものが多い。いろいろな行事を主催をすると主催側が集客に神経を使って言うことを聞く。そんなことを言っている人は他人の主催の処に参加することはないか、少ない。明日「絹代塾」で医学博士平井愛山先生が名画「楢山節」を見せながら講演をする。プマシではないが振るって参加をお待ちしている。
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朝鮮総督府の文書課長の西洋視察記

2013年06月27日 04時52分59秒 | エッセイ
 「朝鮮読書会」で1920年頃朝鮮総督府の文書課長安部直夫氏のアメリカ、イギリス、フランス、スイス、イタリアなどの視察文「欧米所感」を読んだ。カリフォニアとニューヨークでは車が多く、右通行と綺麗な国という印象から農村振興の状況について4H運動やクラブによって組織的に行うこと、イギリスでは紳士が教育される合宿と討論会による教育システム、全国土がほぼ耕作が出来るフランスの農業国的な特徴を表す短文を読んで今盛んな観光旅行とは何かを反省せざるを得ない。楽な贅沢な観光旅行とは程遠い視察式観光へ、観光を根本的に直すべきかもしれない。つまりショーウィンドーを見に歩くような世界観光は浪費に過ぎない。ある団体観光客に何処を廻って来たかと質問したらガイドさんを呼んで聞いていた。こんな無駄な観光が盛んである。今日私は「観光人類学」の講義を行うために心構える。(写真は私の部屋の窓から撮った豪華船)
 昨日朝の講演では指導者の真面目さを語り、続いて読書会では質高い官吏に注目したことになる。イギリス植民地の官吏に比べて日本の総督府官吏の質は相当劣っていると思われているが、この視察文を読んで総督府の官吏のレベルの高さを一気に感じた。しかしある研究者は国費による調査に行っても外には出ずホテルで過ごし、帰国してからは良文(?)を書いている。中には反省すべき研究者も多い。読書会のメンバーたちと昼食をとって歩いて帰宅したら長周新聞が届いていた。竹下一氏の記事、先週土曜日の私の講演した内容を全部細かく記録した長文が載っている。昨日は3回ほど真面目な偉い人との出会いがあった気がした。全文を順次載せる。
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早朝学習

2013年06月26日 05時17分06秒 | エッセイ
 今朝倫理法人会の経営者モーニングセミナーに行ってスピーチをした。会場に朝5時半まで到着して朝礼の様子を見て、6時から7時までの時間に「なぜ韓国経済は発展したか」をテーマにして話をした。参加者は二十数名、半分は顔を知っている方であり、気楽ではあるが、以前何処かで話した同じ話にならないように新しい内容で語った。1970年代に朴正熙大統領が行ったセマウル運動は朴氏が植民地期に朝鮮総督府の農村振興運動に参加した体験からセマウル運動を行ったのではないかと私はヒントを得て、調査研究した話である。また私自身がセマウル指導者教育を受けてから肯定的に考えが変わったことなど私の経験を披露した。またインディアナ大学のジャネリー教授がサンスン財閥を調査して、日本の美容体操やエレベーターガールの訓練など日本式の経営方法を取り入れたということから日本の影響を語った。それについて最近、私が東洋経済日報へ寄稿した文が産経新聞に紹介され、韓国ではセマウルの日本起源という不快感を持つ人が多くいるということにも触れた。
 朴大統領の真面目さと信念のある指導者の精神について触れた。大統領の経済秘書であった金ジョンリョン氏は「早朝学習」者として有名だった。ここにも「早朝学習」に真面目な人が集まったという話になり、今日も朝早く雨の中を変わらず真面目な人ばかり集まったが、中には雨の所為か欠席した人もいるという。早起きは早く寝るというリズムでもあり、別に英雄的な話でもないが、真面目に実行する人とそうではない人との差は大きいであろう。セマウルでは早朝学習などが実行され、韓国の経済を発展させたのであろう。昨日セマウル記録文書がユネスコ世界遺産として指定されたというニュースが入ってきた。日本は世界の先進モデルになっていて、今衰退していくようである。早く持ち直してほしい。(写真は会員の串崎氏) 
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「女性の子宮は神聖である」

2013年06月25日 05時17分58秒 | エッセイ
今日は6.25、朝鮮戦争の勃発の日であることは既に書いたが、先日その私の証言を聞いた下関の女性人権運動家の山形順子氏が発言をした。戦争中の性暴行や売春の話について「女性の子宮は受け入れ、育てることしかできない」と発言をした。私は性暴行されても子宮は生まれてた命は育てる機能を持っており、その命は神聖であり、その子宮、女性の人権は神聖であると宣言して証言を閉じた。しかしそれは男性のものは汚い、危ないというニュアンスが残って残念だと思っている。男性の精子は神聖な命の種であるということを考えなければならない。若い時の性愛は命を誕生させるが、それ以上に人を愛する「愛巣」であることを意味する。
 戦争中の性の乱れは人間性の破壊であったが、中には立ち直った人もいた。子宮が神聖であるように男性器も神聖である。男性を性犯罪的に扱い、女性専用車両などを作るのは反社会的な現象であろう。互いに愛と命を尊重する陰陽の調和を考えて人権運動を行ってほしい。
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中国新聞文化部記者の伊東雅之氏のニュース記事

2013年06月24日 06時07分38秒 | エッセイ
作成者: 伊東 雅之さん

☀ニュース(뉴스)
朝鮮戦争を10歳の時に体験された崔吉城(チェ・ギルソン)・東亜大教授の講演「朝鮮戦争と私」が6月22日、下関市の同大であった(左写真)。いち少年の目を通して語られる朝鮮戦争は、我々の想像とは異なった側面も持ち、とても興味深い話だった。
幾つか挙げてみると...
☆開戦直後、東豆川(トンドゥチョン)==開戦まで南北を分けていた北緯38度線のすぐ南の町==近くの故郷からソウルを越え、南へ南へと避難したが、一度も北朝鮮兵を見ることはなかった。避難といっても、自分たちよりはるか南を猛スピードで進撃する北朝鮮軍の後を追うような奇妙な形の避難。結局、初めて見た兵士は、反撃して北進する国連軍だった。
☆故郷が再び北に占領された間、北を支持する青年たちに「金日成(キム・イルソン)将軍の歌」を覚えさせられ、木銃を担いで行進の練習もさせられた。北の手先となった人は、国連軍の再占領時に銃殺された。
☆北支援で参戦した中国義勇軍は、当初うわさに上った性暴力のような行為はなく、むしろソフトな感じがし、住民たちも徐々に親しみを持つようになった。駐屯中は私たちと遊ぶことも。兵士といっても15歳前後。何かいたずらをして泣かれたことがあり、その時は「なんて弱い兵隊だ」と思った。
☆性暴力がひどかったのは、むしろ国連軍側だった。地元の少女に対する英国軍兵士の行為は、今も記憶に残っている。などなど。
右写真は、「東亜大学東アジア文化研究所」での崔吉城教授。教授は所長も兼務されている。ここには韓国・朝鮮関連の書籍も多い。
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私の古い写真

2013年06月24日 05時04分38秒 | エッセイ
 昨日教会である二人の女性から私はいつも笑顔で平和な表情で不満がなく、怒ることはないでしょうと言われた。最近そのようなことが他の人からも指摘されたことがあって本当かなと思うようになった。しかし1980年セマウル指導者研修の40歳の私の古い写真を見つけたので、見ると私の顔の表情が暗く印象が悪い。ほんとうに私の表情は変わったと実感した。何故変わったのだろうか。
 昨日の朝9時半過ぎに我がマンションで火事の警報が鳴り、隣人などが避難態勢、消防署員が出頭するなど大騒ぎ、家内は素早く犬を抱いて、どこが出火場所かを確認しに出て誤報のようだと知らせてくれた。何を持って逃げるかも考えていたというが私は何も危機感を感じなかった。火事の警報に危機感を持たない私が危険ではないのか、反省している。私の平和な表情(?)は俗世を解脱した釈迦や仏に似つつあるわけではなく、単に鈍感になっていくだけではないのか心配になる。(写真はただ三日前中国新聞の伊東雅之氏が撮ってくれたもの)
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朝鮮戦争を語る

2013年06月23日 04時59分14秒 | エッセイ
昨日東亜大学で「朝鮮戦争を語る」という題で講演をした。日本、韓国を結ぶ会の主催で公開し、25人ほど集まった小人数の会であった。参加者全員の紹介とフリーディスカッションで幅広く議論することが出来た。私の話はただの証言ではなく、記憶の持ち方など戦争をめぐる平和観などを語った。皆さんから質問などによって気がついたことも多くあった。しかし小さい問題ではないことを話した。録音しておいた方が良かったのではないかと後で言われた。幸い、広島から中国新聞文化部の伊東雅之記者と、下関の長周新聞の竹下一記者が参加していたので記録した名文を期待するしかない。 
 私は朝鮮戦争を体験したのは38線近くの生まれ故郷で(地図の黒点)韓国の国軍以外に北朝鮮の人民軍、中国の支援軍、国連のUN軍の駐屯などによる村での被害と変化に関するものであった。宇部から参加された広島市立大学教授の堀研家族のコメントに下関ではこのような重要なイベントになぜ人が集まらないのかと言う言葉もあった。
 朝鮮戦争で私が関わった略年表は1950年6. 25.人民軍の南侵、6. 25 ー6. 26. 議政府戦闘、6. 28ー 7. 3. 漢江戦闘、9. 15. 仁川上陸、9. 28. ソウル復帰、10. 1. 国連軍, 38線突破、11. 5.中国・支援軍と交戦、12. 26.中国軍38線を超えて南へ、1951年1. 4.ソウル 占領‘1•4後退’、2. 10. 国連軍仁川へ、3. 14. 国連軍, ソウルへ、3. 24. 38線突破、東豆川などに米軍キャンプ駐屯である。私の北朝鮮の3か月間(1950年6月~9月)、中国支援軍の3カ月(1951年1月~3月)、国連軍の2カ月(3月~5月)の直接体験である。1951年ソウルの蓬莱国民学校5年生へ編入、母のいる故郷に帰省するたびに見聞したものである。
事例1)M女は(下の図)38線以北から難民として私の父を頼りに一家が朝鮮戦争勃発前に我が家に来られた家族の長女である。共産主義者の青年と村内で恋愛、北朝鮮の占領期間中に内務所に勤務し、韓国国軍に性暴行や拷問され、妹の一人は戦争中行方不明、もう一人は米軍相手の売春婦、西洋人の子供を産んで、母子共事故死、彼女の母と父の姉の伯母も売春婦になり、一家が売春家になって後に村を離れざるえなかった。
 事例2)のOX女は国連軍の性暴行から防衛のために売春婦を招いた時30余名の売春婦「洋カルボ」の中の一番歳上だった女性である。彼女は米軍キャンプが移動しても村に残り農民として定着して村人から還暦祝いなど受けて、死んで葬儀きまで済まされた。村人は戦時中は50歩100歩の体験をしたので恥ずかしい過去に拘らず差別もなく、暮らすことが出来た。これについては日本とは違うという意見が出た。
 事例3)のX母はソバ畑に陳した米軍キャンプに行って抗議して賠償してもらった物を売り大金持ちになった例である。村人は米軍とは常に付き合いの態勢をして、後には米軍の移動には反対をしたりしていた。
 最後に政治的な話に広がりそうな時、時間もかなり過ぎており、会を閉じた時には16時間半になっていた。会が終わっても研究室で話は続き、疲れも知らず全体で4時間かかった証言であった。これが最後の証言であろう。


FBから伊東雅之氏の文をシェアします。
近況アップデート

作成者: 伊東 雅之さん

☀ニュース(뉴스)
朝鮮戦争を10歳の時に体験された崔吉城(チェ・ギルソン)・東亜大教授の講演「朝鮮戦争と私」が6月22日、下関市の同大であった(左写真)。いち少年の目を通して語られる朝鮮戦争は、我々の想像とは異なった側面も持ち、とても興味深い話だった。
幾つか挙げてみると...
☆開戦直後、東豆川(トンドゥチョン)==開戦まで南北を分けていた北緯38度線のすぐ南の町==近くの故郷からソウルを越え、南へ南へと避難したが、一度も北朝鮮兵を見ることはなかった。避難といっても、自分たちよりはるか南を猛スピードで進撃する北朝鮮軍の後を追うような奇妙な形の避難。結局、初めて見た兵士は、反撃して北進する国連軍だった。
☆故郷が再び北に占領された間、北を支持する青年たちに「金日成(キム・イルソン)将軍の歌」を覚えさせられ、木銃を担いで行進の練習もさせられた。北の手先となった人は、国連軍の再占領時に銃殺された。
☆北支援で参戦した中国義勇軍は、当初うわさに上った性暴力のような行為はなく、むしろソフトな感じがし、住民たちも徐々に親しみを持つようになった。駐屯中は私たちと遊ぶことも。兵士といっても15歳前後。何かいたずらをして泣かれたことがあり、その時は「なんて弱い兵隊だ」と思った。
☆性暴力がひどかったのは、むしろ国連軍側だった。地元の少女に対する英国軍兵士の行為は、今も記憶に残っている。などなど。
右写真は、「東亜大学東アジア文化研究所」での崔吉城教授。教授は所長も兼務されている。ここには韓国・朝鮮関連の書籍も多い。
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小さい村の戦争話

2013年06月22日 05時20分55秒 | エッセイ
 韓国の寿城大学校の学生20人、引率は家内の旧同僚の金貞淑先生の一行が台風4号と一緒に大学を訪れてきた。歓迎式に参加して記念写真を撮った。金先生は式辞の中で自分の定年までは9年、その教授職を学生へ譲りたいと言った。「美人教授」が魅力を学生にアピールするほど韓国では教授職は名誉職であることを改めて感じた。日本に初めて来た学生たちに良い印象を残したいと思いながら、台風も気になった。しかし関係学科の学生、教職員達が温かく対応して、いい雰囲気で別れることができた。最近このような教職員達の誠意ある行動に大学の基礎が出来たと嬉しく思う。その心と心の関係がより深められ組織化、形式化して固まっていくことを願う。
 6月25日は、朝鮮戦争の勃発の日である、今日、韓国と日本を結ぶ会のメンバーたちに朝鮮戦争を語る。その戦争は国連軍、中国軍などが参戦した戦争であったが、私が語るのはその戦争の時の小さい村でのできごとである。戦争によるある家の物語りのような実話を話す。私は実はこの戦争の真実をもっと本質的に語るためにはノンフィクションや小説にしたいと思っている。その小さい村の話を披露し感想を聞かせていただけることを願っている。反戦も好戦もない、平凡な話であるが貴重な体験談の伝達になればと思っている。
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「食う」から文化へ

2013年06月21日 04時35分42秒 | エッセイ
 私の弁当の中には姉が味付けてきたツルニンジンを焼いたものが入っていた。それを食べたばかりで栄養学科の林辰己先生が日本の山で採った自然のツルニンジンの根っこを持って研究室にこられた(写真)。それを料理したものを味わってみた。日本のごぼう料理の味で韓国の味とは異なっていた。しかし、ツルニンジンを日本でも普及出来たらと思う。まず林先生が成分を調べるという。韓国では成分の分析結果も明らかになっている。ツルニンジンに食物繊維・炭水化物・ビタミンB・E、蛋白質、カルシウム、鉄分、サポニン、イヌリン、微量のアルカロイド、燐、アミノ酸などが含まれていているが、特に抗癌植物として注目さているという。その薬効は別にしても、一般常食品として普及することが出来るように願っている。
 林先生の科研の研究テーマと関連もあると思うが、日韓の食文化の開発としても面白い。私は好物でもあり、韓国の食文化として、韓国では高価な食品であるが日本ではほぼ知られていないものの食品化に加わえて研究し、共同研究のようになればと思う。韓国の加平の山村では6月タラの芽とツルニンジンなどの山菜祭も開かれ、そのチヂミが人気があるようである。日本のメニューになるためにはまず美味しい料理になるのが緊要である。それは海龍食品が担当すると言うので開発の組織が揃うことになる
 食品には栄養と味の2大要素がある。栄養学ではバランスのある栄養摂取が重要な課題であったようであるが、先進国では逆に節食など、あるいは薬効が注目されている。しかし味は食の芸的要素である。味は食欲を満足させる非文化的でありながら美しい雰囲気を一緒に食べる高級文化でもある。韓国語のことわざに「器より味である」といわれるが「味より器である」ともいえる。食うのに夢中の姿をみるとまだ先進文化(者)ではないことが分かる。「食う」から文化への開発が望ましい。
 
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悪文のエッセイ

2013年06月20日 04時04分13秒 | エッセイ
新しく本を企画している。福岡のある出版社から1年前に頼まれたのが進まず新しく動かそうとのことである。旅行エッセイストの小川裕司氏と相談した。そのために既刊のガイドブックを集めてみた。釜山のある処や物について紹介をしてからは歴史を遡って書いている書き方であることが分かった。昨日倉光氏が読書会で古都めぐり平壌の1920年代の紀行文を読んだ。難しい漢字語と古い高句麗の歴史を埋め込んで書いている。悪文だと思った。しかしその書き方は今の多くのガイドブックの書き方とほぼ同様であり、戒めも含め、大いに参考になった。
 今度書きたいガイドブックは教科書で読んだものやテレビで見たものを思い出すために観光するような、その場や物を確かめるような証明写真を撮るような本になってはいけないと思っている。物を見て、それがどう使われているか、人々の生活から考えるように書きたい。そのためには人々を観察し、インタビューをするという楽しい作業が始まらなければならない。ネット上の情報を書き埋めるような安易な本を作ってはいけない。古都めぐり式の紀行文のように書いてはいけない。福沢諭吉が見聞して『西洋事情』を書いたが、それを真似して兪吉濬のように知識や情報で埋め込んだ『西洋見聞記』のような書き方をしてはいけない。この短文に「いけない」のことばを繰り返して、恐縮ではあるが、私は上記のことを強調したい。
 読書会に名古屋の名物ういろうが差し入れられた。私は韓国から姉が持ってきた伝統的な餅を持って行った。餅を作ろうと努力する朴氏にサンプルという意味もあった。しかし彼はなぜか欠席であり、他のメンバーたちと試食した。評判は非常に良かった。日本でも普及させても良いという感を受けた。韓国の典型的な餅作りは「粉を蒸す」ことに才がある。それは稲作文化と粉文化の混合であると私は主張した。それについては第2回の「楽しい韓国文化論」で私の講話と朴氏の試作の時間を持ちたい。これから会員募集が始まる。参考までに内容は下記の如くである。

第2回「楽しい韓国文化論」
                         
山口県日韓親善協会連合会と東亜大学東アジア文化研究所が共催し、9月から始まる「楽しい韓国文化論」講座。今回は食文化を中心に行います。全7回の講座を開講し、現地研修旅行も実施予定。講師は東亜大学東アジア文化研究所所長の崔吉城が主に担当します。講座日程および概要は下記の通りである。

日 程    講 座 内 容
第1回 9/7 「明太子はどう生まれた」久間直樹(RKB北九州支社報道部長)映像と解説
第2回 9/14 「観光と食文化」李良姫(東亜大学教授)
第3回 10/5 「餅作り」朴仙容(海龍食品)
第4回 10/19 「焼き肉」崔吉城 
第5回 11/2 「キムチ作り」柳鐘美(東亜大学非常勤講師)
第6回 11/9 「味付海苔」映像と講義 崔吉城
第7回 11/16 「食事文化」奈良美香(梅光大学非常勤講師)
11/30-12/2 「板門店旅行」崔吉城か李良姫が同行 米軍キャンプで食事
 *第1回目は公開講座なので無料、第2回~第7回までの受講料6,000円(含資料代)
 講座時間 14:00~15:30
*申込み締切:平成25年8月20日
*申込み先:山口県日韓親善協会連合会
      下関市彦島福浦町2-23-11 TEL083-267-8884 FAX083-266-9328 担当:伊藤
*申込み方法:ハガキまたはFAXにて、住所・氏名・電話番号を記入の上申込み

 東亜大学東アジア文化研究所所長 崔吉城
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アメリカデイゴ

2013年06月19日 05時24分35秒 | エッセイ
 私の作業テーブルの横の窓際には昨年秋から熱帯花のブーゲンベリアが咲いている。温度と日光を調節すると年中、花をみることができる。季節感の少ない花である。朝の散歩では赤間神宮の前の広場でオレンジっぽい赤色のアメリカデイゴ(America梯梧)が咲いているのに眼が留まった(写真)。春の桜一色のような時期を過ぎて、そこにはこの夏の広場を飾る花が咲いていた。初夏にはアジサイ、野生のアザミなど花は多様化している。ソウルから来ている私の唯一近い親族の姉と甥を下関の市花のはまゆうの密集地の角島に案内した。花を見る季節ではなく、海と橋の風景を見ながらコーヒーを飲んで楽しんできた。
 ソウルから来て数日の間一緒に過ごしたが近い親族であっても考え方や習慣などが大きく異なっており外部の人であることを改めて感じた。甥は応接間の床をワックスを塗ってくれるなど手伝ってくれた。私はコンサルタントのように彼の事業のことを聞いてみた。彼は職種を変えながら多く失敗してきている分、ノウハウが多様であるのになぜ失敗するかに注意して聞いた。まず職種を変えることにより人に信頼されないのではないか思った。失敗の度に新しい協力者を探して協力を求めていることをきいて、私はまず「人を大事に」することをアドバイスした。もちろん彼は聞き耳を持たずで、「お金に人は付く」という信条を披露をした。60歳になっても彼は今も一つの事業を成功させようとしている。事業が成功し、金持ちになる夢を永遠にもって、成功を成し遂げようとする。成功を祈る。
 
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有難うございます

2013年06月18日 04時06分07秒 | エッセイ
写真は中村八重氏からの花
昨日は私の誕生日、朝食は韓国の祝いの習慣によりワカメスープを食べた。誕生日とは非常に私事ではあるが、「命」を大事にするという普遍的な価値観を表すものある。ブログやFBに書いてしまって多くの方からお祝いの文、電話、花(写真)、記念品などをいただき、恐縮している。そして心から感謝している。最近FBなどを通して誕生日のお知らせを受けても即お祝いのことばを発しなかった自分の鈍感さを考えると、申しわけない気持ちにもなる。いただいた祝辞のことばはほぼ「健康と活躍」であり、それは決まり文句のようであるが、いただくと新しく活きた言葉として励ましを感じます。ある人は「高齢の方とは思わなかった」とか、またある人は「活躍ぶり」をほめてくれた。またある人は娘の誕生日と同日であり、電話で祝ってくれた。弟子、出版社社長、言論社の新旧支局長と記者、国会議員、知人、友人、同僚、親戚、芸人などからのお祝いに感謝している。しかし一部の人には自分の片思いのような物足らなさも感じる。なぜは彼(女)は一言も言ってくれないのかという心が残る。こんな気持ちから人間関係がこじれてしまうかもしれない。ここに人間関係の重要な原理、愛する心の基礎の発見のような悟りも感じる。無言の方々の祝い(?)にも感謝すべきでしょう。
 お祝いの言葉を兼ねて新宿大久保のへィトスピーチについて聞かれた。、語源をまだ調べていないが、私はラブ・アゲイニスト・へイト(Love against Hate)を思い出す。人は愛しながらも一方では憎むこともあろう。へィトスピーチは同居する在日朝鮮人、ニューカマーなどに対する日本人のヘィト(憎悪)から起きた現象である。それは日韓関係のこじれによって起きたのであろう。戦争や危機の時、日韓の両民族の間で起きた悲劇的な事件、関東大震災と樺太での虐殺事件などが教訓である。愛憎の問題、愛の本質を考えてほしい。

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今日は私の誕生日

2013年06月17日 04時20分49秒 | エッセイ
 昨日も港へ、ソウルから姉とその息子を迎えに行ってきた。姉は80を超えている高齢者である。毎年この頃は必ず来る。私の誕生日を祝うためである。今日は私の73歳の誕生日である。昨日ソウルから姉が50キロを超える荷物を私の誕生日を祝うための食品を運んできた。餅、ワカメ、海苔、キムチ、ピーナッツ、キュウリ、コチュジャン、セリ、レタス、ごま油などである。毎年私の誕生日にはいろんな方々をお招きして自祝会を行ったが今年からは行わないことにした。ご迷惑をかけたくないからである。しかしこの日を覚えてくれる方々から誕生の前日の昨日まで既に多くお祝いの言葉などをいただいて恐縮、感謝している。教会の鄭牧師、韓国の元老牧師の金学道先生、後輩のソウル大学の名誉教授の趙ソンジェ氏、広島大学の名誉教授の山下彰一先生、小倉の写真作家の小川裕司氏、文学者の朴仙容氏、親戚の朴スヤ氏らからのメッセージなどの中から一つを紹介する。

 
崔吉城先生のご活躍ぶりには、頭が下がります。良くそれだけのエネルギーと行動力があるものだと、ものぐさの私共は、感心するやら驚いております。きっと、あらゆることが、特別のファイルに仕分けられていて、いつでもどこでも、さっと切り替えができる、効率的な仕組みが出来ているのでしょうね。どんな場面でも、むしろ前向きに、すぐ対応できるシステムが出来ているのでしょうから、整理の下手な私共には、羨ましい限りです。私共は、どこかで誰かに声を掛けられたりすると、途端に頭の中が混乱、種々なアポが頭をもたげてきて、次の行動までに、また時間がかかります。こんなことを繰り返しているので、仕事の方が後回しになり、2,3日、仕事が疎かになることさえあります。
今度お会いした時には、先生の処世訓を、しっかり聞かせて頂きたい、と考えております。よろしく、お願いいたします。(中略)6月16日山下彰一 
 
 姉は親族や古い知人の情報も運んできたが、中には我が故郷で朝鮮戦争の被害を大きく負った又従姉が亡くなったということもあった。悲しく、その戦争を回想した。そして姉と口を揃えて戦争談を語った。戦争の悲惨さや面白さについて私は姉より多く記憶している。姉は当時結婚年齢が近い処女ということで疎開していたからである。また私は10歳頃の好奇心の強い子供であったから積極的に戦争を観察したからであろう。今週土曜日(22日午後2時から)「朝鮮戦争と私」でそれを語る。小さい村での戦争物語りから大きいメッセージを語るつもりである。
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