崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

辺境地域とは

2006年02月28日 06時36分48秒 | エッセイ
 3月発行の『差別を生きる在日朝鮮人』に次ぐ「悲しいサハリン(仮題」の最終段階の執筆で忙しい。数年間、サハリンに関して考えていることは辺境地域ということである。モスクワから8千キロ、東京からみてもかなり離れている辺境の地域である。私の辺境への認識の変化は巨文島の研究からである。そこで辺鄙な離島であるが実は開放的な文化に出会ったからである。後にソ満国境の満州里、中国とベトナムの国境都市のランソンなどを歩いてみて、より強く辺境地域の特徴を知ることができた。サハリンの人々からも開放的な、国際感覚を教えられている。
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下関朝鮮学校の学芸会

2006年02月27日 07時10分13秒 | エッセイ
 昨日10時から下関朝鮮学校で行われた学芸会を参観した。今年5人の卒業生を出すという。これは少子化と在日の縮小化を象徴的に表す。しかし学芸会はすばらしく、活気に満ちていた。100%朝鮮語で行われた。隣に座っていた山口総連の委員長は学生が一人残っても今と同様の費用がかかっても頑張るという。彼らはこの学校を通して「在日を生きる」という基礎を作っている。その道は狭く険しいかもしれない。しかしその役割は大きい。日朝間の挟間で厳しい、惨めなことではなく、二重の文化を持っている素晴らしい橋渡しの役割がある。彼らには二重、三重の努力が必要であろう。それでもこの子供たちに期待している。
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続トリノオリンピック

2006年02月25日 06時47分29秒 | エッセイ
 日本のマスコミからトリノオリンピックで韓国が取ったメダル数はあまり報道しない。もちろん韓国でも同様である。そのようにスポーツは反日、反韓のナショナリズムが強い。しかし韓国は荒川が金メダルを取ったことにショックを受けているようである。スポーツがナショナリズムを強化するが、同時に競争の面白さをベースにしているので中止することはできない。つまりナショナリズムもゲームのように面白いと思う。
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トリノオリンピック

2006年02月24日 22時09分28秒 | エッセイ
 綱引きの中には綱の片方を固定して引っ張るものがある。短距離やマラソンなど相手と一緒に走るが、それは一人ずつ走った時間を計って勝負を決めてもいいはずである。人生で言えば一人で真面目に生きることが競争にもなるのである。スポーツは相手と競争するので面白さがあるということである。つまり競争がパフォーマンスになっていることを意味する。スポーツにおける競争を見ながら人生における相手とは何なのかと思うこのごろである。
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チーズといいながらシャッターを押す

2006年02月23日 07時25分00秒 | エッセイ
 チーズとかキムチといいながらカメラのシャッターを押す。このように私たちは日常的にいわば「やらせ」の写真を撮る。しかしドキュメンタリーではやらせは厳しく禁止している。それは全体が本当であるかが疑わしくなるからである。
 私は先日韓国で製作された古いドキュメンタリー映像記録を分析したものを発表した。結婚式を終えて馬に乗って別の場所に行った。しかし、そこには結婚式の時に使用したものと同様の屏風や敷物があることがあることを明らかにした。つまりやらせが見つかったのである。それで全体が疑わしくなった。極端に言うと劇映画はやらせである。しかし中に表現しようとする真実がある。だが記録映像は「そのまま」が真実である。そして記録すべてが真実であり、劇性を持っている。日常的に記録映像を見て私たちは記録性を借りた劇性に染まっていく。
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中国国籍鄭永善という女性の殺人

2006年02月21日 18時02分02秒 | エッセイ
 最近のマスコミで幼い園児を二人も殺した母親のことが報道されている。これは普通の殺人とは違った扱いをされている。日本人と結婚した中国人女性の犯罪であるということと、残酷なこの事件が起きた背景に何があったのか。もちろん何があっても人を殺すことは許されない事実である。これから詳しく知ることが出来るだろうが、今の段階では彼女が日本での生活に充分適応できていなかったという難しさを感ずる。周りの人々が彼女が何度か出していたそのサインに温かい視線を向け、カーバーしてあげるこという心使いや努力が足りなかったのではないかと心痛く思う。
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法輪さんの説法

2006年02月19日 10時17分08秒 | エッセイ
 ドイツで偶然に仏教の説法を聞いた。ポーズの長い話が感動的に始まった。西山か東山かの論争はたんなる立場による違いであり、事物の本質とは関係がないとい趣旨の説法だ。仏教ではそれを“空”という。木切れは「タダの木」であるが、それが形を変えて十字架になり、仏像にもなる。しかし人間はものに関する態度によって問題を起こし、また悩んでいると指摘する。
 相談の事例を紹介した。本質ではなく、自分自身の心の持ち方で幸、不幸が決まる。それは唯心と呼ばれる。ネパールのコマリというヒンズ寺院では生理が始まる前の女の子を女神として祭るが、一旦生理が始まったら不浄になったと考えられ、彼女は別視される。夫の悪口も愛情の表現として解釈すると幸せになるという。不幸なことも別に決まっているわけではない。苦は悟る機会であり、楽である。そのような苦楽から解脱すること、自然な生き方をするのがよいということである。
 なるほど!
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新品が好き

2006年02月18日 07時17分37秒 | エッセイ
 私は新しく開発された機械に興味が強く、よく買い替える。新開発製品は速いテンポで次々と出る。ある人は関心はあってももっと新製品が安くなるとかもっと新しいものが出るのを待っていて、買わずに古いものをそのまま使っている。私のように新製品ばかり買うことも無理であるが、いつまでも待っている人も問題である。今私はまたもう一つの映像機器を買うために外出しようとしている。
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釜山 日本地域研究会

2006年02月17日 06時35分51秒 | エッセイ
 先週の「植民地朝鮮と映像」シンポジウムに韓国釜山地域の「日本地域研究会」から会長朴晋雨氏をはじめ崔仁宅、張竜傑教授らが参加して意見を発表した。そして韓国の若手の学者十数人が我が家に集まった。その時、私は彼らに語った。二十数年前に皆さんと一緒に日本植民地に関する研究をはじめたときに韓国の学界は冷たく否定的であったが、皆さんは植民地研究をそのまま続けると思っていた。しかし皆さんは「親日的?」と非難されそうであるあるから消極的になって避けていたのではないか。今になって他の研究グループが植民地研究に力を入れるから今皆さんもやり始めるような態度は学問の信念ではないと。これから彼らが植民地研究の学派(?)のように積極的に研究することを期待している。
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釜山の東亜大学校

2006年02月16日 08時15分16秒 | エッセイ
 今度の映像民俗学会に釜山の東亜大学の副学長もしている崔仁宅教授が参加した。彼は1970年代に私が啓明大学の教授であったときの学生であった。去年私が下関の東亜大学に赴任するということを聞いた人から弟子である崔仁宅教授が「先生」の私を招待したと褒められて、実に彼は困ったという話を今度のスピーチの中で話した。
 「東亜大学」という同名の大学が日韓にあり、師弟関係もある。また中国にもあるというのでもっと東アジアに広げて何とか協力関係を作ってみたい。その交流をやってみるのもこれから私の役目でもなるかなと思っているところである。
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日本映像民俗学会の大会を終えて

2006年02月13日 18時46分36秒 | エッセイ
 第28回日本映像民俗学会が11日12日、下関の東亜大学で大盛況かつ無事に終った。東京、関西、沖縄、韓国のソウル、釜山、馬山、済州島などから映像研究者、マスコミ、TV映像製作者など初日150余名、第二日80名ほど、地域住民がおそらく100人あまり参加したと思われる。11本の映像を製作者などの説明をまじえながら上映された。植民地時代に作られた映像を見るときの問題点として客観性が浮き彫りになった。私は「作る側」と「見る側」の客観性の難しさを指摘した。地域的に関心が高く、朝日新聞と山口新聞にも大きく報道された。
 
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電車遅れに日本人は

2006年02月11日 07時32分03秒 | エッセイ
 事故で電車が1時間半も遅れたものに乗った韓国人の話。そんなに遅れても不満不平を言う人が一人もいなかったので驚いたという。韓国人であれば何か不平か質問があってもおかしくない。我慢強い日本人を褒める彼女に私は日本人は後からも投書する人は多い。それは何を意味するか。表現様式が異なると考えるようになった。
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韓国映画人のデモ

2006年02月09日 07時48分18秒 | エッセイ
 韓流ブームを誇っていた韓国の映画人たちが外国映画の上映時間を増やす政策に反対するデモを見て笑ってしまう。韓国のものが外から受けられることばかり考えることは個人的な人間関係でも通じない常識無いこと、幼稚なことである。韓国映画にも自信を持ってデモを早く止めて欲しい。恥ずかしい。
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韓国の外国映画上映に関する反対する映画人

2006年02月09日 07時41分54秒 | エッセイ
 「韓流ブーム」を誇っている韓国の映画人たちのデモには笑ってしまう。一方的に韓国のものが海外に流れることばかり考えるのは個人的な人間関係からしても通じない常識の無いこと、幼稚なことであろう。韓国の映画に自信を持つところに来ているのでこのようなことは早く止めて欲しい。
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引揚者の子孫

2006年02月08日 06時24分11秒 | エッセイ
 先日突然下関市内の佐坂氏宅を訪ねた。在宅中の佐坂氏の祖父は戦前の朝鮮で3.1独立運動をした朝鮮人を業務上残酷に扱ったということで韓国人の古老たちから恨まれた人である。話はこれで終わったら私は訪ねはしなかったと思う。
 牛山純一監督はその韓国人の非難の声と表情を撮影して、故人となった当事者の佐坂氏の息子に見せた。その時息子が父親が悪かったとお詫びをした。その画像を持って再度牛山氏が韓国人古老たちにそれを見せたところ和解するという劇的なことが起きたのである。
 この場面は政治家たちがしなかった、そして出来なかったことである。私はその映像を見て感動した。その映像を今週の「植民地朝鮮と映像」シンポジウムで上映する。
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