崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「頑固な先生」

2011年02月28日 04時57分02秒 | エッセイ

昔10年以上勤めた啓明大学日本学科出身の同窓会長白雲鶴君と副会長の金相敬君が一昨日訪問してきた。グランドホテルで夕食をご馳走になった。彼らは同期生の合同で作った韓国の伝統的な餅と料理を運んでくれた。9月の日本学科行事の日本語の演劇発表会に我夫婦を正式に招待してくれた。もちろん快諾した。入学30周年も過ぎて50代になっても忘れず恩師と思い連絡したり訪問してきたりする。白君は二年生の時在学中結婚した「学科カップル」であり、勉強ができず試験の時は試験監督の厳しい私のイメージを語り、金君はサッカーなどの学生時代の話、それは夜遅くまで続いた。多くの卒業生たちは時々共通の話題に我が夫婦が登場するという。悪くと良くも忘れず思い出してくれるという。
 当時の私の総合的なイメージは「頑固な先生」という。話はどんどん私の教員、学者への評価に話が移っていった。私が日本語で講義したり日本学科に日本人教員を招請して日本語を集中的に教える教育システムを装備して日本学科から多くの大学や高校の教員が出たと評価してくれた。私は当時の彼らのクラスメートを一人一人名前と印象を話題にした。卒業生たちは同期中心で横関係があるが、私は彼らの先輩後輩など縦関係も知っていて話は縦横関係で広がった。午前中は長府博物館、午後は東広島の祝賀会の後であり、私は大部疲れていたはずだがそれも感じることなく楽しかった。
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金田先生受賞祝賀会スピーチ

2011年02月27日 06時25分04秒 | エッセイ

 昨日東広島西条で広島大学名誉教授金田晋氏の文部科学大臣賞の受賞記念会があり、主人公の金田氏を中心に前学長牟田氏、東広島市の市長、現学長の浅原利正氏と並んで副学長の岡田氏と向かい合った席で、お祝いのスピーチを述べた。金田氏は美学が専門であり、美術館などへの地域活性化へ貢献したということで表彰された。私は彼が美的な人とは思われなかったが、「紅葉」の美しさを「老人の美しさ」と解釈したことに、彼が本当の美学者であると感じたという昔の対話を思い起こしながら話を進めた。
 私のように賞とは縁のない人間からすれば賞などには関心が薄いが、身内のように親しい人が受賞したことは嬉しく、また関心をもたざるを得ない。「この歳、この人」が受賞されたことは分野、地域貢献、功績などを超えて人生、そのものが社会的に評価されたということと思うべきだといい、彼の美学をプラスすれば「美しく生きる」へのメッセージであると意味づけをした。拍手された後、西条酒造教会理事長の前垣寿男氏により私が韓国の伝統的な酒造器を寄贈したことに感謝のことばがあり、金田氏が私を褒め称え、なんだか主人公が逆転したようであった。参加者は55人。(写真は花束贈呈)

 
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朝鮮通信使

2011年02月26日 05時18分50秒 | エッセイ
 今韓国の某博物館の2013年特別展「朝鮮通信使」のために博物館の担当者らと佐賀県名護屋城博物館、大阪歴史博物館、下関の長府博物館などを回っている。昨日は圧倒的に多く資料が所蔵されている大阪歴史博物館の大沢氏と打ち合わせをした。私は朝鮮通信使の歴史と地図に関して俄かに勉強することになって楽しい。当時日本人の観察によって描かれた行列図には朝鮮人も日本人と同じような姿に描かれたのが多い。それは見た後に記憶によって描いた、記憶の曖昧さによるものかも知れないと思う。しかし大阪歴博物館所蔵の辛基秀氏コレクションの中には非常にリアルな行列図(写真)が目を引く。
 名護屋城博物館では新井白石と雨森芳洲の朝鮮通信使をめぐる外交政策の対立の文献があって面白い。前者は雨森芳洲との間で意見の違いがあったという。白石は清朝天子と日本の天皇を同列におき、朝鮮国王と徳川将軍を対等とする意見であったが、後者は日本の天皇と朝鮮国王が対等と考えていた朝鮮の気分をそこね、朝鮮との貿易での利益が得られなくなると判断したという。つまり内政と外交の対立の意見であろう。この対立はいつの時代でも繰り返される普遍的なものであろうと思った。
 帰りに新山口駅では川村博忠先生に会ってもう一つの展示会「韓国の世界地図展」に協力を要請した。昨日の新幹線の自由席は満席で喫煙室に入ったが我慢できず禁煙室に移った。同行中の二人はヘビースモーカーのようであるが、彼らも移ってきた。そのわけを聞いたらタバコを吸う人でも人の吐く煙には我慢できないという。内政=内煙、外交=外煙、分離相反するようである。
 
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流血民主革命

2011年02月25日 05時46分27秒 | エッセイ
 リビアのカダフィが「最後まで戦う」という演説の画像が流れてきた。軍人精神か、蛮勇か、戦後の韓国で回った皮肉な話を思い出す。電信柱でも鎧と兜をつけるとその気になる。つまり、権力を持つと高慢になり、身勝手に行動する愚かな人間を指すことばである。昔話にはトッケビという鬼が出てくる。それは使い捨てられた箒などが化けて異様な力を持つという霊的存在である。カダフィの自称の大佐、勲章などで飾りつけた軍服姿の彼の写真を眺めるとまるで「電信柱に鎧だ」と思う。彼は権威、カリスマもないただの強気武者の頭である。
 カダフィは軍事クーデターで権力を掌握して40年間長期独裁をし、それに抗議するデモが激化して以降の死者は最大2000人に達すると報じられている。民主化運動に流血は必然的なのであろうか。韓国は反抗したデモ隊に発砲して数百人の学生が死傷したのを知った李承晩大統領は「下野」を発表した。軍事独裁にもデモと流血があって民主化が可能になった。台湾は無血民主化の良い例であろう。蒋介石の息子時代に李登輝総統の知恵によって民主化したのである。国民は政治家に権力や武力を預け任せる。権力と権威は異なる。権威は能力や人格などから生ずるものである。権威を神秘性に装うのがカリスマであるとマックスヴェーバーは論じた。独裁者でも幸せに(?)眠っている毛沢東、金日成などもいる。カダフィはマキアベリーの『君主論』も読んでいないようである。しかし似ている現象は世界的にまだまだ多い。

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クライストチャーチ

2011年02月24日 05時57分52秒 | エッセイ
一昨日の2011年2月22日ニュージーランド・クライストチャーチ付近でマグニチュード6・3の地震が発生した。一部倒壊された大聖堂の画像など深刻な被害を多数の写真を見て悲しくなった。私の日記によると1992年3月19日マウントクック、20日クライストチャーチで一日観光をしたことを思い出す。オーストラリアシドニー行きの途中であった。大聖堂の中に座って黙祷を捧げ、イギリスの植民たちが作ったガーデンシティを見回り、理想的な都市だと思った。最近定年して暮らしたい日本人が多いともいわれている。その島国が実は地震の多い国というのだ。今多くの被災者が続出している。
 私は偶然発生直後CNNが倒壊された現場を長時間視聴しているのを見て、日本の正午のニュースに回したが地震のニュースは出なかったので異様な感がした。日本人の安否などが問題になってようやく夕方から大きくニュースになった。アメリカの国民が多いなどというのではなくとも、CNNがニュース源に接することやニュースに対する価値判断の速さには驚き、尊敬する。日本が世界的「経済大国」の二位を中国に譲ったことを残念と思っている人が多いが、日本はまだまだの国とも思える。へそくり式の金持ちの経済大国であることを認識しなければならない。大国の心、心がグローバル化されていくべきであろう。中国人の日本人への別称が「小人」というが中国は寄せ集めの大きい村のようにしか感じない。中国の本当の大国への道のりは遠く、遠い。早く、そして一人でも多くのニュージーランドの地震での被災者の救済と回復を心から祈る。
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私もTwitter

2011年02月23日 06時34分11秒 | エッセイ
 昨日から私もツイターとして登録した。このブログと連携して広げるか独自にもツイターとして書くようにします。140文字以内で投稿するという制限はあるが将来は文字数やスペースは増えるだろう。それは情報の云々というよりはチャットというか、対話が中心である。情報収集には他のサイトが有効である。このようなツイターやフェースブックなどは若者専用のように眺めている老人層も積極的にやってみるべきであろう。
 情報化時代ではあるが黙っていては情報が溢れてきてもキャッチできない。情報が人を変えるのではなく、それを集め、刺激を受けないと意味がない。私も本欄で時々情報化社会へと強調したが情報だけでは本質は変わらない。インターネットがない時代でも読書などを通して情報は集めることができた。立派な書斎があっても読破しないと舞台セットのようなものに過ぎない。考えて、考えて情報を求める、自分が主体になって情報をキャッチすることが必要であろう。情報化社会では自分も情報化される時代であろう。自分から発信する時代でもある。それも以前に作家や著者として可能であった。しかし権威付けされないまま「フォロー」によって簡単にできるようになった。コミュニケーションが日常会話以上に早く広く行われる文明機器に感謝すべきである。犯罪道具のように使われるかもしれないが、世界が一つになっていく良いチャンスを迎えたことは歓迎すべきである。
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IT産業

2011年02月22日 06時24分47秒 | エッセイ
IT産業(Information Technology industry)が世界を変えるということはアメリカの未来学の学者たち、特にトフラーなどが予言した通りである。ハンチントンは第三の波として「民主化」を予言した。一時的に世界的に読まれても日本では読み終わったように、影響もないかのように思われる。ITとは情報・通信技術に関連する産業である。それが世界を変えると言うのは「情報」である。つまり以前には特定の知識人、国家が独占し、特に独裁国家は情報を独占してきた。今ITによって北アフリカが変わりつつある。40年以上続くカダフィも失権するようになりそうである。その風は黄砂のように中国そして最終の「禁じられた国forbidden country」の北朝鮮まで吹くであろう。
 いま日本では個人情報を守る対策がいろいろ工夫されているが、秘密、内緒などは知られても意味のないことや恥ずかしさなどに限ることであり、個人も公正さをもっていつ公開されてもよい生活をすべきである。だれかがある人のことを調べようとしたらすべてがわかるようになると思う。情報は隠せないという時代になると思うので、できれば自分を隠さない方が良いかもしれない。独裁政権だけではなく、ITが人間関係も壊すかもしれない。人間が主体であり、ITを補助的に使いこなせる力を持つべきであろう。

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人生いろいろ

2011年02月21日 05時10分24秒 | エッセイ
演歌の繰り返しに「人生いろいろ、男もいろいろ、女だっていろいろ」が小泉純一郎氏に引用されてより有名になった。昔床屋や銭湯などに掛けられている絵、流行歌などは品のない通俗文化と蔑視する人もいた。しかし最近公衆トイレなどにも名作の絵コピーや花を置いているところも多く文化全体がグレードアップされた感がある。文学やドラマなども楽しむだけであって名作小説のように人生を描いたものが少ない。
 昨日教会の礼拝、青年たちと昼食、牧師との面談で昼を過ごした。宗教は人生にとって必要なものであろうか。生き方もいろいろある。アンドレ・ジイド作「狭き門」を振り返ってみる。真面目なプロテスタントのクリスチャンとして生きる二人の恋人は結ばれなかった。これは「私小説」として生き方を提示した内容である。真面目な清教徒たちの問題作の「緋文字」などの名作は数多くある。信仰だけが人生ではない。それぞれ信条を持って生きる人々の問題点もある。ただ人生の道は一つではない。ジイドはその生き方を読者に提示し考えさせたのである。「人生いろいろ」である。
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バレンタインデー

2011年02月20日 06時02分52秒 | エッセイ
2月14日にマニラの百貨店などではバレンタインデーを祝う人々で溢れていた。その家族や男女でいっぱいのレストランでフィリピン料理を食べた。キリスト教徒にとって祭日から恋人たちの日となり、日本でも、バレンタインデーの習慣が定着している。今では尊敬する人や愛する人へ、又友達にもバレンタインにチョコレートを送る日になっている。調査旅行から帰ったら中年と高齢の二人の女性からチョコレートが届いていた。私は人にあげる時ももらう時も大事にすることを母から教えられた。仏教のお布施のようにあげたい気持ちを持っている人、西洋ではチップの文化がそれである。私の父は多くの人を支援する心を持って、それを実行した。
 プレゼントや土産をもらう心も大事である。時には物としては不要かもしれないが物から心を読むことが大事である。同僚の山本だんからいただいた鉢植えの花を大切に育て、今ピンクのかわいい花が咲いている。それだけではない。数十年前にもらった観葉植物の鉢が大きくなって葉も繁っている。記念品などを未だに使っているものも多い。私は古い礼儀作法を言うのではないことは読者もキャッチしていると思う。また商品などをただで貰う気持ちでもない。何気ないプレゼント、丁寧なプレゼントからはその心、愛、幸せを貰い、送り主の人格を考えている。プレゼントを送り貰う心はその人の人格や人生観とも言える。
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韓国国際大学と提携

2011年02月19日 06時03分20秒 | エッセイ
 昨日は二つの会議に参加した。昼食は日韓親善連合会の理事会(写真上は代表県議員の石崎幸亮氏)に顧問として参加し、挨拶をし、創立50周年記念行事の準備について議論した。韓国からのお客様や、来賓などから会費の徴収が問題になった。韓国は伝統的にパーティや宴に祝儀は持っていくが会費制は難しい文化であることを説明した。大学に戻ると韓国から留学生の受験生が私に挨拶に来た。下の写真はある男子学生が頭を床につけて挨拶をした。これは伝統的な丁寧な韓国式挨拶である。
 大学では韓国慶尚南道晋州市にある韓国国際大学と提携を結ぶ式に参加した。同大学の金永植総長はアメリカ・ピッツバーグ大学院で教育学博士号を取得した方であり、韓国の教育部の高等教育支援局長、次官などを歴任し、現在APEC国際教育協力院理事長としてその大学の総長になった、教育政策、行政の教育専門家である。『教育の枠を変えると韓国が生きる』(毎日経済新聞社)の著者でもある。金総長の特別講演が行われ、私が通訳をした。主要な点は時代の変化の早さ、ネット化していく、グローバル時代と高齢化社会に変化していくところに大学はどうすべきかその対応策について語った。従来のように教科書によって情報や知識を伝えていく教育、暗記教育はもうネットで解決してしまい、思考する、想像する、解決する能力の教育へ転換しなければならないという。(写真上の下は講演会の後、私が生けた花を挟んで右が金総長)
 1959年私が大学1年生の時、当時若手の鄭範謨教授の授業を聞いたような新鮮味が感じられた。鄭氏らの新鋭の教育者によって韓国は知識を伝える教育から面対面(face to face)、人格的な教育を訴え韓国教育の力によって世界的な国家を作ることができたと思う。しかし韓国社会は競争、過熱な受験地獄などの問題が多いことも事実である。川棚グランドホテルでの夕食会で私は金総長にネットなどを補助的に使いこなしながら、「人間が人間に」影響し合う教育の根底に関わる問題を考えて欲しいと言った。



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アンバランスのジェントルマン

2011年02月18日 06時01分41秒 | エッセイ
 一昨日フィリピンのマニラ空港でのことである。免税店が並んでいるところへ進入したとき手を振って私を迎えに走ってくる人がいて私も知っている人かと思い反応した。が、それは靴磨きの人であった。日本の冬の服装で行ったので上半身はジャケットでキチンと見えたはずであるが、靴は歩きやすい古いものであり、非常にアンバランスであることに気が付いて恥ずかしくなった。その人から見ては春か夏の服装にしているのが常であるところでジャケットまでキチンと着用しているのに靴が古いからバランスが取れてないと思ったのか、強く靴磨きを誘ったのであろう。
 私はその時になって人の目を意識するようになった。人は、特に女性は美しく見せるために多く神経を使っているようである。いつも人に見られているという意識をもっており、ある人は人の目を意識し過剰になり、自分自身の個性を失なっている人もいるかもしれない。ファッションを意識して生きる人は個性よりは時流の流れに気を取られている。人に不愉快な印象は与えず、自分の個性とファッションとの調和した自分の服装をしなければならない。私も時々そのヘアースタイルと服装では似合わないと思って人の外見を評価することがある。今度私は人からアンバランスのジェントルマンとされたので、反省をしている。人は自分の好き勝手ではなく、人の目を意識しながら通りを歩くのであろうといまさらながら思った。
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スペイン植民地に反抗した罪で処刑されたリザール

2011年02月17日 06時55分52秒 | エッセイ
 フィリピンはスペインによって長く、またイギリス、アメリカ、日本によって変わり順に支配された。イントラムムロス(intramuros城内)には1587年に建築されたサン・オガスチン教会がイギリス軍、アメリカ軍、日本軍によって爆撃されて、1973年から博物館(San Agustin Museum)になっている。スペインはカトリックによる改宗政策をし、支配したのがよくわかる。このように全島がカトリック化されたのである。しかし今彼らはそれぞれの植民地や侵略については悪い感情を持っていないようである。
 こん度のフィリピン旅行で大きい収穫はスペイン植民地に反抗した罪で処刑されたリサール(Dr. Jose Rizal)という英雄のことを知ったことである。彼は1861年6月19日フィリピンの小さい村であるカランバー(Calamba,Laguna)で生まれた。スペイン植民地は330年以上も長く続く中、それは残酷さ極まりないときであった。彼の母は知識人であり、教育に熱心な方であり、彼はスペイン制教育で優れた教育を受けた。母は彼に昆虫が光に向かって突進して焼かれて死ぬと、光や火の炎には近づかないように注意しれたが彼は蚊のようにそれに近づき、光る青年となった。彼の子供の時にスペインに反抗した事件があったがすぐ制圧されたことを覚えている。早くから小説を書いて、文学少年であり、剣道など多様な趣味や才能のある青年であった。スペイン人はフィリピン人をインディオといい、差別したのである。しかし彼はスペイン式に名前を変えた。そして18歳のとき彼はスペイン語で書いた小説「神々の会議」で文学賞も受賞した。
 1882年彼はスペインに留学し、医学を勉強して医者となった。帰国して医師として、また作家としてフィリピン人を啓蒙し、作家、教育の先生などいろいろな社会福祉、教育などで活躍した。1896年反政府反乱計画の中心人物ということで彼は逮捕されて、ポートサンディアゴ(Fort Santiago)刑務所で処刑された。私は彼がその収監された刑務所、最後に銃殺されたところを見た。一昨年アイルランドでケースメントを探して歩いて論文を書いたようにフィリピンでこの人を見つけたことは意味が大きいと思った。
 国立博物館でも植民地や侵略については展示していない。マカチ市Makati city にあるアヤラー財団のアラヤ博物館Ayala Museumを観覧した。スペインなどが地下資源のゴールド(金)を求めて争奪した歴史が模型で展示されていた。国家より財閥、フィリピノより中国華僑が経済力もって国を支え、動かしているということが博物館によって分かった。(写真はリザール)
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sorry

2011年02月16日 13時34分42秒 | エッセイ
Dear Readers

Now I am standing at the internet service in Taiwan Airport on the way to Fukuoka, Japan. The blog that I worte this morning from Manilla, Philipine was losted all without 3 phtos.I will write tonight when I homing back Japan.
I am very sorry about that. Please enjoy my blog on the field-note on the Body-checking Culture, Philipine.
Thanks a lot.

Sincerely yours
Choe Kilsung
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ボディチェック

2011年02月16日 04時56分01秒 | エッセイ


ダイアモンドホテルに着き、驚いたことはホテルに入る車にミラーで危険物を調査し、人口には二匹のシェパードが臭いでチェックしてから監視員が荷物を開けてチェックし、さらに電子アーチを通過したらもう一回ボディチェックが行われてからOKである。それは例外なく散歩に出ても同様である。
ショッピングセンターや百貨店、コーヒーショップまで、そして銀行、博物館、学校などは勿論である。名門大学ほどチェックが厳しいと自慢的に言った人もいた。警備員か警察か、若い青年たちがピストル、フラッシュ、棒などを備えた制服をし、公共機関のまえには小銃で武装している人が何人もいる。ある武装した警備員はコーヒーショップで掃除などをしている姿は武装には相応しくなく、滑稽な感さえした。彼らはいつも優しい表情をしている。対応する人々も慣れたような表情をし、スムースに行われている。ホテルなどでは入った客が臨時にピストルを預ける金庫も用意しているという。ピストル所持文化とチェッキング文化が対応していると理解できる。
空港の登場口までは数多くチェックされた。最初のところで上着まで脱がされてチェックされたのに、イミグレーションチェック、また通過した荷物もチェックがある。そこでは靴を脱ぎ、ベルトも外された。そこからショッピング商店の前を通って登場口の通路に入ろうとするとまたチェックされた。この点で私は腹が立った。しかしそこから出発の待合室に下りたところでまた二人の男性がチェックしている。もう嫌な国だと手を上げる気持ちになった。
楽園とも思われながら平和を守るために民主化された国、どうして自ら監獄のような国家を作ったのか。フィリピンに行くと言った時周りの人たちから「治安の悪い国」と注意されたがこのような不便さからではないかと思う。フィリピンに住んでいる人から聞いたところ外から見るほど悪くはないと言う。しかしこのように日常的に銃を持って守れる国家であればそれは良い国とはいえない。このように異様なチェックは戦争中の国家であり、監獄のような国家に思ってしまう。魚、マンゴなどの果物の豊富な楽園のような国家を日常的に銃で守らなければならないということは決して平和な社会とは言えない。一日中数回もチェックされながら生きる国家を絶対作ってはいけない。国民が独裁政権を倒したフィリピン国民がチェッキングカルチャーに慣れるのは良くない。新しくより平和な国作りへもう一度、戦うために蜂起すべきであろう。
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マニラ

2011年02月15日 05時08分38秒 | エッセイ
昨日の話。フィリピンマニラに着いた. イミグレーション前は大変混雑していた。最近韓国人や中国人などの観光客が前年より17パ-セント増、3.3百万人という情報を実感した。空港に迎えに来た人が多く、祭りではないかと思うほどであった。東京などは大雪だという、台北では雨が降ってやや寒く感じたが、その服装ではここでは暑くてたまらないのでホテルでまず冬用の下着を全部ぬいだ。ここダイアモンドホテルの出入り口は一人つつボディチェック、セーパードまで利用して荷物などを厳しく調べる。台北で檳榔を買ってカバンに入れたので気なったが無事であった。早速本屋に行っがちょうどバーレンターインデーで百貨店とショッピングモールには人山人海であり、その中のフィリピン料理、鶏肉と麺などで満腹した。台北では昼食時間がほぼなく機内食であったせいか美味しく食べた。
 台北では時間があり,のんびりしたが一般バスを1時間以上待っても来ないので台北駅に戻り高速バスを乗るまでは地下道を2回も早足で歩き、やっと皆から教えてもらった第二ターミナルでおりたがそこではなく、第一へ移動などで急ぐので一時パニックな状況であった。旅行では時々このようなパニックなことがある。否、それだけではない。おそらく人生にはパニックは常に来るものであり、油断すべきではない。
マニラでは韓国の三昧学院院長の崔氏の友人が空港まで迎えに来て案内していくれた。韓国人観光客や事業する人が多く、さらに多いのは子供の英語教育のために来ている人口が多いという。一カ月に日本の円で3,40万円を仕送りにしているという。他にキリスト教が宣教に来ており、韓国人が多いことなどイントロの話。ホテルの前の椰子の木の並木と海の風景は素晴らしい。今日は朝から博物館観覧などを予定している。旅行客を案内する金さんは私のような研究者は初めてであり、どうすればよいか戸惑っている様子。日本植民地の遺跡はクレード島であるが、決まったコースでなければならないということで時間的に無理、スペイン植民地中心の博物館を見ることにした。日本から気温が10度つつ上がり、マニラでは20度以上である。まず寒さから解放、南国のロマンスを満喫している。
 (ホテルで鏡に映った自分)
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