崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

テール料理

2008年04月30日 05時33分12秒 | エッセイ
 教友から晩餐招待を受けてお皿の上に載ったテール料理を美味しくご馳走になった。私が日本に留学していた時日本では牛のテールは食べる人が少なくて安かったので私は結構頻繁にテールスープを作った。しかしそのスープ料理には半日がかかるほど手が込んだ料理である。昨夜ご馳走になったものはテールシチューであり、手の込んだ料理で充分誠意が感じた。
 日本で朝鮮焼肉料理は西洋式の食べ方に近い牛肉の部分的なメニュー中心であったが内臓やテールまで完全に定着していくようになっている。それでも朝鮮の牛肉文化がそのままに定着したとはいえない。血液の料理は日本にはまだ定着していない。牛のペニス、耳、皮などの料理まで定着するまではまだまだのようである。否、日本の食文化の上には定着しにくいものかもしれない。食事後のアメリカ香のコーヒーはその上に家でいただいた。両家でのおもてなしの美味しいお食事、コーヒー、そしてたのしく味わいのある対話、素敵な時間であった。まさに「一石二鳥」「一行二得」であった。
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昨日のコメントへ

2008年04月29日 06時24分57秒 | エッセイ
 昨日国民の力で民主主義を獲得したことのない日本人という趣旨の文についてのコメントを公開している。「多少失礼ですが、崔先生のこの言葉に韓国人としての「誇り」を見て、ああ韓国人らしい物の見方だなと、ちょっと面白く感じました」といわれた。多くの韓国人から「親日的」「新親日派」といわれているが日本人から「韓国人らしい」といわれ戸惑っている。またこのようにみられるということはバランスがとれているかなと満足する気もないわけではない。私の民主主義論(?)とは政治学的なものではない。小さいグループでも民主主義的生活になっていないことを感じていることを書いた。特に私は韓国の軍国独裁下民主化時代を体験した者として日本に期待している視点からである。韓国式民主化運動を「鍋根性」と批判することには頷くが、日本人が「慎重論」に身を隠して何にもしていないこと、秘かに卑怯な方法でいじめるようなことには大いに失望している。確かに中国に比べて日本は民主国家であるが、まだまだ民主化の努力は必要と思うのである。
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山口の選挙で民主党が勝利

2008年04月28日 06時33分15秒 | エッセイ
 昨日山口の選挙で民主党が勝利した。これが「民主」主義の勝利になればよいのだがと期待している。この選挙で国民の民主主義意識が少し芽生えているように感ずる。私は日本で民主主義をそれほど感ずることがない。表面的には民主主義とはいっても特に小さいグループではほぼ民主主義を感じ得ない。国民の力で民主主義を獲得したことのない日本人にとっては会議で民主主義方式で議決するより会議が雑談のようになったり、全員合意の形式で決まるなど、結局根回しなどにより、一見スムースに決めている。民主主義の芽生えない国のように感ずる。50年以上の自民党支配により政治や行政がマンネリズム化し、腐るのは当然であろう。この選挙で民主主義による政治政党の交差、新しい気風を入れる契機にして欲しい。
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松明(トーチtorch)

2008年04月27日 06時56分21秒 | エッセイ
 電気が発明される前までは松明(たいまつ)で暗い世を照らした。伝統的には松明で峰火として、また信号としても使われた。ニューヨークの自由の女神も右手にトーチを持っている。韓国の民主化の時代にヘッブル(トーチtorch)をもって「ヘッブルデモ」をした。韓国人にとってトーチは民主主義のシンボルのようものである。いまそのオリンピックの聖火が非民主主義国家の中国を照らしていこうとしている。暗い世を照らすトーチが今各国を回る。それを受ける国々は危険な禍根でももらうように警戒しており、警察の宣伝行事のようになっている。視聴者たちはトーチを持って走る選手に視線が行かず警察の行進、抵抗抗議や暴行を期待しながら見ている。この実情はそもそもオリンピックを契機に大国主義を宣伝しようとした中国の国策の誤算であろう。
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聖火か俗火か

2008年04月26日 05時58分53秒 | エッセイ
 オーストラリアに留学中の中国留学生たちが中国政府側に立って反政府的なチベット問題抗議者たちのデモを抑える行動を行ったことを聞いて失望した。昔私が日本に留学した時、韓国からの留学生たちはほぼ反政府的民主化に関心を持っていた。数人の人が韓国政府側の見方をするとKCIの手先だと言われたりした。留学生の中では帰国して空港で逮捕され、死刑を言い渡された。それらの民主化グループによって韓国は民主化したのである。その点から見ると日本に多くいる中国の留学生からはそのような関心はまったく感じとれない。主にお金の話が多い。オーストラリアの中国留学生たちの行動をみて、中国の民主主義は永遠に発展できないのではないだろうかと感じられて失望した。本日、日本の長野の聖火は警察による焚き火のような「俗火」にならないことを祈る。
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おにぎり

2008年04月25日 06時18分04秒 | エッセイ
 家内が作ったおにぎり弁当を食べながら日韓文化の差を考えた。韓国の私の親族や知人は私がおにぎりを食べる場面を想像したら惨めだなと思うだろう。韓国では伝統的にお握りをチュモクバプ(拳飯)といい、労働者や貧困の人が食べるようなものであるからである。私のような年齢であれば昼食でも嫁などによって独膳で食事を取るのが普通であった。私の父はそのように待遇されたように記憶している。
 最近日本の大学生がおにぎりを食べるので「美味しいか」と話をかけると「おいしい」という。おにぎりを食べながら美味しいというなら味の話はできないかなと感じた。しかし私は日本食について大変な偏見を持っていることに気がついた。まだ日本の食文化には充分理解できず、まだなじめないところが多いと思った。それより家内の「愛情の握り」に感謝する心を理解できないのではないかと反省するところである。
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入管・税関

2008年04月24日 05時48分40秒 | エッセイ
 外国旅行する時に入管・税関を通過することが嫌なときが多い。先日韓国からの客たちが入管や通関で1時間半も掛かったと強く不満を言った。私は彼らにアメリカや韓国では上着と靴も脱がせられることに強い不満を言った。十年ほど前ウラジボストックで40人ほどの客に1時間も2時間も掛かったことを、さらにそこから中国への陸路の越境に5時間以上も待ったことがあるといった。特にロシアの脅威的な官吏の態度には旅行の辛さが沸いてきた。安全のために協力する意味では我慢するがシステムの良し悪しは国家政策として表れるのである。ある新聞関係者とその話を交わしたとき彼は日本でも東京などの大都会の空港より北九州空港などは厳しいと言い、暇な空港を使用しないほうが良いという。韓国からの観光客を歓迎しならもサミットのために日本への越境が煩わしくなったのも問題である。
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戦争からみた日本人

2008年04月23日 06時10分55秒 | エッセイ
 『菊と刀』でベネディクトは戦争中日本のラジオでアメリカのマッケイン提督が人命救助のことで勲章を受けたことから日本人の価値観を分析している。アメリカが敵国の日本の軍艦などを撃沈させたわけでもないのに勲章をもらう理由がわからないという。それは基本的に軍隊は人命を守るために存在する一種の社会福祉的な存在だと考えるアメリカの認識である。
 私は若いとき陸軍士官学校の教官であって、アメリカの名門の陸軍士官学校の教科課程を参考にして教科課程改革に一助したことがある。その時、軍は人命を守るために存在しており、国が国費で教育しても卒業して必ずしも軍人にならなくても良いという教育理念を知って驚き、私の軍に対する態度が変わった。敵を殺したから勲章をもらうのではなく、人命を守ったということで勲章をもらうという。つまり、その当時の日本人の価値観とアメリカの価値観は天と地の差であった。しかしそのような認識の差は今でもまだ存在するのではないだろうか。
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善光寺落書き

2008年04月22日 05時34分28秒 | エッセイ
 善光寺は本堂(国宝)外側の柱と扉の計7か所に落書きされているのが見つかって、聖火リレーの出発式会場を辞退したという。悪質ないたずらとみている人が多いが、私は日本人の重要な表現様式、つまりいじめや差別などの方法でもあると思う。韓国でもトイレなどには落書きを書いたり品のない行動することもあるが社会的に大きく問題視されることは稀である。私の弟子が日本の大学に准教授として勤めていたが在学中の子供の小学校のトイレに差別的な落書きが書かれていて結局韓国の大学へ転職した。日本人が落書きで大学教員を追い出したことになる。日本にも声明や宣言、抗議活動などもする人が無いわけではないが、卑怯と思われる落書きは日本人の重要な表現様式であると思う。ただし国際的には通じにくい日本文化であろう。
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新しい出版計画

2008年04月21日 06時09分09秒 | エッセイ
 韓国の出版社の会長は1932年生まれ、中学生まで植民地教育を受けた人であり、「たばこ」という看板を見て懐かしく、歓声をあげた。何度も日本人は質素な生活をしている、小さくとも庭などをきれいにしているなど、印象を述べながら韓国と比較した。日本植民地との関係のある出版計画を議論した。私は多くの仕事を受けて喜んだ。それを多少無理でも積極的に引き受けているのを傍でみた家内が私の欲張りから若さを感じたという。彼らは私の作品の全集や記録院への保存などに触れていたが私は応じなかった。ただ楽しく仕事をして去っていけばそれでいいと返事した。まず1960年代から撮った写真、映像、そして日記から抜粋して本を書くことにした。また1000ページ近い日本語の書籍を翻訳する約束をした。ますます忙しくなる。「休むのは死んでから」という信条を貫く考えである。
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ソウルから来客

2008年04月20日 05時52分04秒 | エッセイ
 古くから人間関係のある韓国の有名な出版社の会長、社長とともに私の広島大時代の学生あった崔錫栄氏ら3人が来宅された。いろいろ出版計画もあるが、情報交換とともに友情の親善訪問であるので教育院長の李先生の案内で下関の一角を散策した。日清講和条約の記念館に入って素朴すぎである展示についてむしろそれが本物の印象が強いという。私は粗末な展示には不満があったが、なるほどなと頷いた。
 来客たちはソウルが前日に27度まで上昇したので下関はより暑いと思って半袖の服装で来たが下関の最高気温が17度で肌寒く感じている様子である。また下関は古くから聞いて知っているイメージとしては大都会と想像したが、意外に小さく、歩く人がほぼ見えなく、廃れた風景に寂しさを感じるという。私は韓国から観光客が多く来て欲しいといったら福岡空港での税関のチェックが厳しくて1時間半も掛かって指紋、写真撮影など腹が立ったと返事する。私は昨年カナダからアメリカ・ボストンへ入国した時の厳しさを思い出し、世界的に越境はまだまだ難しいことを感じた。
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コーランを講義

2008年04月19日 06時47分56秒 | エッセイ
 この大学にきて私に負荷された科目の一つが西アジア文化である。イスラム教を中心に講義してきたが今学期にはコーランを講義している。全国の大学でコーランを講義するところは無いだろう。学生たちも熱心に聴講している。先週は「慈悲深きアラー」を80分解釈しながら講義して、昨日は万有の主について「主」とは何かについて講義した。主は従の上のもの、「従う」ことの意味はただ非民主主義的な発想ではない。個人主義を自分が最高の個体と思うのは高慢である。制度によって従うことの意味とは別に、人間は絶対唯一神を崇めることによって自分が本当の僕になる。主に対する僕とは愛情と崇拝に基づいて従う僕になることである。キリスト教会の牧師たちの中にはよく神の僕だと言いながら人の上に君臨する人がいる。礼儀作法で僕を装い、心では主や神になっている人は政治家に多いが、聖職者にも多い。
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姨捨山と高麗葬

2008年04月18日 07時01分51秒 | エッセイ
 今朝の山口新聞に佐々木正一氏が「四季風」に姨捨山伝説に触れている。これに似てる伝説が韓国の「高麗葬」である。父子が祖父を山に捨てて運んだチゲを捨てて帰ろうした時彼の息子がその「チゲを持ち帰りましょう」といいながら次に父の、貴方を運ぶとき使うためだといった。恐ろしいメッセージがこの伝説の中に潜んでいる。差別には立場を変えるとなくなるものが多い。在日が差別されるというのも、日本人が他所の国に住むと同様に差別されるような状況になる。若者が老人差別することは自分を差別、自分をいじめることである。障害者に対してもいつ自分が障害者になるかもしれないことを考えるべきであろう。高齢者の年金の問題は若い人の自分の問題でもあるのに、それを認識しないということはいかに短見であるかを思わされる。
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教室中のハプニング

2008年04月17日 06時52分12秒 | エッセイ
 昨日教室の中のハプニングが起きた。授業中ある女子学生が倒れた。私は瞬間彼女を抱きあげ、安静にさせる処置をした。学生たちは皆驚いて立っていた。その学生たちに「誰でも弱い人をいつ見かけても助ける心の準備をしてください」といった。プライバシーを強調しすぎるような日本では他人のことには手を出したがらないドライな関係になっている。命や健康のためにはプライバシーを超えて人に関心を持つべきである。家内はいつも多くの患者さんを扱っている。それが私に影響したものではないかと考えた。
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私の日本文化論

2008年04月16日 06時18分35秒 | エッセイ
 今東亜大学で「日本文化論」を講義している。外国人が見た日本文化論を中心に講義している。このような講義は他大学にもあるが、ここでは「私の日本文化論」のような特徴があると思う。テキストはアメリカ人の文化人類学者のルーズベネディクトの『菊と刀』である。その序文に日本を「気心が知れない敵」と前提にしている。その敵国であった日本が今やアメリカを「盟友」としている。一方日本は同じ帝国であった北朝鮮を敵対している。したがって将来盟友になるかもしれない。
 敵は国家や民族だけではない。スポーツやゲームなどは敵を前提にしている。強敵と戦うことは光栄なことだとも言われる。その強敵とは紳士的なルールを守りながら攻撃してくる。しかし卑怯な敵もいる。ベネディクトがいう「気心が知れない敵」である。「耽美的であると共に喧嘩好きな日本人」は私が一番嫌な、紳士的には戦うことのできない卑怯な敵である。
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