崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

二つの新聞にエッセイ2年目

2010年01月31日 05時00分21秒 | エッセイ
 「毎日新聞」(山口版)と「東洋経済日報」にエッセイが丁度同じ月から始まって2年目を迎えた。毎日新聞には昨日の朝刊に「韓国の美女」、東洋経済日報には先週号に「旧正月」と題して二年目をスタートした。編集者と読者によって勇気づけられて継続している。今後ともよろしくお願いします。「韓国の美女」は次のような文である。

 韓国は美女が多いと思っている日本人が多い。先日韓国のある大学の女性教員三十数人が研修で来日した。美容関係の仕事をしている人が大部分であり、初来日の人も多い。化粧や服装などにかなり神経を使ったようだ。私と共に出迎えた日本の男性たちは、テレビやドラマで見るような女性を想像していたようだ。韓国に美女が多いという女性像は虚であり、実でもある。
 美女の「美」とは生まれつきの美と思われるが、「韓国の女性は美人に生まれるのでなく、美人になるのだ」という説もある。つまり自然の美を磨いた美であるという。私が長く調査したサハリンではロシア人は「美人に生まれ、美人になる」といえる。女児の足を美しくするためにキブスのようなものを付けて寝かせる育て方をするところもあり、驚いた。サハリンの韓国系の若者たちは韓国人美女よりもいっそう魅力的なロシア美女と結婚する傾向があり、韓国人の親たちは「ロシア美女の危険性」を訴えている。ある韓国人はスラブ人女性の美貌にはかなわないと言っていた。
 美の基準は一様ではない。韓国語で「美しい」のアルンダッタとはアルム(太め)が語源。伝統的な美女とは太め、丸ぽちゃのことを指す。今その基準は細長痩せ型に変わった。ギリシャ彫刻やミス・ユニバースなど美のコンテストに見られるような西洋型の美の影響だ。
 外見を重視する韓国では大学によって美女を選ぶ大会もあった。韓国の大学で教壇にたっていた時、夏休みや冬休みが終わった頃女子学生の目の変化が気になった。手術で二重瞼になっている学生が多かったのだ。
 下関市は、理容店発祥の地。この地に建学された東亜大学のトータルビューティ学科が今韓国人に注目されている。美の生活と哲学、パーソナリティ美を創出する教育をしっかりして欲しい。

砂上楼閣のハイチ

2010年01月30日 06時42分13秒 | エッセイ
 2010年1月12日、カリブ海のハイチ共和国の首都ポルトープランス郊外約15キロを震源とする大地震で大きな被害があった。すでに死者15万人にのぼり被災者300万人にもなるという。長い歴史の中でスペイン、フランス、アメリカの植民地や占領などと戦い、世界初の黒人によるハイチ共和国を建国したが独裁者によって政治は不安、貧困国家である。国民の9割が奴隷移民的アフリカ系である。宗教は95%がキリスト教を信仰している。その国に自然災害とはいえども、余りも大きい被害を受けたことは心痛い。(photo by New York Times)
 いまその社会がパニック、治安がアノミーの状況である。略奪、救援物などの奪い合い、刑務所も破壊されて囚人たちは解放(?)されるなど地獄を連想させられる。戦争を経験した私にとっては理解できる。囚人たちのように解放の絶好のチャンスともなる人もいる。人は極端に不幸になると地球の破滅を願うこともある。それは末世主義、千年王国信仰である。
 不幸な歴史を持っているハイチはより幸せな社会を作らなければならない。少数の支配層だけがそれを独占することなく、これからは砂上楼閣ではなく、岩盤上の塔を作るようになってほしい。世界的な支援が必要であることはもちろんであるが、なにより自ら試練を克服すべきである。

「韓国語要らない」

2010年01月29日 05時55分04秒 | エッセイ
2005年からソウルに3年間住んだことのある東亜大学の松井尚子氏と長時間歓談をした。彼女は私の『恨の人類学』の訳者の真鍋祐子氏(東大教授)の高校の同級生である。二人とも韓国との縁が深い。
 松井氏がソウルでの生活で印象的だったことを語った。彼女は高校生の娘がいて、せっかく韓国に居住するチャンスなので娘に韓国語を覚えさせるために、家庭教師を頼むほど熱心であった。それを知った親しい韓国人の男性が韓国語を覚えるために努力する必要はないと言いながら英語を教えなさいと繰り返し強調したという。彼によると韓国では日本語を話す人も多い、韓国語を覚えるための努力の代わりに国際語である英語を教えるべきだと言ったという。その韓国人の男性は日本の女性と国際結婚をして裕福な人だと言う。
 ここでおそらく彼女に印象づけられたことは一般的に韓国人であれば韓国語に誇りをもって韓国語の学習を強調するはずであるのに、期待はずれの客観性を持った意見であったからであろう。国際感覚のある人だから国際結婚もしたのであろうと。しかし韓国人の口から「韓国語は要らない」は異様に聞こえたであろう。
 次に考えられるのはその韓国人男性が「英語至上主義」であることと韓国人の英語への熱心さであろう。英語ができると韓国ではもちろん世界的に出世の門が広く開かれるからである。小学校の低学年から海外で英語教育を受けさせる人が多く、韓国教育の基礎が揺れるということで教育省は抑制のための法令も作ったという。
 その男性は親しい人に将来のためによいアドバイスとして言ったようである。子供のバランスのとれた教育より出世主義のアドバイスであった。松井氏の日本人であることがよかったと改めて認識したという表情を見ると、彼の熱心なアドバイスは空念仏であったようである。

屋上庭園

2010年01月28日 05時31分26秒 | エッセイ
下関・亀山八幡宮で亀松靖弘氏が昼の「夜話会」で「最古の屋上庭園」について4年間の調査結果を発表した。下関には近代的な古い建物が戦災を受けず南部町の郵便局、その隣旧秋田商会ビル、旧イギリス総領事館などが残っている。特に旧秋田商会ビルは屋上の青いドーム式尖塔と日本庭園が美しく目に入る。
 亀松氏は先日私の研究会でもコメンテーターとして参加したことがあり、文化人類学者の井上紘一教授の古い友人であり、私が下関に住むことによってつながった大事な友人の一人であることもあって講演会に参席した。まずこのような素晴らしい研究発表なのに一般人、10人余りが聞く贅沢な発表会で会った。
 この建築は大正4年(1915年)生まれ地上3階で、屋上に茶室を持ってる洋館である。木材取引や海運業を営んだ秋田寅之介氏が鉄骨鉄筋コンクリートの建築として建てさせたものである。特に屋上庭園は世界的にも最古であろうと言っていた。現在は下関市観光情報センターとして使われている。
 日本では銀行や警察などの建物の屋上に神社のような祠が見えるので不思議に思ったが、台湾では林一族の高層マンション屋上祖廟を訪ねたことがある。その時、山頂や屋根を神聖視する心から祠を建てる動機になったのだろうかと思った。今、現在残念ながら旧秋田商会ビルの屋上の祠はなくなっていた。参加者の一人から他の神社へ移したようだという話があった。
 私は高い丘に建っている高いマンションに住んでいて海岸の住宅などの屋根を見降ろしながら時々屋根が無駄なスペースと思い、庭園でも作ったらどうか思うことがあるが、亀松氏の話では建築的に大変難しいようであることが分かった。いまハイチでの地震で15万人以上が死んだというニュースを聞いたが、日本の建築が如何に優れたものであるかを知ると同時に、屋上に庭を作るなど大変贅沢な話になってしまって申し訳がないた感がある。

『日本はない』

2010年01月27日 04時44分15秒 | エッセイ
 韓国人では反日感情を利用してベストセラーなった本が数多くある。ベストセラーなった田麗玉氏の『日本はない』の感想としては日本の悪い点、欠点ばかり集めたような内容であった。とにかく彼女はその知名度によってハンナラ党の国会議員にもなっている。しかし今田議員が1993年に発表したベストセラー『日本はない(日本語訳題:悲しい日本人)』が日本在住の作家柳在順の作品を盗作したものだと話題になっている。初端は柳氏が非難したのに対して田氏が名誉毀損だと告発し、訴訟となり、ソウル高裁は問題の著書には柳氏のものの盗用に当たる部分があったとして、田議員の控訴を棄却し、原告の田議員に裁判費用の支払いを命じた。今彼女は『悲しい韓国人』(?)になったようであり、「法律が怨念を生産する」と敗訴所感を語った。
 一昔前までは反日をテーマにしたものが流行した。日本では李御寧氏の『縮み志向の日本人』等が人気があった。それに反するものは「親日的だ」と反発された。朴泰赫の『醜い韓国人』、呉善花のルポ『スカートの風』が韓国で激しく非難されたが、それを追い風にして日本で飛ぶように売れた。日韓国交正常化以前には日本で韓国通として在日が活躍したが、国際化の波に乗って韓国からのニューカマーが活躍するようになった。呉善花の本がベストセラーなったことに在日の人から「日本語が下手なのに」「韓国人の名前で日本人が書いたものだ」などと非難があった。今では韓流という溶鉱炉で反日と親日は溶けてしまった。
 

米軍キャンプ問題

2010年01月26日 05時11分58秒 | エッセイ
 私の生まれ故郷が米軍キャンプとして有名な東豆川であることは時々書いた。韓国は朝鮮戦争で戦ってくれた米軍(国連軍)に感謝すべきであることを前提にして駐屯を認めざる得ない。また日本国民はなぜ米軍が駐屯するかを認識する必要がある。
 いま沖縄普天間飛行場の移設問題が政治的に焦点になっている。それは遡ると日本が大東亜戦争を起こし、原爆・敗戦によって米軍によって占領されたという近い歴史によるものである。日米合意は日本の戦後処理と平和のためのものであろう。
 反対派の名護市長が当選したことに平野博文官房長官が選挙結果を斟酌しなければならない理由はないという発言をした。その意味を深く考えなければならない。選挙結果がすなわち世論調査ではない。選挙は時代の政治家を選ぶ意味が大きい。
 韓国で火葬場設置に住民が反対運動を起こしたことがある。しかし必要性を無視することはできなかった。火葬場のないサハリンで例外的に火葬が必要になり、自動車のタイヤの上に死体をのせて焼く悲惨な状況はあるべきであろうか。
 民主主義の「民主」は何か。民が「主」であることである。民が政治家より「正しく考える」べきであろう。住民の騒音対策も根本的に対処すべきであるが、ただのクレームのような世論になってはいけないと思う。米軍の経済性及び国際性を活用する方法もともに顧慮すべきであろう。

エキュメニカル運動

2010年01月25日 07時18分01秒 | エッセイ
 日本ではクリスチャンが少なく、宗派も少ない。韓国は宗派が多く、宗派間の争いも多い。すべての教会がそうではないが、同一宗派の中でも教会間競争も激しい。また教会の世界化への伝道も活発である。信者は一定の教会に所属して信仰生活している。教会の中では教義を学び、儀礼の礼拝をささげる。教会と教会の間は厚い壁がある。ただ教会は開放されている。
 韓国に比べて日本の教会は閉鎖的である。沖縄旅行中浦添のある教会の礼拝に出席しようとした時、断わられたことは忘れられない。キリスト教はユダヤ教の民族主義、律法主義に反して普遍的な人類愛を訴えた宗教である。その宗教が派閥主義、民族主義になり、宗教戦争の伝統は未だに続いている。その中に超教派的エキュメニカル運動が起きた。その最初の目的は異なった教派間で教義、行動の協力と結束すべきことなどを主張したのである。世界教会会議=WCCが生まれたのはこの運動を通じてであった。しかし、教会の根を弱くするということで批判されることも多くあった。
 昨日は二人の友人、李相穆長老(写真の右端)と人権運動者の鍬野保雄氏(右から2番目)の案内で下関西教会(鈴木澂牧師、写真の左端)に出席して礼拝をささげて楽しい時間を持った。マルコの記録の聖書からイエスがユダヤ人の教会で律法主義でなく、「権威あることば」を聞くべきだということを分かりやすく説教した。礼拝後牧師館ではぜんざいを食べながら信者たちと対馬や韓国から来ている方々と国際的な話は続いた。友人たちとレストランに席を移し、話はまたまた続いた。

人に注意

2010年01月24日 05時28分36秒 | エッセイ
 寒さを凌ぐために電車のホームの中にある待合室で本を読んでいる時であった。ある中年男性が私の左隣に座り、ワークマンのようなプレイヤーで音楽を聴きながら足で拍子をとっていた。その音楽が漏れて私にも聞こえた。私の右隣には60代の女性が本を読んでいた。その女性がその男性に「音楽は一人で聞いてください」といい、数人しかいない室内の雰囲気は毀れた。10分ほど待つ間に起きたほんの小さいハプニングであった。
 社会環境を良くするためには人の行動を注意する正義精神は必要な側面もある。マンションやアパートなどにはこのような小さいクレームの張り紙が貼られることがある。それらが社会環境を良くするか、悪くするかが分かりにくくなる場合がある。アパートなど密接して生活する時は飲食の匂いや煙、足音、冠婚葬祭などにより隣に迷惑をかけることがあり、それからトラブルが起きやすい。身近な生活から生じる問題に対していちいち「注意する」「クレーム」などで抑制すべきであろうか。トラブルを起こすよりは我慢したほうがよいのかどうかの判断は良識による。
 社会環境の改善のためであるならもっと大きい正義感をもって戦う力を発揮してほしい。いま民主党の鳩山氏と小沢氏の資金管理問題で日本社会が混乱している。混乱している社会を司法が安定させるのか、あるいは、平安な状況を司法が混乱させるのだろうか。私は待合室での出来事をこの政治問題まで飛躍して考えてみた。

日韓合併100周年

2010年01月23日 04時57分02秒 | エッセイ
 今年は日韓併合100周年になる。これに関しては両国において喜んで記念すべきことではない。韓国では国恥日としている。私はその日本の植民地期に韓国で生まれ創氏改名された体験がある。しかし、今では日本に留学して日本研究者になっている。目下日本植民地期に朝鮮半島に渡って住み、日本へ引き揚げてきた人々への聞き取り調査を行っている。「中国新聞」の伊東雅之氏からその植民地朝鮮へ移住して日本村を作った歴史に関して執筆した特集“刻まれた記憶”(一部7回分)が届いた。多くのマスコミや団体がこの記念のために準備しており、私も協力しているが、中国新聞がスタートを切った感がする。
 私は引揚者が語る証言の資料化も必要と思うが、それより個々人の朝鮮での経験や体験が彼らの人生に生きている過去としてどのように作用しているかに関心が高い。韓流ブームの前までは韓国では反日感情が強く日韓関係がギクシャクすることが多かった。それは主に日韓関係の近代史に由来するものである。私の拙著『親日と反日の文化人類学』(明石書店)でも触れたが植民地政策が悪かったことはもちろんであるが、それよりは戦後の処理も含む、日韓関係のまづさによるものであるといえる。
 植民地は終戦と同時に終わるものではない。その影響は長く響く。その戦後の状況が日韓関係を長く左右する。私は民族や国家を超えて植民地を調査してきたのでその視野から日本の植民地に触れたことに関して韓国では誤解されることが時々あった。この件についてはいつか書こうと思う。
 

与党と野党

2010年01月22日 05時26分58秒 | エッセイ
 民主党が与党になって初めての予算審議会の中継を一日見た(「毎日新聞」)。中継の議論を聞いて強く感じたのは攻防と防戦である。中継は相撲の時間とダブったが本当に内容までダブっていると言いたい。鳩山総理は小さい問題、繰り返しの質問に誠意をもって答えた。私はその姿勢に感動した。彼の姿勢は野党の時とそれほど変わっていない。しかし自民党総裁の谷垣氏は与党時代とは変わって猪突的になった。仙谷氏が地位によって意見が異なるのは当然であろうという答えには余りに露骨であり、失望した。自民党の小里氏の質問を聞いては自民党には人材がいないという印象さえ受けた。
 与党と野党の交代、つまり政権交代が実現したことに日本の民主主義に希望を持っている私が政治自体に失望しそうである。政治と学問は根本的に異なるとは思う。が、私は研究会などで議論している中で反対意見が出た場合、反論するか受け入れるかの基準は真実である。私は反対(敵?)の意見でも参考文献にする姿勢である。しかし政治やスポーツは相手の弱点を見つけようとし、戦う。
 国会中継全体を聞いた感想としては鳩山氏の野党の意見でも受け入れようとしている姿勢が浮き彫りにされた。金持ちの坊ちゃん育ちが非難されるようであるが非難する質問者の品の低さとは対照的であった。与野党を超えて普遍的な「人格」、日本の「品格」を持つべきであろう。

国際結婚の失敗

2010年01月21日 06時21分12秒 | エッセイ
 彼らは十年前に結婚した。夫は韓国人、妻は日本人であり、いわば日韓結婚であった。私ども夫婦が立ち会人になり、たくさんの方々から祝福を受け、子供も二人生まれた。時たま両側の両親とも相談に応じていたが、最近になって夫婦の仲が悪くなって離婚の話が出た。私ども夫婦が仲裁するには力不足であった。 別れることになり、子供が大きい問題になった。幼い子供たちは日韓二重国籍であり、日本の母に幼児の息子、韓国の父にはその上の娘が引き取られて、姉弟は分かれて育てられていたが。離婚手続きができず別居中に夫とその親族が数人が来て、強制的に母から息子を奪い取って連れて行こうとして事件になり警察によって空港などで捕まり、裁判によって夫は有罪判決を受けた。結局離婚は成立、子供は一人ずつ分けて育てることになった。
 事後報告として子供の母からそのドラマのような状況を聞いた。私は、韓国での生活経験、子供を得たこと等‥良い点もあったはずなのでまず不幸であったことを「忘れて新しく出発するように」と言った。今はとても不幸だけれども、将来には祝福されることがきっとあるはずであると人生の先輩として励ましの言葉を語った。彼女は明るい声で電話を切った。

差別と天皇制

2010年01月20日 03時48分33秒 | エッセイ
 萩へ行くのはこれで三度目。最初は20年ほど前にタクシー観光、二度目は萩在中の金優社長の案内で松下村塾と椿群生林地などの観光、そして、今度は博物館観覧が主目的であった。姜顕秀氏夫婦と教育院長の徐聖淑氏と同行した。私は吉田松陰と明治維新を紹介しようといたが、私自身が伝聞などによる知識しかないので勉強するつもりで博物館を訪ねた。吉田に関する展示と村塾に注目して、DVDと本を購入した。私の吉田への関心に萩に根をおろして成功した金社長が嫌な表情をした。訳を聞いたら吉田の「尊皇と差別」という大き過ぎの問題があるという。
 萩文化福祉大学のロケと景観は素晴らしい。自然と文化、伝統と歴史の素晴らしい環境に恵まれて成功した金社長の差別云々は気がかりであった。私は差別の主体は無知な人間のすることだと言いながら外国出身の人が根を下ろすまでの苦労を深く共感した。
 車の中では韓国語での楽しい時間であった。姜さん夫婦が短い期間で日本人との付き合う話は差別とは全くの逆な話である。韓流ドラマばかりで韓国が好きになった日本人から韓国人は皆「美人」「金持ち」のイメージで聞かれるという。ドラマでは普通の家庭でも生け花がしてあり、果物をよく食べる日常生活だと思い込んでいるという。先日韓国からの女性団体旅行者がバスから降りるのを見たある日本人がテレビドラマで見るような美女ばかりではないことにびっくりしたという言葉が気になった。昨日は差別と優遇の明暗が極まる一日であった。

失敗と成功

2010年01月19日 05時55分35秒 | エッセイ
 ある人の転校就職を後ろ押しをしたが不採用との知らせが来た。その当事者に慰めの文を送った。某君にいった。「今断られた事が君の人生にマイナスと判断するには早すぎであろう」と。
 私の経験からの話である。私は断ったり願ったりして転々として職場をかえたことが多い。高校の教員から陸軍士官学校の教官へ、そこで教授部長の将軍から軍人として残ってくれといわれたが断って職業軍人の道は選ばなかった。もしその道を選んだら今とはかなり変わった人生を歩んでいただろう。
 文化財専門委員をしている時ある大学から誘いが来て履歴書をもって行く途中で電車から降りて戻ってきてしまった。その後日本に留学して異なった道を選んだ。留学してから韓国へ帰国の時、専攻とはことなる日本語学科の教員になった。それは専門さえ変質させるような道に逸れたような気持であった。しかし研究領域を広げても本質は変えなかった。
 ある大学の学長が拙宅に三回も誘いにきて、難しい決心して行こうとしたが拗れていけなかった。その後行かずに本当に幸いだったと思う日々だった。その後も数回職場を変えながら現在に至っている。
 今なぜこの話を書いているかというと振り返ってみると、それは何が自分にプラスやマイナスになるかを判断することが難しいということを言いたいからである。選択の過ちと気づいた時は修正しながら必死に生きてきたことであり、それは「運命」というしかない。失敗と成功は区別できないのが人生であろう。

放談

2010年01月18日 05時35分46秒 | エッセイ
 私は久しぶりに大学入試センター試験の監督であった。二組の待機であり、放談するよい機会であった。学会や研究会でもないので朝から晩まで話はジグザグで横断して長く続いた。生化学、デザイン、地理学の専攻者たちと数多くの話題が上がった。話は中沢学長に脳味噌の「味噌」の名称に関する話を聞くところから始まった。カニなどのなかから連想したか、猿の脳味噌を食べる中国などの風習から脳の中を見て、人間の脳に関する知識を得たのではではないかなど話は尽きない。体の大きさと寿命の関係、小さい人種ピグミー、相撲取りの人、栄養と遺伝の関係、地球変動と地震、そして地理学(礒永氏)の、地図作成の歴史などまで広がった。歯磨き用品などのデザイン(吉光氏)に話は移り美と商業に…。車とテレビなどの色や形などがきりがなく話は飛んだ。テレビ局でのCMやデザインの職歴から視聴率や美の黄金比例など(櫛田氏)の話、アイルランド愛国詩人のイエーツ(門脇氏)など延々と続く中、午後6時に試験は終わり、待機が動員されることなく無事に終わった。私が検察の捜査を話題にしようとしたときには誰も乗ってくれなかった。私の意見とは反対の意見なのかあるいは政治には関心がないかであろう。

「検察が正義の人だと思ったら大間違い」

2010年01月17日 06時07分07秒 | エッセイ
 韓国から高校の同窓会の文集(続編)が届いた。同級生で大法院の判事をやった朴君が日本警察への恐怖から判事、検察になり、正義を守ってきたという話が書かれており面白く読んだばかりである。鈴木宗男氏が民主党大会で来賓としてのあいさつの画像をみて思い出すことがあった。韓国の蝟島という島で民俗調査をした時、島民たちは李奎報という高麗王朝の名人が「政治政略でこの島に流配された」というのを聞いて住民は裁判制度を全く信用していないことに驚いた。それは他の流配地でもほぼ同様であった。
 今検察の特捜部の調査を見て、旧植民地時代の伝統を引き続いて守っていると感ずる。鈴木氏は「検察が正義の人だと思ったら大間違いだ」といった(写真は読売新聞)。私は彼の事件は本欄で書いたことを覚えている。法律は社会が混乱している時、社会を安定させる柱のような能力を持っているはずである。刑事件と言っても腐敗が露出して社会が混乱した時、法律が現れるのが本意であろう。いま「法」が社会を混乱させる感がないとは言えない。一種の暴走であろう。
 政治が検察などを利用するのではないかという憂いで、三権を分離して社会正義を守るように保障したのに、その検察が政治をしている気がする。法の機構が暴力を振ると止める方法がない。彼らを監視する機構はない。国民しかいない。このような時、国民が「愚衆」になってはいけない。