崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

車の中で待っている女性

2014年02月28日 06時31分53秒 | エッセイ
 昨日在日2世の民団の指導者である黄正吉氏が研究室を訪問して下さった。在日韓国人・朝鮮人の親睦団体の創立13年目のサンキュウクラブで3月18日、講演依頼のお話だった。サンキュウとは何を意味するのだろうか、山口の「山」と九州の「九」を合わせ命名したという。関門より広い領域を指すが、組織は親密、質も高いようである。彼は東亜大学には初めての訪問であり、正装し、礼儀正しく、講演の打ち合わせをした。彼は私の最新著の『雀様が語る日本』を読んで、私自身に関心を持つようになり講演を頼みに来たという。特に朝鮮戦争や日本に留学するところをメインに1時間半講演してから20人全員の質問時間を設けるという。また、新しい出会いがありそうで楽しみであり、感謝である 私は彼を経営者として成功している方として見ていると同時に在日の中でも特別な文化人であると感じており、話がそちらに移った。最近彼が主催した慶尚道民会の集いでは数百人が集まり、彼の立派なごあいさつ、また出演者たちのすばらしい演芸などを楽しんだことを覚えている。彼は夫婦おそろってよく後援会などに参加しておられることを知っているので「奥さま」の話になったら実は今外で車の中で待っているというのである。私は大変びっくり、女性差別でもしたような罪(?)意識が発動しておいでいただくように言った時、彼は丁寧に挨拶をしてお帰りになった。もっと早く奥さまのことを聞くべきだったと悔やまれた。続いてソウルから出版関係のお客さんが来られた。
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渦巻きのなかに安心感

2014年02月27日 04時36分47秒 | エッセイ
中国人民大学の助教授の金炳徹氏が日本のある基金の支援を受けて私が所長を務めている東亜大学東アジア文化研究所で1年間研究員として研究することが決まった。嬉しい。彼はすでに私の研究会や読書会などに積極的に参加していてこれから楽しく研究協力ができると期待している。彼はイギリスに長く留学して社会福祉を専攻、博士号を取得、日中韓の比較研究を強く希望している。小倉に日本語学校に来ていた時朴仙容氏の紹介で縁が結ばれた。
 日中韓の関係が最悪の中の慶事である。昔小さい船に乗った時、波風が強く私が恐怖を感じている時に船人は太平な表情していた。それを見て安心した。金氏は日中韓の「最悪」の渦巻きのなかにおいて安心感を与えてくれた。昨日は混乱している政治をはじめ世俗社会の革新されるべき点について長く議論したが、やはり大学や研究機関は「最悪」と異なって、この社会に安心感を与えてくれる。
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階段

2014年02月26日 05時13分16秒 | エッセイ
先日定期的に通っている病院の主治医池田先生から寒さの峠を越えてから少し運動を勧められた。運動と言うとすぐ激しい運動を意味するのではないと強調しておられた。運動の一つとして階段歩きを例した。平地を歩くよりは「上下」運動が効果的であるという。それはスポーツ健康専攻の博士論文の公聴会でも同じ研究発表を聞いたことがあり、これから実行しようとしている。その後から階段に対する私の態度は変わった。階段は嫌な気分であったが、高い階段を見ても負担を強く感じないようになった。私の態度が変わったのである。。
 社会には階段が無数に存在する。それはただのハードルではないことも考えた方が良い。先日沖縄で会った教え子は今係長、これから登る階段が多いと言ってあげた。社長までの階段を徐々に登って行くようにみえた。自分の外側にだけ階段があるのではない。自己完成に向けて自分の階段を登るのは楽しい。それは仕事であり、趣味でもよい。私自身多くの階段を持っている。それが苦労か、楽しみかは肯定的、否定的な価値観によるものである。
 
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「土下座」

2014年02月25日 04時44分41秒 | エッセイ
帰宅して留守中の数日間の新聞から先週「川嶋擁子氏をめぐる談話会」朝日新聞と毎日新聞の記事、そして私の連載寄稿文の「土下座」(下段に全文)を読んだ。新聞記事を読んで川嶋氏と同じ小学校の生徒だった方で、わが家の近く住んでおられるという方から電話を受けたという。会わせたかったが川嶋氏は今朝アメリカへ発つ。残念であるが、電話でつなげることができたそうである。お二人がお話ができ、当時を思出だして泣いたというお電話もいただいて、近いうちにお会いすることを約束をしたということである。今度の沖縄調査で石垣島の正木氏が言った言葉が気になる。日本という国がいかに戦前の軍国主義時代の官吏制度をそのまま踏襲しているか、長い歳月を経ても革新できないという、耳に新しい良い言葉であった。
 私の寄稿文では日本人の「謝罪」「土下座」の文化をみながらなぜ戦争や植民地にはそれをしないかと考えた。おそらく原爆によって被害を強調しても、し過ぎることがないほど「被害国」という意識が強いからであろう。河野談話の検証の記事も見つけた。戦争を起こして敗戦国となった日本は基本的に謝罪の姿勢を取るべきである。一方韓国は植民地への批判的な姿勢は正しい。しかしそれは両国によって歴史を正すことで平和を求め維持するためであって、非難と誹謗や中傷のためではない。両国において歴史認識は内省の問題である。私が以前分析したように韓国の反日は国内用である。それを外交に使ってはいけない。


土下座

崔吉城

最近韓国の映画やドラマを見ていると細かいところに日本の影響が表れ、気になる。有名な作家の古川薫氏との対談の時、戦前の映画「陸軍」で出征の前夜に父親の肩を揉んであげるシーンを見て、韓国の習慣からは異様であると話した。男の肩は神聖であり子供や女性が触るものではないと言われて育ってきた私にとっては異様な光景であったからである。しかしその後多くの韓国映画やドラマで肩を揉んであげるシーンが出ていたので古川先生がどのように受け止めておられるのか、気になるところである。

もう一つ気になるのが最近の韓国ドラマや映画で韓国人の男が頻繁に膝を折って土下座して謝るシーンである。実生活とは異なる光景であり、私には異様な光景である。私の今日までの人生において膝を折って礼をすることはあっても土下座して謝るということはなかった。土下座は「降服」か「罰」を受ける時のしぐさであり、それ以外はありえない行動である。韓国ではそれほど謝罪の言葉や文化はなかった。西洋人のアポロジーや日本の「すみません」「もうしわけありません」に対応する言葉が韓国語にないわけではないが、日本のような謝罪文化はない。

土下座するほど間違ったことなく高齢者になっている私であるが、振り返ってみると私にも土下座すべく危機があった。私は物を簡単に捨てる習性がある。しかし日本人の家内はなかなか物を捨てがたいタイプである。私が判断して家内の物を捨てたことがある。私が捨てたものを彼女が探しているのを知って私は困ってしまった。これは私のミス、大失敗、結婚後一度も夫婦喧嘩をしていないという自慢話が無効になりそうであった。どう謝罪するか、心理的に困境に追い込まれた。結局私が間違ったことを謝り、無事に収まった。その位でも韓国の男性として例外的、精一杯であると思う。しかし最近の韓国の男性が頻繁に土下座するのは日本のドラマなどの影響だろうか。

西洋社会には勝利宣言とともに敗北宣言がある。英語圏にはアポロジー文化があるように日本には優れた謝罪文化があると私は思っている。日本でよく目にするのは会社などで間違った時、長いデスクを並べて責任者が頭を下げてお詫びをする画像である。高級レストランでのメニューの問題でも数多くの謝罪の映像をみた。私にはなんと日本人は簡単に罰を受けるような謝罪をするんだろう。その日本がなぜ植民地や戦争と侵略に対しては謝罪をケチるのだろうか。いろいろなことがあってもアジアの平和維持が難しいのは日本が逆に原爆などを持って被害国に変身したからではないだろう。今、韓国側の慰安婦問題などは無理な主張だと思うが、日本の植民地と戦争に対しては土下座をするくらい、心 から謝罪すべきだと思う。

日本は世界から、多くの人から好かれる国である。しかし広くアジアには反日文化圏がある。アジアに向けて、より謙遜、寛容が必要である。領土が大きい中国よりもっと大きい大国心が必要である。
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沖縄のパーワー

2014年02月24日 04時59分14秒 | エッセイ
石垣毎日新聞の松田氏の案内で1万株のパイン畑でパインの品種、管理過程、6月末から8月までの収穫期など詳しく聞き、バンナ公園の山頂から見下ろした那覇に来ている。空港からモノレールでホテルまできた。沖縄も都会化、日本化されて繁栄していると感じた。
 昨夜広大での教え子の某新聞社に勤めている喜屋武君と娘に会ってお茶の時間を持った。名桜公立大学の李鎮栄と許点淑の両教授にも久しぶりに会った。二人とも啓明大学校日本学科出身として文化人類学が専門である。私は二人の教え子に案内されて、華麗な米国文化の異国情緒あふれる飲食店が多い街の中にあるクルメ回転寿司美浜店でご馳走になった。店の前には待っている人が長蛇陣であり、長く待って山盛りのごちそうであった。
 名桜大学は公立して安定し、発展していく様子を窺った。沖縄というといつも基地反対ばかりすると言うイメージとは異なり、基地や米軍と文化的に混合・融合して発展してきた現実もあることを実感した。多くの高校生は在学中アメリカで英語などを勉強して日本の名門大学を目指すということなどアメリカから刺激され国際化が着実に進行している。アメリカ文化を中心に琉球国の独立性を見出す文化を作り上げ、一方では独立国家を目指すグループまでいるという。日本政府の戦前続きの保守主義とは異なった新興国のような沖縄のパーワーを強く感じた。
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墓の観光とは

2014年02月23日 04時18分14秒 | エッセイ
 私は大きい研究テーマの「帝国日本」が頭から離れることなく、現地調査に臨んでいる。戦前台湾と石垣島は国境はなく人とモノが往来したが、戦後国境を挟んで人々は巧みに国境貿易を行なってきたことを知った。しかし沖縄と言えば戦争や米軍の話になるが、意外に戦争の話が少なく、まさに民俗調査であった。
 昨日は違った。まずわがグループは西海岸にある「慶来慶田城翁之墓」を訪ねた。錦芳氏一門が立てた「頌碑」であるが、その横に2002年建てた「尖閣戦時遭難死没者慰霊之碑」がある。2011年八重山農林高等学校緑地土木科がその基壇の土木工事をしたとのことである。慰霊碑の「尖閣」と今、国境問題の「尖閣」とがは異なるがダブっていて、ナショナリズム現象も伺われる。
 また海沿いの道の北西には唐人墓がある。中国福建省出身者128人の霊が祀られている。参拝客ではない観光客が手を合わせる光景がある。世界各地の墓を多く見たが日本では墓を観光とすることは珍しい。案内板に「琉球王朝は人道的に食糧や水を運び、中国人側の被害が少なくなるよう配慮した」という。日本と台湾の友好親善の宣伝のようである。また数個の記念碑がある。一つは太平洋戦争末期、石垣島に来襲した爆撃機が撃墜され、3名の米軍兵士は日本海軍に逮捕され捕虜となり刺殺、斬首により殺害された。戦争の悲惨さ、日本軍の残酷さを訴えるのだろうか。平和について考えさせられる場所である。
 そこから北へ走って製糖工場見学を申し込んだが硬く断られた。サトウキビを積んで出入りする車、煙突の煙を見るだけで残念であった。大金を使ってCMを出すのに見学を認めない事情はいろいろあるだろうが戦前の軍事工場ような雰囲気を感じた。
 歩いて会場へ行く途中、数か所の御嶽を見つけた。イビ(石)を祭っている御嶽でも堂を建てて、神社化したものが多い。沖縄の日本化が進んでいる。誰かが言った。南では戦前一等国民は日本、二等国民は沖縄、三等国民は台湾だと、そして北では日本、朝鮮、中国(満州)のようである。古代中国は周辺民族を北の戎、東の夷、南の蠻、西の狄と言った中華思想の面子が日本に逆転された時があった。
 午後の総合討論では石垣と台湾の関係について発表と議論が行われた。島袋綾野氏の「考古学から見た石垣と台湾」では洗骨葬の甕の写真をもって語った。続いて王滝氏の親善交流会、華僑会などの関係者が発表した。みな見捨てられたような危機感、不満を日本政府に向けているように感じた。中華料理屋で最後の懇親会ではその発言者の一人の画家であり石垣市文化財審議委員の石垣博孝氏(75歳)と同席した。彼は私の生まれ故郷の楊州の仮面劇を見てきたという。さらにその案内者が李杜鉉先生だったという。私の驚きは言うまでもない。去年亡くなられた私の恩師であるからである。また先生が40年前この島に来て墓や洗骨葬を調査した時には石垣氏が案内した話で二人で、私は彼と乾杯を繰り返した。にぎやかな宴席の隣部屋では太鼓と三味線の音がして覗いてみた。結婚して初出産の幼児を祝うパーティだという。この祝いの気持ちで全調査日程が終わった。


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「琉球政府」と「日本政府」

2014年02月22日 05時19分58秒 | エッセイ
石垣島の現地調査の二日目、初めは後輩たちの調査を後ろからついて行って見るように傘だけ持ってぶらぶら、グループとコースによって車を乗り替えながらジグザグに走った。しかし私はほぼ完ぺきに調査態勢になっていた。それはスマートフォンで録音、映像、撮影ができるからである。
 まず100年の歴史をもつ玉那覇酒造所へ行った。タイ米を洗い、蒸し、一晩ねかして4台のつなげコンベアーで横のタンクにいれて手で黒酵素を混ぜ、モロミが黒くなったらタンクに日づけをして17日間発酵させる。そして蒸流する釜に入れ 蒸留されて出てくる70度(平均45度)のアルコールを手作業で瓶詰め、商品化する。
 次は石垣台湾人の墓へ、台湾人会の会員(資格2年以上)の墓地、墓参りとレクレーションできるように死者と会う宴の場でもあるという。それはサハリンなどでも墓場にテーブルや椅子を備えて離れ離れに住んでいる親族が集まる場所となっているのと似てる。海外に住む同胞たちの知恵のように感じた。曇って陰惨な墓を一人で隅隅まで歩く時、カラスが集まっていた。自分の死後のことを考えた。御嶽が神社化されて清めの井戸などがある所に車を止めて撮影した。
 登野城の正木譲氏宅では彼の祖父母が台湾に住んだことがあり、1944年疎開のために台湾の台南に移住して戦後戻って気象台で42年間公務員をした話を聞いた。彼はその長い公務員生活からいわば占領時代の「琉球政府」と現在の日本政府とを比べて次のように語った。日本への復帰については民主主義になれるかどうか疑問をもったと言う。そのままが良かったかもしれないと日本政府に否定的な態度をとった。まず琉球政府時代には官吏として教員や一般人が採用されていて民意を直接聞いて政策に反映してくれた。飛行場の危険性と毒ガスに反対運動をすると米軍は世論を聞いてくれた。彼の4年間の勤務中の有給休暇80日間を守ってくれて許可を得た。今は島民の意見を米軍に言っても日本政府に話をするように言うだけで聞いてくれない。日本政府の官吏は戦前の官僚制がそのまま残っていて規制ばかり気にして中央からの指示に従っているので仕事が上手くいかない。1970年代復帰直後沖縄で聞いた意見と似ていて当時を思い出した。
 台湾人としてパイン工場などを経営してきた曽根はるこ氏の話も聞いた。曽から曽根と創氏改名した。29歳にここにきて44年になった。彼女は夫の工場などに協力しながら台湾に船で往来しながら台湾の物、主に衣服を持ってきて売る仕事をしたというので下関のボッタリ商人と関連して面白く傾聴した。その後社会福祉会館で与那国議員の田里千代基氏のはなしを聞いた。彼は国境政策、地方と中央の平等関係、観光、国際化などの提案を多く出され、1500人の住人にも暖かい視線を向ける政治の必要性を語られた。彼は夜の夕食会にも参加して挨拶をされた。お刺身が豊富に出る料理でも私は健康のためには早目に引きあげた。今日もタイトなスケジュール、明日は那覇へ移動する。(写真は墓)
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ここは沖縄石垣島

2014年02月21日 05時34分33秒 | エッセイ
ここは沖縄石垣島、昨日の朝、福岡空港から1時間40分、さらに那覇から1時間南へ日本の南境の尖閣に近いところまできた。本島より10度高い17度、気持良い南風にさらされた。東洋大学の植野弘子教授が代表とする科研の「帝国日本のモノと人の移動に関する文化人類学的研究」の共同調査のためにに来ている。早速「石垣島博物館」を観覧した。
 中部大学在職中、20年ほど前にここで研究会をしたことがあるのに、風景や博物館の中も全く記憶していない。私の記憶はどうなっているのだろう。朝鮮戦争などを鮮明に記憶しながら20余年前のことが記憶に残っておらず不思議である。印象的なものがなく、記憶されていないのか、脳が記憶を消したのか。
 陳列の結婚式、洗骨・葬式などを見ながら1974年沖縄宮古島の調査を思い出した。中国の儒教文化の影響が著しく、その点韓国と似ている。ここの女性たちは物を頭に載せて運ぶ。韓国のトウワリ(ドーナツ型)のようなものもあった。ここの民俗は古い絵葉書で見たので照らし合わせて考えた。
 大浜信泉記念館(教育研究所)で開かれた飯田泰彦氏の「八重山の社会と文化:井戸・泉をテーマに」の1時間半の講演会は、1970年代水道ができる前までの泉・井戸を中心として村、御嶽の組織の氏子と重なって共同生活が効果的に機能したというお話であった。沖縄の学者たちは伊波普猷氏以来古い民俗に関心が高く、久しぶりに良い民俗調査のお話を聞いた。しかし「帝国日本」との接点はどこにあるか戦争と沖縄について質問した。軍はまず井戸水を調査して水源をとるとか、毒を入れたなどの多様な話を誘った。
 サトウキビ畑とパイナップル畑のある道を車窓から眺めながら日本のプランテーション、戦前の政策を今日考えることを期待している。中華料理店での懇親会は楽しく、私の就寝時間が過ぎてしまった。キンヨナ、浅田真央が気になったが寝た。朝、起きてみたら韓国ではキンヨナの銀に不満の声があっても日本では浅田に関しては不満の声は出てないようである。
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障害や被害を装っている人

2014年02月20日 04時34分14秒 | エッセイ
川嶋擁子氏は朝鮮半島から引き揚げの時の爆撃で右の聴力を失ったという。私は15年前から左がほぼ聞こえず、補聴器を使っても不便な状況である。彼女との対談のような懇談会に彼女とは聴力がある左右になった座席で好状況であった(写真、撮影は礒永氏)。しかし私と同じに左耳の聴力が悪い人とは互いに困る場合もある。私は一時的に両耳が全く聞こえなくなり、絶望したが右は回復して正常である。絶望、失望の時慰められたのは音楽の聖人ともいわれるベートーベンであった。
 聴力の調査は基本的に被験者の意思によるものである。客観的に診察するのは難しい。韓国では兵役を避けるために聴力が悪いと言うことで身体検査で不合格、兵役免除になった人がいた。しかしその審査は厳しかった。談話の現場においての反応を観察し、「火事だぁ」などの大声や音に対する反応をみて障害者となった人がいた。彼は寺の手伝いの仕事をすることになった。その時、庭の掃き掃除をしながらラジオの音楽に合わせて足でリズムをとっていたのを見た人の密告で捕まったという。佐村河内守氏(50)は聴力を失ったと装って「現代のベートーベン」として成功した(?)。しかし彼も「背後から声をかけられて返事をした後に慌てて手話通訳のほうに向いて」というなど装うには失点が多くあったという。
 福祉社会では障害者が優遇されるような施設やシステムがあり、障害を売り物とするような現象がないわけではない。障害や被害を装って手帳を求めた人はこの人の他にも数多くいると思う。加齢によって人は耳が遠くなり身体的にも弱くなっていく。障害は特権ではない。福祉などの施設は障害者や弱者への愛情によるものである。それが社会の美徳であることを忘れていけない。
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川嶋擁子氏夫妻わが家を訪問

2014年02月19日 04時51分53秒 | エッセイ
昨日は日系アメリカ人の川嶋擁子氏夫妻がわが家を訪問。家内の手料理の干しメンタイ、焼き肉などの韓国式献立で昼食を美味しくとりながら談話した。数年前ボストン郊外の彼らの家で手作りの日本料理でもてなされたお返しにもなった。昨日のこの日に合わせたように毎日新聞の朝刊広告にハート出版の全段広告が掲載されていたので見せた。6万部4刷に入ったという。出版社の西山氏と代って電話で話をするなど忙しく過ごし、彼女を囲んでの談話会のために大学へ向かった。彼女は韓国系アメリカ人からバッシングされて、心理的に打撃を受けたのでそのような場にはならないように話を進めた。30年ほど前、アメリカで出した本が韓国語訳されて激しいバッシングを受けて絶版され、日本では出版がなかなかされなかったがハート出版が思い切って実行したのである。
 日韓関係の「最悪」という時に韓国のバッシングの宣伝効果を載りベストセラーになっている。「わがままな11歳の少女」であった「私小説」的に書いたものが父親が731部隊に勤務したなどと事実とは異なったことを言われたことを解明したり、カレンダーも時計も持っていなかったので記憶が正確ではない点は謝ったりしたしてきた経緯を直接説明してくれた。
 文学か歴史かの質問には、児童文学で書いたつもりであり、それが評価されアメリカの中学推薦図書になったが韓国系アメリカ人の女子学生から韓国人が日本人に加害をしたとはどういうことだろう、日本人に被害を受けたのが事実であろうという抗議を受け入れた韓国系アメリカ人たち、当地の団体、行政団体、そして韓国のマスコミにバッシングが広がった。
 昨日は主に読んだ人が質問する時間を長く持った。昨日の参加者の読書感想では、例外なくバッシングされるようなことは全く感じないと言うことだった。世界的に広く読まれるのは児童文学、つまり文学作品として評価されている。文学作品を対象に歴史的証言集のように、読みバッシングされることに著者は「日本の植民地」からのものであると理解し、受け入れているように話をした。
 またいま日本でどのように読まれてほしいかの質問にについても議論した。今日韓関係の「最悪」の潮流に乗った多くの嫌韓人に読まれることはあっても著者は戦争の辛さと平和へのメッセージを読みとってほしいと強く語った。私は引き揚げの悲惨さや残酷さは多くの証言集に譲り戦争文学、児童文学で読まれることを希望するように締めくくった。多くの日本人に読んでもらいたい。
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チョコレートの苦みと甘さ

2014年02月18日 06時09分59秒 | エッセイ
 バレンタインの日にソウルから来られた人から「新年おめでとう」といわれた挨拶にどう返事すべきか一瞬戸惑った。バレンタインの日に日本人からチョコレート、韓国からは年賀状もいただいてうれしい。陰暦のカレンダーと西洋のカレンダーが混合しているのを実感している。バレンタインにはチョコレート、母の日にはカーネーションとイメージが密着している。
私がチョコレートとチューインガムの味を知ったのは朝鮮戦争期に、米軍からもらった時であった。チョコレートのように苦く甘い味の菓子は韓国には全くない西洋の味であった。ガム文化はロッテの力にもよるが、咬み風船のような遊び、道端やトイレを汚す悩みを持つまで韓国文化のように定着したが今は品のない文化とされているようである。私はチョコレートと聞くとベルギーを思い出す。チョコレートはベルギーの悪名高いアフリカの植民地であるコンゴが原産という長い歴史を持っている。西洋の大発見、探検、開発植民地の歴史の中には胡椒、砂糖、コーヒー、チョコレート、ゴムなど熱帯植物を求めたものが多かった。そして植民地を通して世界化が進んだ。悪名高い残酷な統治地、コンゴから生まれた世界的な名品を愛のバレンタインデーに食べるのは皮肉とも感じられる。チョコレートの苦みと甘さがそれを象徴的に思わせる。今日拙宅にアメリカから著名作家川島擁子氏夫妻が来られる。彼らも高齢に達している。これまでのお二人の歩のお話とともに一緒に味わうためにチョコレートも準備した。 
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ビクトル・アン(安賢洙)

2014年02月17日 06時07分57秒 | エッセイ
韓国出身ロシア国籍のビクトル・アン(安賢洙)がロシア人として金メダリストになり、プーチン大統領から祝電を受けたという。一方韓国の朴大統領は安氏がロシア国籍を取ったのは韓国の体育会の不条理だと指摘したという。韓国体育大学校出身をめぐる派閥のために彼を嫌がらせ、安氏は良いコーチの指導を受けることや練習することができずロシアの支援を得てオリンピックに出ることができたという。つまり安氏は城南市のチーム解体で2011年ロシア人ビクトル・アンになった。安氏がメダルを取った瞬間、韓国のメディアは一斉に安氏の本名で「アンヒョンシュ」と、韓国出身、韓民族の勝利として大きく報道した。また安氏が祖国を裏切ったとも言われている。
 私は韓国のパワーだと思っている。今、海外に500万人の同胞がいると言われているが、程度の差はあっても多くは韓国が嫌になり、韓国での自分に希望がもてず、移民や移住をしている。その理由は心から出た人が多いと思われる。日本、中国、ロシア、アメリカなどに多く住んでいる彼ら(その祖先)は韓国を背負って出た外交官でもなく宣伝のために移住したわけでもない。韓国での困難、嫌さが彼らが国を出る原動力であったはずである。韓国で商売で失敗した人が人間関係などを恨んでインドネシアで韓食堂をしている人の話を聞いたことがある。韓国が嫌で出てきたが食堂では嫌な韓国人が主なお客であるので縁は切れないという。韓国が嫌であったが時間が経つにつれて懐かしくなっているとも言っていた。多くの韓国海外同胞は恨みや嫌がらせ、縄張り、憎しみから故郷や祖国から出だにも関わらず今、韓国の発展に直接間接的に大きく影響をしている。長い歴史は人の憎しみをメルトmelt(溶かす)し、人を再生させるのである。安氏を追い出した派閥は何時愛情、友情の和解に変わるのだろうか。
 
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わが家のミミちゃんが看板娘

2014年02月16日 06時26分50秒 | エッセイ
 昨日東亜大学でロサンゼルス・ソウルオリンピックにて柔道金メダルを獲得された斉藤仁氏の講演があり、その後本学スポーツ健康学科教授右田教授との特別対談も行なわれた。2時からの予定であったが東京空港の大雪で新幹線で来られて3時に変更せざるを得なかった。大型教室に1時半開室で400人ほどが待っている。それを待っている時間に韓国の東亜大学校から来られた斉藤氏の友人のロサンゼルス柔道金メダリストの河亨柱氏が登壇して話をされ、私が通訳をした。電話で呼ばれて行き、面識のない、初めて会ったばかりで演壇に立った。久しぶりに通訳をした。「スポーツ選手を目指す若い人へ」という内容であって意外にも人生とスポーツの話であり、私の耳慣れた言葉ばかりでスムースに通訳ができ、ホッとした。斉藤仁氏が登壇するまでうまくつなげることができ、講演会はスムースに進行した。斉藤氏の話は直前の河氏の話とつながって良かった。相撲から柔道へ、礼儀、武、稽古、人間教育、武の心の「三磨の位」などの話が綴った。
 昨日は久しぶりにお会いした山口大・学長の丸本卓哉氏と獣医外科学科の田浦保穂教授のお話も傾聴することができた。東亜大学医療学部医療工学科には「動物看護学コース」を新設し、山口大学と連携して運用するというお話であった。昨日の講演会の配布資料を帰宅後ゆっくり見たら、わが家の愛犬ミミちゃんの写真が「動物と人間、社会をつなぐ」に載っており、わが家の慶事になった(写真)。人口の半分以上が愛玩動物を持っている日本で必要な学科の新設に期待が大きい。しかし広報がうまくできておらず募集状況が良くないと聞く。わが家のミミちゃんが看板娘として宣伝に出てます。どうぞ、ご覧くださって動物とかかわりのある勉強をすすめてみませんか?
 
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緊張と失敗の中で優勝

2014年02月15日 04時37分41秒 | エッセイ
早朝4時10分過ぎ日本の羽生が最高点で金メダルが決まった。おめでとう。二度失点があって審査に若干時間がかかった。今(30分頃)インタビューで緊張と失敗の中で優勝の嬉しさを語った。ニューヨークタイムズは「失敗にも優勝」(Despite Falls, Triumph for Japanese Skater)と題し(写真)、韓国インタネットネーバは「2回転んでも金メダル」と題した。インタビューで羽生は「緊張の中」で滑ることはやはり難しいと語った。世界的な実力者が集まって注目される中では実力によって自信をもって緊張しないことは難しかっただろう。
 「緊張」とは何だろう。私は高校時代までは授業中、立って本を読むことが緊張して苦手であった。それは小さい失敗でもワーッとクラスメートに笑われるかも知れないという不安からであり、失敗しないようにという緊張感からであった。しかし大学生になってからは読書会で討論をする中で自信を持つようになり、その緊張が弱まっていくことを知った。実力で自信を持とうとその時強く思った。私が一番、足が震えるほど緊張したのは陸軍士官学校で将軍の突然の授業参観であった。将軍階級はスター(星)であり、本当に空の星よりすごい存在であった。自信の源は実力であっても「将軍様」の前では人民は怖がっていることも分かる。しかし、老いていくと実力も自信もなく、しかも緊張感もない。高齢者が怖いもの知らず、緊張もなく語るのはそれだろう。私も最近、緊張感が薄れ、後輩たちを叱ることがしばしばある。それは自信ではなく、ただ成功の意欲のない言いたい放題にすぎないかもしれない。年寄りが戒めるべきである。
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井の中の蛙

2014年02月14日 04時46分30秒 | エッセイ
「井の中の蛙大海を知らず」「井底の蛙」とは他に広い世界があることを知らないで、自分の住んでいるところがすべてだと思い込んでいる人をさす。この地方に住んでいながら常に戒めている諺、金言とも思っている。しかしインタネットによる情報化社会と庶民の世界旅行が盛んな時代になってローカルからグローバルへと可能になったといえる。 つまり井の中の蛙も大海へ泳げる時代になっている。それは本当だろうか。自然人類学者の鵜沢氏はいい言葉を教えてくれた。ガラパゴス化(ガラパゴス化、Galapagosization)とは進化論におけるガラパゴス諸島の生態系になぞらえた言葉であるという。日本で生またビジネスが孤立した環境(日本市場)で「最適化」が著しく進行すると、外との互換性を失い孤立し、外国から製品・技術が導入されると淘汰されるという。現代版の「井底の蛙」の悲劇であろう。
 都会では集い、行事、付き合いが多くて複雑である。煩雑、騒音、排気ガスなど不満不平を叫びながら閉じ込もって井の中の蛙のように生きる人もいる。田舎の天然風景と温かい人情を懐かしく思いながら他郷暮らしを寂しく思っている人も多い。私は今、自分史のような「私が生きてきた朴大統領時代」を書いているが、短い期間だったが辺鄙な農村で高校の先生をしたことがあり、その時の別離の時を思い出して涙汲んでしまった。田舎は人情があると言うが誰に対してもあるわけではない。付き合いのない他人には冷たいことを経験的に知っている。
 昨日この地方では地元の出身の直木賞受賞作家古川薫氏からはがきが届いた。先日申福心著『在日90年:ある在日女のつぶやき』を送ってあげたがその読後感を書いて下さった。先日10人ほどの方に送ってあげたが誠意ある書評を書いて下さり感謝である。著書を送っても返事もないことも多いのに、来年90歳の高齢であっても読まれて感想まで書いて下さったのには頭が上がらない。古川氏こそ地域を超えた国際人である。
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