生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?:愛:幽玄美:その1:幸福な日々の為の自問自答集

2014年08月19日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
生き甲斐の心理学では「生きる楽しさ、喜び、生き甲斐」をなによりも大事にしていますが、日常生活でふと感じる喜びの一つに日本人らしい幽玄の美があります、特に京都、奈良、吉野、熊野、近江を旅していますと、心の故郷のような落ち着きと共に、古層を感じる神社仏閣などで、なんともいえない幽玄の美しさを感じます。今回、私が感じた琵琶湖菅浦での幽玄の雰囲気は、帰宅後、益々夢の中にも表れ出しています。何故、そのような感動というか、感謝というか、生きている喜びを感じたのか、簡単に見過ごしていくにはもったいない感覚がありますので、少々、書きたくなりました。さて、この感情の背景には歴史への想いがあります。丁度、東大寺が生まれた頃の話ですが、その後、色々ありまして、藤原南家の流れである藤原仲麻呂が元気さかんな頃です。孝謙天皇(光明皇后の娘)が退位した後、自分の意のままに動く淳仁天皇を即位させ、光明皇后の後援のもとに権力をふるっていました。しかし光明皇后が亡くなり、道鏡という僧侶を孝謙上皇が寵愛しだした頃、この藤原仲麻呂(恵美押勝)が挙兵し、つかまり、琵琶湖のほとり(高島あたり)で家族共々惨殺されます。その時、淳仁天皇は淡路島に流されて殺されるらしいのですが、さて、ここからが琵琶湖・菅浦の伝説に私がひかれていくのです。伝説によれば、淡路は淡海の誤りだとされ、ここ菅浦は淳仁天皇の隠棲の地と村人は信じているようです。明治42年以降、須賀神社となりましたが、以前は、保良神社、保良宮と信じているようです。村人は自分達の祖先は淳仁天皇の近臣の子孫だと信じているとの事。そんな歴史を楽しんでいる私の目に、この集落の雰囲気は何とも言えない奥深い霊地なのです。ここで感じたアースフィーリングは私に色々の感情を沸き立たせ、人生の面白さ、神秘さ、生き抜く勇気を思い立たせてくれます。幽玄の心は魂の世界に近く、永遠を意識化させ、次から次へと私を刺激していきます。生命力が湧きだす感じです。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:375>

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「自分の生き甲斐」は「自分で楽しく探究」していきましょう。

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