最近のネットユーザーは『短文化』しているという
理由は幾つか考えられる
その一つが利用デバイスだと思う
小型されるスマホの普及も大きな理由
ようするに
”長文のスクロールが面倒臭い・・”
ということなのだ
読者の皆さんは如何だろうか?
ちなみにこれが読む側の感想なのだ
読むのも面倒臭い人が書くはずもない
あるラジオで『ネット社会』というテーマで議論が行われていた
その中での話を抜粋してみた
ネットに無関係という人はもはや存在しないような気がする
その依存度には少なからず差はあると思う
かくいう私もネットユーザーなのだ
ネット接続あってこその当ブログであり、読者の皆さんとの一期一会なのだ
「スマホで長文って面倒臭いって思ってる人が多いんだ」
私は面倒臭いと思ったことがない
これはある意味で貴重な意見として受け止めているのだ
基本的には私はパソコン派なのだ
ちなみにこのパソコンは役目を終えた先代のマシンなのだ
かなり活躍したマシンなのだ
今でも動画再生などで使っているのだ
逝くまで大事に使いたい
周辺機器は意外に捨てられないものなのだ
使う機会もないと思うが・・
所謂、ディープな作業はパソコンで行う事が多い
「スマホがあれば生きていけるよ」
という人も私の周囲には多い
私の場合にはそれでは物足りない
特に音楽や画像などを弄る場合にパソコンが不可欠なのだ
当ブログも約6割の読者がスマホ経由でご訪問しているようだ
他のコンテンツと比較するとむしろその比率は低いように感じる
意外にパソコン派が多いのが当ブログの傾向でもあるのだ
スマホをご利用の方はスクロールが面倒臭いだろか?
そもそも、スクロールが面倒臭い、
文章が嫌いという方の再訪問は無いような気がする
如何だろうか?
都合で短文の回もあるが・・
基本的に当ブログのコンセプトは『長文スタイル』なのだ
「あのね~ 暇だったのよ」
「そんなこんなで弦交換したわ」
「弦交換ってサッパリするよな」
という感じのブログも多々みかける
むしろ、何の為にネットに発信しているのか?
が私には理解できない
他人に何かを伝えるという作業はかなり難しい部類
読者にも経験があると思う
学校や職場は意外に楽なのだ
集う人間のレベルが横並びなのだ
一方のネットは顔が見えない相手という事になる
当ブログの場合、読者の皆さんのギターに関するレベルと知識のほどが不明なのだ
ひとつだけ明確な事は
”ギターに興味がある・・”
という事だけなのだ
ご存じのように私はウクレレもクラシックギターも嗜むマルチプレイヤーなのだ
エレキ好きの人にウクレレの演奏を聴いてもらうのはどうか?
と思うことも多々あるが・・
最近の私はそういう垣根をあまり気にしていないのだ
ギターブログという立ち位置から楽器ブログへと移行しつつある
一時は生楽器の使用頻度が高くなったが・・
最近はまたエレキに戻りつつあるのだ
zoomG1FOURの購入も大きいように感じる
買い物行動は少なからず人の生活に影響を与える
つまりは楽器に関して何も買わない人の生活には大きな変化は訪れない
買い物系のYouTuberは辛いように感じる
「は~い、皆さん! 今日はこんなの買ったよ」
「紹介したら売っちゃうんだけど・・・ね~」
「それじゃ、開封していくよ こんな箱で来たよ」
読者の皆さんも一度くらいは見かけたことがあると思う
巷で人気がある製品を実際に購入してレビューを紹介するスタイル
イメージしただけで恐くなる
私は浪費家でも倹約家でもない
音楽に必要な機材があれば購入する
所謂、安ギターでもミニギターでもよい
それが自分に必要ならば買ってみるのだ
私と同じうように興味や関心がある人の参考になれば良いと思っている
私は常に意識していることがある
それは『プレイヤー』であること
背伸びしなければ、制限や限界はないのだ
「こんなの弾いてみたけど・・」
で一ネタになるのだ
常連さんはご存じだと思うが・・
以前はかなりコピー曲を紹介していたのだ
社会的な背景や諸事情からオリジナル一本で行くことに決めたのだ
繰り返しになるが・・
背伸びや格好をつける必要が感じられなくなってきた
面白い事にそんな方向転換をしてからの方が訪問者数が増しているのだ
今年に入って、念願の訪問者数2000人超えを何回か達成しているのだ
これは一つの目安なのだ
2000人に拘っているわけではない
多くのギター好きの読者に私の声が届くことを嬉しく思っているのだ
「長文って大変じゃねぇ!?」
という声も聞こえてきそうだが・・
まったく、そんな事はない
むしろ、自分の意見を述べる場があることに感謝しているのだ
読者の皆さんは自分の意見を受け止めてくれる場所があるだろうか?
趣味を語れる仲間がいる人はまだマシだと思う
趣味の世界にも段階があると思う
始めた頃は色々な人の意見に耳を傾け練習に精進する時期
少し慣れた頃には仲間とギターについて語り、演奏を楽しむ時期
そして、私は第三段階を迎えた
自分が蓄えた知識や経験、演奏力などを広める時期を迎えたのだと思う
良いギターに憧れるのは初心者もベテランも同じ
最近はさらに一歩踏み込んだ考えになっているのだ
”自分はギターの一部・・”
10,000円にも満たない安アコギの音が良いと感じることがある
弾き込むことで指先とギターが一体化しているように感じる事も多い
先日、ほとんど弾いていない高級なアコギに触れる機会があった
「いいギターだね~」
とお世辞を言ったが・・
内心は少し違っていた
言うほどの出来ではないのだ
帰宅してヤイリのミニアコギを弾いてみた
むしろ、楽しい、良く鳴るのだ
本格的なギターと比べるまでもないが・・
楽器として十分に成り立つという考えは当ブログの『推奨コンセプト』
ここ最近はほとんど完成曲を作っていないのだ
以前と比較するとDAWソフトを立ち上げる機会が少ない
作曲というよりはギターを弾くことが楽しい
ギターと勉強に『終わり』はない
いくらでも課題があるのだ
その前の段階である『音作り』にハマってしまう事が多いのだ
「このアンプヘッドとキャビネットを組み合わせてみよう!」
前段の歪み系エフェクターをOn&Offし始めたら止まらない
「これはOD-1の方が合うかも? ゲインは絞った方がいいかな?」
そんなこんなで数時間が過ぎてしまう事も多々あるのだ
せっかく作り上げたオリジナルパッチを工場出荷時に戻すことも多々ある
我ながらアホだと思うことも多い
要するにギターや機材と戯れている時間が楽しい事に気づく
ここ最近はさらなる向上心が芽生えてきたのだ
「もっと上手くなりたい・・」
速弾きの練習も再開したくなってきた
発信者である私も意外に影響されやすい
「この人って上手いなぁ・・」
と感じるとギターを手にとっているのだ
趣味の世界において影響を受けることは悪いことはない
むしろ、頑なに否定する人は損をする
私の周囲にもそういうおじさんが多い
何故、ベテランになると意固地になるのだろうか?
これはギター界の謎なのだ
私が長年抱く疑問でもある
意外に『自分ファースト』が多いのも趣味ギターの世界観なのだ
YouTubeなどで投稿者に賞賛のコメントを送信するのはギターが弾けない人
そういう流れを感じることがある
趣味のギターには互いを切磋琢磨するという概念がない
これは非常に残念なことだといえる
微妙な着地だが・・
日々感じていることを言葉として表現してみたのだ