散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

新しき村へ

2020-10-01 | Weblog
武州長瀬駅の商店街を過ぎて左へ進み、住宅地を抜けるとそこに「新しき村」があると聞いたので、その通り
1kmあまり歩いて新興住宅地を抜けてきたのに「新しき村」らしき集落がない。こんな踏み分け道のような
ところを歩くとは聞いてないんだけど、このまま進んで大丈夫なんだろうか。



たったひとりでボーッと歩いてると草の陰からマムシでも飛び出してきて噛まれそうだから怖い。あと600m
で「新しき村」という矢印を見てから、どれくらい歩いたろうか。この先に人が住んでるような気がしない。
それでも一応、この道のほかに道がないから、この道をいく。



踏切に出てしまった。なんかおかしい。東武越生線とJR八高線のあいだに挟まれて、どちらの駅からも
25分か30分ぐらい歩くところに「新しき村」があるはずなので、線路を越えちゃいけないんだ。
しかし戻ってどうなる。



いちおう何の踏切か確かめると、やはりJR八高線の踏切で、なまえは東原踏切というらしい。
いざとなったらこいつをググれば遭難しても現在地がだいたいわかるだろう。
電波がないということは、いまのご時世さすがにあるまい。もっとも、
たまに電池切れはあるが。



そのまま昼なお暗い森の中を進むと、幹線道路みたいなのに出た。こんなものがあるということは
道に迷ったと思うしかない。あまり気が進まないけど文明の利器、スマホで「新しき村」を検索して、
現在位置からの経路案内を表示してみる。



この国道30号をちょっと左に進んだところから、八高線のほうへ向きを変えて線路をつっきると
「新しき村」があるようだ。あと900mもあるのか、行くのはいいけど帰るのが面倒くさい。
距離もさることながらマムシやイノシシに噛まれそうだから。



武者小路実篤が100年ちょっと前たぶんトルストイに傾倒して始めた理想郷「新しき村」……
おそらく限界集落になってるその場所が商店街を抜けたところにあるなら寄って行こうと思った
のに、ずいぶん寂しいところを彷徨い歩いたものだ。ようやく見えてきた木の柱には
「この道より我を生かす道なしこの道を道を歩く」
と実篤節が炸裂。その道がどの道かわからなくて、こっちは苦労したよ。



「この門に入るものは自己と他人の」
「生命を尊重しなければならない」

と、こんどは右左に実篤節が炸裂してる。きっとこれが「新しき村」の入口なんだろう。
よかった、遭難しなくて。



路面に黄色い文字で「新しき村」と書いてあるから間違いない。1917年に宮崎県で始まった
「新しき村」だけど、宮崎の農地がほとんどダム工事で水没することになって、1938年にここ
埼玉県の入間郡に新しい「新しき村」ができた。宮崎でスタートして今年で103年になる。



「この先通りぬけできません」
ということは、自分が歩いてきた道はあながち間違いではなかったのかもしれない。説教が
書いてある木の柱の間を通らないと「新しき村」に入れないなら、そういうことになる。



「新しき村」60周年を記念して計画され、1980年にオープンした「新しき村美術館」を
見物することにする。なぜなら、いまも村で生活してる10名ぐらいの人の住居をあまり物珍しげに
じろじろ見るのも気が引けるからだ。美術館なら大丈夫だろうと思ったんだが、これはどうも
民家にしか見えなくて入っていいかどうか迷う。ちなみに入館料は200円……



同じように感じる人が多いらしく、ガラガラ……と開ける戸のガラスに、「入館出来ます」と
いかにもお年寄りが手書きしたような貼り紙がついていた。いいんだな、入館しても。
ガラガラ、ガラガラガラ……(チリン、チリンと鈴が鳴る)



のそのそと、番をしてるお年寄りが奥から出てきたので、こんにちはといって200円差し出すと
ゆっくりした動作でチケットと美術館の案内をくれる。これもくださいと武者小路実篤の小冊子を
指さすと、ああ……と声を喉の奥からしぼり出して『新しき村について』という印刷物を棚から
取り出して300円……とうめく。開館して40年も経てば、当然こうなる。



平成20年11月1日発行のパンフレット『新しき村について』は、武者小路実篤が折にふれて記した
新しき村についての文章をまとめて編んだもので、それを読むと新しき村がいかに理解されなかったか、
かえってよくわかる。ユートピアは現実社会で理解されない。



武者小路実篤はいう。新しき村は空想的社会主義ではないと。新しき村に来るものは数われるとか、
来ないものは救われないとか、そういう言い方をはっきりするし、トルストイの影響を強く受けたなら
原始キリスト教徒の暮らしに近いのかなと思ってパンフを読んでも、そういう記述は出てこない。



生活のために、したくないことをして生きるのは不幸だから、自他共にしたいことをして生きる。
自他共生ができるのは新しき村だけで、村の外では互いに縛り合う生き方しか出来ないと、
武者小路実篤は独特な文体で断言する。それを読んでいると、かえって相互監視が
強くなりそうな気がして、ちょっと息苦しい。



ソーラー発電の設備とかあるんだな……村で作った竹炭とか、梅サワーとか、農産物を売っている
公会堂に村の地図が掲げてあった。公会堂の中に、おじいさん1人、おばあさん2人、計2人の
村人を確認した。美術館の番のおじいさんと合わせて、3人の村人を目視した。
きっとこっちのことも注視されていることだろう。



白い点線に沿って帰れば、ここまで来た道を引き返さなくても東武越生線の武州長瀬駅に行けそうだ。
それにしても、ぐるっと回り道する必要がある。



「新しき村」を抜けた後の道も、なんだかグニャグニャしてわかりにくい。迷わず帰れる自信ない。
いちおうスマホで写真を撮って、この地図を頼りに歩くことにする。



また薄暗い森の中を通ることになった。どうなってるんだ。もしや人を寄せ付けないつもりなのか。
手描きの地図はあてにならず、またしても道に迷って、帰れなくなってしまった。
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