散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

トンレサップ湖

2018-05-19 | Weblog
行くつもりもなかったし、書くつもりもなかったのだけれど、時間があまってトンレサップ湖に行ったこと。
なんとなく撮った写真もあることだから書いてみる。


遺跡に銃弾の跡が……

そもそも遺跡を見るのが目的だから、それ以外のものを見るつもり全然なかった。とはいえサルがいれば
写真を撮るし、ネコがいれば写真を撮るし、ウシがいれば……。


ヒンドゥー教でシヴァ神が乗る神聖なウシの石像

かねがね神道や日本の仏教にヒンドゥー教が混ざり込んでいると思っていたので、これを見たら菅原道真
の怨霊を鎮める天満宮のウシを思い出した。ありがたがって日本人がなでる、あのウシだ。


これは京都の北野天満宮のウシだと思う

ご利益をあてにして参拝客がなでるので黒光りしてる天満宮のウシ……道真公にまつわる逸話とセットで
全国の天満宮にあるけれど、ヒンドゥー教のナンディンというウシに他ならないのでは?


ニワトリは痩せていて足が速い

まるで爬虫類のようだ。爬虫類から鳥類が派生したのか、鳥類から爬虫類が派生したのか、化石を見ると
わからなくなると聞いたことがある。生きてるのを見てもわからなくなる。


トンレサップ湖にやってきた

湖面に降りていくスロープのようなもの、増水すると持ち上がって水平になるという。まだ雨季の序の口で、
水量が大したことないから湖面まで下るようになっている。


川じゃないのにずいぶん茶色い

チベット高原より流れ出て、中国の雲南省を通り、ラオスからカンボジア、ベトナムを流れて海へと注ぐ
メコン川が、増水すると支流をさかのぼってトンレサップ湖の水面を上げる。


まだ子供じゃないのか?

あまたある船のひとつで湖に漕ぎ出る(といってもエンジンつき)。操縦してる人、まだ子供じゃないか。
ハンドルがクルマのやつじゃないか。トヨタのハンドルに日産のエンジン……。


足が床に届いてないし

川が逆流して湖を富ませるから、魚が獲れるしエビも獲れる。それで生計を立ててるのに、上流で中国が
巨大なダムを建設してるので完成したら川が痩せてしまう。魚もエビも獲れなくなってしまう。


漁業で暮らせなくなってしまう

ダム建設に反対しても中国は耳を貸さない。中国人観光客が増えてくると中国企業がホテルやレストラン、
土産物の店などを急ピッチで作って中国人を囲い込むから、地元にお金が回らない。海辺のリゾートには
中国人が押し寄せて町を乗っ取ってしまった……カンボジアでは中国の評判が悪い。


あんなところまで水面が

増水すると、あそこまで水が上がるらしい。中国の巨大ダムができたら上がらなくなるかもしれない。魚が
獲れなくなったら、水上生活者が困るだろう。


水上生活者の家が見えてきた

陸上生活者の家とそう変わらない。むしろ涼しくて快適なのではないだろうか。ハンモック吊って寝てるし、
テレビとか見てるし。季節に応じて湖上を住居ごと移動するそうだ。


木を組んだやつが碇の役割

左の方にある木の束みたいなのが湖底に差してあり、碇の役割を果たすというから、家が結んであるの
だろう。どうやって? 潜水するのだろうか、船の上から何とかするのか。


ちゃんと学校も水上でやってる

子供がいっぱい壁にへばりついてる。どうやって通学するのかと思ったら、こういうやつで湖面を渡って
行ったり来たりするみたい。


小さい子がゆらゆら浮いてる

たらいみたいだな……この写真ではわかりにくいけど、あの子のお姉ちゃんが先に水上の家にたどり着き
タイヤに手をかけてよじ登った。


ちゃんと水上ショップもある

観光客相手のショップもあるし、生活必需品を商うショップもある。なんだか、見れば見るほど陸上より
便利で快適そう。


この湖、ワニがいるのか~~

観光客用のショップに船が寄せられたので、どっこいしょと上がるとワニがいた。いっぱいワニがいた。
というよりワニだらけだった。


ワニの卵なんかも売られていた


ワニの肉なんかも売られていた


ワニの剥製なども売られていた


ワニの皮も売られていた

関連記事:  カンボジア
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カンボジア

2018-05-12 | Weblog
カシューナッツの実がなるときは、こういう具合になる。弧を描いてぶら下がってるのがカシューナッツで、
その上が果肉。ということは、カシューナッツは実ではなく種で、種が果肉の外に出てなる珍しい植物だ。
そんなカシューナッツが特産品の国を訪ねた。もちろん、ナッツを見るためではなく、アンコールワットなど
ヒンドゥー教の石像遺跡群を見るのが目的だった。



いまは小乗仏教が主流だという

千年ほど前にクメール文化が栄えたとき、日本でいうと平安時代にカンボジアはヒンドゥー教の国だった。
その後、大乗仏教が盛んになり、やがて廃れて何百年も小乗仏教が行なわれている。小乗仏教は差別的
な呼び方だから、上座部仏教と呼ぶべきであると日本では教えられるけれど、カンボジアで上座部仏教と
いっても話が通じない。小乗仏教といえば通じるし、嫌な顔もされないので小乗仏教で通す。


ハコ乗りとかして、輩っぽいな

小乗仏教では禅を組むのか聞いてみた。禅とは何かと問い返された。まるで禅問答みたいだと思ったけど、
どうやら本当に知らないようだったので、禅のポーズをやってみせた。すると、瞑想か。瞑想は小乗仏教では
あまりしない、という返答。では何をするのかと思って、お経は読むかと尋ねたら、お経は読むという。へー、
じゃあ何語で読むの? と聞いたら、サンスクリットか、パーリ語だという。そこはさすが。


戒律は厳しくなさそうだな……

肉は食べないのかと聞いたら、肉は食べる。タバコは禁じられてるが、隠れて吸う。なんだ、大乗も小乗も
いっしょじゃん。ただ違うのは、尼寺がないこと。女性は出家できないので、お坊さんの黄色い袈裟ではなく
白装束で仮出家してボランティア行為のようなことをする。


アンコールワットに結集してた

出家するのにお金がかかるかどうか聞いたら、一切かからないそうだ。出家すれば衣食住が保証されるし、
勉強もさせてもらえるので貧しい家庭の子女がこうして出家や仮出家をするらしい。日本では経済的基盤が
ないと僧侶としてやっていけないから、カンボジアのほうが出家しやすいかも。(外国人もOK!)


夜明けのアンコールワット

アンコールワットは仏教寺院として使われているが、ヒンドゥー教の様式で建てられているので、須弥山を
模した本殿の手前に身を清める沐浴場がある。須弥山は仏教にも混ざってるけどヒンドゥー教の世界観だ。
沐浴場は日本で神社の手水場に形を変えて受け継がれているようだし、仏教の僧侶や修験道の山伏が滝
に打たれるのも、沐浴の名残ではないか。インドやカンボジアは暑いから身を清めると称して沐浴したくなる
気持ちはわかるけど、わざわざ日本で冬に滝行するのは元の趣旨から外れてるかも。肉食の禁など本来は
存在しないのと同じように。


乳海撹拌の神話など古事記の冒頭を連想させる

半島からの仏教受容じゃ追いつかなくて大陸に遣唐使を派遣するようになる以前、古事記も日本書紀も
ないころからヒンドゥー教徒は飛鳥にきていたから、日本神話のルーツがヒンドゥーの神話でもおかしくは
ない。神のメンバー構成もヒンドゥー教と似てるし、仏教が伝来して神仏習合するのは自然な流れだった。
母体が同じなのだから。


建物の内部はよく見ると、朱塗りの跡が残ってる

石積みの建築だから石の質感のままかと思えば、極彩色に塗った跡がある。日本の神社や寺の朱塗り
は唐の影響と信じられているが、ヒンドゥーの影響かもしれない。もっとも、ギリシャのアクロポリスだって
白い大理石が極彩色で彩られていたから、この色使いアジアだけでなく世界共通の現象かも。


ギリシャとちがって熱帯だから……

石造りの建物は頑丈そうに思えるけど、人が出入りしないと熱帯の植物がとりつき、すぐ壊されてしまう。
乾燥したギリシャのアクロポリスは2千5百年ほど前に建造されて、17世紀に火薬庫として使われたとき
引火して廃墟になるまで、2千年も健在だったという。アンコールワット周辺の建築は千年前のものだが、
人が使わなくなると植物がゆっくり暴れ狂って石造建築などひとたまりもない。


鳥が種を運んできて屋根などに落とすと終わり

アンコールワットは何百年も人が出入りしたおかげで形がよく残っているけど、それでも屋根が落ちたり
壁が崩れたりして、ずいぶん修復されたのが今の姿。そうでなければ、いまごろは……


こんなふうに跡形もなくバラバラになってしまう

ジャングルの植物はおそろしい。ヨーロッパからきた人たち(カンボジアの場合ほとんどフランス人)は
アンコールワットやアンコールトムを「発見」したと称してるけど、地元の人はそこに遺跡があることを
知っていたし、日本人も安土桃山や江戸のはじめに訪ねてきているという。


観光客なのでアンコールトムを象にのって一回り

アンコールワットは「大きな寺」という意味で、アンコールトムは「大きな街」という意味なのだそうだ。
大きな寺はヒンドゥー教様式の仏教寺院だけど、アンコールトムのほうは神格化された王族が住んだ
宮殿を中心とした都市だという。


塔には四方にこのような顔がついている

巨大建築は遠くで見ると壮麗で迫力があるけれども、近くで見ると細工がだいたい大雑把にできてる。
少し前の時代の、やや小規模な寺院のほうが彫刻などは見事だった。日本でも寺めぐり、神社めぐりを
すると、そういうことはよくある。


たとえばこういう建国当時の寺とか

30年ぐらい前はアンコールワットを見たいと思っても、戦争してたから足を踏み入れ難かった。地雷も
多かったし。90年代に平和になって、2000年ごろには地雷撤去も済み、日本人の観光客が来るように
なった。最近は日本人より、中国人や韓国人のほうが多い。ベトナム人もけっこう来る。


タイ人の反タクシン派が黄色い服でやってきた

赤い服がタクシン派で、黄色い服が反タクシン派だったかな。国内のみならず海外で観光するときも、
こんなふうに同じ色の服で歩き回るとは。赤い服と会ったらケンカになりそう。


あんなところにお猿さんが

ポル・ポト派が中共の文化大革命を真似てインテリを皆殺しにするまでは、近隣の国から留学生が集まる
文化的な国だったのに、今では優秀な人がみんな海外留学して野党に入り、最近その野党が粛清された
もんだから与党の候補者だけの国政選挙がもうすぐ行われるそうだ……おなじことのくりかえしにならない
といいな。ちなみに日本の安倍総理は、与党の一強を批判してるとか。自分はよくてもカンボジアはダメ、
というのは頭の中どうなってるんだろう。
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