散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

新大工町

2021-07-03 | Weblog
路面電車を新大工町で下車して、商店街を桜馬場中学校のほうへ突き抜け、その左手の
坂道をのぼるとポルトガル語の板碑にぶつかる。

ルイス・デ・アルメイダ 1567年
医師・宣教師として長崎に入った最初のポルトガル人


フランシスコ・ザビエルのほうが先じゃないかと思ったけれども、彼はスペイン人で、
しかも長崎に来なかった。薩摩、平戸、京、山口、大分などで活動して日本を去った。
だから「長崎で布教した最初のポルトガル人」はルイス・デ・アルメイダ。



アルメイダに代わってガスパル・ヴィレラが布教を行い、桜馬場中学校の場所に住ん
でいた長崎村の領主、長崎甚左衛門純景から2年後に廃寺を与えられたので、長崎で
最初の教会にした。トードス・オス・サントス教会がそれ。近江の安土に創設された
セミナリヨ(中学)や、大分に開かれたコレジヨ(大学)なども、のちにこの教会へ
移されて、ヨーロッパ式に学制を敷いた教育の場になった。



ところが、1614年に江戸幕府の命でとりこわされ、臨済宗の春徳寺が置かれた。
春徳寺は原爆で倒壊したが、建て直されて子供がボール遊びをしていた。



芥川龍之介に『煙草と悪魔』という短編がある。キリスト教の宣教師は神と一緒に
煙草と悪魔を日本にもたらした。悪魔のことはさておき、神は禁じられたけれども
煙草はそれから大いに広まった。春徳寺の門前に、こんな石碑がある。



煙草発祥地

国内における煙草栽培発祥の地だという。キリスト教徒より喫煙者のほうが現在も
圧倒的に多いのではないだろうか。わざわざ加熱式まで開発して広められている。
きっと悪魔もほくそ笑んでいることだろう。



春徳寺の奥は墓地になっていた。斜面を登っていくと、墓石に刻んだ文字を金色に
飾った立派な墓が多い。また墓歩きになってしまった。東海徳右衛門が築いた墓が
とりわけ立派だった。明国人の徐敬雲の長子が日本に帰化して1699年、大通事
(中国語の通訳)に抜擢され、東海徳右衛門と名乗った。



両親の没後、壮大な唐人墓を作り始め、思い通りにならないと何回も改築を重ねて
完成までに何年もの歳月と銀50貫目を費やしたので、仕事がはかどらないことを
「東海さんの墓普請」というそうだ。



ちょっとヒンズー教の寺院っぽい。いちめんに石が敷き詰められ、五段の階層から
成っている。初段は3年の喪をおさめる場所で、2段以上に歴代の大小通事の墓が
ならんでいる。



神社の狛犬のような唐獅子が置かれて、その目玉には金粉がまぶされていたので、
「夜になると金色に光る、東海さんの墓は金の墓じゃ!」と長崎で評判になった。
それで長崎の人は墓にお金をかけるのだろうか。



最上段には始祖の徐敬雲夫妻をまつってある。儒教の人は祖先の敬い方がすごい。
キリスト教徒の墓とは随分な違い。ちなみに日本で墓石を立てるようになったのも
儒教の影響だという。位牌も儒教の文化だから、日本の宗教は神仏習合だけでなく
神・仏・儒が習合してることになる。なんでも混ぜてしまうのだった。

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