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歩くことが唯一の趣味ですから。

シュルレアリスムと小田原

2019-12-15 | Weblog
「シュール」という言葉はギャグの種類を言い表わすことにも使われるぐらい、日本語の日常会話に
取り込まれている。その元になっている芸術運動のシュルレアリスムが始まったのは100年前だったと
箱根ポーラ美術館の学芸員の東海林さんがいった。


『シュルレアリスムと絵画』展 12/15~4/5

フランスの詩人アンドレ・ブルトンが「シュルレアリスム宣言」を発表したのは1924年だが、5年前
の1919年にはオートマティスム(自動記述)の手法がスタートした。それをもってシュルレアリスム
(超現実主義)の端緒とすれば、今年で100年になるという話だ。


自動筆記のテキスト「磁場」

「溶ける魚」とかも学生のころ読んでハテナと思ったけど、シュルレアリスムって論理を離れた言葉の
実験だっけ。石川淳も自動記述で小説を書くと宣言しながら、なにげで構築された作品ばかり書いてた
ようだけど、思考の制約から自由になろうとしながら思考にからめとられるのってシュルレアリスムの
宿命のような気がする。


「シュルレアリスム宣言」のテキスト

テキストから絵画に運動が広がり、日本に伝わる軌跡をたどる展示「シュルレアリスムと絵画―ダリ、
エルンストと日本の『シュール』」の内覧会が12/14に催されたので、いそいそと出かけた。ダダイスト
の画家マックス・エルンストがシュルレアリスムのグループに加わって実験したことは自動記述に近い
絵画表現だったようだ。


ブルトン「シュルレアリスムと絵画」1928

奇抜な芸術家サルバドール・ダリがグループに加わるとインパクトの強い作風でシュルレアリスムに
広がりがもたらされた半面、自動記述的な絵画というよりは構築された思考の産物と思われる奇抜さ、
日本語でいう「シュール」さが誤解の元になった。ダリはブルトンと袂を分かって渡米し、アメリカで
20世紀の代表的画家として人気と名声を得た。



日本での受容と変容の過程がおもしろかった

著作権が有効な作品が多くて写真を撮るのに限度があるから、しっかり目に焼き付けようとガン見する
と、まるで漢字からひらがなを生み出したようにシュルレアリスムから和の心を紡ぎだすような傾向が
見てとれる気がした。フランス料理もインド料理も和風にしてしまうような。


©Narita/TPC ウルトラマンとウルトラ怪獣の着想

ダダもブルトンもどこかで聞いたことあるとダダイスムやシュルレアリスムと出会ったときから気に
なっていたけど、四次元怪獣ブルトンとかダダ星人というかたちで1960年代に成田亨という人が発想
のヒントにしていた。左から『ウルトラマン初稿』『ブルトン』『ダダ』


同様に1960年代の希少なアニメかと思ったら

©2019 Tabaimo 『dolefullhouse』という映像インスタレーションは束芋さんの2007年の作品だった。
ピンク・フロイドのライブで上映されるアニメみたいだと思ったんだけど、新しいものだった。


すぐそばに立っていたのが束芋さん

よけいな感想を生でつぶやかなくて本当によかった。お名前の漢字の読み方も誤解していたし……
沈黙は金なりと、このときほど強く思ったことは最近なかった。


一夜明けて小田原の町をほっつき歩く

土曜日の内覧会のあと箱根で1泊して、日曜日は小田原へ。日本中どの町も1998年の大規模小売店舗
立地法の影響で商店街にシャッターが下りはじめ、アベノミクスで勢いが加速した。小田原もやはり
例外ではないのが、でたらめに歩き回るとよくわかる。


大久保家御内庵 天台宗 本源寺

小田原城主の大久保何某が開基の寺なんだろうと思って通りすがりに寄っていく。でたらめに歩くと
お寺や神社や塚や碑にぶつかるので小田原は楽しい。


小田原ハリストス正教会 聖神降臨聖堂

すぐとなりに教会もあった。ついこないだまで暑くて歩く気しなかったし、これから寒くなるとまた
歩く気しなくなるから、生あたたかい師走の晴れた日はこうやって無目的に歩く。


関東三十四院のひとつだという 蓮上院

北条氏のころの古文書をたくさん所蔵しているということだけど、活字になってないと読めないので
素通り……しようかと思ったが、柱に白い象がついてる、


どうみてもこれは象……左右の柱に2体ずつ

「シュール」だな~と思いながら、ブルトンに叱られるので声に出さず、脳内でつぶやく。そのまま
わけもなく海のほうへ歩いていくと、北条稲荷なる社があった。小田原城が落城するとき、夜な夜な
蛙の鳴き声が大音声で響いたという伝説の蛙石がこれ。


蛙に見えると思えば蛙に見えないこともない

明治35年の大津波にも大正12年の大地震にもまったく位置がズレなかったから、試しに掘り出そうと
したら一丈(およそ3m)掘っても下部に達しなかったので、大きな岩の先端だろうという。たった
3mであきらめるな。


どうして落城のとき岩が鳴いた?

鳴く鳴かないは別として、掘っても下部に達しないのは鹿島神宮と香取神宮をつなぐ要石に話が似てる。
地震と津波に悩まされたら大きな岩が鎮めになると思いたくもなるのだろう。


西湘バイパスが海岸線に沿って走っている

あれができてから定置網の漁ができなくなったと浜の人が嘆いていたっけ。この山王川の河口近くに
山王神社があり、ここは小田原城の内側だったというから、川が堀の役を果たしたのかもしれない。


山王神社は山王郭と称して城の郭内だった

鳥居が東海道に面している。小田原城とは逆方向へ、つまり江戸のほうへ歩いていくと老男老女の
ウォーキング会とすれちがった。史跡めぐりを兼ねてるとしたら、あっちに何かありそう。


上杉龍若丸の墓が山王小学校の前にあった

6人の家来が網一色の松原で磔にされたというから、まわりの6基が家来たちで中心が龍若丸かな。
ちゃんとお線香が上げてある。小型犬をつれたおじいさんが、見たければ開けていいよというので、
社の格子戸を開けて写真を撮った。


老男老女はここに立ち寄ったのか

北条家がまだ力を持っていた頃、関東管領の上杉憲政が北条氏康と戦を交え、嫡男の龍若丸を残して
越後へ逃げ帰った。残された6人の家臣は保身のために龍若丸を差し出した。氏康は龍若丸を殺し、
6人の家臣も磔にしたという。小学校の前にそんな恐ろしい出来事の遺跡が。


新田義貞の首塚が県立高校のそばに

これは鎌倉幕府が倒れた後、北陸を転戦していた新田義貞が越前で討ち死にし、足利尊氏が晒し首に
したときの話。その首を取り返した家臣がここまで逃げてきて病に倒れ、やむなく埋葬したとか。


碑は後で建てたもので首塚はこっちだろう

時代は下がって小田原城の北条氏を天下人の豊臣秀吉が10万の軍勢で取り囲んだとき、徳川家康が
陣を張った場所まで、とことこ歩いて見にいった。碑があった。


まわりには畑が広がっていた


関連記事:   箱根と広島
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航空祭2019

2019-12-01 | Weblog
茨城にある航空自衛隊百里基地の航空祭にいってきた。戦闘機が稼働している基地は関東だとここだけ
なので、年に一度の航空祭には見物客が何万人も押し寄せる。その中の1人として朝から6時間ぐらい
ずっと戦闘機ばかり見ていた。そんなことを自分がするとは思わなかった。好奇心だった。


寒いので肌の露出を最小限にしたら

新左翼みたいになってしまった。怪しまれて基地に入れないと遠くからきた甲斐がないので、入口では
サングラスを外して顔の覆いをあごまで下げた。基地内では基地外と同じ、この格好で歩いて大丈夫。
もしかしたら入口で手荷物検査するときも、この格好で平気だったのかも。


ファントムは来年で使われなくなるらしい

戦闘機のことは何もわからないけど古いから現役引退するという。このFー4EJ改とかいう戦闘機の
代わりに、国会で審議もしないで安倍晋三が独断でトランプから百機も爆買いした高額ですぐ墜落する
欠陥機F-35が配備されるんだったら、パイロット気の毒だなあ。


とりあえず売店でマニアのふりをしてみる

つくばのガマの油にちなんだカエルのマークの部隊のグッズが人気で、かわいいからTシャツか何か
買おうかと思ったけど普段それ着るかと自問したらマニアと思われたくないので着ない。そのうちに
売り切れたので買えなくなってしまった。買わないから構わないんだ。


爆音がきこえてきて戦闘機が飛んでいった

音のほうが遅れてやってくるので、音がきこえる方向よりも戦闘機は先に進んでいる。ということは
いくら気をつけようと思っても戦闘機の音がきこえたら攻撃がとっくに終わっているのではないか。
逃れようと思ったときは負傷または死亡してるかも。大変なところへ来てしまった。


時速800kmぐらいで襲ってくるらしい

あのペンギンみたいなカラーリングの戦闘機はもしかして有名なブルーインパルスじゃないだろうか。
垂直尾翼に1、2、3、4、5、6ってこれ見よがしに番号ついてるし、きっとそうだ。番号なしの
予備機かなにか1機いるけど、あれは一緒に飛ばないようだ。


コックピットでパイロットが手を振ってる

もちろん、こんなの肉眼で確認できるわけないので駐機場の巨大モニターで見物しながらコンパクト
デジタルカメラでズーム撮影している。航空ショーを撮ろうと思っても時速800kmだからブレる
しピントがうまく合わない。それでもあきらめずに撮ってみた。



こっちへ落ちてきたら逃げることもできない

来場者が10万人いるとしたら、そのうち何万人ぐらい死ぬのだろうか? その中に自分が含まれる
確率はどれぐらいだろう、と最初のうちは余計なことを考えていたけど、だんだん単純にスゲェ~と
思い始めた。パイロットは何歳ぐらいで現場を退くのだろう……(また余計なことを)。


さくら、という演技飛行を6機でおこなう

そのとき百里基地はすっかり、さくらを見る会になってしまった。数万人の戦闘機マニアが息を止め
さくらを見た。その中には寒いと称して目も口も隠した不審人物が観衆に紛れ込み、さくらを見ては
不謹慎なことばかり想像していた。


あれだけ精密な編隊飛行をするのだから

不要な弾薬は一切、搭載してないだろうな……そうでなければパイロットに何かよからぬものが憑依
して空を見上げる戦闘機マニアを爆撃したり、銃撃したとき、仮に10万人のマニアがいるとして、
そのうち何万人ぐらい死ぬだろう。あるいは重軽傷を負うだろう。気になる。


精強即ち安全 『基本・進化』 日数は空白

最初どういう意味かわからなかったけど、戦闘機の飛行をみたら何となく「精強即ち安全」わかる。
安全が続いた日数が具体的に書いてあれば、その前に何かあったと想像してしまうとは思うけれど、
日数がないのはまた例によって隠蔽なのではと不安になってしまう。


みんな無事に戻ってきて本当によかった

ブルーインパルスだけでなくF-4EJ改戦闘機、RFー4E/EJ偵察機、UH-60J救難ヘリ
などさまざまな機体の勇姿を目に焼き付けることができた。全部でいくら費用がかかったんだろうと
つい思ってしまった。しかし、お祭は昔から酒をぶっかけ合ったり、おにぎりをお互い投げ合ったり
無駄なことをするものだから、それを考えるのはやめた。楽しかった。
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