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歩くことが唯一の趣味ですから。

バス散歩

2024-03-02 | Weblog

前回しょっぱなからコースをはずれたので東42からやりなおし。東京駅八重洲口(南口)のバス12のりばで待つ。雨降りだからバス散歩には、むしろ好都合。なんにも用事がないけれど、南千住車庫前行きに乗って阿呆みたいに揺られる。

アメリカ大陸を縦横に結ぶ、低所得層の交通手段グレイハウンドバスに乗りたいと思っても、アベノミクスで円の価値は下がり、日本人の資産が大幅に目減りしたから、おいそれと低所得層のバスにも乗れない。東京の路線バスで我慢するしかない。

バスが日本橋をゆくとき、灰色の窓に寄りかかって見慣れた景色を少し高い位置から眺めると、普段の東京と少し違って見える。まるで観光に来たようではないか。地方の都市で路線バスに乗ったときの感覚を催す……知らない町を走ってみたい、どこか近くへ行きたい。

浅草が近づいてくると、すぐ前をはとバスが走行する。浅草寺にでも行くんだろうか。それとも浅草演芸ホールにでも? あのバスの中では初々しいバスガイドさんか、ベテランのバスガイドさんが、マイクで何やかや東京案内のおしゃべりをしていることだろう。こっちは路線バスだし、お客さんも少ないから静かに前進あるのみ。

人力車の群れが路上をゆくのが見える。こうして路線バスの車窓から東京を眺めるのもまんざら悪くない。雨降りで寒い日だから、人力車で凍えるよりバスに揺られてるぐらいのほうがいいかも。最高気温、3度とか4度とか。数日前は突然22度ぐらいあったのに。

泪橋のバス停で降車ボタンを押してバスを下りる。ちばてつやの漫画『あしたのジョー』の冒頭でかなりのページ数を割いて、物語の導入として泪橋のドヤ街の描写があったのを覚えている。丹下のおっちゃんや矢吹丈がどんな吹き溜まりからボクシングで世界をめざすのか、しつこく泪橋を描いてあった。

これが泪橋の交差点。いまはもう橋がない。江戸時代、小塚原の御仕置場へ処刑されに行く罪人たちがあの世に去ることを悟り、涙を流して渡った橋だから涙橋=泪橋というそうだ。さすがにいまはもう、袖を濡らしてる人はどこにもいない。何の用があるのか車がビュンビュン走るだけ。

南千住車庫前バス停まで歩き、そこで上野松坂屋前行きバスを待って乗る。グレイハウンドバスに乗るとアメリカの低所得層の息づかいを感じることができるそうだが、東京の都バスに乗っても低所得そうな乗客の息づかいのようなものは感じられる。手ぶらで乗り降りする東南アジアの若者たちは、どこに何の用があるんだろう?

キャリーバッグを持って都バスに乗り込むのは旅行者なんだろうけど、どことなく低所得そうな雰囲気が漂う。そもそもキャリーバッグが安物っぽい。それはいいけど、なんでまた南千住からバスに乗るのか? これからどこへ行って、何を楽しむつもりなのか。あるいは稼ぎに行くのか。

日本のお年寄りも都バスに乗ってくる。高齢者はバス料金が無料になるか優遇されるからバス移動するんだろう。あんまり日本の若者はいない。低所得そうなんだけどな若者も……。奨学金がいつのまにか学資ローンに化けて20年、社会に出る前に多額の借金を背負うケースが多くてバブル後の氷河期世代なんかより過酷だと聞く。

吉原に身を沈めて学費を捻出する学生も多いとか。廻れば大門の見返り柳いと長けれど、と樋口一葉の「たけくらべ」に出てくる吉原大門のバス停が近づいてきた。目を凝らしてよく見ても、どれが大門でどれが見返り柳かまったく分からなかった。いまはどっちもないんだろうな、たぶん。

そうこうするうちにバスは走行して上野界隈をすぎてゆく。バスに乗ってるのも飽きてきたけど、おとなしく終点の上野松坂屋前まで乗っていく。せいぜい2時間弱なのに飽きちゃうとは長距離移動のグレイハウンドバスなんて無理そう。御徒町で古着屋をのぞき、別に何も買わず地下鉄で帰った。

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