こたなかべ、ではなく、おだちゅうぶ、というバス停がある。TXのつくばから、つくバスで
50分ぐらい。ひとつ前のバス停が、小田東部だから、小田という土地の中部・東部ってこと。
あえて言おう!茨城くんだりと。室町時代の延元3年(1338)南北朝に分かれた皇族のうち、
北畠親房は南朝の勢力挽回のためと称して伊勢から舟で陸奥へ落ち延びようとして、常陸国に
流れ着き、小田氏に匿われて小田城に入った。
その小田城の跡を訪ねて、小田中部にきてみた。つくバスの名前は、小田シャトル。ここまで
運賃300円。1時間に1便あるかないか、といったところ。わざわざ足を運んでも、ほとんど
何も残っていない。昭和49年(1974)の『茨城県の歴史散歩』(山川出版社)に目を通すと、
「城跡には学校・民家が建ち、大半は水田・畑で一部に堀が残っている。いちだん高い本丸跡
には、ふるい大ケヤキがたっている」と書いてあるが、その大ケヤキも今はない。
そのかわり土塁などが復元されており、歴史ひろば(遺構復元広場)になっている。子供や犬
が大人に連れて来られて、楽しそうに遊んでいる。ここにあった小田城に匿われた北畠親房は
南朝の正統性を証明しようと「神皇正統記」を著した。ついでに「職原抄」も記した。きっと
ひまで心細く憤懣やる方なかったに違いない。ものを書かずにいられなかった。北朝の味方の
幕府の兵も攻めてくるし、イライラしながら書きつけた。
小田城本丸の古い概略図をみると袈裟がけに斬り捨てたような筋が左上から右下に1本通って
いる。これは昭和62年(1987)廃線になった関東鉄道の線路らしい。列車が走っていた頃は、
本丸跡に「ふるい大ケヤキ」とやらも健在だったかもしれない。関東鉄道が廃線になってから
鉄道のコースが「りんりんロード」(サイクリング道)に整備され、城跡を迂回した。
土塁が復元されて遺構が整備され、その外側が「りんりんロード」になった。だから、城跡
の周回コース以外は直線のサイクリング道がどこまでも続き、本丸に串を打ったかのようだ。
戦国時代になると、小田城は上杉・北条(小田原)両氏の争いに巻き込まれ、上杉謙信の息
のかかった佐竹氏に奪われた。関ヶ原の後、佐竹氏が秋田に移封されると共に廃城となった。
「ふるい大ケヤキ」がその頃すでに生えていたかどうか、わからない。
関東鉄道が城跡をぶった斬って走っていた昭和の当時なら、ここは駅から300m、徒歩5分の
廃城だったから、100円の古書を手に訪ねようと思ったのに、スマホで関東鉄道の常陸小田駅
までルート検索してもヒットしない。そこで、つくバスに乗ってきてみたら整備された公園に
なっていたというわけ。
関連記事: 柏から
50分ぐらい。ひとつ前のバス停が、小田東部だから、小田という土地の中部・東部ってこと。
あえて言おう!茨城くんだりと。室町時代の延元3年(1338)南北朝に分かれた皇族のうち、
北畠親房は南朝の勢力挽回のためと称して伊勢から舟で陸奥へ落ち延びようとして、常陸国に
流れ着き、小田氏に匿われて小田城に入った。
その小田城の跡を訪ねて、小田中部にきてみた。つくバスの名前は、小田シャトル。ここまで
運賃300円。1時間に1便あるかないか、といったところ。わざわざ足を運んでも、ほとんど
何も残っていない。昭和49年(1974)の『茨城県の歴史散歩』(山川出版社)に目を通すと、
「城跡には学校・民家が建ち、大半は水田・畑で一部に堀が残っている。いちだん高い本丸跡
には、ふるい大ケヤキがたっている」と書いてあるが、その大ケヤキも今はない。
そのかわり土塁などが復元されており、歴史ひろば(遺構復元広場)になっている。子供や犬
が大人に連れて来られて、楽しそうに遊んでいる。ここにあった小田城に匿われた北畠親房は
南朝の正統性を証明しようと「神皇正統記」を著した。ついでに「職原抄」も記した。きっと
ひまで心細く憤懣やる方なかったに違いない。ものを書かずにいられなかった。北朝の味方の
幕府の兵も攻めてくるし、イライラしながら書きつけた。
小田城本丸の古い概略図をみると袈裟がけに斬り捨てたような筋が左上から右下に1本通って
いる。これは昭和62年(1987)廃線になった関東鉄道の線路らしい。列車が走っていた頃は、
本丸跡に「ふるい大ケヤキ」とやらも健在だったかもしれない。関東鉄道が廃線になってから
鉄道のコースが「りんりんロード」(サイクリング道)に整備され、城跡を迂回した。
土塁が復元されて遺構が整備され、その外側が「りんりんロード」になった。だから、城跡
の周回コース以外は直線のサイクリング道がどこまでも続き、本丸に串を打ったかのようだ。
戦国時代になると、小田城は上杉・北条(小田原)両氏の争いに巻き込まれ、上杉謙信の息
のかかった佐竹氏に奪われた。関ヶ原の後、佐竹氏が秋田に移封されると共に廃城となった。
「ふるい大ケヤキ」がその頃すでに生えていたかどうか、わからない。
関東鉄道が城跡をぶった斬って走っていた昭和の当時なら、ここは駅から300m、徒歩5分の
廃城だったから、100円の古書を手に訪ねようと思ったのに、スマホで関東鉄道の常陸小田駅
までルート検索してもヒットしない。そこで、つくバスに乗ってきてみたら整備された公園に
なっていたというわけ。
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