散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

たかさき中央銀座

2020-07-12 | Weblog
知らない町を歩くのが好きなので、群馬県の高崎駅から町外れの方へふらふら歩いていくと、何にもなさそうなところにアーケードの屋根らしいものが見える。そっちへ行ってみると、「たかさき中央銀座」というアーケードが昔日の名残を留めていた。



しかし、みごとにシャッター街と化している。郵便ポストの左はマルハク書房、右は1回50円のゲームセンター大栄ホール。昭和40年代、50年代ごろは賑やかなアーケードだったんだろう。しかし今は営業してる店のほうが例外みたいだ。



店舗の跡があれば、まだよいほうで、建物を取り壊して更地か駐車場になっている土地がアーケードの両側に広がっていたりする。日本全国どこへ行っても、昭和に栄えたアーケードはこんなありさま。



立小便をしないで下さい。空き缶やゴミ等を捨てないで下さい。それはそうだろうが、つい立小便をしたり空き缶やゴミ等を捨てたくなるほうの気持ちも、このアーケードのありさまを見ていると、わからないでもない。



オリオン座という、この映画館もすでに営業してない。「2年目が、始まる!」というキャッチコピーのハリーポッターの破れポスターがへばりついてるが、それがハリーポッターの第2作だとすれば2002年で時間が止まったまま。



たまに営業してる店があるかと思うと異様にどぎつい。何だこの風俗店はと思ったら居酒屋がラーメン店を兼ねておりカラオケ無料で朝まで営業してるらしい。これぐらい派手にしないとお客さんが来ないのかもしれない。



そんな中央銀座で地味に営業を続けている本屋さんがあった。仮にも出版社に勤める人間として素通りするわけにいかない。広々とした店内には買い切りの岩波文庫の棚もあり、郷土の本もずらりと並べてある。



文庫本を買ってカバーをつけてもらうと、「新潮文庫をお買い上げの方にミニウチワをおつけしていますが、どちらがよろしいですか?」と絵柄を選ばせてくれるので、いちばん涼しそうなやつにした。意外だった。



赤字食堂という名前の店は赤字のために経営が立ち行かなくなってしまったのだろうか。看板の下には「にのせん」という飲み屋さんがのれんを掲げて準備中だった。もうすぐそこで中央銀座も終わってしまう。



アーケードの反対側の看板はそっけないものだった。「中央ぎんざ」……「高崎」をひらがなにしたり「銀座」をひらがなにしたり不統一なのは何か理由があるのだろうか? わけなど何もなくて、ただそうしてるとか。



アーケードを抜けて惰性で少し歩き、、右を見るとスズランがあった。聞いたことがある。群馬県民にとってデパートとは、十中八九スズランだという話を……してみれば、たかさき中央銀座はその名の通り高崎の中心だった。



スズランの前には、高崎城址が広がっている。やっぱりここは、高崎の中心だった。


関連記事:   上野三碑





Comment
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

銭洗い

2020-07-04 | Weblog
銭洗いとは現代の言葉で表現すると資金洗浄=マネーロンダリング、つまり犯罪集団がトンネル会社を通して不正な金をふところに収めることで、参考までに最近のわかりやすい例を挙げるとすれば、こういうのがマネーロンダリング=資金洗浄=銭洗いに他ならない。



ぐずぐずした給付金事業はマネーロンダリングだったし、粗悪品のアベノマスクは資金洗浄だったし、金ばかりかけてボランティアをこき使うオリンピックは銭洗いだった。つまりアベノミクス=銭洗い=資金洗浄=マネーロンダリングだったと、トンネルの向こうの銭洗弁財天を眺めて悟った。



奥宮の湧水でお金を洗って使うと、2倍になって返ってくると昭和のガイドブックに書いてあるんだけど、平成のガイドブックを読むと10倍になって返ってくると記されている。バブルを経て日本人の金銭感覚がおかしくなってしまい、バブルに味をしめた世代が国政を牛耳るようになってから、吸い上げた税金をいかに銭洗い=資金洗浄=マネーロンダリングするか。それを経済政策とする犯罪集団になった。



それにくらべると、庶民の銭洗いなど慎ましい。鎌倉駅から1kmあまり歩いてきてはザルと線香をおとなしく買って祈りを捧げ、思い思いの銭をザルに入れて湧水で洗う。マネーロンダリングといっても恐らく働いて得た金を物理的に洗うだけで犯罪集団の資金洗浄とはわけが違う銭洗い。



銭というとコインを思い浮かべるのが日本語の正統だと思うし、バブル以前に小学校か中学校の遠足でここに来たとき生徒がみんな硬貨を洗って喜んでいたのを、昨日のように覚えている。金銭感覚というのは狂ったら戻らないものか。スマホのカメラを構えて見てると、誰も彼もザルに紙幣を入れて嬉しそうに洗う。洗浄する。ロンダリングする。



この銭洗弁財天、宇賀福神社は源頼朝が生きていた時代の創建だそうだけど、当時まだ貨幣があまり流通していないだろうから、ここで洗うと増えるとウワサになったのは米とかじゃないかなって、お札を洗う人の背中を眺めながら思った。わざわざザルで洗うものと言ったら穀物ぐらいしかない。



江戸時代になって江ノ島詣での人が鎌倉を通るようになったころ、ようやく庶民が銭を持ち歩く時代だから、ついでにここで銭を洗って穀物みたいに増えてくれと願ったんじゃないかな。現代の人々が紙幣を洗うのを眺めて、自分は銭洗いにも資金洗浄にもマネーロンダリングにも関心がないから祈りも願いもしないけど、そんなことを考えた。


関連記事:   大船〜鎌倉
Comment
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする