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近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

8月15日を前にして『21世紀の戦争論』を読んで原爆投下・ソ連参戦・ポツダム宣言受諾を考える

2016年07月05日 | 世間話し
前回の続きです。

良く眼にします、耳にしますね、「戦争は始めるのは簡単だが終わらせるのは困難」とのご高説。と云う事は“だからァ~簡単に始めんなァよッ!と云う事になるの?

それにしても、しかし、戦争は今でも、あちらでも、こちらでも、くり返し、くり返し勃発しているのです。

当事者は、それなりに簡単に始めたとは思っていない処が、とても、とても、ムズカシイのです。

それで、真珠湾攻撃で日米が開戦したのですが、まあ、半年で負け戦が濃厚となり、後は、ずるずると終わらせるタイミングを探し続けてきた訳です。

誰が、どう考えても、国力の違いは明白で、当然軍部も短期決戦で戦局有利な時点で、停戦交渉に持ち込み、それなりの成果を!と考えた訳です。

日本は第一次大戦を、総力戦を、近代戦を、経験していないのです。そして、日本海海戦の、日露戦の、勝利を、ずっと、ずっと、胸に抱き続け、戦争を自分に都合良く考えていたのです。

でも、そうは問屋が卸さないで、徹底的に打ちのめし、二度とアメリカに刃向かう事のない日本にしたのです。

そして、そして、いまでも、誰が、どう考えても日本はアメリカの属国なのです。

戦争末期、アメリカもソ連も、次の戦争を考え、終戦処理を計画していたのです。「自由主義とファシズムの戦争」から、「資本主義と共産主義の戦争」を準備していたのです。

常に、一つの戦争が終わると、終戦処理の中に、新たな戦争のタネが蒔かれているのです。

それで、日本の指導層は、ソ連の仲介にずっと、ずっと、期待を抱き続け、ソ連も、それなりに、次の戦争の準備として、ずっと、ずっと期待を抱かせる態度をとっていたのです。

それで、一応、1945年(昭和20年)の出来事を時系列で記ました。改めて、眺めてみてそれなりに、そうか、そうか、と思うのでした。

2月04日 ヤルタ会談 米・英・ソ3ヶ国でヤルタ協定締結。ソ連対日参戦秘密協定締結
4月30日 ドイツ総統ヒトラー自殺
5月07日 ドイツ無条件降伏を受諾
7月16日 アメリカが原子爆弾の実験に成功
7月26日 ドイツのポツダムで英米ソ首脳会談、ポツダム宣言発表
8月06日 米軍広島に史上初の原子爆弾投下

8月09日
・午前0時ソ連宣戦布告し満州に侵攻
・午前11時02分米軍長崎に原爆投下
・未明、御前会議でポツダム宣言の受諾を決定

8月10日 日本、連合国にポツダム宣言受諾を打電により通告
8月15日 敗戦の玉音放送

次の戦争を視野に入れつつ終戦処理を考えている国と、今の戦争を終わらせることだけに四苦八苦の国との駆け引きの歴史です。

ここで問題なのが、よく言われる原爆投下と日本の降伏の関係です。

大胆に、誤解を恐れず、私の見解を述べます。原爆の一発や二発で日本の指導者は降伏など考えていなかったのです。

広島も長崎も犠牲になったのは民間人です。戦力には直接影響は無かったのです。民間人の犠牲など戦争遂行の判断に影響しないのです。

そして、そして、国体の護持、天皇制の護持、日本精神のために、本土決戦も、一億玉砕も、本気で考えていたのです。

原爆投下で、焦ったのはソ連です。日本が降伏する前に参戦して、日本の戦後処理に一枚噛みたかったのです。

その意味では、原爆投下でソ連の参戦が早まり、ソ連の参戦で停戦仲介の夢は消え、日本の降伏を早めたのです。

兎に角、戦争は何故?何のために?始めたのか、政治も、経済も、国民も、もう、そんなことはどうでもよくなっていたのです。

兎に角、一億玉砕で、日本人として、日本精神を誇示し、潔く、清く、美しく、死んでいくとで、すべてを完結しようとしたのです。

もう、現実の世界も、世間も、政治も、経済も、関係無くなってしまっていたのです。

政治を、戦争を、軍人に任せると軍国主義国家となります。

軍人は“軍事のプロ”ですが、“戦争のプロ”ではありません。

戦争は実力行使を伴う政治です。

そして、そして、当時の日本国の軍人は、軍事のプロでもなく、もっと小さな“戦闘のプロ”程度だったのです。軍事も見えていなかったのです。

戦闘だけを考え、玉砕し、特攻し、本土決戦で一億火の玉だったのです。

それで、ポツダム宣言の受諾ですが、軍人達は、いくら何でもこの期に及んで、本音は誰かに止めてもらいたいと願いつつも、受諾など口に出せず、徹底抗戦を主張して、閣議では何も決定できません。

そして、御前会議での天皇の聖断でポツダム宣言の受諾です。

御前会議で軍人が徹底抗戦を主張しつつも、本音では誰かに止めて貰いたいとの空気は、誰が聞いても、誰が見ても、察する事のできる、そんな空気が流れていた?と推測します。

タイトルは『21世紀の戦争論』を読んでとしましたが、少しと云うか、かなりと云うか、本から逸れてしまいました。

兎に角、今日は、これでお終い。


それにしても、東京選挙区の“三宅洋平君”は頑張っているようです。

“街頭演説の様子だけ”を見れば、その勢いは“トップ当選!”かも?


それでは、また。





コメント
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