歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

グラディエーター・花のあと・抱かれた花嫁・の三本立て

2013年08月19日 | 映画の話し
昨日は映画を三本観ました。

むかし、むかし、近所の映画館は三本立てなのでした。

観たのは、最初が『グラディエーター』、次に『花のあと』、最後に『抱かれた花嫁』の三本です。何となく、それとなく、録画目録より選びだした、ジャンルのかけ離れた三本なのです。

でも、しかし、見終わって、何か、それは、それで、何処かで繋がっていたような、そんな三本だった気がしています。

それで、最初の“グラディエーター”ですが、わたしとしては、この手の、英雄が登場する“史劇大スペクタル映画”は苦手なのです。感情移入する相手が居ないのです。


でも、しかし、冒頭の戦闘シーンの迫力に圧倒されて、いつの間にか見入ってしまい、その後は“人間ドラマ”に嵌っていったのです。


敢えて感情移入と云えば、父である皇帝の“アウレリウス”を殺害し、皇帝に付いた息子の“コモドゥス”かも?


尊敬する父に愛されることもなく、能力もなく、人徳もなく、信頼できる部下もなく、ローマー市民から見捨てられ、ひとり寂しく悲しい最期を遂げる・・・。

それにしても、ローマ軍将軍“マキシマス”を演じた“ラッセル・クロウ”ですが、13年後に撮った 『レ・ミゼラブル』の“ジャベール警部”と比較して、かなりほっそりと引き締まって、小柄に見えました。


兎に角、膨大な制作費を掛けた超大作で、戦闘シーン、決闘シーンは映画館の大画面で観るのと、家で観るのとでは、相当印象が変わる映画です。

戦闘シーン、決闘シーンで眼を奪われ、人間ドラマで心を奪われ、とても良く出来た娯楽映画でした。


そして、15分の休憩の後に、次は『花のあと』です。こちらは、ぐっと制作費を抑えた“こぢんまり”とした、人間ドラマ中心の日本の時代劇です。

舞台は東北の小藩で、下級武士で、耐えに耐えて、最後に悪い上司を切り捨て、最後は目出度し、目出度し、で、終わる藤沢周平作品です。

冒頭から、見知らぬ俳優ばかりの登場で、ずいぶんと地味地味の印象でした。興味はロケ地に移り、時代劇の町並シーンと云えば、近所の“ワープステーション江戸”そして、時代劇の屋敷と云えば、隣町の水海道の“坂野家住宅”です。

あそこ、あそこ、あの通り、あの橋、あの城門、あの離れ、あの庭、あの裏庭、あの納屋、何て、事で、背景を楽しんでしまいました。

それにしても、冒頭から、見知らぬ主演女優の、仏頂面に、分厚い唇に、下手くそな芝居に、参りました。表情での演技がまったくダメなのです。


北川景子と云う女優だそうですが、まったく知らない方です。


役者が大根ならば、カメラアングル、カット割りで、それらしい演技をしているように見せるのが監督の腕です。棒立ち仏頂面は、監督の責任が大きいと考えます。

それにしても、武士の一分の“板東三津五郎”と云い、今回の“市川亀治郎”と云い、敵役に歌舞伎役者を使ったのは、単なる偶然?


役者にとって、敵役はかなり魅力があると聞いたことがあります。二人とも、歌舞伎ではそれなりの名門、歌舞伎の舞台ではたぶんやれない?敵役を映画でやってみたかった?

監督は山田洋次かと思っていたら、あの『青い鳥』の中西健二でした。山田洋次ならば、北川景子もそれなりの演技者に見えたことでしょう。

但し、殺陣のシーンは景子ちゃんもヨカッタです。これって殺陣優先のキャスティグ?

そして、最後は、人情喜劇の『抱かれた花嫁』です。


日本映画黄金期の、とても、とても、安心して観られる、楽しい映画です。松竹初の大画面シネマスコープの作品です。

大震災も、大津波も、原発メルトダウンも、放射能汚染も、少子高齢化も、不正規雇用も、過労死も、格差拡大も、デフレも、誰しも、夢にも思わなかった、いい時代の、楽しい映画でした。

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