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電脳筆写『 心超臨界 』

強みは物理的な能力がもたらすものではない
それは不屈の信念がもたらすものである
( マハトマ・ガンディー )

私は自分の立場を勝手に「古典的なバランス・オブ・パワー派」と名づけています――伊藤貫

2025-03-12 | 04-歴史・文化・社会
20年に及ぶブログ活動の集大成 → <a href=https://blog.goo.ne.jp/chorinkai/e/3d8eb22fad45ce7b19d6a60e8a70b7e7" target="_blank">★仏様の指
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客観的に見ると、中国大陸でどんどん戦線を拡大していった日本のやり方は、軍事政策、外交政策の両面から見て下手なやり方でした。長期的なグランド・ストラテジー(最も基本的な国家戦略)を設定する必要性が理解できず、ズルズルと戦争を続けていったのです。1930年代の日本の指導者たちは、賢明ではなかった。


『自主防衛を急げ!』
( 伊藤貫&日下公人、フォレスト出版 (2011/4/15)、p17 )

◆日本は「リアリスト・パラダイム」に立脚せよ………伊藤貫

最初に本書における私の立場を明らかにしておきます。以下の説明に対して、「ちょっと理屈っぽいぞ」と反応される読者もおられると思いますが、なぜ、日本は核武装して自主防衛すべきなのか」という議論をするためには、国際政治学や核戦略理論を使う必要があるのです。いささか理屈っぽい説明になってしまうことを、ご寛恕(かんじょ)ください。

さて、私はワシントンに25年間住んでいるのですが、外から日本の外交論壇を観察していると、以下、三つのグループに分けられるように思います。

①最初のグループは、いわゆる「護憲左派」です。戦争放棄や戦力不保持をうたった日本国憲法第九条を守っていれば日本は平和だという、空想的な平和主義者たちです。進歩的文化人といわれている人たち、日教組、そしてNHKや朝日新聞等の左翼メディアが、典型的な護憲左翼です。ただし、東大法学部を卒業して霞が関の官僚になった連中にも、護憲左翼は多い。東大の法学部で憲法や政治学を教えている教師には、国際政治の現実をまったく理解していないにもかかわらず、護憲思想に凝り固まっている者が少なくない。そういう人たちの講義を聴いて、そのまま信じ込んでしまうナイーヴ(騙(だま)され易い)な学生も少なくないのです。

②二つ目のグループが、「親米保守」です。外交評論家の岡崎久彦さんや軍事評論家の森本敏(もりもとさとし=拓殖大学大学院教授)のように「アメリカにくっついていれば日本は大丈夫だ。アメリカから離れたら、日本は生きていけない」と考えている人たちです。日本の政界、官界、マスコミでは、この親米保守派が「エスタブリッシュメント」ということになっているようです。

③三つ目のグループは、私が「戦前保守」と名づけている人たちです。彼らは自分たちのことを「真正保守」と呼ぶことがあるようですが、いったい何が「真正の保守主義」なのか、という定義は不明ですから、私は彼らを「戦前保守」と呼んでいます。「戦前の日本は素晴らしかった。敗戦前の日本人は何も悪いことはしていないのだから、自虐的になってはいけない」と言っている人たちです。

私自身、「第二次世界大戦は、民主主義勢力を率いた『正義の味方』アメリカと、ファシスト陣営に加わっていた『悪の帝国』日本との戦いだった」といった米占領軍のプロパガンダなどまったく信用していませんから、この「戦前保守」の立場に半分ぐらい賛成するのですが、しかし、彼らに対しても異論があります。なぜかといえば、戦前の日本の軍事政策と外交政策は、「バランス・オブ・パワーを維持する」という視点からは明らかに失敗だったからです。

失敗の理由を簡単に説明しますと、第一次大戦後の日本の周囲にはソ連、中国(中華民国)、アメリカという三つの覇権国がありました。しかし戦前の日本の軍部と政治指導者たちは、これらの三カ国をすべて敵にまわして第二次世界大戦に突入してしまいました。これは、「大国間の勢力を均衡させて、そのなかで自国の生き残りを図る」というバランス・オブ・パワー外交の基礎的なロジック(論理)から逸脱したやり方です。あれは明らかに失敗だった、と言わざるをえません。

ところが、「戦前保守」の人たちには、戦前の軍部と政府の戦略的な失敗をすべて正当化しようとする傾向がある。米占領軍が偽善と欺瞞(ぎまん)に満ちた「東京裁判史観」を日本国民に押し付け、そして、それを嬉々(きき)として受け入れた左翼勢力が自虐的・反日的なことばかり言うものだから、彼らを言い負かしてやろうと考えて、「戦前の日本の行動はすべて正しかった」と強弁するわけです。「戦前の日本が失敗したのは、すべてコミンテルン(ソ連主導の国際共産主義組織)、国民党(蒋介石政府)、中国共産党、そして日本を故意に戦争に追い込んでいったルーズベルト政権の陰謀のせいである。われわれ日本人は、何も悪いことはしていない」と。

「戦前保守」の人たちが、そのように怒って日本を弁護したがる心情もわかるのですが、しかし客観的に見ると、中国大陸でどんどん戦線を拡大していった日本のやり方は、軍事政策、外交政策の両面から見て下手なやり方でした。長期的なグランド・ストラテジー(最も基本的な国家戦略)を設定する必要性が理解できず、ズルズルと戦争を続けていったのです。1930年代の日本の指導者たちは、賢明ではなかった。

私の立場は、これらの三つのグループの人たちとは異なっています。以上の三グループとは異なる四つ目の立場には名称がないので、自分で勝手に「古典的なバランス・オブ・パワー派」とか「オーソドックスなリアリスト派」とか名づけています。その基本になっている思想は、17~19世紀の国際政治の基盤となっていた古典的なバランス・オブ・パワー外交の考え方です。

(つづく)
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