我が家の青空(My Blue Heaven)

スージィーとロバート、キャッシュとバンクの
2人と2匹の我が家のディリー・ライフ。

「秋の愉しみ方(5)」

2016年10月06日 | 日記

夕食を済ませ、
残った酒のグラスを片手に
千鳥足で二階に上がれば、

そこから、
「今日」と言う日の終焉を
音楽や落語で結ぶのが、
このところの慣(なら)わしとなった。


毎夜のこの愉しみは、
就寝までの僅かなひと時でも、

自身にとっては実に
得難い時間となっている。
 

 寒暖に
気を煩(わずら)わすこともなく
過ごせる秋の夜は、

作品のカテゴリーの対象が
如何なるものでも、
鑑賞に集中できる利点があり、

少々、酒に酔っていようが、
その作品をより深く、
味わい知ることが出来るのだが、

昨夜も例外なく、そうだった。
 

昔、働くようになって
月に2枚のレコードをやっと
買えるようになった頃は、

ライナーノーツを
暗記するほど読み尽くし、

歌詞を追いかけては、
針で擦り切れるほどに繰り返し
聴いていたのに、

何時の頃からか
お金が自由になると、

旋律の表っ面(おもてっつら)だけを
追いかけるだけで、

一度聴いて気に入らないと
二度と聴かなくなるのも恒だったが、

最近の、我がその所作が、
昔の自分に戻ってきた感がある。
 

 
昨夜、トム・ウェイツを引っ張り出して
聴き返した。

昔のように訳詞を追いかけて
聴いていると、

歌詞カードの文字が
次第に霞(かす)んでくる。

詩と旋律の切なさに
哀調を帯びたトムのしわがれ声が
涙腺を刺激し、

六十五の親父が今夜もまた、
涙を零(こぼ)してしまったのだ。


少しばかり酒に酔っていて、
感傷的な作用が増長していた性も
あるだろうが、

トムの思いのままを、
表情豊かに表現し
外に向かって創作した曲に

素直に反応し、涙した自分が
「正直者」に覚えて
無性に嬉しく感じた。

 

曲(歌)は、
旋律と詩で出来ている。

他国の言葉を理解できないものは、
旋律だけで曲を愉しんでいるが、

それは「片手落ち」と言うもの。
 

 折角、手放さずに
手元に置いた数々の愛する作品が、

「ただの作品」でなく
「優れた作品」であることを
改めて、確かめてみたいもの

あたふたと
生き急ぐ人生でもあるまいし
落語であれ、音楽であれ、
埋もれた「名作探し」の愉しみを

秋の夜長に緩々(ゆるゆる)と。


涙した曲は
「ルビーの腕」

「ルビー」とは、
当時、トムと同棲していた
リッキー・リー・ジョーンズのこと。

その彼女との、切ない別れの歌。 

 

 ♪

君と一緒にいた時に着ていた服は

全部おいていこう

このエンジニアブーツだけあればいい

それと革のジャケット

ルビーの腕にさよならするんだ

俺の心は砕けたけれど

日よけをすり抜けそっと出て行こう

君はすぐに目を覚ましてしまうだろうから

 

朝の光が君の顔に降り注いでいる

今や何もかもが憂鬱だ

君は枕を抱きしめている

もう俺ができることは何もないな

俺はルビーの腕にさよならするから

きっと君は次の戦士を見つけるんだろう

たぶんクリスマスまでには必ずな

きっと他に君を抱いてくれる人はいるさ

 

俺が手に取るのは

物干しにかかっているスカーフだけ

君のタンスは早足で過ぎて

それと君の壊れたウィンドチャイムからも

さよなら

さよならするよ

さよなら、ルビーの腕

 

俺の道はうす暗い廊下を進んでいるみたいだ

そこを抜ければ朝へと続いている

貨物置き場のホームレスは

いつもたき火を絶やさない

このくそいまいましい雨

誰か俺を列車に乗せてくれないか

俺は二度と君の唇にキスすることはない

君の心を傷つけることもない

さよならするから

さよならするよ

さよなら、ルビーの腕

 

「Ruby's Arms」

Tom Waits

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする