とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

尾道を歩く その1<千光寺山荘>

2020-03-21 21:59:59 | 旅行
街の東側、浄土寺山からの展望

私は尾道をあなどっていた。
尾道の風景は、日本三景レベルだった。

宿泊は千光寺山荘にした。(2泊)
それほど深く考えたわけではなかったが、正解だった。
尾道の大きな魅力は高台からの展望にある。
千光寺山荘は千光寺の展望台の尾根筋近く、少し降りた場所で、駅近くからもよく見える。

海沿いから千光寺山荘を見る


部屋からの眺めが絶景である。
着いて窓から外を見たら驚いた。
この景色、今まで泊まったホテルのなかでも特に秀逸である。

窓際で横になるとパノラマが広がる。居ながらにして展望台だ。


弱点は、山荘と言うように山の上なので、
宿に着いたらそうそう尾道の街中へは出られない。
それでも余りある展望が楽しめるので私には問題なかった。

部屋からの展望
昼間(夕方)


夜景


日の出
感動モノの日の出は、思わず写真を何枚も撮ってしまった。






少し旅館の宣伝のようになってしまったが、旅館はやや古びている。
部屋はバリアフリーでもない。
それでも山荘と考えれば十分な機能だ。

観光案内地図は、駅の観光案内所でもらえるので必ず入手したほうがよい。


私は登山用のマップケースに入れて持ち歩いた。

高梁から備中松山城へ登る

2020-03-21 19:21:37 | 旅行
3月17日、高梁へ行き備中松山城へ登る

サンロード吉備路より歩いて総社駅へ向かう(およそ50分)
総社発8:50-高梁9:14

高梁は山沿いに寺が並び散歩コースとなっている。
ここの寺院は基本的に高梁を守る城郭の役割を担っており、南の守りの要が正連寺だ。
石垣はほとんど城のような造り。


頼久寺


頼久寺の庭園は小堀遠州作の名園


だれもいなかった。
さつきの開花はまだだが、こんなチャンスはめったにない。
借景は金剛山
部屋には香がたかれていた。


その先は武家屋敷群

正面の山が松山城

谷川に行きつき山側に折れると松山城への登山口となる。
標高差300m、1.5kは1時間弱の登り。(大ハード)
この坂では武具を付けて登るのはたいへんだ。
平和な時代(1683年)になって建てたというのも不合理な城だった。
だけど、美的にはよい。

この石垣はやはり美しい。





城下も見下ろせる。




下山したら町屋を散策。


家々の門には青竹が立てかけられ、花を活けていた。


基本的に京の町屋と同じで奥に深い。
高梁川の水運で栄華を極めた街であることが分かる。


高梁14:03(やくも16号)倉敷乗り換えで14:49-尾道15:50 
尾道へ向かった。


レンタサイクルで吉備路を走る

2020-03-21 15:23:24 | 旅行
宿泊先はサンロード吉備路(2泊した)
駅から少し離れているが、食事がよくコストパフォーマンスの高い宿だと思う。
出てくる料理の種類も多く、これでもかと出てくる。
和テイストの料理なので、日本酒を頼んだところ、冷え具合もちょうどよく、鮮度のよい刺し身との相性抜群であった。美味しかった。

レンタサイクルは旅館に併設しているコンビニで借りられる自転車を使用した。
本来は、ここからほど近い国分寺あたりをめぐるため用なのだろうが、私は一日中乗り回す過酷な使い方をしたので性能は物足りないものだった。

当日は、寒気が流れ込む不安定な天気だった。
朝から雨が降ったりやんだりで一日中カッパを着ている状態であった。
それでもめげずに出発。

<コース> サンロード吉備路(8:00発)作山古墳-山陽道一里塚跡-総社スポーツセンター-弥生広場-吉備国分寺-こうもり塚古墳-造山古墳―鯉喰神社-楯築遺跡-王墓古墳群-犬養木堂記念館-吉備津神社-備中高松城址-備中国府跡-サンロード吉備路(15:30着)

旅館すぐ近くの作山古墳へ向かう。


旧山陽道を見学しながら吉備路サイクリングロードの起点近くの総社スポーツセンターまで一旦戻った。(この動きは無駄であった。大して見るべきところはなかった。)

サイクリングロードは田圃の中を進む。
ルンルンだ。
思わず天地真理の「虹をわたって」を口ずさむ。(さっき西の空に虹が出ていたのだ)
つづいて「ひとりじゃないの」

程なく備中国分寺に着いた。


この景色、どことなく信州別所温泉の塩田平あたりにも似た雰囲気がある。
やはりよい。このコースのハイライト部分だ。
すぐ横がこうもり塚古墳

全国4番目の規模を持つ造山古墳は先の広島豪雨の時、中央部が一部崩れ、現在修復作業中だが痛々しい。


足守川の堤防沿いを進むと鯉喰神社、
そしてブラタモリでも脚光を浴びた楯築遺跡へ向かう。
古墳時代より昔の弥生時代の遺跡で大変貴重ですばらしい。


すぐ南の王墓山古墳群も見学し、さらに足守川を南下し東へ。

犬養毅(地元の人は犬養木堂先生と呼んでいるようだ。)の生家へ到着。


犬飼家は地元の桃太郎伝説に関わる名家で、本来犬養首相の御苗字も元は犬飼であったそうだ。途中で本人が犬飼から犬養へ変更されたそうだが、どういういきさつがあったのか。
孫文を支援し憲政の神様と言われた進歩的な考え方、政治家としての犬養毅首相を私は尊敬している。


犬養首相の人柄の逸話としてオールドパーが展示されている。


犬養邸より北上し、吉備津神社へ向かう。


立派な神社で、吉備の国の力を象徴している。


つづいて備中高松城へ向かう
高松城の水攻めは、秀吉の戦法を象徴する戦いであるばかりでなく、
日本の歴史の変換点となった戦いだった。
そもそも秀吉は、大がかりな土木事業が好きだ。
京都のお土居も同じようなニュアンスだ。

短期間で、この高さの土を盛るのにどのような方法で行ったのか、具体的な工法が知りたい。
(太閤記などでは、高さ7m、長さ2.7k、堤の底部の幅24m上部は10mと書いてあるそうだが、もっと小規模だった等の説もあるようだ。この現存する堤防跡を見る限り、相当しっかりした土木工事だったのではないだろうか。)


田圃の中で少しだけ高くなっているところが城址の公園


この後、旅館にたどり着くとみぞれが降り出し、やがて春の淡雪となった。

岡山 後楽園へ行く

2020-03-21 10:23:10 | 旅行
3月15日から3月20日の5泊6日で旅に出る。
行先は吉備路、備中高梁、尾道、しまなみ海道、倉敷。
徒歩による街歩きに加え、レンタサイクル、レンタルバイクも利用した。
一人旅ならではの機動力を発揮した旅だった。

休みが取れることが決まったのは、一週間ぐらい前だったので、バタバタで予定をたてた。
それでも宿泊先やレンタルバイクの予約は、世間がコロナウイルス騒動中なので簡単に予約できた。
切符は尾道までの往復切符を買い、新幹線で岡山へ向かう。(一応指定席を購入したが、やはりがらがらだった。)新横浜発8:00-岡山着11:03

岡山駅「さんすて」の中にある吾妻寿司で、ままかり寿司を購入し岡山城へ向かう。
岡山城へは駅からまっすぐなのでわかりやすい。

路面電車がたくさん走っている。

乗らなかったが観光ポイントだ。

岡山城は復元天守だが、名城である。

最近宇喜多秀家時代の石垣が地中より出てきて、見ることが出来るようになっている。

後楽園は思った以上にすばらしい庭園であった。





庭園の特徴は、園を流れる流水(水量が多い)と中央部の広い芝地だ。


流水の流れだし口


吉備路を写し取ったような庭だ。
小さな築山が沢山あるのも、なんだか吉備路の古墳群のようだ。






園のやぶ椿が侘助椿のように小ぶりだと思ったが、二日目に行った犬養首相の生家の庭に咲いていたやぶ椿も同じだった。

下は我が家の椿だか、真ん中が出雲大社のやぶ椿、右が九州対馬のやぶ椿(たまの浦)左が横浜の私らの村のやぶ椿。
後楽園のやぶ椿は、出雲大社のやぶ椿に近い。
私らの村の椿はもっと大振りだ。
椿はもう終盤なので、あまりよい花の状態でないのでわかりづらいが、おしべの大きさや量に注目するとわかりやすい。


園内には茶畑もある。(他に梅林や桜の林地もあるが、こちらは園の風情に合っていない気がする。)


園内の茶畑で作られたお茶は、お殿様も飲んだそうだ。
茶畑の横には茶屋があり、お抹茶をいただく。
ここからの岡山城は、園の借景になっておりとてもよい。