とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

西早稲田から林芙美子記念館、中野駅へ

2018-05-27 22:55:10 | 東京散歩
西早稲田駅-鳴門鯛焼本舗-カモシカスポーツ-いちよし(とんかつ)-林芙美子記念館-哲学堂公園-新井薬師-中野駅

西早稲田の「鳴門鯛焼本舗」で天然たいやきを買い、食べながら高田馬場駅に向かう。
高田馬場へ来たので西口のカモシカスポーツへ向かうと、店がない。ない。
う~ん、どこか別の所へ引っ越したかと調べると、東口にあった。
帽子とザックを買う。

東京富士大学方面へ歩き出すと、とんかつ屋のいちよしが開店していたので思わず入ってしまった。
入口のカンバンにあったロースかつ定食(750円)を注文する。
ところが、ここは早稲田の勢力下の店、普通の状態で大盛のボリュームで出てくる。
これで750円は驚異のコストパフォーマンス。
うちの奥さんは当然食べきれない。その分を引き受けたので実質メガ盛りのとんかつ定食を食べるはめになってしまった。

重い体を林芙美子記念館へ向かう。


風情のある建物だ。
敷地も広い。




林芙美子は放浪記ぐらいしか読んだことはないが、それも40年ぐらい前。
記憶に残っているのが、渋谷の道玄坂で主人公が露天の店をひろげて、さえない商売をしている場面だ。


どういうわけだか、私の家にも放浪記の本があった。
祖父が買ったものだろうか。うちには、実用書かノンフィクションものぐらいの本しかなかったが、これが唯一の小説であった。それくらい林芙美子は売れっこ作家だったということだろう。

本には、おそらく本人のものと思われるサインがある。サイン会かなんかがあって買ったものだろう。
この本は、改造社版、林芙美子選集第5巻で放浪記が収められている。発行は昭和12年


目白大学の前を通り、哲学堂公園へ


新井薬師で線香をあげる。


中野駅にたどり着くとけっこう疲れた。
そういえば東京へ来る前にも、家から武蔵小杉の駅まで歩いていた。


アメフト事件に思う

2018-05-26 10:07:18 | 独り言
上官の命令は絶対だ。
戦後、その上官の命令に従ったことでBC級戦犯となった兵士が数多くいた。

加えて今回は、反社会的勢力が常套手段としているマインドコントロールも用いていた。
直接的な言葉を使うのを避けながらも、パターンを変え、人を替え、精神的に追い込んで行くやり方だ。あくまでも本人からやりますと言わせる。問題が起きても、俺はそんなことを言っていない。あいつが勝手にやったことだと言い逃れをする。
効果はどうであれ、学生のスポーツ活動にそぐわないのは明らかだろう。

これまでの大学の対応を見る限り、あのころと変わっていないと思わせる大学経営陣の対応である。

学生運動の代名詞ともなった日大闘争。
経営陣の不正行為に激怒した学生達が、腐敗した理事会に退陣を迫った運動であったが、過激な活動は警察の介入を招き崩壊した。そんな過去もあった大学だった。

大学とは、学生の学びを全面的にサポートすることが目的のはずである。
一個人であっても、期待とともに入学した学生の大切な青春を踏みにじることを許すことはできない。
アメフトは、並外れた体力とチームワークに加え、知的なセンスが要求されるスポーツだと聞く。選手の会見を見るかぎり、それにふさわしい選手であったことが窺える。

勝利至上主義の価値観で選手の人権を無視する指導者が多いのは、スポーツ界に限ったことではないかも知れない。しかしながら違法行為を強要して成功が続くはずがない。その反動として、不祥事が発覚した企業の多くは、その後社会的制裁を受け、経営危機に陥っていることを大学関係者は知らないのだろうか。

五月晴れのチャンスに剪定、草むしり

2018-05-20 20:11:13 | 庭、花木、畑、ガーデニング
昨日今日と五月晴れの晴天が続く。
空気も乾いていてさわやかだ。
富士山も見える。

それに合わせるかのように、ここ数日さわやかな鳥の鳴き声がする。
とても澄んだ響きで、散歩の人も足を止めて聴いている。
(口笛で曲を吹いているような鳴き声だ)
なんという名前の鳥なのか知らないが、なんだか高原の別荘の雰囲気にしてくれる。

それで、
よりさわやかにするため、草むしり、枝葉の剪定と忙しい。
梅雨の前、最後のチャンスだ。
少しは、さわやかになったか。


家族で守門岳へ登ったこと

2018-05-13 20:32:18 | 山行
今日の新聞で「輝く新緑 散策したいブナ林」というのがあった。
1位は白神山地であったが、8位に越後の浅草岳がランクインしていた。

浅草岳は、娘が6歳の時に家族で登った思い出の山だ。
浅草岳へ小さい子供連れで登れたことは嬉しかった。
翌年には、その向かいの守門岳へも登った。

守門岳は、今思っても本当によく行けたと思う。
大白川の登山口から山頂まで、大人でも3時間はかかる。

登山道の状況は浅草岳よりさらに悪く、娘はまだ小さかったので道に大きな段差があると乗り越えることが出来ず、そのため登山道に難所があると娘を抱きかかえて一つ一つ越えていった。
ようやくのことで、守門岳からの尾根上にある三の芝に到着したが、そこで天気が暗転。急に霧に視界が閉ざされた。

すると家族から次々に不満が出てきた。
なんでこんな所に来たの。
小さい子には無理よ。
特に娘は、三の芝にたどりつくまで「もう帰る」などとだだをこねていたので、ここまでだましだまし登らせていた。
うーんいかん。
撤退すべきか悩んだ。

豪雪地帯の越後の森はすばらしいが、
小さい子にはそれを感じる余裕はないか。
とりあえず冷静になるため、休憩しておやつを食べさせ、いろいろ考えた。
時間はまだ早い。
道はここから緩やかになる。
もう少し進んで判断しよう。

しばらく進むと晴れ間が広がってきた。
展望があると心も晴れる。子供にも笑顔がもどる。
なんとかなりそうだ。

ようやくたどりついた山頂。
家族で守門岳に立つことができた。
うれしかった。




金沢八景から野島公園、称名寺

2018-05-06 09:16:56 | 三浦半島ハイキング

ショ、ショ、称名寺、称名寺の庭は、
浄土式庭園なのだが、平等院や浄瑠璃寺などのように平安時代のものではなく、藤原氏の平泉を模して造られた鎌倉時代のもののようだ。
それでも日本庭園を語る上で外せない名園。
今は黄菖蒲が池の周りで満開


これが須弥山石かな?


称名寺は裏山がよい。
山頂からの展望





はっけよいよい
はっけよいよい

八景よいよい
八景よいよい

金沢八景は江戸時代からの観光地
今日は、金沢八景、金沢文庫を巡る(口を左右に引っ張って言おう)
この海は、私が初めて足を踏み入れた海(小学校1、2年のころか?)


起点となる瀬戸神社、

わたつみの
瀬戸の社の神垣に
願ひぞみつる
潮のまにまに

源実朝 詠める





野島公園へ向かう


山頂へ登ると裏は日産の追浜工場、
上から見下ろすと産業スパイになった雰囲気


伊藤博文の別邸




こんなお屋敷があるのは、金沢八景に風光明媚な場所のイメージがあったからだろう。

明治の元勲も若い時には苦労している。


海の公園も繁盛 ここは同じ横浜市なんだよね。


とげぬき地蔵通りから染井霊園、旧古河庭園、六義園

2018-05-05 22:04:20 | 東京散歩
とげぬきき地蔵商店街を歩く。
あきれるほどの混雑。
ジージ、バーバはなにもゴールデンウイークなんかに来なくても、もっと空いている普通の日にくればいいのにと言ったら、「ゴールデンウイークで休みだから親を子供や孫が車で連れて来てるんじゃないの」とうちの奥さんのもっともな意見。

早々に本妙寺へ向かう

ご存じ遠山の金さんのお墓


金さんは、若いころ長唄や花札をたしなみ、芝居小屋にも出入りする遊び人だったらしい。
庶民の暮らしを知る金さんは、町奉行になって天保の改革で取り潰しの危機にあった歌舞伎を救った。
金さんの尽力のおかげで、歌舞伎は再び浅草猿若町で行えるようになったのだとか。
本当の金さんも名奉行だ。
亡くなったのは安政2年だそうだ。


千葉周作は、神田お玉が池に道場を構え、多くの門弟を抱えていた。
禅の悟りのようにして剣の道を極めていたそれまでの剣道を、
周作の道場では一般の人にも理解できるよう工夫し、解りやすく教えた。
平和の時代に合うよう剣道の大衆化を進めた。
(スポーツジムのようになったということ)

お二人とも江戸末期の町人文化を支えたヒーローだ。

染井霊園は、有名人のお墓も多い


岡倉天心、高村光太郎、光雲、智恵子
二葉亭四迷


江戸時代の染井村は、植木の一大産地
イギリス人のロバートフォーチュンは、「私は世界のどこへ行っても、こんなに大規模に、売り物の植物を栽培しているのを見たことがない。」
と当時の染井村の植木園の様子に驚嘆しています。
染井吉野発祥の地というのも当然のようです。

旧古河庭園


バラが満開、本日は無料なのでバラより人が多い



六義園では、松のもみあげ作業中