とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

降る雨や昭和は遠くなりにけり

2019-04-30 21:57:27 | 日記
王党派かジャコバン派かと問われれば、私は間違いなく王党派なのだ。

数年前、私の住む小さな町のケアセンターを陛下がご訪問されたことがあった。
特別な式典があったわけでもなく、小さな町の福祉施設にまで足を運ばれるという、信じられない出来事だった。

陛下がペリリュ―島や硫黄島という困難な場所へ慰霊のため訪問されたといことは再三テレビでも報じられているが、私らの街へのご訪問のような細かい配慮も含めると、本当にたいへんな行動力であったと思う。

明日から天皇となられる皇太子殿下と私は、同年代だ。
山と音楽を愛されているのも恐縮だが親近感がある。

私らはそろそろ第一線から退こうかという時に、
これからというのもお気の毒である。

山と音楽を愛される陛下は、わたしら世代の象徴でもある。
私には応援のしようもないが、令和がよい時代となることを願う。

堀 淳一著 「地図のたのしみ」

2019-04-30 21:23:47 | 本、作家
地図のたのしみは名著である。
地図マニアなら必ず一度は手にしたことがある本だ。

私も小学生のころから地図に親しんできた。
世界地図や都道府県別地図などは、図書館にあるような大きいサイズのものが家にあった。
それを床に広げて見るのが楽しみだった。

その中には主要都市の地図などもあった。
小学生だった私は、特に港湾都市のデザイン性に引かれた。
港の埠頭の凸凹の様子や、貨物の引き込み線、灯台などの港湾施設と都市の外に広がる天然の海岸線との対比がとても美しいと感じた。(あくまで地図上でのことだが)
そこでいくつかの港湾都市をノートに書き写してみた。
室蘭の地図を一生懸命書き写した時のことは、今でもおぼろに覚えている。(実は「地図のたのしみ」の裏カーバーのデザインは、室蘭の地図なのだ。マニアな感覚が一致しているようでたいへん嬉しい。)

書き写した地図を参考にして、架空の都市の地図を作るというのにも凝った。
河川や港、工業地帯、住宅地、鉄道網などを自分でかってに作り上げ地図にするのである。
この感覚は、レゴやプラレールとも共通しているのかも知れない。
というようなマニアな地図遊びもした。

私の家は、祖父の代から地図マニアだった。
国土地理院の5万分図などは、木箱一杯にあった。
その中には、戦前の朝鮮全図や、陸軍演習図なんていうものも入っていた。
祖父が一時期軍人であったので、勉強のために集めたものだろうが、
根っから好き者の家系だったようで、父なども地図を買い集めていた。
私も登山に使うのが主な目的であったが、これまでに何百枚という単位で国土地理院の地図を購入している。

登山を始めた当初は、まだ戦前の陸地測量部が作成した地図の修正版のような5万分図がかなりあり、特に山岳部の等高線は相当いい加減なものだった。(国土地理院の地形図が信用できないなんて今では信じられないような話だ)

むろん今の国土地理院の地形図は、自然災害や埋め立てなどによる変化がない限り正確無比となっており、コストと実用性を兼ね備えたすばらしい出来のものではあるが、半面おもしろみは少ない。

外国の地図、特にヨーロッパの地図はカラフルで美しいものが多い。
中でもスイスの地図は美術品のようだ。

新婚旅行でスイスのインターラーケンへ行った時には、記念にスイスの地図を買った。
(日本でも大手の書店で主要な観光地のものは売っている)
現在では、国土地理院の地図もネットで検索が出来るようになったが、
地域全体を広く認識するには、やはり昔ながらの紙の地形図に勝るものはない。

小学校の同級生

2019-04-13 21:08:55 | 日記
ブースカが家を建て替えた。
ヘー、この歳で建て替えかいな。老後は新築か。と、人事なのに感心する。
ブースカは小学校の同級生だ。
何の縁か、私の息子とブースカの息子も小学校で同級生となっていた。
そしてとても仲が良かった。

近所へ買い物に行くと、スーパーの駐車場から一台の車が出てきた。
私の前で不意に車が止まったので何かと思ったら運転席の窓ガラスが開いた。
小学校の同級生のラッキョだった。

そのあと私がスーパーで買い物をしていると、携帯電話を耳にあてながらラッキョがやってきた。
さっき車で出ていったのにどうなっているんだ。
読めない行動。
それで彼にはラッキョというあだ名が付いている。
むいてもむいても芯が出てこない。
たぶんそんな意味だ。

息子に聞いたら、今の小学校では、友達にあだ名を付けてはいけないんだそうだ。
(いじめ対策と関係があるようだ)
わたしらのころは、あだ名が付いていない子の方が気の毒だった。
それは存在を無視されているのに等しかった。
時代は変わるものである。

「美の壺」を見て驚いた

2019-04-07 10:42:18 | 日記
最近またクラブの後輩のSがNHKに出演していた。
偶然録画しておいた「美の壺」で主演の草刈正雄さんと共演していたのにはブッタマゲタ。
そうはいっても最後に会ったのはおそらく自分の結婚式だったので、もうずいぶんと彼とは会っていない。
それから彼の人生は大きく変わったようだ。

今では趣味が本職となっているのか知らないが、
これだけ世間にアピールできるものがあるというのはすばらしい。

もうずいぶんと昔の話になるが、日曜の夕方ぐらいにやっていた父の同級生のHさんがやっていた釣りの番組があった。(11PMにもよくご出演されていた)父は「Hのやつはいいよなあ、好きなことやって飯が食えるんだから」、とよく言っていたが、いくら好きなことでも仕事にしてしまうと、はたから見るより大変なことも多いだろう。

Sはどうなんだろうか。
機会があったら会って聞いてみたいと思う。

官能小説の話

2019-04-07 08:33:35 | 本、作家
今週のタモリ倶楽部は官能小説がテーマだった。

官能小説には、ほとんど絵が入らないのだから
書く者にも読む者にも、イメージを膨らませる想像力が必要だ。
読むには知的センスも要求される。
また、官能小説の出版には、当局との闘いの歴史もある。

「バルカン戦争」という古典的官能小説は、多くの言語に翻訳されているそうだ。
訳者には、その国のレベルに適合する発禁を逃れるための翻訳テクニックが要求された。

この手の本はたいてい男性が読むものだろう。
官能小説を読む女性の心理はどういうものか分からないが、最近では女性の書き手もいるそうだ。
ということで、今週のタモリ倶楽部のゲストは女性若手歌手のあいみょんであった。(若い女性がメインゲスト)

エロは平和の象徴でもある。
平和な時代にはエロスが繁栄する。

江戸時代 日本のスケベ文化は世界一であった。
文学、絵画にとどまらず、吉原に代表される風俗店までもが一流であった。
幕末に日本を訪れた異国の船乗り達は浮世絵(春画)に驚嘆して祖国に持ち帰ったという。

勝海舟が咸臨丸でサンフランシスコへ行った時のこと。
咸臨丸の水夫が春画を船に持ち込んでいいたのを、一枚あちらの側のスタッフの奥さんにあげたところ、そのことが向こうのお偉いさんにバレてしまい大変無礼であると日本側に陳謝を求めてきた。ところがあとで内々に、先ほどの絵は真に面白い、まだあるようならあの絵を私にくれまいかと言われ、海舟が渡したところ、他の人からも欲しい欲しいと何人にも言われたので、船中の春画をかき集めて差し上げたというようなことを書いている。

スケベは人を動かすのであるが、公にははばかれる。
それで様々な隠語が生まれることになる。
「エッチ」という使い方は、どうもネットで調べると明治時代から使われだしたようだが、
流行るようになったのは船橋聖一の「白い魔魚」の小説の中で使われたことがきっかけだったそうだ。たまたま船橋聖一の「白い魔魚」(昭和31年)が手元にあるのでその部分を紹介する。


「まさか、Hラインじゃないでしょうね」
Hラインとは、紫乃たちの隠語だが、Hは変態の頭文字、時によると、おナマに、おヘンタイとも、少しボカしておHともいう。

これが「あなたってHね」なんていう今のHの流行元らしいので、ずいぶん慎み深い始まりだ。


桜プロムナード 自由が丘から桜新町へ

2019-04-06 20:20:50 | 東京散歩
都会は意外に桜が多い
ビルとビルの合間や、歩道に桜が植えてある。
今日は桜の季節におすすめな自由が丘から桜新町までの桜並木が続く長大なコースを歩く。



自由が丘の駅を出発

大岡山の東工大へ


呑川の遊歩道に入る




都立大駅のガードをくぐり


さらに歩く




世田谷区に入ると雰囲気が変わる
やはり区によって公園の整備の仕方が違うようだ。


桜祭りをやっている。


呑川の流れが現れると246は近い


このコースは普段の休日と変わらないぐらいの人しかいないので、のんびり歩けるのがよい。


桜新町のキャラクター
サザエさん




桜新町から折り返し等々力の駅まで歩いた。



ちなみに中目黒の目黒川はこんな感じだ。




今日の人出はすさまじかったようだ。


これは朝早くなので大丈夫