とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

麦踏み

2014-01-28 22:06:29 | 庭、花木、畑、ガーデニング
東京麦踏み、
リズムうきうき
心ずきずきわくわく
世紀の麦、心の麦、
東京麦踏み

麦踏みと言う言葉を久しぶりに思い出した。
実を言うと私は、
今では数少ない麦踏み経験者だ。(笑)
両手を腰の後ろあたりで組み、やや腰を落として、
リズミカルかつ小刻みな足さばきで畝の端から麦を踏んでいく。(なんにでもコツがあるものだ)

普段は畑の中を駆けずり回っていて、
さやえんどうの苗などを踏めば作物を踏むなと怒られたものだが、
麦だけは踏んだ方がよく育つのだ。
とても不思議な行為だと思った。

勇気ある行動

2014-01-26 15:41:38 | 昔の話
怖いもの知らずの小学生でも
一瞬ひるむもの、
それが肥溜めであった。

当時は、肥溜めを作るのに補助金でも下りたものなのだろうか、
コンクリートで出来たしっかりした作りの肥溜めが、
畑のあちこちにあった。

ところが一部にはまだ、一昔前の木造のものもあった。
肥溜めの水面の上には小さな屋根があり雨水の侵入を防いでいた。

コンクリート作りのものは大抵中には雨水ぐらいしか入っておらず、
浮草とか蛙が浮いているぐらいのものだった。
一方、木造の方には、モノホンが入っていることが多く、
妖気漂う、一種異様な雰囲気があった。

その中に例のものが固まりとなって浮いているのだが、
不気味に浮かぶグロテスクな浮遊物を棒でつつく行為は、
勇気ある行動として、
男子小学生の賞賛の対象でもあった。

実際私には、中のものを肥料として畑に撒いている農夫の姿が記憶にあるので、
当時が化学肥料と人糞との端境期であったのだろう。
昭和40年代初めごろの話だ。

のらねこの哲学者

2014-01-26 07:13:15 | 日記
新入りの黒猫がいるようなので写真に収めた。

こちらを見る姿は
なんだか森の哲学者と言うような風貌だ。


なにを考えているのか
見つめていると、ソローの「森の生活」を思いだした。

「のらくろ」という愛称にしようかとも思ったのだが
そんな軽いノリの顔をしていない。

すぐ隣りには先住ネコのおニャン子2号がいた。

「昔、空、青かった・・・・」
「キモサベ・・・・・・・・」(ローン・レンジャー)

仲良く共存しているようなので
平和主義者であることがうかがえる。

大門警部

2014-01-25 07:25:35 | 日記
「僕は西部警察の大門警部みたいになりたいんですよね」
「渡哲也ってカッコイイですよね」
「憧れてます」

その年の山のクラブに入部した1年生が揃ったところで
一人一人が自己紹介を行った。
Mはその時、そんなことを言っていた。
Mは、レイバンもどきのサングラスをかけ渡哲也を気取っていた。

そのころは、Mの大門警部への憧れというのはその場を盛り上げるための冗談かと思っていた。
ところが彼は、大学を卒業すると本当に警察官になっていたのである。
県警の巡査となった彼は、最初から刑事になることを希望していたようだ。

その後、Mとは、彼の同期の者の結婚式などでごくたまに会うことがあった。
そんな時、Mからリアルな刑事の日常の話を聞いた。
警察官というのは公務員とはいいながら、なかなか過酷な職業であるようだ。
事件が起きれば直ぐに現場に駆けつけなければならない。
休みの日でも、いつ起こるかわからない事件のことを考えれば、
もう山へ行くことは出来ないといっていた。

刑事という仕事に燃える彼なので、
Mの活躍は地元の新聞にもたびたび載ることがあったようだ。

次々と事件を解決する大門警部
現在の彼は、すでに大門警部の上司の立場となっている。

縄文遺跡

2014-01-19 16:56:12 | 昔の話
横浜市の丘陵は
丘陵全体が縄文遺跡のようなものだ
昔、家の近所でも
造成工事でブルドーザーが畑の表土を削り取ると
雨の後などには、あちこちに縄文土器の破片が散らばっていた
土は雨が降ると流れるが、
土器は堅いのでその場に留まる
土器だけ地面から浮いているのである

一番上の写真はごく近所の畑で見つけたものだ
土器など特に珍しいものでもないので、
平気でそのまま農作業をしている


ここは、貝塚ごと公園になっているので
そのへんを探すと今でも土器の破片がみつかる
今日10分ぐらいかけて拾ったのは
ざんねんながら文様までは、はっきりわからないものばかりでした。

子どもが小さいころ
よくこの公園で遊ばせていたのだが、
当時はもっと沢山土器片がころがっていた。


参考図書

村の地蔵さま

2014-01-19 15:26:09 | 日記
お地蔵さま
お地蔵さま
何見てござる

お地蔵さまの前の
どんど焼き

小さい子が行くと
お菓子のお駄賃
くれました

村の古老が亡くなって
どんど焼きもなくなった

お地蔵様
お地蔵様
何見てござる

お地蔵様のお顔には
どこかで会ったことがある

お地蔵様のいらっしゃる
この家の人に
似てござる


近所のお年寄りが
どんど焼きの世話人だったのだが
その人が亡くなって
どんど焼きは
自然消滅となつてしまった



ここの地蔵は遠くからもお参りにくる人があるという

いったい名もない地蔵の
なにが人の心を引き付けるのか

お供えものも絶えることがない


春の便り

2014-01-13 18:32:42 | 庭、花木、畑、ガーデニング
正月となり、春の便りが届くころとなりました。


椿の花は種類が多いので
冬の間中咲いてますが
年を越してから咲く品種も咲き始めました。

太郎冠者 侘助


藪椿も咲き出した


水仙も1月の花です


甘夏とはいいながらそろそろ食べごろです


フキノトウもこのあたりでは今が旬となる。


昨年中に落ち葉の始末ができなかった所はこの3連休でようやくきれいに片付きました。



冬越しのエビネ(横浜産)
小学生のころ近所の山から私が採ってきた天然もの
自生していた所は造成工事で、今ではもうその山ごと無くなってしまっている
すごいでしょう・・・・・・といってもマニアの人しか感動してくれないと思うが・・・・・


森本哲郎さんの旅の本

2014-01-12 09:20:09 | 本、作家
日曜の朝のテレビは「遠くへ行きたい」を見る。

小学生や中学生のころは「新日本紀行」や「兼高かおる世界の旅」を見るのが楽しみで
毎回欠かさず見ていた。
そして、旅に関する本も揃えていった。

森本哲郎さんの旅の本は海外旅行が中心で、
旅行熱を高めてくれる洒脱な文章がステキだ。

「すばらしき旅」の帯のキャッチフーレーズには、

「旅とは人生そのもの、人間史そのものといっていい、
旅に出る人は、じつはもうひとりの自分に会いに行くのだ、
もうひとつの人生をたしかめに行くのだ。さあ、旅にでて、べつの人生、
べつの自分に会いにゆこう。」

とある。

森本さんは、日本人のことを「エコノミックアニマル」と初めて評したのが
パキスタンのブット首相だったことを「すばらしき旅」の中で紹介している。
こうしたウンチクも魅力でした。

崎陽軒のシウマイ弁当

2014-01-08 12:36:23 | 料理 食 道具
崎陽軒のシウマイ弁当が好きだ。
横浜に住んでいるということもあるかもしれないが
弁当を買おうという時には、よくシウマイ弁当を選んでいる。
今日は人間ドックだったので朝からなにも食べていなかった。

シウマイ弁当を買って家へ帰ると一人きりだった。
一つ一つの食材を確かめるようにして食べる。

するとなぜか涙が出そうになる。
なんだかいろいろな思い出が浮かんでくるのだ。
それだけ長い付き合いの弁当だ。



シウマイ弁当のよいところは
1.日本酒にもビールにもよく合うおかず
2.弁当のバランスがよい(洋風あり、和風あり・・・シウマイは中華かな?)
3.弁当の折函 
  駅弁の正統な器を今も使用していること、
  木の香りもさることながら余分な水気を取ってくれ、ご飯がおいしい。

最近は長距離電車も少なくなり、駅弁としては新幹線に乗る時ぐらいにしか食べなくなってしまった。
よく思うのだが、高速道路のサービスエリアなどには置くことができないのだろうか、
混雑する年末年始やお盆のころなど、あれば便利と思うのだが。
やはり旅のおともに食べたい弁当なのだ。

田中冬二の詩集

2014-01-05 19:18:18 | 我が家に残したい本
ずいぶん昔のことですが代々木ゼミナールの石丸先生のテキストに
田中冬二の詩が載っていたことがありました。
こんな大学受験のテキストにと思い強く印象にのこっています。
それは冬二の「大根礼賛」という詩でした。

田中冬二の詩集で、
私が冬二の存命中に買って読んだのは「織女」という詩集だけです。
3500円という価格は当時の自分にとってかなり覚悟が必要な値段でしたが、
それでも購入したのは、
やはり田中冬二の詩集をどうしても手元に置いておきたかったからだと思います。


それにしても詩集というのは、発行部数が少ないですね。
「織女」にしても限定500部という冊数で、一冊一冊に通し番号がふられています。
まるで、版画かなにかの美術品のようです。
もっと多くの人に読んでもらいたいと思うのですが

田中冬二の作品は、
日本の自然の風情を歌った詩が多く、
多くの人が違和感なく受け入れられるものだと思います。

岩原スキー場 夜行日帰りバスツアー

2014-01-04 08:47:29 | 旅行
「いわはら」 ではなく 「いわっぱら」と言い放つ伝統のスキー場
今流なら「いわはら」なんでしょうが
「いわっぱら」の名前を使い続けているところがいいですね。



昨日は北国には珍しく快晴の穏やかな天気でした。
幅広い緩斜面がつづくゲレンデは初心者の娘にはありがたいスキー場です。

中央クワッドリフトを3本も乗ると
上から転ぶこともなく滑ってこれるようになりました。


パックツアーのレンタルスキーはややお粗末でしたが、ツアー料金を考えればしかたのないことです。

スキー場の入口にある「リゾートセンター1」の3Fには無料休息所があり、
横になって休むこともできます。


泣かせる昭和のゲレンデ食堂
中央クワッドリフト途中の左右にある「ナグモ食堂」と「やましん」食堂
(娘がいなければラーメンを食べてビールを一杯飲みたかったです)




ニューイヤー・コンサート2014 ウィーン・フォルクスオーパー交響楽団 サントリーホール 

2014-01-01 20:04:46 | 音楽 美術
午前0時
次々と鳴り響く汽笛の音、
ここは港町だと感じる横浜の元旦の風物詩。
昨夜は汽笛を聞きながら寝てしまいました。

元旦の今日はサントリーホールのニューイヤーコンサートへ初詣なのだ。
本場ウィーンのミニ版のコンサートへは、やはりカジュアルな格好では行けないかな
と思ったのですが、それにふさわしい服の持ち合わせがあるわけでもなく、
消去法でやはりスーツとなりました。
なんだか元旦から仕事のようで、はなはだダサい格好なのでした。
・・・・・・・・・・・



・・・・・・・・・・・
ただいまー
丁度今帰ってきたところです。
やはりすばらしいコンサートなのでした。
特に後半は怒涛のような演奏でクライマックスのラデツキー行進曲まで一直線、

指揮者のオーラ・ルードナーさんは指揮をしながらヴァイオリンのソロも弾いたのですが
とても素晴らしい演奏で驚いたのです。
ウィーン・フォルクスオーパー交響楽団は日本人の心の機微を心得ているのか
指揮者のルードナーさんのテンションが上がっていくのと同じに、後半はぐいぐい引き込む演奏で
バレエとソプラノ、テノール両歌手の歌声も華やかに、
また同時に心に響くおやじ泣かせな演奏なのでした。

本場ウィーンのコンサートをまねるというのではなく、独自のしっかりした構成で
地中海やイタリアからの風もほのかに感じたコンサートでした。