とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

連休初日 またしてもコロナの今年

2021-04-29 21:48:56 | 日記
昭和の日、子供の日と連休が続く。
初日の旧天皇誕生日。
いつもは晴れの日が多かったが、コロナウイルスの蔓延を暗示しているかのように今日は雨。

コロナは感染力を増しているようだ。
土曜日からどうしよう。

地図を見る。
本を読む。
YouTubeを見る

部屋に花を飾る。


玄関にジャスミンとジャーマンアイリス。


明日は仕事。
さてさて

明神ヶ岳 金時山 乙女峠

2021-04-24 20:45:30 | 山行

大雄山最乗寺 導了尊から歩く(8時)


明神ヶ岳は小学校5年生の時に先月亡くなった叔父に連れられて登った、自分にとって初めての山だった。
それで叔父の追悼と言うわけでもないが、なんだか気になり登ってみた。




明神ヶ岳は富士山をメインに箱根の山の景色が美しい。

矢倉沢峠までの道のりも飽きさせない。



金時山
メインルートはさすがに人が多い。
赤ちゃんを背負って登っている人。犬を連れた人、バリエーションも様々。
そういえば山岳ジョギングの人も多い。
何でも受け入れてくれる山だ。

金時山の山頂から乙女峠方面に入ると人の数も減る。


乙女峠


やはり富士山が正面にどんと聳える展望台だ。

下山後は仙石原のバス停まで歩く。15時20分のバスで箱根湯本へ。

これからは少し暑くなってくる。
水分は多めの方がよさそうだ。

はこね金太郎ラインが28日開通。


辻井伸行さんのピアノ演奏は病みつきになる

2021-04-22 22:56:35 | 音楽 美術
最近ネットで辻井伸行さんの演奏をよく聴く。
それで思った。
盲目のピアニスト辻井伸行さんは間違いなく天才だ。

ピアノの音には無駄がなく、一時の感情にまかせたような誇張もない。
曲が全編を通して計算しつくされて演奏されている。演奏本番でもその意志の通りに演奏が出来ている。
だから劇的な演奏になる。

極めてアーティスティックな演奏だ。(アンコール曲で演奏されるラ・カンパネラは時に激情的ではあるが)

いったいピアノ協奏曲のような膨大な量の音符を何処に記憶しているのだろうか。きっとフラッシュ暗算のような特殊な記憶方を体得されているにちがいない。
オーケストラとの演奏でも、一体となった演奏を聴かせてくれる。回りの楽器の音との的確なポジショニングも冷静にとれている。

実を言えばテレビで最初に辻井さんを見たとき(ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールの特集番組)では、ここまでのピアニストになる人だとは思っていなかった。

盲目の演奏家と言えば、渋谷ジャンジャンで長年演奏を続けておられた津軽三味線の高橋竹山さんを思い出す。

お二人に共通するのは、丁寧な音。
楽器本来の音を心の耳で聴いている。だから音に無駄な誇張がない。

今後はきっと巨匠と呼ばれることになろうが、この方の謙虚で気さくな人柄は一生変わらないのではないかと思う。


ももくらごんげんおおぎやま(百蔵山、扇山、権現山)

2021-04-18 23:02:42 | 山行


扇山や九鬼山、三頭山などの山は、中学生のころ近所の同級生たちと山登りを始めたころに登った懐かしい山だ。

ついこの間その元祖幼なじみ系の同級生と話をしたら、最近はどこどこの三十三箇所巡りなど、お遍路的ハイキングを楽しんでいるとのことだった。
とは言え、成田山新勝寺から横浜まで歩いて帰ってくるなど、なかなか過激なお遍路道中のようではある。

彼は50代になっても日高山脈の縦走や、知床半島の縦走などを行っていた。
最近そんな過激な山行を控えるようになったのは、5年ほど前に残雪期の西穂高で滑落事故を起こし、ヘリコプターのごやっかいになるという大騒動を起こしたからだ。(さいわい足を骨折しただけで命に別状はなかった。)
高校生の時には、尾瀬の至仏山や南アルプスの鳳凰三山、北岳に一緒に登った。

まあ、そんな話を聞くと自分も負けてはいられないと、復活トレーニングの場として懐かしの低山を歩いている。

猿橋の駅から百蔵山を目指す。
富士がきれいだ。

そして新緑が目に染みる。
百蔵山到着

続いて扇山。

欲張って権現山へも向かう。
扇山から少し下った所にブナの大木があった。


権現山の裏は奥多摩だ。
奥秩父の山脈もよく見える。



そして富士山も。



御林峠から芦垣下のバス停へ向かう。(なんとか最終バス16時54分に間に合った)


ミャンマーを憂える

2021-04-17 22:49:40 | 日記
レ・ミゼラブル「民衆の歌」の世界を地で行くミャンマー

デモに参加し亡くなった若者たちは、おそらく未来のミャンマーのリーダーとなるはずだった若者たちだろう。
それでも立ち上がる民衆は、ITを駆使して抵抗運動を繰り広げているようだ。

それにしても、兵士が国民へ平気で発砲するのはなぜか。
私などには、兵士の心情がよくわからない。

パゴダの国と言われたミャンマー。
僧侶を敬う敬虔な仏教徒の国のはずだった。
ロヒンギャ族のことといい、内情は傍から見ているだけでは分からないもののようだ。

民衆の勝利には、軍から内応者が現れることが必要だろう。
ただ、若者の一部は反政府武装勢力へ加担しようとしているとのとの情報もあるようだ。
武力闘争は将来へ遺恨を残し、犠牲の割に報われない結果となるのではないかと危惧する。
ミャンマーに平和を。


変人88号

2021-04-11 06:01:14 | 日記
先週亡くなった叔父は、終戦を厚木飛行場で迎えた。
本人が中学生の時だ。
勤労奉仕で動員されていたとの話だが、そんな記録が公式に残っているのか知らない。しかも単純労働ではなく、整備兵の代行であったというのも信じられないような話だ。ただ、叔父は、自慢話はするが、ほらを吹くような人間ではなかった。

昔の私の家には、叔父の所有するつづらのような木箱が置いてあり、中には各種の大きさのバリコンや抵抗、コンデンサーなどが大量に入っていた。ラジオでも作っていたものか、それにしては量が多かった。

一時期は慶応大学の工学部で助手(叔父は大学を出ていないので本当の助手というか事務員として働いていたようだ)をしてみたり薬局も経営したようなのだがあえなく失敗。

その後普通に会社員となる。
なんでも布団乾燥機や、マツダのロータリーエンジン、はたまた新幹線の開発にも関わったとのことだが、なにをどう関わっていたのかは知らない。

新幹線の開発では、当初、叔父は戦前の弾丸列車構想かと思い、新しい技術で列車を作るのかと期待したら(どうもリニアモーターカーのような車両を想像していたようだ。)ただの軌道車両であったのでがっかりしたと言っていた。

これらの開発は他の企業と共同で行うこともあったそうだ。
少しわがままな叔父は、何か気に入らないことがあると共同開発しているよその企業の方へ勝手に行ってしまい、一日帰ってこないこともあったそうだ。
(あまり組織になじめない人間だったようだ。)

そんなある時叔父は体を壊し、障がい者となってしまった。
その障がい認定をしてくれたのが聖路加病院の日野原先生で、そのことも自慢の種だった。

最近ではオウム真理教事件の際に、なんの組織にも属さない叔父が化学系の研究会に参加するのを怪しんで、公安警察から内偵対象者としてマークされていたそうだ。本人にどうしてそのことが公表されたのかは知らない。

この叔父は、私が小学生の時に箱根の明神が岳や丹沢の表尾根へ一緒に連れて行ってくれたことがあり、今まで続く山登りの趣味のきっかけを作ってくれた人物でもあった。


陣馬山から高尾山(ゴールデン宴会ルートを行く)

2021-04-10 23:45:39 | 山行
藤野駅から歩き出す。
陣馬山には、どうしても高尾山と一対のイメージがある。
それで自分の中では東京都の山というイメージの方が強い。
ところが藤野から陣馬山の山頂までの道のりは、れっきとした神奈川県だ。
県の東側、地図上で角のようにとんがっている部分になり、相模湖と同様、我々と同郷なのだと改めて認識した。

春の低山は気持ちがいい。
暖かく、萌えいづる春の花々が咲きほこる。
それで陣馬山など、今ぐらいの時期に今ぐらいの人出だと最高の山である。


清水茶屋に信玄茶屋。お酒にうどんやそばもあり、ちょとした少人数の宴会に適している。


なにしろこの眺め。最高のシチュエーションが楽しめる。
今は楽しめないのが残念だ。





景信山のかげ信小屋のあたりへ行くと人出も多くなってきた。
一角では中国の人達がハイテンションで宴会をやっている。

城山にも茶屋がありよさげな場所だ。


一丁平には、茶店はないが、トイレはある。
この辺もなかなかよい。


高尾山も紅葉台あたりなら穴場かもしれない。

と言うように宴に事欠かないルートが続く。

帰りはJR高尾の駅まで歩き帰る。





スタグフレーションの脅威

2021-04-09 22:28:26 | 日記
コロナの影響もあるかもしれないが
今の様子を見ると、景気が悪くなっているのに、じわじわと物価が上がっているように見える。このような状況をスタグフレーションと呼ぶと昔習った。

戦後最長の景気拡大だ。
安倍政権は自身の経済政策の成果を誇ったが、その間労働者の実質賃金は低下し続けた。庶民にはまったく実感の伴わないものだった。
高度成長期には、一億総中流などと呼ばれ庶民の消費意欲が景気を押し上げたが、今は買おうにも庶民にお金がないのだ。

本来の景気対策は、この消費意欲の高い中間層をいかに厚くしていくかというはずなのだが、日銀の政策は一部の富裕層のみに恩恵を与える政策に終始した。なぜ2%のインフレ目標が達成できないのか。
日銀には理解できていないようだ。まったく頭の悪い話だ。

お金を貯め込んだのは一部の富裕層のみで、中間層がどんどん下層へとシフトしていく。そんな中インフレになったら生活が成り立たなくなってしまう。
企業もお客さんが買える価格設定にするのが当たり前だからインフレが進まないのだ。物価が上がったらますます買えなくなってしまう。

お金を投入する所が偏り過ぎているということだと思う。
日銀の政策とは違うが、教育費の補助は中長期的には重要である。
すぐには効果が見えないので、政治家は敬遠するかもしれないが、
親の実感として、教育費の負担は実際ひどいものである。奨学金を借りる学生が半数あまりもいるということは、それだけ一般庶民は、他の消費をあきらめているということでもある。
少子化の原因になっていることも間違いない。
人、物、金のうち人を育てることが最も重要なのだが、政治家にはその辺のところを理解していただきたい。

家の庭を見て日本橋、銀座を歩く

2021-04-03 20:43:11 | 東京散歩
春本番
庭のつつじや石楠花も咲いてきた。







庭もいいが外へも出かけたい。
少し遠慮がちに日本橋ぶらぶらや銀ブラへ出かける。
前々から気になっていた日本橋の「ここ滋賀」へ出かける。

目的は鮒ずし。
「お酒はぬるめの燗がいい~肴は琵琶湖の鮒ずしいい~女は無口な人がいい~・・・歌い出すのさ鮒ずしを・・・ダンチョネ」・・・。

この発酵食品、奥が深い。諸外国に誇れる日本の食文化だ。
お酒は金亀を買った。(滋賀はよい酒蔵が多い。)

そのまま歩いて銀座方面へ向かう。
名古屋の矢場とんが現れる。


銀座の老舗中華料理店

(これが元祖東京ラーメンの味か)

銀座のぺこちゃん健在。

最近銀座なんて歩いていなかった。
昔、この辺りの証券会社に勤めていた先輩と待ち合わせた時のことを思い出した。
地下街のある居酒屋が待ち合わせの場所だった。店の人に聞くと、先輩専用の指定席があるとのことで驚いた。ほぼ毎日来ているようだった。
昔の人の酒飲みに対する執着は、今の人には理解不能だろうと思う。

ちょうど私らより前の世代だ。
いっしょに飲みに行くとあまりつまみも食べず、やたら酒を飲んだ。
破天荒な先輩もたくさんいた。
へんな先輩を思い出すと、
中東のアフガニスタンあたりで資源の試掘権の交渉をしていた人はやはり浮世ばなれしていた。
原宿のレストランの経営者はいつも竹の子族みたいな恰好してきて正ちゃん帽がトレードマークだった。
西武ライオンズの初代私設応援団団長。人間は普通だったが昔からライオン丸みたいな髭を生やしていた。
今の人達は当たり前みたいな顔の人ばかりで、良くも悪くも想定外の行動をとるような人はいなくなった。




叔父の訃報

2021-04-02 23:50:56 | 日記
田中邦衛さんが亡くなった。
田中さんは1932年、昭和7年生まれだそうだ。
闘病中であった私の叔父も、先ほど亡くなったとの連絡があった。
田中さんと同じ昭和7年生まれだ。

私の叔父や叔母達も、最近また一人、また一人と言う感じで、とうとうそういう時が来たという感じだ。

人生ところてんということか。