とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

趣味でも花開くこともある

2016-12-30 23:58:46 | 日記
一つのことに執着し、
関心を持ち、
探求心を失わないということはすばらしい。

父が園芸の世界に凝り始めたのは大阪万博の2、3年前ぐらいのころからだった。
その大阪万博へは、父と兄と私の3人で出かけ、ついでに関西のお城巡りをしたことは、前にも書いた。
ところが、父にも一つの目的があった。
園芸の大家、京都のSさんに会うことだった。

事前に電話の一本ぐらいは入れていたかもしれないが、
ほとんどアポなし取材のようなものだった。

S邸の門前に車を止めると
父は、私ら2人を車に残して、Sさん宅へ向かった。
1時間経ち、2時間経ち
父がさっぱり帰ってこないのには閉口した。
何を話したかは知らないが、初対面でよくもそんなに話が続いたものだ。

それから数十年して
婦人雑誌の「家庭画報」の表紙に、Sさんと父の名前が並んで載ったことがあった。
日本を代表する園芸家のSさんは、なんの不思議もないが、
その横に父の名前が並んで載ったということは快挙だった。

特に私には、過去のSさん宅への訪問の件があるのでなおさらそう思った。

釜ぶた七福神

2016-12-25 17:49:55 | 日記
クリスマスの次は正月だ。
この間の釜蓋は、こんな感じで利用した。

本当は、七福神を乗せるつもりだったが、そんなものはないので
ぬいぐるみで代用した。
ついでに来年の干支の鶏も追加した。

で、その心は、
釜蓋が開いて、幸福を呼ぶ。
(「釜の蓋があかない」というセリフが、らくだという落語の中に出てくる。ごはんが食べられないという意味だ。それで、釜のふたが開くのは、食べ物に困らないとう意味になるのではないかという独自解釈)
七福神が乗っていれば完璧だ。




23日のおまけ 愛宕神社からアークヒルズへ

2016-12-25 08:49:12 | 東京散歩
愛宕トンネルの横には
愛宕山方面への
不思議な登山道がある。


この標識がよい、
愛宕山神社 100M 
愛宕フォレストタワーへ2分
とか付けたくなってしまう。

(標識版から覗く山吹の葉がかわいい)


愛宕神社への直登ルートは、
出世の石段と呼ばれる急登。


横には、まき道もある(女坂)


注:「まき道」とは、険しい滝などを登る際、困難なルートを避けるため、その横に付けられたサブルートのこと。

愛宕神社


愛宕神社の参道にあるお地蔵さんは、後ろにのけぞりそう。


この間会ったFは、こんなビルの中で働いてるんだ。すご!


マニアックな美術館の横をとおり。


アークヒルズ到着


サントリーホール クリスマスオルガンコンサート2016

2016-12-24 22:49:02 | 音楽 美術
昨日に続いてバッハ・コレギウム・ジャパンのコンサートへ行く。



ヴァイオリンとオルガンの競演はよいですな。
ヴァイオリンは若松夏美さん。
歌うような響き。

一体となったコーラスは、プロの技
天上からのメッセージのよう。

皆さん昨夜は、メサイアの打ち上げで沢山お酒を飲まれたそうな(サントリーでしょうか)
それでもこの声とは、ソプラノのレイチェルさんは、さすがにウイスキーの国の方

昨日のメサイアに比べればまだまだくだけた演奏会でしたが、
イエス誕生の物語をしっかり入れるなど、格調の高さは崩さない。

最後はオルガンの伴奏で、お約束のきよしこのよるとなりました。(みんなで合唱)

クリスマスでんがな


ハレルヤコーラスを一般募集でやるそうです
来たれ若人




サントリーホールでメサイアを聴く

2016-12-23 22:23:57 | 音楽 美術
メサイアのフルコーラスとなると少し敷居が高いと思ったが、
今年は、日にちが良いのと、もともとハレルヤコーラスが好きだったので、
コンサートへ行ってきた。

サントリーホールもクリスマス仕様


今日のお客さんたちは、紳士な人が多い。
というのも、皆一様に真剣に聴き入っている。(静かだ)
コーラスを妨げる咳やざわつきも極めて少ない。

さすがにこの長丁場のメサイアを聴こうという人たちはマニアだ。

演奏は第2部へ
いよいよハレルヤコーラスが始まった。
ああハレルヤコーラスだ。
ああいかん、どうもこのフレーズは・・・・・
キリスト教徒でもないのに
この後、ずっとコンサートが終るまで涙が止まらなかった。


帰りは、いつもは溜池山王の駅から帰るのだが、
今日はなんだかしばらく歩いてから帰りたい雰囲気だった。
それで山越えで神谷町から帰った。


ハレルヤコーラスは、昔から私の家にレコードがあった。
それは、母の後輩の合唱部の生徒達が歌うハレルヤコーラスだった。
ソノシートのようなレコードだったが、そのレコードを聴くために
家では、わざわざ安物のステレオを買った。

レコードのジャケットには、シックな小ホールに立つ合唱団の姿があった。
そんな自分にとってオーディオの原体験となっているのもハレルヤコーラスだった。





碧梧桐の句

2016-12-18 15:53:43 | 本、作家
これは、伯母からもらった、碧梧桐の書だ。
言っておかないと、装丁もしていない書なので
「あ、おとうさんのいたずら書きの字があった」
「こんなへたくそなの捨てちゃえ」
とならないよう書いておく。

「赤い椿白い椿と落ちにけり」という碧梧桐の句は、中学校の教科書にも載っている。河東碧梧桐の名前ぐらいは憶えておけ。
この書の句
「瀬戸に咲く桃の明方の明日の船待つ」も地元松山に句碑もある有名な句のようだ。
売ったらお金になるかだって。
残念ながら碧梧桐は、「定型打破、接社会」とか言って
俳壇では、独自路線を歩いた偏屈者だ。
今では、ほとんどお金にならないだろうが、
それでも、大切にしておけ。
(碧梧桐は「坂の上の雲」の主役、正岡子規や秋山真之とも深い親交があったんだぞ)



なべぶた、かまぶた、を愛でる

2016-12-17 13:34:29 | 独り言

兄が捨ててしまうと言って庭に放り出してあった、
なべとかまのふたを回収してきた。
どちらも自分より昔から家にあったものだ。

今も残っていたとは、大したものだ。
昔の職人はいい仕事をしている。
鍋蓋の側面は、内側に傾斜していて、
すっぽり鍋にふたが収まるように出来ている。
取っ手の緩いカーブのデザインもよい。




釜ぶたの方は、厚みがあり重石がわりになっている。



鍋と、釜のふたは、横に並べると新田義貞と足利尊氏の家紋になる。


塚原卜伝が宮本武蔵の剣を咄嗟に受け止めたのは鍋ぶたであった。


古い道具には精霊も宿るという(本当か?)
なんだか捨てるのが惜しくなり、
当面は、自分の部屋にかくまっておくことにした。

永遠のキャラクター金太郎と金時山を歩く

2016-12-11 20:36:03 | 山行
金時と名前の付く農産物には、
金時まめ、金時いも、金時にんじんなどがある。
金時の名前が付く品種はみな赤みが強く、
力比べで力んだ時の、金太郎の赤い肌のイメージがあるらしい。
それと、五月人形に代表される健康優良児のイメージもあるのかもしれない。
今日は金太郎の聖地、南足柄市の地蔵堂から金時山、足柄峠、足柄駅へと歩く。
新松田発8:10のバスで地蔵堂へ

歩きだしてすぐ、記念写真用の真新しい絵がある。(まだ新しいので綺麗だ)


夕日の滝の先の二股は左ルートから登る。(沢を渡るのに橋はなく飛び石だった)


猪鼻砦跡で足柄峠からのルートと合流

その先、足柄駅分岐にある指導票上の金太郎マスコット


富士山、やや雲多し


箱根も寒い曇り空だ
山頂から折り返して足柄峠へ

足柄城址は明るい芝の公園で快晴なら富士山の眺めはバッチシです。
こんな看板が(今年はどちらの領地なのか)


すぐ下にある聖天堂前の金太郎像


赤坂古道(足柄古道)は、普通の登山道。
ただし、本物の金太郎も歩いたであろう、由緒正しき古道なので、おろそかには歩けない。


峠道につきものの追いはぎの犠牲となった甲州商人の慰霊碑。


足柄駅前にもお約束の金太郎像が(どうも地元の子供たちが作った金太郎像ようです)

金太郎ブランドは永遠だ

追伸
以前、金時山の山頂には、記念写真用のまさかりが置いてあった。
今もあるかは知らないが、それを利用して富士山をバックに仲間と記念写真を撮ったことがあった。
私が白いタオルでほっかむりをしてまさかりを担いだのだが、なんだか大変似合っていて今見ても笑える。

美術館へ初めて行ったころ

2016-12-04 20:36:27 | 日記
美術館へ初めて行ったのは、小学校4年生の時だった。

私のクラスの担任であったS先生は、若いが版画の達人だった。
あるとき、先生の作品が上野の美術館に展示されているというので、クラスの友人4、5人で見学に出かけたことがあった。
日比谷線で上野に着くと、せっかく上野まで来たのだから一通り美術館巡りをしようということになった。今では、もうほとんど記憶にないが、本格的な絵画を見たのはこの時が初めてだったと思う。

なぜかS先生の作品は、美術館巡りの最後に見に行った。
(おそらく東京都美術館であったと思う)
美術館に入ると、先生の名前を見落とさぬよう全員で作品を一つ一つ確かめながら進んだ。いく部屋めかの展示室でお目当てのS先生の名前を見つけた時には、なんだかほっとした。
先生の作品は、それほど大きくない抽象画の版画だった。

当時先生からいただいた版画刷りの年賀状や洒落たキャラクターをあしらった手作りカードなどは、今でも大切に保管している。
(最近ネットで先生の名前を検索したら、ネット上で先生の作品が公開されていた)

追伸、
さらに先生の名前をネットで検索したら、先生は、故郷の北海道で最近個展を開かれたようだ。他の作家の人のブログの中で、先生の近況や創作活動なども知ることが出来た。こういったところは、今のネット社会の利点だと思う。