とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

さくらうつぎとアジサイを壺に活ける

2020-05-31 19:38:16 | 庭、花木、畑、ガーデニング


会社なんかへ行っていると、門のあたりに咲いている花は見るが、庭の奥の方に咲く花は見ないうちに終わってしまう。
こうやって花瓶に活けると、夜でも見れるのでよい。
(さくらうつぎは今日だけで花瓶から外す。花がバラバラ落ちるのだ。)

この花瓶は大きいので、枝ものの派手な花を活ける時に重宝する。
(主に桜とアジサイに使用。)

父親が台湾旅行へ行った時にみやげで買ってきたものなのだが、沖縄が日本へ返還されたころのことなのでずいぶん昔の話だ。

父の台湾旅行は、学生時代の仲間の人に会うのが目的だった。
父の学校時代とは戦前のことなので、台湾とはいえ当時は同じ日本国であった。
その台湾人の同級生(父はその人のことをよくチョウのやつと言っていた)は、当時、台湾の理工系大学で教授をされていたので優秀な方だったのだろうと思う。

学校時代、父などは、貧乏百姓のこせがれなので、学校では肩身が狭かったようだ。
戦前というのは階級社会が当たり前で、近衛兵などは、家柄がよくないとなれなかったそうだ。
台湾人のチョウさんも父同様なんとなく学校に違和感があったようで、同病相憐れむではないが、似たような境遇から親しくなったようだ。

旅行みやげで、なんでこんなに大きな壺を買って来たのか分からないが、高かったんだぞとか言っていたのを憶えている。
もう一つ買って来たみやげで憶えているのが、ウーロン茶だ。
台湾人はウーロン茶を珍重する。
ウソみたいな高級茶も存在するようだが、みやげに買って来たそこそこの高級茶でも次元の違う香がした。その時のウーロン茶が忘れられないので、私は今でもお茶の中で一番奥の深いのはウーロン茶であると思っている。

シモツケは畑の方にあるので、うっかりすると一度も見ないうちに花が終っていることも多い。
それでとって来た。


きんぎょ注意報(金魚椿)

2020-05-30 13:24:55 | 庭、花木、畑、ガーデニング

新緑のころが見ごろの椿
それは、花より葉を愛でる異色の椿だからだ。
花はいたって普通だが、変わった葉の椿があると気付いた江戸時代の人が、これは面白いと増やしたものだそうだ。

ただ茂っているだけだと気が付かないかもしれないが、
こうして一枚一枚並べてみると、たしかに金魚みたいだ。
チャーミングな椿

アベノマスク届く

2020-05-30 07:02:09 | 日記
我が家にもアベノマスクがやって来た。(木曜)


世間ではいろいろ批判があるようだが、
前例のない中、短期間で全国民に配るという作業は大変であったろうと思う。

上の人は配布すると言えばおしまいかもしれないが、下の者は各機関と連携をはかりスケジュールを組み、地道な事務をこなさなければならない。
配った家、これからの家というチェックだけでも混乱しそうだ。

10万円の方はあんのじょう2重に支払ってしまった事務ミスも多発しているようだが
自治体による事務処理能力にも大きな差が出ているようだ。
そもそもコロナ騒動で、必要な人員も確保できないだろうから、
それで批判されては泣きっ面に蜂だ。

与作は木を切る

2020-05-24 18:47:35 | 庭、花木、畑、ガーデニング
暗がりになっていた所の木の枝をカット、暗がりで風通しの悪い所を放置しておくと、蚊の絶好の住みかとなってしまう。

ノビール君に梯子も持ち出し、切る、切る、切る。手が腫れる。
まあ今日はこんなところでゆるしたるわ。

この肉桂の木、20年前ぐらい前に叔父さんが来て植えて行った。
当時は苗木ぐらいの大きさだったが、梯子を出しても剪定が出来なくなりそうなので、高さを止めないといけない。
楠の仲間なので、すぐに大きくなる。(基本的にシナモンなので、葉をちぎると東洋の神秘の香がする。)


今日は暑いし、もう蚊がいる。
さっそく蚊に顔を刺されてしまった。
それにしても人の顔を刺すなんて、やはり蚊は卑怯者だ。

蚊というのは、思いのほか飛ぶ力は弱い。
強い風が吹いているとやってこない。
去年は強力な台風が二つもやって来たので、
その後蚊がいなくなった。
快適だった。
そんなわけで風が吹き抜ける環境が大切だ。


凝り性な人々

2020-05-23 12:58:30 | 本、作家


昔、父親からお前にやると言われてもらった写真集がある。
特になにもコメントがなかったのだが、全ページオールカラーで、朝日グラフばりの100ページからなるアフリカの動物の写真集だった。


なんなんだこの本は、と思ったが、
最後に、その方の名前が載っていたので、失礼ながらネットで検索したら大手企業の役員さんだった。

学校時代の同期の人のようで、引退後にアフリカへ行って、サバンナの野生動物の写真を撮ることにハマられたようだった。
短期間の趣味にしては、凝りまくっている。(この方、その後も関連会社の社長を歴任されているようだ。)
この熱量、普通の人には出来ない。

父も自分の趣味にうつつをぬかし、元気なころには雑誌やテレビの取材を受けていた。
この方も同類の人のようだ。

ネットを見ると、自分史のサイトも立ち上げておられていた。
父と重なる時代の部分は少ないのだが、学校時代のことにも触れられていている。
エンジンの分解、組み立ての授業があったこと、(父の基礎知識が実践的だったのは、こういうことなのかと納得した。当時の教官は、戦時にもかかわらず精神論にはしることなく、きわめて合理的な授業をしていたと言っていた。)3日3晩不眠不休での行軍訓練があったこと、敵の戦車に爆薬を投げ込む訓練では、あやまって戦車に轢かれ亡くなった訓練生がいたこと(この件は別の本でも読んだことがあった。)
もう新たに語ることの出来る人はいない貴重な体験談だった。

春の花第3ラウンド、カルミア、山アジサイが咲き始める。

2020-05-16 18:26:02 | 庭、花木、畑、ガーデニング


カルミアは石楠花の仲間で、アメリカのアパラチア山脈のあたりが原産だそうだ。
こんぺいとうのようなかわいらしい花が集まっていて、隣にある石楠花の花が咲き終ったころにカルミアが満開となる。(花のバトン渡し)
この白い花のカルミアはたまに見かけるのだが、カルミア・オスボレッドという赤い花色の品種は、育てるのがとても難しい。基本的に横浜ぐらいの夏の暑さと湿気ではたえきれないようで、大きくなるに従って枯れ枝が多くなる。我が家では2本植えてみたが5、60センチぐらい成長すると枯れてしまった。

我が家絶滅種のカルミア・オスボレッドの在りし日の姿


それに比べアジサイは丈夫だ。日本原産ということもあるが、多湿の環境にはめっぽう強い。
これは山アジサイの黒姫という品種。(品種かどうかはわからないがそう書いて売っていた、信州の黒姫山辺りの個体なのかもしれない。)
アジサイは植えている場所によっても微妙に花色が変わる。


紅ガクアジサイという山アジサイの品種も植えてあるが、こちらも赤色の方が気難しい。
気にかけてやらないと無くなってしまいそうだ。

咲き始めは白でだんだんガクが赤くなる。

ブラシの木は満開


ムツゴロウ ファン

2020-05-16 14:05:05 | 本、作家


畑正憲さんが北海道へ移住したころ、そのころ見た週刊誌にムツさんのインタビュー記事が載っていた。それが小学生の時だったか、中学生の時だったか忘れたが、子供心にも面白い人がいるものだなと感じていた。自分も動物好きであったので、その後いつの間にかムツゴロウさんのエッセイを読むようになっていた。
中学、高校のころのことなので、今でもムツゴロウさんの本のことは忘れられない。
    


このころのムツさん、ロン毛で若い

単行本は、昭和49年の頃に集中している。
そのころ一生懸命読んでいたということだろう。

ムツさんのなみなみならぬ探求心と洞察力、常識破りの行動力は、
衝撃的だった。
天才というばかりでなく、やはりすさまじい努力をされている。

イラストにも味がある

  

映画監督までやってヒットさせるような人は、なんでも器用だ。
        

今週の和室の花

2020-05-10 20:32:33 | 庭、花木、畑、ガーデニング

ホスタ ビックダディ(ギボウシ)とブラシの木

洋物でまとめました。
ホスタはもともと日本などが原産のギボウシを品種改良したものだが、
これは特に葉が大きく、ビックダディという愛称で呼ばれている。
本当はもっと葉は大きくなるのだが今は成長途中
なんの手入れもしないが毎年出てくる手間いらずな園芸品種だ。

ちなみに園芸家のポールスミザーさんもホスタを熱愛している。

大平総理の田園都市国家構想は実現できないものかと思う

2020-05-10 18:59:28 | 主張 感想
リスクは分散させるのが定石である。
収益や生産性に優れても、リスクを一点に集中させてしまうと不測の事態が起きた場合には対処のしようがなくなる。
多くの企業は、収益とのバランスを見ながら、取引先や生産拠点を分散させ事業を行っているが、国家の単位で考えると、今の日本は一局集中のリスクを取りすぎているとしか思えない。
首都圏へのあらゆる機能の集中は、極めて危険な高リスクだ。
世間は今コロナウイルス対策一辺倒だが、こうした社会的リスクが顕在化しないと、普段隠れているリスクの重大性に目が向かないのも事実だ。
その時では遅い。

現在安倍内閣は、地方創生を重要政策として掲げているが、今一つ力強さに欠ける。
他力本願で政府の主導力が見えてこない。
過去の政策で主だったものには、全国総合開発(三全総)があるが、中でも最もよく知れたのは田中総理の日本列島改造論だった。
本来高度成長期における地方と首都圏との不均等発展を是正するための政策であったが、皮肉にも、全国にはりめぐらされた新幹線や高速道路網は、ますます東京への一極集中を進めることとなってしまった。
東京へのアクセス力が地方都市の存在価値を測る指標となってしまった。

昭和のころまでは、それでも地方にはまだ活気があった。
山村を訪れても田畑は美しく手入れされ、人々の生活感があった。

最近の外国人観光客は地方都市の魅力について気付きはじめていたようだ。
コロナウイルスの惨事は、地方自治を見直すきっかけとなったかもしれないが、今回のことで、ただでさえ脆弱であった地方経済の崩壊をまねきかねない事態となってしまった。

もはや地域経済や地域文化は崩壊寸前である。
人材の流出が止まらない。
今こそ単なる経済効率だけで地域の価値を測るのはやめにしよう。
日本がここまで発展できたのは、幕藩体制のころに地方に優秀な人材が育ったからだ。
地方から中央の政府を批判し、影響を与えるような人材が育っていたからだ。
様々なかたちで地方文化が醸成されていたからだと思う。

文化を担うのは人である。
今の地方の担い手達が亡くなってしまえば本当の意味での地方の消滅となりかねない。
多様性があってこそ国としての将来の展望が見えてくる。
強い国家とは、国土の隅々まで活気が溢れている国だ。

経済の裏付けがなければ成り立たないのは事実だが、ITの進展は一抹の希望を抱かせる。
大平総理は田園都市国家構想を掲げたが志半ばで亡くなられてしまった。
政治家にとってめざす理想像は大切である。
現実との折り合いをつけ目指す方向へ進めていくのが政治だ。


最近地方へ行くと悲しくなる。少し活気があるかと思えばリトル東京化していて少しも魅力を感じない。
中央の補助金付き地方都市の再開発は街の個性を失わせてしまった。

メガロポリス・ヤマト(手塚治虫が描く巨大未来都市)には住みたくない。



金ラン、銀ラン、エビネラン

2020-05-10 14:46:46 | 庭、花木、畑、ガーデニング
ある朝、ふと庭を見ると見知らぬ犬が我が家の庭に走り込んできて、おもいっきり駆けずり回っていた。犬はそのことが嬉しくてならぬらしく、走りながら体をくるくる回転させ、芝に体をなすりつけ喜びを全身であらわしていた。
犬でもなんでも、他人が喜んでいる姿を見るのは微笑ましくなる。
でもどこから来た犬なのかと思ったら、門の外で情けなさそうに犬の名を呼ぶ人があった。
私はどうしてよいものか分からなかったが、犬はひとしきり遊んだ後、何処へともなく立ち去って行った。

家にばかり居るのはストレスだ。犬のように散歩ぐらいは出かけないとおかしくなってしまう。
さいわい今日は雨まじりの曇り空の上に風もほどよく吹いている。
電車やバスに乗らない散歩ならよいだろうと、近所の大きな公園へ出かけた。


公園内でも人通りの少ない、山野草の保護エリアを歩くと、春の山野草にクギ付けになってしまう。
そうだそうだ、こういう感じだったと昔を懐かしむ。
あぜ道には芹がつきものだ。
谷戸につけられた散歩道を歩くと木イチゴにグミの実が美味しそうに実っていた。


ナルコ百合やホウチャクソウも久しぶり。


そして最も驚いたのは金ランの花が咲いているではないか、


金ランなんて50年ぶりぐらいに見た。
すごい、興奮した。そしてエビネも咲いていた。そうそう昔はこういうふうに咲いていたんだよな、と懐かしさに涙もの。
説明によれば春蘭もどこかにあるらしい。


身近な公園でこんなに懐かしい植物が見れるとは思わなかった。
さすがに銀ランはないようだが、昔はこの辺に銀ランもあったそうだ。私も母から聞いているだけで、現物は見たことがない。
そしてこれらの山野草のランを、金ラン、銀ラン、エビネランと言って母は珍重していた。
春の山野草の金メダル、銀メダル、銅メダルのようなものだ。



趣味とオーディオ

2020-05-06 17:30:05 | 独り言
今日の日経の春秋の一節
「手段が目的化することを趣味という」―。オーディオ評論家の長岡鉄男さんが残した名言だ。
―中略― 情熱が高じると、スピーカーを自作したり、音響のための部屋を改造したりする。家族にとってかなり迷惑な存在だ。
・・・・・・・・・・・・
男の趣味というは家族にとって厄介となるものが多いようだ。特に女性には理解不能なものも多い。
長岡さんは、独自の理論でスピーカーを自作し、自らの考えを具現化するためオーディオ用に住まいを改造してしまうなど、その探究心は長岡教とも言われ、多くの信奉者を持つカリスマオーディオ評論家であった。半面、巨人の星で言うならば、星一徹のような方だったので(くせが強い)オーディオファンであってもみんながみんな同調できるものではなかった。

いったい趣味というものは、本人とそれを理解する少数の者が存在すれば成立するもので、同じ趣味であっても千差万別の考え方が存在する。
1位2位といった順序の付けられない感性の趣味ならなおさらだ。
とは言え、あえて孤立する人は少数で、なんとか自分の趣味のすばらしさを他人にも分かってもらおうと、専門用語を駆使して伝えようとするのが一般的である。

私がハマっていたのはずいぶん昔のことだが、
こういう雑誌を山のように買ってきて、ぼろぼろになるまで読みまわしていた。


もはや読書が趣味なのかオーディオが趣味なのか分からなくなる。

こういった本では、オーディオ機器の性能を表現するのに独特の言い回しがあった。
本では、本来の音を聴くことが出来ないのだから、言葉で表現するしかない。
例えばこの本に載っているオーディオ機器に対するコメントを適当に転記してみると

1. 高S/Nの伸び伸びとした音が抜群の音楽再生を実現
2. 音場感情報に優れ、表情豊かな音をゆったりと再現
3. 引き締まった低域をベースに鮮明な音の輪郭を描く
4. 全帯域に及ぶドライブ能力の高さは比類ないもの
5. 澄んだ低域をベースに高密度な音を展開する本格派
6. ローレベルの緻密さが表情豊かな再現性を生む
7. 重厚な響きと繊細感、楽器の質感もリアルに描写
8. しなやかさと艶やかさをもった活き活きとした音
9. 透明感を備えた独特な華麗さのある音色が魅力
10.深々とした求心的な音場展開で聴き手を引き寄せる

使われている言葉には特徴があり、お約束の言葉の組み合わせで音質を表現してるのだが、ニュアンスは繊細だ。
製品に対するコメントを数多く読んで慣れないと、特長が見えてこない。
よくソムリエがワインの試飲で用いる言葉がそれに当たるだろう。

実際のオーディオ機器には、やはり大きな違いがある。価格が高いか安いかの違いではない。
ラーメンに例えると、博多とんこつラーメンがいいか旭川みそラーメンがいいかということになる。
むろん好みということになるが、明らかにその中にも名店は存在する。
趣味の世界では、その名店を探しだすことにある。
そして、これは今まで食べてきたラーメンとは次元が違うなと感じれば嬉しいものだ。
さらに通い詰めると、麺はかためで、青ネギたっぷりとかのこだわりが出てくる。
本人によるアレンジが効くかどうかも大切なポイントで、何事も探求心に似合った満足が得られるかどうかが偉大な趣味になれるかどうかの条件となる。


山男の歌 <山恋> <坊がつる讃歌>

2020-05-05 23:54:24 | 音楽 美術
一般には坊がつる讃歌として知られている曲だが
原曲は広島高等師範学校山岳部部歌の「山男の歌」だそうだ。
YouTubeにアップされているのを発見して、おかげで長年の疑問が解けた。
たいへんありがとうございました。
有名な坊がつる讃歌の歌詞ついては昭和27年の九州大学バージョンだそうだ。

ところでこの曲は、わたしらのクラブにも山恋という曲名で伝わっており、
かなり原曲に近い歌詞だが、微妙に異なるところもあるので参考に併記させていただいた。
由来等については、私は一切聞いていないが、現役時代によく歌っていた思い出深い曲だ。
YouTubeにアップされているのと比べ、もっとスローテンポで歌っていた。
なお私らのクラブに伝わるのは5番までだ。

(青色の文字の方が私らのクラブのバージョン)

山男の歌
山恋
1.
同じ山への憧れを
同じ思いの憧れを
胸に抱いて行く道は
胸に抱いて行く道は
教えの道ぞ山男
希望の道ぞ山男
広島高師の山男
いざ共々に進まなん
2.
人皆花に酔うときも
人皆花に酔う頃は
残雪恋いて山に入り
残雪恋し山に行き
涙を流す山男
涙を流す山男
雪解の水に春を知る
雪解の水に春を知る
3.
広島の山は低くとも
故郷の山は低けれど
夏は故郷の山が待つ
夏はアルプス岩が呼ぶ
岩をよずれば山男
岩に寄すれば山男
無我を悟るはこの時ぞ
無我を悟るはこの時ぞ
4.
深山紅葉に片時雨
深山の紅葉初時雨
テント濡らして暮れてゆく
テント濡らして暮れてゆく
心無き身の山男
心無き身の山男
物の哀れを知る頃ぞ
さびしさ知るはこの頃ぞ
5.
町の乙女ら思いつつ
町の乙女ら想いつつ
尾根の処女雪け立てては
尾根の処女雪け立てては
シュテムボーゲン山男
シュテムボーゲン山男
浩然の気は止み難し
創登嶺の域は言い難し


蕗の佃煮を作る

2020-05-05 17:23:41 | 料理 食 道具
今日は朝霧が出ていた。
最近都市化が進んだことと、日本自体の気候が変わったことで
めっきり霧の発生する日が減った。
わざわざ写真に撮るほど珍しくなった。


昔は夏になると普通に朝霧が出て、夕立が毎日のようにやってきた。
そんな風物詩もすっかり昔物語となった。
そういえば関ケ原の合戦の日も濃い朝霧が立ちこめていたそうだが。

と前置きが長くなったが
この季節は蕗の煮物や佃煮を作る。

一輪車で蕗を採って来て、一度下茹でをしてから皮を取る。
下準備が手間だ。
さらに適当な長さに切り分け、酒、みりん、砂糖、醤油で味付けして煮詰めていく。
蕗自体の水分も多いので、煮詰めるには時間がかかる
途中つまみ食いをしながらさらに煮詰める。


佃煮の価格のほとんどは燃料費なのではないかと思われるほど時間がかかる。
3分の1ほどになったところで、つきっきりで火の番をしているのがおっくうになり、この続きは明日やることにした。


途中でも煮物の状態なので、それはそれで美味しい。

散歩に行きたい老犬一匹

2020-05-04 19:35:39 | 日記
何処にも行けないのはストレスだ。
普段できない家のことでもやればよいのだろうが
外へ行ってはだめ、と言われているとかえって出来なくなる。

許容範囲で山のつもりで庭をぐるぐる回る。


おおアヤメ平


ギボウシの谷地


石楠花峠


イチゴ平はワイルド


私はミツバチ
ブーン ブーン


ミツバチなのにイチゴを食べる。
パクパク
ブーン ブーン
ぱくぱく

つまみ食いが一番おいしい。

昨日はざるで採って来たが、


こんなふうにおしゃれにして食べてもさほど美味しくない。


やーぱり虫の目線でブンブン
どれにしようかなと食べるのがよい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今年の山小屋はどうなるんだろう。


近年自然災害が続く
経営的にも山小屋はどうなんだろうか。

これから山小屋の御厄介になろうかと思っていたのに
最近ヘリコプターの問題とかよろしくない話ばかり聞く。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

巷の中小企業経営者はもう、もたなくなるよ。
自粛自粛と言うけれど、借金背負って回らなくなったら現実問題で追い込まれる。
コロナにかかったのと変わらなくなる。
テレビでもそろそろ本音を流しはじめた。

しかたがないだろう
冬山の遭難者なら救助された後手厚いケアも受けられるかもしれないが。
一度落ち込んだ売り上げは、簡単には回復しない。
今後も、経営としては非効率な対策をしばらく続けなければならず、
途中で力尽きてしまう。
体力、食料も尽きようという時、山では撤退の判断が迫られる。

苦しい時には、苦しいと言った方がよい。
左卜全さんも言っていた。
ずびずば~ 助けて


クラブの会報が届いた

2020-05-04 14:02:51 | 日記
クラブのOB会の会報が届いた。
ぱっと見で、ずいぶん手間がかかっているのがわかる。
今年はコロナでOB総会は中止だそうだ。
OB会規約の改正などは、まるで会社の業務みたいだ。
デザインやレイアウトはコピーライターのHさんの担当。
さすが本職はちがう。オリジナルのイラストまで多用して美しい仕上がりとなっている。

毎度のことながら山小屋の管理も大変なようだ。
昨年の台風19号で、われわれの山小屋にも被害が出た。
豪雨で山小屋のカンバンが無くなっていたのが、数キロ先で奇跡的に見つかったと書いてあったが、
いかに凄まじい雨であったかがわかる。
本格的な復旧はこれからだそうだ。
先輩も後輩たちもボランティアでやっていることなので、クラブに並々ならぬ愛着がなければ出来ないことだ。

数年前、夏合宿で日高山脈を共に登ったTさんが亡くなられた。
お焼香のため埼玉にあるTさんのご自宅を初めて訪れたのだが、立派なご自宅の内部は、ずばりクラブの山小屋風な造りであった。
Tさんの人生に山は大きな影響を与えたのだなと、しみじみと感じた。

余談だがこの時Tさんの同期の人達は、鹿児島や宮崎、大阪や新潟といった遠方からも飛行機や新幹線でかけつけていた。
そして日帰りで帰って行った。
青春とは熱いものだ。