とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

最近気になったテレビ番組 ネット記事

2020-10-31 13:15:53 | 独り言
「記憶にないですむのは国会答弁だけの話です。ここは国会ではありません。そんな馬鹿げた言い訳、一般社会では通用しない。」

いよ! 半沢直樹 
あのドラマ、私は見ていなかったが、あまりに反響が大きかったので、気になってネットで調べてみた。

半沢直樹は歌舞伎だ。
現代版の歌舞伎だ。
そう思った。

さらにもう一つ最近気になったネットの記事。
真鍋 厚という評論家の池袋暴走事故の裁判に関するもの。
一部引用させていただくと
「飯塚被告に対する世間の異様なまでの関心と憎悪には、恐らくある種の時代精神に対する反発が刻印されている。
 それはわかりやすくいえば、正直に生きている者がかえって損をする、貧乏くじを引くような昨今の風潮であり、自らの利益のみを追求するがゆえに嘘をつき通し、悪びれない者が真っ先に出世し、経済的な成功を収めるーいわば冷血漢のごときサイコパス的な人格で世渡りしたほうが生きやすい世界になっている現状への強烈な違和感である。」

公文書改ざん事件
カルロスゴ―ン事件
社会の上層部に君臨する者がその見本を示す。

「ウソをついてはいけない。」
「困っている人を助けなさい。」
これまで日本人のモラルとして教えられてきた道徳心に
最近例外規定が設けられた。
「ただし自己の利益に反する場合にはこの限りではない。」

秋のお仕事開始

2020-10-25 18:13:05 | 庭、花木、畑、ガーデニング
シュウメイギクの白い花

秋の空気になり、冬の準備
木々の剪定作業を始める
梅の木、モチノ木の剪定から始める。

同じ作業ばかりだとじきに疲れるので
芝刈り


干し柿作りと、

いろいろ回しながらこなす

秋の様子を楽しむ

橘のみかんが色づいてきた。
皮をむくといい香り(まだすっぱい)


山茶花にはいつものススメバチが来ている


カラスウリも赤く色づき

クンシランは春と秋の開花で、秋の花房が立ち上がってきている


夏のお客さんがいなくなったのでパセリが復活していた。



シャンパンタワーの経済政策

2020-10-18 12:58:24 | 独り言
安倍総理が首相に就任した当初、証券会社の営業担当者は色めきたった。
取引先に対して、これで株価は急回復しますよとふれこんだ。
その予言の通り、見る間に株価は上昇した。まさに安倍総理さまさまだった。

日本銀行へは自分の息のかかった黒田総裁を送り込み、異次元の金融政策を始めさせた。このため企業は潤沢で、しかもただのような資金を大量に調達することが可能となった。市場では日本銀行が国のお金を使って上場企業の株を買い支え、投資家は安心して市場で利益を上げることが出来た。
これがシャンパンタワーの1段目から2段目あたり。

シャンパンタワーの経済政策理論ではこの恩恵が、3段目、4段目あたりまで落ちてくるはずだった。ところが1段目、2段目の政策恩恵者は、受け取るシャンパングラスの大きさをこれまでの2倍3倍にするばかりで、さっぱり3段目以下に落ちてくる様子はなかった。

3段目の人は仕方がないので、これまで自分たちのグラスに入っていたシャンパンの分を4段目(失業者)の人に分け与えた。

これまでの安倍政権の経済政策はざっとこんなものだろう。

相対としての失業者は減り、全体としての経済は回復したのだから文句はないだろう。そういう理論だ。
しかし、いびつな経済の回復であり、実態としての産業は少しも成長していないのが実情だ。
経済の安定をもたらしたという側面はあるかもしれないが、著しい財政出動により成立しているものであり、見せかけのマネー理論だったというのは言い過ぎだろうか。


来週の五嶋みどりさんのコンサートが中止となっていた

2020-10-18 09:16:10 | 音楽 美術
あんなに楽しみにしていたみどりさんのコンサートが中止になっていた。
ハー~

やはりコロナウイルスでの来日は厳しいようだ
チケットの予約をした時点で本当に出来るのかとの不安はあったものの
期待していただけに残念だ。
芸能文化への影響は当分続くことを思い知らされた。

めげずに年末の第九とメサイアのコンサートに予約を入れる。


昭和30年代横浜の田舎の生活

2020-10-17 11:05:23 | 昔の話

私の記憶に残るのは昭和30年代後半ぐらいからなので、それほど昔の話ではない。
大都市の感がある横浜だが、昔から多くの人が住んでいたわけではない。統計によれば明治時代は10万人そこそこの人口で、昭和に入り50万人を越え、昭和30年代でようやく100万都市の時代となる。今では370万人ぐらいの人が暮らすようだが、急速に都市化が進んだ都市なので、昭和30年代でも特定の地域を除けばド田舎であった。

<私の家>
私の家の30年代と言えば、前にも書いたが、食事の煮炊きには、まだかまどを使っていた。それでも私の家は良かった方で、レンガ造りで煙突もあるモダンなかまどだった。部屋の中には薪置き場もあり、北側には風呂場(トトロに出てくるような風呂)もあった、かなり広いスペースの台所だったが、どうも後から建てた専用の建物だったようだ。

水道はなく、井戸水をポンプで汲み上げていた。
電気はあったが、主に照明に使うぐらいで家電製品も少なかった。
近所にはまだ茅葺屋根の家も多く存在していた。
当然ゴミ収集車なんて来ないから。ゴミはすべて自宅で処理していた。もっとも、家でも燃やせるもの、穴に埋めて土に返すものぐらいしかなかったと思う。汚い話だが人間の排泄物でさえ肥溜めに運んで肥料としていたのだから、ほとんど無駄なものはなかった。

<道>
今のようにまっすぐな道ではなかった。感じとしては、初めに家在りきで、その後家々の玄関先を通る道を作ったという感じだった。むろん舗装道路ではなく、雨の日には、わだちに水がたまり、車一台がようやく通れるような狭い道だった。

<近所のお店>
それでも近所にストアーがあった(今ではセブンイレブンになっている)
当時の食品は現在とだいぶ違っていた。

納豆
わらで包んだ納豆しかなかった。

豆腐
大きな水槽に入っていて、買う時には「絹どうふ一丁ください」と店の人にお願いする。その都度店の人が水槽から豆腐をすくい上げ青色のビニール容器にいれてくれた。

もやし
もやしも木の樽にドバと入っていて、注文するとその都度取り分け渡してくれた。(いずれの樽も井戸水を流しっぱなしにしていた。)

鰹節
今のような削り節はなかった。鰹節をカンナで削るのは大変だったが、美味しかった。親は仕事で忙しかったので、小学生のころよく自分で鰹節をかいておにぎりを作って食べていた。

海苔
今は焼き海苔が当たり前だが、そのころ焼き海苔なんてなかった。
海苔はあぶって焼いて食べるものだった。
私の家で食べる海苔は大森のおばさんと言って、大田区の大森で海苔の養殖をしていたおばさんがいて、お歳暮には決まってその海苔を送て来た。私の記憶する海苔が東京湾産のものであったかは不明だが、たいへん厚手で今ではまずお目にかかれないような天日干しの海苔だった。

秋が来たので剪定用具を買う

2020-10-11 20:15:40 | 庭、花木、畑、ガーデニング


壊れたノビール君2号の後継機種としてライトチョキズーム(基本的に前のと一緒)を買う。ノビール君3号と命名。
今後の活躍を期待する。
価格はオプションのノコギリを含め税込み8866円
他の基本装備も定期的に買い替えが必要なので、ばかにならない。

目下一番の懸案は芝刈り機。
来年あたり買い替えなくてはと思うのだが。今のHondaの電動芝刈り機(グラスパ)は生産中止のようだ。エンジン仕様だと10万円以上となりかなりの負担。車重も重くメンテナンスを含め取り扱いも大変。どうしたものか。


料理は一期一会

2020-10-10 20:25:30 | 料理 食 道具
料理を作るのは大変だ。
昔(私が小さい頃)は、かまどでごはんを炊いていたので、炊くだけでも大変だった。
一汁一菜というが、ほぼそんな感じだった。
こんなのり巻きなんてご馳走だった。



今はかなり手の込んだ料理でも、その気になれば作ることが出来る。


調理器具とかが便利になったことと、外国産の食材でもいろいろな種類が手に入るようになった。



忙しい時には吉野家みたいにそれなりに美味しいものを簡単に食べることも出来る。それはそれで良いことだ。

その気になればこういうふうに華やかに食べることも出来る。(私が作ったんじゃないよ)



よく衣食住というが、服や住まいに凝る人は多い。
食は食べたら終わりで、時間をかけて上手に出来ても食べてしまえば無くなってしまうんだからなんだかむなしい気もするけれど、食事は楽しいし、その人の記憶や感性に残る。同じ釜のめしを食った仲間というのは忘れられないものだ。




大変だけど、すばらしい。




ガンバレ吉野家

2020-10-10 13:15:25 | 主張 感想
吉野家の赤字が57億円になったそうだ。
今日、大幅な赤字に転落した企業は多いだろうが、
吉野家も不採算店舗は閉鎖に追い込まれるのではないかと心配だ。

吉野家は身近なインフラのようなものだ。
早い安い美味いの三拍子で、駅の近くにあることも多く、移動時間の合間に便利に利用できる。

被災地にも移動販売車で駆けつけ応援する。
ありがたいことだ。
偏見かもしれないが店員さんにも意識の高い人が多いような気がする。
私の家近くの吉野家の店員さん、以前外国人客にフランス語で説明していた。
驚いた。

なんとか復活してもらいたいものだ。


先週のわからん

2020-10-04 22:09:48 | 主張 感想
news every 先週もいろいろありました。

1.東証システム障害 10月1日

9時を過ぎても東証のシステムが動いていないとの速報がネットに流れた。
バックアップシステムはどうなっているのだと思った。
あれだけやかましく言われていた危機管理対策で当然のセオリーが、あっさり動かない。
巨大システムには、システム規模と同じ大きさのリスクが潜んでいるということなのだろう。

コロナ時代には絶対に成立しないが、かつての立ち合いは、証券業界の伝統技能だった。(私の友人も昔やったことがあると言っていた。)今では出来る人もいなくなってしまったことだろう。

2.日本学術会議が推薦した新会員候補6人の任命拒否問題 

やはり滝川事件を思い浮かべた人もいたようだ。
滝川事件とは、京都大学の教授であった滝川幸辰氏が中央大学で行った講演を政府が問題視し、政府に対する攻撃的思想の持主だとして(滝川教授の主張が国家に対する攻撃だと決めつけられた。)京都大学を追われた事件。その後天皇機関説事件の美濃部達吉、東大の矢内原忠雄事件など次々に学問の自由に対する弾圧事件が起きた。

前に麻生太郎副総理(当時)が「ナチスの手口に学んだらどうかね」との発言もあり大変不気味だ。

3.昨日と今日、港の汽笛がきれいに聞こえた。(私的な話)

風向きが良かったのか、いつになくクリアな音で聞こえた。
港町横浜に住んでいるというアイデンティティーが高まる。

最近、新年を迎えた時の汽笛の音が聞こえないのだが、鳴らしてはいけないという緘口令でも出ているのか心配だ。


金木犀と中秋の名月

2020-10-03 19:31:51 | 独り言
街が金木犀の香でいっぱいになった。
事前に打ち合わせしていたわけでもないのに、金曜の朝から、家の金木犀と職場近くの金木犀が香りだした。
今日オートバイで買い物に行くと、いたるところで金木犀の香。
すごい季節感。

昨日の夜は中秋の名月が眩しくて寝付かれなかった。
なんて明るいのだろう。


京都の寺院では、この月を見るためにわざわざ月見台というのを造ったそうだ。
わかる気がする。
昔は電気なんてなかったのだから、闇をこうこうと照らす満月は貴重だったろう。霊力もあると信じるのは、しごく普通な感覚に思われる。
いくら明るくとも、はっきりとは見えないところがまた粋だ。
季節が移ろう平安のひと時。

中国の人も、中秋の名月には、月餅をお供えして家族で食べるんだそうだ。

夜になると、コオロギの声も一段と深くなった。
耳の奥まで鳴り響いている。