長津田の駅から北へ恩田川の遊歩道沿いを歩く、成瀬に入り杉山神社へ
杉山神社は、鶴見川沿いの一部の地域にのみ存在する地神様なのだが、名前の由来すら分かっていない謎だらけの神社だ。
隣りの東雲寺へ
東雲寺は、私の伯母の菩提寺で、母方の親類はこのあたりから、鶴ヶ峰にかけて広がっている。成瀬の叔母の家は、昔に行ったときには家の前が一面の田圃で、裏は小高い山となっていた。
このバス停の名前のとおり、本当に田舎だった。
杉山神社の横をとおり、恩田へ
徳恩寺は寺宝も多く、この地域の真言宗の名刹らしい。
奈良川沿いの遊歩道を歩いて行くと住吉神社に着く。
神社の奈良川沿いの崖下には、中学生の慰霊碑がある。
横浜第二中学、(現、横浜翠嵐高校)の生徒6人は、勤労奉仕でこの先の田奈部隊(陸軍の弾薬庫)(現、こどもの国)へ向かう途中、同乗していたトラックの横転事故で奈良川へ転落し、トラックの下敷きになり亡くなったのだそうだ。
6名のうちのお一人は、講談師で後に国会議員にもなった一龍齋貞鳳さんのお兄さんだったそうで、人望も厚く将来を嘱望された秀才だったそうだ。
「田奈の森 学徒勤労動員の記」
著者は当時高等女学校の生徒さんだった方で、田奈部隊の勤労奉仕の他、横浜大空襲の様子など、ご自身の貴重な戦中体験をまとめたもの。
こどもの国は、小さいころには遠足で行った。
自分の子供も、ベビーカーをがらがらやりながらよく連れて行った。
ソフトクリームを食べ、羊にエサをやったり、ポニーに乗せたり、小川で水遊びをさせたり、
子育て初期のころの思い出の場所だ。
こどもの国は、子供の施設と軍の遺構が同居する不思議な場所だ。
杉山神社は、鶴見川沿いの一部の地域にのみ存在する地神様なのだが、名前の由来すら分かっていない謎だらけの神社だ。
隣りの東雲寺へ
東雲寺は、私の伯母の菩提寺で、母方の親類はこのあたりから、鶴ヶ峰にかけて広がっている。成瀬の叔母の家は、昔に行ったときには家の前が一面の田圃で、裏は小高い山となっていた。
このバス停の名前のとおり、本当に田舎だった。
杉山神社の横をとおり、恩田へ
徳恩寺は寺宝も多く、この地域の真言宗の名刹らしい。
奈良川沿いの遊歩道を歩いて行くと住吉神社に着く。
神社の奈良川沿いの崖下には、中学生の慰霊碑がある。
横浜第二中学、(現、横浜翠嵐高校)の生徒6人は、勤労奉仕でこの先の田奈部隊(陸軍の弾薬庫)(現、こどもの国)へ向かう途中、同乗していたトラックの横転事故で奈良川へ転落し、トラックの下敷きになり亡くなったのだそうだ。
6名のうちのお一人は、講談師で後に国会議員にもなった一龍齋貞鳳さんのお兄さんだったそうで、人望も厚く将来を嘱望された秀才だったそうだ。
「田奈の森 学徒勤労動員の記」
著者は当時高等女学校の生徒さんだった方で、田奈部隊の勤労奉仕の他、横浜大空襲の様子など、ご自身の貴重な戦中体験をまとめたもの。
こどもの国は、小さいころには遠足で行った。
自分の子供も、ベビーカーをがらがらやりながらよく連れて行った。
ソフトクリームを食べ、羊にエサをやったり、ポニーに乗せたり、小川で水遊びをさせたり、
子育て初期のころの思い出の場所だ。
こどもの国は、子供の施設と軍の遺構が同居する不思議な場所だ。