とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

僕らは少年探偵団

2015-11-28 22:32:18 | 昔の話
古い話で恐縮です。
昭和40年代の武蔵野には、まだまだ「となりのトトロ」に描かれた農村が残っていました。そんなトトロの丘を歩いた懐かしい思い出です。

当時小学生であった私と兄は、今でいう電車オタクで、
二人してよく意味もないのに国鉄に乗っては、遠くまで出かけていました。

中央線の小仏トンネルを電車で通ってみたい。
水戸と福島県の郡山を結ぶローカル線の水郡線に乗ってみたい。
そんな理由だけで、朝早くから出かけたりしていたものです。

そんなあるとき父親から、
「お前ら、ぷらぷらしているなら、埼玉県の入間市のあたりに俺の同級生がいるから探して来い」との指令を受けました。

当時父は同窓会名簿を作るため、同期の人の消息を確認していたようで、どうしてもその人と連絡が取れないから直接現地へ行って確かめようと考えていたようです。

情報は、
1.本人の名前(Tさん)
2.父と一緒の学校の同窓生
3.埼玉県の入間のあたりに住んでいるらしい
4.家は入間川の北側らしい
5.家は田んぼなどが広がる低地ではなく、丘陵地のようだ
以上

兄と私は父からTさんに宛てた手紙を託されました。

当日、朝一番の電車でまずは飯能へ向けて出発。
この時初めて八高線に乗りました。
飯能へ着くと、なぜか入間川へ向かい入間川を見学。
この辺はもう断片的な記憶しかありませんが、川に石など投げて遊んだ記憶があります。
その後、東飯能の駅から、直接入間方面へ向かって歩き出しました。
情報どおり丘陵地の旧道と思われる道を進み、
この辺の記憶は、ますます断片的ですが
トトロの漫画でいうと、五月ちゃんが、めいちゃんを探しに
七国山へ向かって走っていった田舎道のようでした。

ある程度歩くと、さっそく道沿いの農家で聞き込みを開始。
「この辺に××学校を出た、Tさんと言う人は住んでいないでしょうか」
「Tさんね〜」
「あんた知らない」
「分かんね〜な〜」・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「まあまあ、あんたたち横浜から来たの、そりゃ〜大変だ」

田舎の人は親切なので、なんだ、かんだと一生懸命になってくれます。
おまけに、これ飲んでいきなさい、これ食べていきなさいと、お遍路さんのような接待を受けることに。

もっとも、このへんはもっぱら兄が対応していたので、私はお供の犬状態で
ただ付いて歩いているだけでしたが。

それでも奇跡は起こるもので、こんなアバウトな情報だけで3軒目ぐらいで聞いた
農家の人がTさんのことを知っていました。
(当時Tさんは浦和高校の先生をされていたようです)
Tさんの家は、ここをこう行って、ああ行った所の家だと親切に教えていただくと、
生憎Tさんは留守でしたがが、無事ポストに父の手紙を投函することが出来ました。

この快挙に父も驚きました。
兄は今でもこの時の話が出ると鼻高々です。

ロッシュバロン フランスのマイルドなブルーチーズ

2015-11-23 18:22:13 | 料理 食 道具
へへへ
久しぶりのブルーチーズです。

店員さんに、
あまり塩気の強くないブルーチーズはないでしょうかと
リクエストしたところ薦められました。(血圧のため)
若いころ、ブルーチーズを食べた後、度々気分がすぐれず
体が重くなるのを感じたことがありました。
自分の体とブルーチーズの相性はあまりよくないのかも、

ところがその後によくよく考えてみると
ロックフォールなんかを意地汚く、
旨い、旨いと、いっぺんに全部食べてしまったりするので、
たぶん塩分の取りすぎで気分が悪くなっていたのだと思います。
(ただでさえチーズは塩分が高いのに、ブルーチーズは特に塩分の高いチーズが多いのです)

ロッシュバロンは
年に一度だけ、ボジョレーヌボーのこの時期にしか入荷しないとか。

さっき味見で食べましたが
イメージとしてはフルムダンベールをさらにマイルドにしたようなチーズです。



年に一度のぜいたくだけど

お酒もちょっぴり飲んだわね♪



鎌倉駅から鎌倉アルプス、稲村ケ崎(さよなら鎌倉近代美術館)

2015-11-22 07:17:26 | 神奈川散歩
鎌倉駅-鎌倉近代美術館-源氏山公園-大仏切通-鎌倉山神社-稲村ケ崎

今日は貴重な晴れ間なので
朝からどうしようかと悩んでいました。

息子は、おめかしをしてお出かけです。
はは〜ん、さては彼女とおデートか〜? いいな〜

娘は母親といっしょにららぽーとへお買い物に行くそうです。

というわけで、私もとりあえず鎌倉へ行けばなんとかなるだろうと
出かけました。

神奈川県立近代美術館の前まで来ると
美術館の看板に突っかかってしまいました。

古賀春江の絵だ。
この美術館は、近く老朽化の為に取り壊されると聞いていたので、
せっかくのいい天気に美術館か?とも思いましたが、寄り道です。


池の水面が美術館の天井に反射して波紋を描く、いかにも美術館らしい凝った演出です。




こじんまりしているけど、味のある美術館でした。


源氏山から大仏切通へ向かいます。
鎌倉アルプスのハイキングコースは、鎌倉大仏方面へ下って終わりのような感じですが、私にとってはここからが今日のメインとなります。

大仏切通しでは、先行する団体さんがいましたので、しばし休憩です。




大仏切通を下ると火の見下のバス停で、ここを右に進み八雲神社の交差点を左折、住宅街の坂道を上り住宅街南東から遊歩道の階段を上り、鎌倉山神社方面へ抜けます。

鎌倉山は道が狭いけど豪邸街です。やはりここは相模湾の眺めがいいですね。




鎌倉山神社の前をそのまま進むと、左手に2万5千分の一の地図にも載っている
山道があります。
伝統の道なのでしょう。
いい感じです。



途中から見える相模湾がいいですね。
谷に切り取られた海の景色の中にもヨットの姿があり、
鎌倉らしいです。


尾根上の道は最後まで下ることはできませんので、途中
左に下ります。

稲村ケ崎はすぐそこです。





MRJに感動する

2015-11-15 19:59:35 | 主張 感想
いや、すごい
国産機うんぬんというより飛行機そのものがすごい。
小さめの主翼と美しいフォルム
見ただけで高性能まちがいなしというイメージだ。

なんだか宮崎駿の風立ちぬを思い出してしまった。

三菱が、名古屋という伝統の場所で再び飛び立った。
エンジニアの熱い情熱と、日本のものづくりの誇りに感動する。

普通ならこういったことには関心の薄い私だが
MRJにだけは一度乗ってみたい。

そんな風に思わせる飛行機だ。

続まんがパレスチナ問題

2015-11-14 21:27:42 | 主張 感想
戦慄のテロが頻発している。
パリのテロはいったいどう考えたらよいのか
ロシア旅客機墜落もテロの可能性が高そうだから
もはや、単なるテロではなく戦争と言った方がよい気がする。

戦争の形が変貌したのだ。

昨日は、例のISの死刑執行人が、ピーポイント攻撃により死亡したという報道があった。
もはや総力戦が主流となる戦争は、ないのかもしれない。

イスラム教が悪いわけではではない。
今NHKで始まった新映像の世紀に注目している。
中東の問題は第一次世界大戦が契機となっており、
中東の混乱を招いたのは
元はと言えば欧米の責任だ。

追い打ちをかけたのはリーマンショックだ。
世界的な経済の混乱は、弱小国や貧困層の人々に重くのしかかる。
これだって欧米の責任だ。

アラブの春も元はと言えば、食べるに窮した人々がやむにやまれず起こしたことだろう。

座して死を待つよりはと言う気持ちも強いのではないかと思う。
孔子も衣食足りて礼節を知ると言っているではないか、
なんとか食べられれば、わざわざ危険な非日常の世界は選ばない。

貧困こそが最大の問題だ。

まんがパレスチナ問題は端的にそのへんの問題を解説してくれている。
8月にはまた、続まんがパレスチナ問題が発行された。
日本人には分かりづらい、中東問題を懇切丁寧に説明してくれている。
とても気に入っている本だ。

本当は、韓国や、中国などについても、
冷静に解説する、分かりやすい良書があればと思う。



古い山の記録 日高チロロ岳、1940m峰

2015-11-14 20:37:07 | 山行
古い山の記録をみつけた。
北海道の日高山脈へ行った時のもので、
自分にとっては貴重な記録なので、写しておくことにした。
おそらく1988年の8月10日ごろのことだと思う。

日高チロロ岳

昨日はチロロ川を二股沢分岐までタクシーで行き、
そこでテントを張って寝た。
気がつくと満点の星空である。
天の川が星の帯となって霞んで見える。
ふだん数えるほどしか星の見えない所に住んでいる自分には、
なんだか宇宙が身近に迫ってきたようで、きれいと言うより不気味なくらいだ。

翌日快晴の中、チロロ岳へ向かう。
沢沿いには北海道特有のお化けふきが群生している。
この辺は昔、林道のあったところで、踏み跡もその上に忠実に付けられている。
今でも沢を渡る所には橋の残骸が残っており、深山にひどく不釣り合いだ。

チロロ岳への登路となる沢の分岐で5、6人のパーティーに出会った。
チロロ岳にはチロロ川から2本の沢がくいこんでいるが、
彼らは右の沢から登るという。
こちらは左の沢から登る計画なので、やはり一人で登りはじめる。
沢に入ると岩がヌメヌメして歩きにくい。
どうも沢山の虫たちが羽化した後の抜け殻のためらしい。

どうということのない易しい沢だが、
登るにしたがって振り返ればピパイロ岳の稜線がせりあがってきた。


チロロ岳の山頂は低い這松に覆われたゆったりしたところで
なぜか細かい砂がある。
谷の方から飛んできたものが降り積もったものなのだろうか、稜線に着いたときから気になりだしていた南よりの風が、今は一段と強くなって山頂の砂を巻き上げている。

さきほどのパーティーは、こちらに遅れること1時間あまりでやっとやってきた。
途中2,3本の滝があったという。
見ればザックの中にスイカが入っている。
遅くなるわけだ。

翌日は天気が悪化する中、ポンチロロ川から1940m峰を往復する。

ポンチロロ川




残念ながら展望なし。
稜線近くにはヒグマの掘り返しの跡が沢山あり、ぞっとする。



帰りは1日がかりの延々の林道歩きが待っていた。
おまけに谷にはメジロアブが大発生しており、
カッパを着なければ、たちどころにアブの餌食となってしまう。
この時期ヒグマはアブのために山の上の方に逃げるのだというのが納得できる。

・・・・・この時は単独行で、無理をする計画は立てられなかった。
それで、チロロ川の三俣にテントを張りベースキャンプとした。






渋谷のはち

2015-11-07 11:59:48 | 日記
小学生のころだったか、中学生のころだったか忘れたが、
当時、渋谷のスクランブル交差点の一角にはまだ普通の商店があった。

夏の熱い日だった。
交差点で信号待ちをしていると、ラフな恰好のおじさんが自動販売機の前で飲み物を買っていた。一人で何本も買うので、何だろうと見ていると。おじさんは、自動販売機にコインを入れると、ジュースのボタンとコインの返却レバーを同時に押していた。するとジュースは出てくるし、コインも返却される。いかにも手慣れた風に自動販売機を操っているのだが、これをすばやく5、6回くりかえし、平然とジュースを持ち帰って行った。

人通りの多いスクランブル交差点で堂々と万引きのようなことを行っているのだが、まだ子供であった自分は、「東京っていうのはなんともすごい人がいるもんだ」と驚いた。

それでも高校生ぐらいになると、よく渋谷の街をふらついた。
渋谷駅周辺の古本屋さんや道玄坂のヤマハ楽器店
東急文化会館近くのウエマツ画材店

やがてターワーレコードなんかが出来るとよく覗きにいった。
文化村なんて、つい最近っていうイメージだ。

ところがこのごろの渋谷の変化にはついていけない。
迷路のような駅の造りにはストレスがたまるし、(エスカレーターの混雑も耐え難い)
私の知っている店も、もう無くなっていたりしていて、また一から店を探し出さなくてはならないのも一因だ。
このごろは、渋谷はパスしようという感じが続いていた。

ヒカリエへ行ったのも今日が初めてだった。
ヒカリエも私にとっては、あまり関係のない店ばかりだが
唯一ヒカリエの8Fの8/「はち」は、私の好みに合う場所だった。
ギャラリーや、各県の工芸品などの品の良いものが並んでいる。

お土産に琵琶湖の鮒寿しのお茶漬けを買った。



平塚駅から高麗山、湘南平、大磯の街へ

2015-11-03 20:37:05 | 神奈川散歩
平塚駅-高来神社-高麗山―湘南平-西小磯海岸-東海道松並木-大磯駅


湘南という地名は大磯が元祖なのだと主張する石碑


昔、湘南というと茅ヶ崎や鎌倉のことではなかったようです。
そういえばかつて湘南電車と呼ばれた緑とオレンジ色の車両がありましたが
背後にみかん山を控えた海岸沿いを走っているイメージがあります。

そして、日本初の海水浴場も大磯の照ヶ崎海岸(こゆるぎの浜)だそうで
(明治18年)
日本のマリンレジャーも大磯から始まったのだ!
このへんも大磯の誇りのようです。
当地に明治時代のお偉方の別荘があったからでしょう。

まずは、平塚の商店街を抜け、高麗山へ向かいます。
途中、いつも突っかかるのが、この崇善公民館、(風情があります)


この辺からが浮世絵に描かれた高麗山の姿でしょうか。


えいほ、えいほ、と高麗山を登ると、残念ながら展望はあまりありません。


この辺はお城としても利用したことがあったようで、空堀のあとのようです。


湘南平はさすがの展望
三浦半島や鎌倉、小田原、伊豆の方まで、相模湾がみごとに目の前に広がります。

こちらは小田原方面


小さい子を連れた家族連れも多いですが、手軽でよい所です。
私も小学生のころの遠足で来ています。

高麗山方面


大磯へ下ると、西に回り込み、海沿いから、東海道の松並木を歩きます。

西小磯の海岸


東海道の松並木(大磯中学校前)
江戸時代の旅人の姿が目に浮かびます。