古い話で恐縮です。
昭和40年代の武蔵野には、まだまだ「となりのトトロ」に描かれた農村が残っていました。そんなトトロの丘を歩いた懐かしい思い出です。
当時小学生であった私と兄は、今でいう電車オタクで、
二人してよく意味もないのに国鉄に乗っては、遠くまで出かけていました。
中央線の小仏トンネルを電車で通ってみたい。
水戸と福島県の郡山を結ぶローカル線の水郡線に乗ってみたい。
そんな理由だけで、朝早くから出かけたりしていたものです。
そんなあるとき父親から、
「お前ら、ぷらぷらしているなら、埼玉県の入間市のあたりに俺の同級生がいるから探して来い」との指令を受けました。
当時父は同窓会名簿を作るため、同期の人の消息を確認していたようで、どうしてもその人と連絡が取れないから直接現地へ行って確かめようと考えていたようです。
情報は、
1.本人の名前(Tさん)
2.父と一緒の学校の同窓生
3.埼玉県の入間のあたりに住んでいるらしい
4.家は入間川の北側らしい
5.家は田んぼなどが広がる低地ではなく、丘陵地のようだ
以上
兄と私は父からTさんに宛てた手紙を託されました。
当日、朝一番の電車でまずは飯能へ向けて出発。
この時初めて八高線に乗りました。
飯能へ着くと、なぜか入間川へ向かい入間川を見学。
この辺はもう断片的な記憶しかありませんが、川に石など投げて遊んだ記憶があります。
その後、東飯能の駅から、直接入間方面へ向かって歩き出しました。
情報どおり丘陵地の旧道と思われる道を進み、
この辺の記憶は、ますます断片的ですが
トトロの漫画でいうと、五月ちゃんが、めいちゃんを探しに
七国山へ向かって走っていった田舎道のようでした。
ある程度歩くと、さっそく道沿いの農家で聞き込みを開始。
「この辺に××学校を出た、Tさんと言う人は住んでいないでしょうか」
「Tさんね〜」
「あんた知らない」
「分かんね〜な〜」・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「まあまあ、あんたたち横浜から来たの、そりゃ〜大変だ」
田舎の人は親切なので、なんだ、かんだと一生懸命になってくれます。
おまけに、これ飲んでいきなさい、これ食べていきなさいと、お遍路さんのような接待を受けることに。
もっとも、このへんはもっぱら兄が対応していたので、私はお供の犬状態で
ただ付いて歩いているだけでしたが。
それでも奇跡は起こるもので、こんなアバウトな情報だけで3軒目ぐらいで聞いた
農家の人がTさんのことを知っていました。
(当時Tさんは浦和高校の先生をされていたようです)
Tさんの家は、ここをこう行って、ああ行った所の家だと親切に教えていただくと、
生憎Tさんは留守でしたがが、無事ポストに父の手紙を投函することが出来ました。
この快挙に父も驚きました。
兄は今でもこの時の話が出ると鼻高々です。
昭和40年代の武蔵野には、まだまだ「となりのトトロ」に描かれた農村が残っていました。そんなトトロの丘を歩いた懐かしい思い出です。
当時小学生であった私と兄は、今でいう電車オタクで、
二人してよく意味もないのに国鉄に乗っては、遠くまで出かけていました。
中央線の小仏トンネルを電車で通ってみたい。
水戸と福島県の郡山を結ぶローカル線の水郡線に乗ってみたい。
そんな理由だけで、朝早くから出かけたりしていたものです。
そんなあるとき父親から、
「お前ら、ぷらぷらしているなら、埼玉県の入間市のあたりに俺の同級生がいるから探して来い」との指令を受けました。
当時父は同窓会名簿を作るため、同期の人の消息を確認していたようで、どうしてもその人と連絡が取れないから直接現地へ行って確かめようと考えていたようです。
情報は、
1.本人の名前(Tさん)
2.父と一緒の学校の同窓生
3.埼玉県の入間のあたりに住んでいるらしい
4.家は入間川の北側らしい
5.家は田んぼなどが広がる低地ではなく、丘陵地のようだ
以上
兄と私は父からTさんに宛てた手紙を託されました。
当日、朝一番の電車でまずは飯能へ向けて出発。
この時初めて八高線に乗りました。
飯能へ着くと、なぜか入間川へ向かい入間川を見学。
この辺はもう断片的な記憶しかありませんが、川に石など投げて遊んだ記憶があります。
その後、東飯能の駅から、直接入間方面へ向かって歩き出しました。
情報どおり丘陵地の旧道と思われる道を進み、
この辺の記憶は、ますます断片的ですが
トトロの漫画でいうと、五月ちゃんが、めいちゃんを探しに
七国山へ向かって走っていった田舎道のようでした。
ある程度歩くと、さっそく道沿いの農家で聞き込みを開始。
「この辺に××学校を出た、Tさんと言う人は住んでいないでしょうか」
「Tさんね〜」
「あんた知らない」
「分かんね〜な〜」・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「まあまあ、あんたたち横浜から来たの、そりゃ〜大変だ」
田舎の人は親切なので、なんだ、かんだと一生懸命になってくれます。
おまけに、これ飲んでいきなさい、これ食べていきなさいと、お遍路さんのような接待を受けることに。
もっとも、このへんはもっぱら兄が対応していたので、私はお供の犬状態で
ただ付いて歩いているだけでしたが。
それでも奇跡は起こるもので、こんなアバウトな情報だけで3軒目ぐらいで聞いた
農家の人がTさんのことを知っていました。
(当時Tさんは浦和高校の先生をされていたようです)
Tさんの家は、ここをこう行って、ああ行った所の家だと親切に教えていただくと、
生憎Tさんは留守でしたがが、無事ポストに父の手紙を投函することが出来ました。
この快挙に父も驚きました。
兄は今でもこの時の話が出ると鼻高々です。