とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

お庭番の秋

2020-11-24 00:04:07 | 庭、花木、畑、ガーデニング
秋の紅葉シーズン到来は置いといて、
私の家では庭掃除シーズンの到来です。

3連休ガンバリました。
今回は主に地べた系 
雑草を根っこごと取る。
家に迫ってきている芝を押し返す。(ノコギリ歯付の鎌で芝に切り込みを入れ、それより家の近くに迫った芝の部分はひっぺがす。)
植木の中の雑草も取り払う、秋から冬はスッキリが大切だ。

腕のいい職人なら、この時の仕事は来年の3月ごろまで様子が保たれるのでやったかいがある。
よく定年退職したサラリーマンは、その後なにもやることがなくなり苦労するとか言うが、私の場合山のようにあるので心配いらない。
むしろ体力がいつまで続くのか心配だ。

庭を放置すると無残な景色になる。
よく都会の住宅街で住む人のいなくなった家を見かけるが、雑草が生い茂り、庭木は伸び放題、道の方まで枝が張り出してきて付近を暗くしている。
なんて、そんなふうにはなりたくないものだ。

橘の実、いい色に色づいた。食べるとさわやか系の味で好きだ。
採って来てお供え。
(干し柿もできた。)



箱根園から元箱根 箱根石仏群 湯坂道

2020-11-14 15:45:02 | 山行
小田原駅から箱根園行のバスに乗る。
途中大涌谷手前の山肌は立ち枯れの木が多く、至る所から湯気がもうもうと立ち昇っている。火山活動はいまだ活発のようだ。
こういう景色は観光ぽくってよいが、駒ヶ岳あたりの登山道が封鎖されたままとなっており、いいかげんに収まってもらいたいものだ。

箱根園到着で芦ノ湖畔を歩く。



箱根神社の杉木立がとても美しい。


昔の箱根がこんなふうだったとすると、今を上回る絶景が拝めたのかも知れない。そんな景色を見ていた昔の人がうらやましい。
神社の森というのは不伐の森が多いので、その地域の昔の森の様子がうかがい知れる貴重な存在だ。

元箱根の賽の河原


石畳から二子山方面へ行く。


悲しい伝説のお玉が池


続いて精進池と石仏群めぐり。


石仏はおおむね1300年前後に造られたものだそうだ。

六道地蔵(たいへん立派)


八百比丘尼の墓


五輪の塔もそのころのもの(大きい)

多田満仲の墓


曽我兄弟、虎御前の墓(石塔の名前はみな通称で本当にその人の墓というわけではないようだ)


石仏、石塔が建てられる少し前、鎌倉大地震という震災があった。(1293年)さらにその前には蒙古来襲という国難があり、不穏な時代背景が地蔵信仰等に結び付いたものなのかもしれない。

石仏群が1300年前後の古いものばかりなのは、その後多く作られてもこまるので規制があったものなのだろうか。

湯坂道は鎌倉古道だそうだ。

湯本の駅へ歩く(道は歩きやすい)


佐倉兵営跡を歩く(佐倉城址)

2020-11-10 19:17:32 | 独り言


武家屋敷を歩いた後、ひよどり坂を下り右手から藩校成徳書院跡を通ると佐倉城址に着く。
自由広場(駐車場)の奥に佐倉兵営跡の碑がある。元は歴史民俗博物館の所にあったそうだ。






三の丸を抜け本丸へ。
本丸はぐるりと土塁で囲まれている。


天守閣はこの土塁の上にあったそうだ。

本丸の後ろは鹿島川と高崎川

本丸のモッコクの木に当時の兵隊さんが気まぐれに彫った文字が今でも残っている。


病院の碑


兵営の便所跡だそうだ。


車道の碑
碑には建設に携わった人の名前が刻まれている。


佐倉連隊脂油庫
機械油をここの一か所で管理していたようだ。
それだけ貴重なものだったということか。



訓練用階段


弾薬庫跡


コンクリに使用されているのは、大きめの丸い川原石。

たぶんトーチカなどに使用されるのと同じ頑丈な造りのコンクリなのだろう。

衛兵所跡


ここが正門跡ということだろう。

私的なことだが佐倉兵営は、戦死した祖父の遺骨を家族が引き取りに来た場所だった。
江南で戦死した祖父の遺骨は舞鶴港に到着し、この佐倉兵営に安置されたそうだ。
たぶん陸軍病院があったからだろう。

当時は一家の主が戦死することも珍しいことではなかったろうが、
この時祖母は43歳、長女の伯母は17歳。一番年下の叔父はまだ9歳であった。
今と違い、横浜から佐倉まで来るだけでも大変だったろう。
ひどく心細かったのではないかと、ふびんに思う。

そんなわけで佐倉兵営は一度見ておきたかった所だった。


シングルレコード サザンが一番多かった

2020-11-10 10:09:33 | 音楽 美術


今ではシングルレコードは聴かなくなってしまった。
一曲ずつ聴くのは大変だし、レコードの回転数を45回転に切り替えるのも手間。
そもそもドーナツ版をプレーヤーに乗せるEPアダプター自体、もうだいぶ前から行方不明。
半面当時は手間暇かけて音楽を聴いていたので、おろそかに聴いていなかった。

サザンのレコードが多いのは社会人になってから買ったものだからだろう。熱烈なファンというわけでもないがLPレコードも買っている。
そういえば当時渋谷にサザンの松田さんがやっている店があって、2、3回飲みに行ったこともあった。



こちらは、ほとんど40年ぐらい前のものばかり。

手提げ袋にいれていたのを取り出したら、レコードのビニールカバーはボロボロに劣化していて、ひどい状態。

広げてみると懐かしい。

ジャケットだけでも見入ってしまう。
キョンキョンやアン・ルイスもおるで
ビートルズはほとんど小学校時代のことなので、ジェットぐらいから聴き始めている。
ライムライトはおそらく中学1年のころで一番古いのでは

デジタル化は便利だけど、どうなんだろうかという一面もある。
最近アナログレコードが見直されているので嬉しい。


佐倉藩11万石の城下町を歩く

2020-11-10 06:42:08 | 旅行


千葉県の佐倉へ行く。

京成電車なんてほとんど乗らないので、佐倉へ来たのも初めてだった。


駅から佐倉順天堂跡へ向かう。(後の順天堂大学)
佐倉は蘭学の街だった。それで意識高い系の人々が学んでいた。

途中にある佐倉高校も佐倉藩の藩校を前身とする歴史ある学校だ。

佐倉順天堂到着

城下町の商店街を進む。
三谷屋住宅 赤い壁の住宅

左に折れ佐倉のお殿様、堀田邸へ

堀田邸

お庭も良し

佐倉の城下町は丘の上にある街で、堀田邸はそのふちにある。庭は途中から斜面になって落ち込んでいる独特なもの。変化に富んだ庭。

昔の建物を改良した商店も多い。
城下町の雰囲気を残すよう努力されているのだろう。


先ほどの三谷屋さんと親類なのか、今もそれらしい感じの店が並ぶ。


麻賀多神社では七五三が盛大に祝われているようだ。


かわいい絵馬が鈴なり。

仕立物の菊も華やか

児玉源太郎さんは佐倉の人なんですね。
日露戦争の英雄なので江の島には児玉さんを祭神とした児玉神社があります。


武家屋敷通りもなかなかおもむきがある。
杜の都仙台を彷彿とさせるような落ち着いた佇まいだ。



やはり丘の上にある独特な造りの武家屋敷。



城ヶ島から三崎めぐり

2020-11-09 20:27:45 | 三浦半島ハイキング


城ヶ島は岩の島と言っていいほど岩礁がすごい。
馬の背洞門は象徴的だが、他にも見るべき岩の造形美が多くある。

城ヶ島のバス停から楫の三郎山へ登る。


お店の並ぶメイン通りから長津呂湾へ


これより城ヶ島の尾根筋を歩き

みはらし広場を過ぎ、馬の背洞門が見えたら海岸へ下る。



赤羽根海岸から海鵜の生息地の断崖を見る

やはりみごと
尾根上へ登り城ヶ島公園へ向かう。
公園の展望台からまた海に下ると、先ほどの赤羽根海岸から続く断崖が深く波にえぐられて現れる。

波をかぶってぬめっとした岩



やはりダイナミックな景色だ。

城ヶ島大橋から三崎へもどる。
橋の上から眺めると、渋い造船所が眼下に見える。


三崎港

どちらかというと地味な港町だが、食べ物屋さんは、わりと美味しそうな店が並ぶ。
粋な民家風の宿泊施設もある。
 


私のうちは、2時間ほどで帰れてしまうので泊まるのはどうかなと思ってしまうが、歴史的には、あまたの有名人がお泊りになっている街だ。

たとえは源頼朝公(少し古すぎるか)
たいそうこの地がお気に入りだったようで、三崎に桜、桃、椿の名を冠した三つの御所を設け花見の宴を楽しんだそうだ。(大椿寺、本瑞寺、見桃寺)
この本瑞寺は桜の御所跡とのこと。

これはどう見ても奥さんの政子さんの目を逃れて羽を伸ばしに来ていたものと思われる。
息子の頼家や実朝も来ているようなので、鎌倉時代でも慰安旅行的観光地であったようだ。



剪定作業とみかんの収穫

2020-11-01 21:42:27 | 庭、花木、畑、ガーデニング
先週に引き続き剪定作業をする。
冬を迎える準備

今日は脚立を持ち出して、さらにノビール君もめいっぱい伸ばして
6,7mの所まで剪定し、すっきりさせる。
カナメモチなんかは剪定ばさみを使う。
雑草もほじくり返して根ごと取り去り地べたを清める。
(その後のかたづけも大変)
いい天気だったけど、何処にも行けなかった。
全身疲労で運動会の後みたい。


最後にみかんの収穫。
もう黄色くなっている。

思えばみかんは、この辺では育たない果物のはずだった。
小学生のころは、産地の北限は湯河原あたりで、しかも神奈川のみかんは酸味が強いから主に輸出用にされると習った。
今では普通に横浜でも育つ。

当時のみかんの存在感は、今では考えられないほど大きかった。
消費量が半端ない。
買う時は箱買いが当たり前で、しかも一冬に何箱も買ってきた。
さすがにそれぐらい食べると、糖度の選別機みたいに、触れただけでそのみかんが甘いか酸っぱいか、当てることが出来た。

比較的安価だったみかんに対し、リンゴは高級だった。(今でも高級かな?)
横浜でも栽培している農家があるようだが、さすがにリンゴは例外的だ。

リンゴの箱買いはめったに出来なかった。
みかんは段ボール箱だったが、リンゴは木の箱に入っていた。
それだけでもグレードが違う気がした。(後にリンゴも段ボール箱になった。)
箱の中にはもみ殻がめいっぱい入っていて、リンゴはその中に隠れていた。
もみがらをかき分けて取り出す儀式は、風情があった。


昨日の夜火事があった

2020-11-01 17:16:44 | 独り言


昨日の深夜、ウ~ウ~というサイレンの音に起こされた。
近い。何台もやってくるので心配になり窓を開ける。
焦げ臭い臭いがする。
外へ出て場所を確認する。

良かった。それほど近くない。だいじょうぶそうだ。

火事は、意外に頻繁に起こる。
近所でも、住宅本体は少ないが、作業小屋、納屋、放置車両、
昔牛小屋なんていうのもあった。記憶に残るものだけでも5年に一度ぐらいの頻度で起きている。

本当の近所で起きたこともあった。
昼間だったので、やじうまがたくさんやってきた。
車で来るバカもおり、消火活動中のホースを車で轢きそうになったので、あわてて怒鳴った。

火の用心、火の用心。