とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

仁義なき戦い

2020-06-28 15:35:58 | 独り言
広島の文化なのか、
いまだに親分子分の関係がいろいろな所ではびこっているようだ。
子分は親分へ義理を立てて見せることが渡世人の生きる道。
ところが渡世のための義理なので、親分があやしくなればとたんに手のひらを反す。
そんな関係でしかないのだろう。
親分も親分で、そんな子分で回りをかためいい気になる。

始めのころは、それでもほころびはめだつこともなかったかもしれない。
この頃は、収拾がつかぬほどに。
権力へすり寄るのは得意だが、実務能力のない者ばかりが増えてしまった。
危機対応の甘さには、そんなお友達政権のもろさが現れている。
特に問題なのが、次代を担う人材を育ててこなかったことだ。
この問題は、次の政権で明らかになるのではないかと思う。
気骨があるような人は蚊帳の外となり、実務経験を積む機会が失われてしまった。

長期政権はやはりリスクが高い。
その代償がどうなるか。

テレビでは我が国の問題を
誰かが深刻な顔をしてしゃべってる。
だけども問題は今日の雨、

そろそろ傘を買い替えなくては
散歩に行けない。

緑が濃くなり、蒸し暑くなる今日この頃。

梅雨に入ったばかりだというのに、やたら各地で豪雨
やはりどうかしている。






日常生活の6月

2020-06-21 17:13:35 | 庭、花木、畑、ガーデニング


ニュータウンのあたりに散歩にいったら、有名店は大繁盛。
普通の土日にもどっている。

体がなまるので今日は散歩に出かけたが、混雑した店に並んでまでして入ろうとは思わない。

それで、いまだに家で過ごす時間が長い。
どうということもない日常だが気が付いたことちょっとしたことを並べてみる。

忍者系の昆虫ナガゴマフカミキリがいた。どこだかわかるかな。


ムクドリが庭に押し寄せて来た。


ノビール君2号、南側の剪定作業中に壮絶な戦死。


梅雨時はあまり庭の花を見ていられないので、派手めに活けてみた。


冷凍ミカンを食べるころ

2020-06-20 22:29:22 | 庭、花木、畑、ガーデニング


昭和40年代ごろのことだが、一時期、夏場の駅の売店では列車の旅のお供に冷凍ミカンが売られていた。
当時はまだクーラーの効いた車両はあまりなかったのだろう。
冷たい蜜柑は手で食べられるシャーベットのようでなかなか良かった。
当時はけっこう頻繁に買っていたが、いつの間にか無くなってしまった。

そこで、また夏場に冷凍ミカンが食べたいなと思い、昨年は家の蜜柑の出来の良くないのを冷凍庫へ放り込んでおいた。
暑くなってから食べると、これがけっこういい。
市販のシャーベットにない、果物そのもののワイルドさがいい。

庭仕事の後に食べてクールダウン。


ホタルブクロ


ギボウシの花が咲きだした


半夏生



このガクアジサイには思い出がいっぱい。
幼稚園の時に近所の友達の家から私が運んできて植えたものだ。
小さいころだったので、アジサイを持ち上げることが出来ず、道をずるずるひきずりながら運んできた。
妙にはっきり覚えている。

雨の中木の枝を剪定する

2020-06-14 19:43:11 | 庭、花木、畑、ガーデニング


いよいよ梅雨時
外の作業もおっくうとなってきた。
今日の午前中は、長靴を履き(北海道の三つ馬印ブランド長靴)ゴアテックスの山用のカッパを着て、枝おろしをする。
歩道の方へ伸びていた木の枝を選定。
うっとうしいし、車の視界を遮るようなことがあって交通事故の原因にでもなったら大変だ。それで雨の中でも強行。3時間ひたすら作業をする。ノビール君大活躍。
梅雨明けの猛暑の中でやるのは困難なので、少しばかり条件が悪くても今やるしかない。

でも道がスッキリするとやった感もあり自己満足。
何事も前向きに。
梅雨時の花はアジサイがメインかもしれないがザクロや菖蒲もこっそり咲いている。
 


コロナ100万度

2020-06-14 16:23:54 | 日記
これまでコロナという言葉は、私にとっては太陽のそれであり、皆既日食の時に確認出来る太陽から噴き出す高熱のエネルギーのことであった。
クラスターという言葉については、次に爆弾が続き、ベトナム戦争でアメリカ軍が使用した非人道的兵器、クラスター爆弾のことであった。

コロナの記憶にはもう一つ、小学校の6年生の時の担任だったI先生の車がコロナだったという思い出もある。クラスの児童がI先生の愛車コロナを取り囲むようにして写っている卒業アルバムの写真がある。
先生自慢の車だった。

今回のコロナウイルス騒動の前にあった、新型インフルエンザ騒動の時には、新型インフルエンザ流行の脅威が高まっているとして、厚生労働省より各企業で行うべき対策の説明会があった。
説明会では新型インフルエンザの構造(ベンゼン環のような構造的な説明)の外、感染状況の進展による各段階の呼称、フェーズ1、フェーズ2・・・パンデミックなどの外、それぞれの段階で企業がとるべき行動の説明もあった。
こういう説明会では普段聞きなれない単語が多く出てくるが、国民の共通認識とするために大切なことなのだろう。
当時、正に今回の事態を先取りした行動規範が出来ていたのだが、
幸いなことに、その後すぐに起きた新型インフルエンザは世界的流行にもならず、かかったとしても比較的軽いものであった。

今回の政府のバタバタを見ると、あの時のシミュレーションは、一般企業に対するものだけで、政府としての行動シミュレーションはあまり深く考えられていなかったのかと思わざるをえない。
次に来る震災シミュレーションこそ完璧にしておいてもらいたいものだ。



金魚ツバキで遊ぶ

2020-06-07 11:11:46 | 庭、花木、畑、ガーデニング
昨日は、かなり気合を入れて枝おろしをした。
それで、庭の暗かった一角が明るくなった。
それでも二日続けては厳しいので今日は適当にやる。
この間の金魚ツバキの葉っぱが面白かったので取って来て遊んでみた。

金魚の回遊バージョン


北海道鮭バージョン


小さいころは、こんなことをして遊ぶのが好きだった。
歳を取っても変わらない。

アジサイも今週はピンク色へ取り換える。




宇宙家族ジェットソンを思い出した

2020-06-06 23:35:41 | 日記
宇宙家族ジェットソンという未来都市に住む家族を描いたアメリカアニメがあった。
詳しい内容は忘れてしまったが、主人公のジェットソンは未来の社会でも会社には出かけるのだが、ごく短時間の仕事で帰宅する。未来では文明が進み、仕事なんてちょこちょことやれば終わりなんていう時代がくるようなイメージだった。
ところが、私がサラリーマン生活を続けてきたここ40年では、あまりそのような進展はなかったように思う。
確かに週休二日制にはなったが、仕事の質はどんどん高まり、ゆとりがなくなっている。
仕事のプレッシャーや対人関係で精神的にやられてしまうサラリーマンも多い。
はたして40年前と比べて人々は幸福になっているのだろうか。

コロナウイルス騒動は、そんな社会のありようを変える転換点になるだろうという意見があるようだ。
もはや一般的なことであればAIが正しい判断をくだし、勝手に世の中が回っていく時代になろうとしている。
AIによって、これから無くなる仕事のリストなんていうのも載っている。
それでは、無くなる仕事をしてきた人はどうしたらよいのか。AIにも出来ないようなもっと難しい仕事をしろというのだろうか。たいへん疑問だ。
従来の経済理論では解決できない事態が近づいているということではないだろうか。
それは、経済を回す仕組みを変える必要があるということではないかと思う。
今は経済を回すのに貨幣(各国の通貨)がベースとなっているが、様々な弊害が国際化の中で起こっている。
中でも為替リスクというのは極めて不合理なリスクだ。そんなことで一喜一憂しなければならないのはなんだかばからしい気がする。
血のにじむような努力で生産コストを抑えても、ちょっとした為替変動ですべてが無駄となってしまうというのは、なんだかおかしい。

ベーシックインカムという考えが今脚光を浴びているようだが、もっともであると思う。もともとの絶対量の物資が不足しているようでは難しい気もするが、AIの進展で物流革命を起こせば、効率のよい供給網がうまれ、物資の無駄をなくし実現可能となりそうな気もする。
その先には、宇宙家族ジェットソンの世界があるのではないだろうか。
(そういえばあのアニメのファッション、最近の某消費者ローンのコマーシャルで使われているファションに似ている。)