今朝の表題は、無理くり感、なきにしもあらず。
なんだけど。
ニシキトベと久高島は、「ニシキトベの復活」の著者、佐藤シューちひろさんが、あとがきで。
久高島の、巫女さんのね、イザイホーの装束が、熊野のニシキトベのと、同じかも、と書いている。
真ん中の、寅さんは、たまたま、夕べ、一家団欒、と言っても、妻と母親と。
3人で、池内淳子との、儚くも消えてゆく恋の物語、の回だった、渥美清を。
大笑いと少々の涙と共に、観ていたわけだ。
志村喬、黒澤明の「七人の侍」のね、彼が、サクラの旦那さん、ひろしの父上、という役柄で。
大学で、インド古代哲学を研究している。
たしか、久高島の巫女さんだったと思うけど、神ダァーリ、ね。
神様を担ぎ、神の命ずるままに、野山を駆け巡る、というもの。
神が憑依する、というような体験をへて、神との交信が叶う、ということで。
アマテラスさんが、伊勢の地に治るまで、籠神社とか滝原宮とか伊雑宮とか、倭姫さんが。
遍歴する様と同じかも、なんだけどね。
遍歴といえば、寅さん、最終場面で、旅芸人さんたちと遭遇、結果。
トラックの荷台に乗って、信州か、田園風景の中を走ってゆく、というエンディング。
彼ら、旅の役者さんたちも、元をただせば、神ダァーリのバリエーションでもあり。
神と結婚した巫女さんと、その審神者たる神官。
その組み合わせの旅芸人さんたちの群。
ところで、ニシキトベ、縄文の薫り漂う、で、縄目の模様というのが。
ひょっとしたら、見えない世界を形に表した、その表徴、とでも言えるか。
磐座とかね、大地の波動を、大きな岩によって増幅し、その岩、ストーンサークルと。
遠く離れたストーンサークルと結ぶ。
その結んだ線は、彼らには、蛇が絡まるような、縄文に見えていたのかも、とね。
縄文土器は、その世界を、そこに現出させるためのもの。
わが社のすぐ前にある、三つの神社を結んだレイライン、白髭神社、稲荷神社、小芝神社(八幡宮)を結んだ、ね。
たぶん、そのラインは、ニシキトベだったら、縄文に見えているのかもしれない。
ちなみに、その縄文は、男女和合、男女のまぐわいとも言えるか。
よくよく、考えてみれば、現代においても、レイラインたる縄文と、それを刻印した縄文土器を。
そこかしこに、振りまき、なんてのが、インターネットというツールを介した。
ま、こんなブログもそうだけど。
さしずめ、このブログが縄文土器で、その後ろ側には、陰陽の蛇の絡まったような縄文のラインが流れ。
という絵柄かね。
すっかり、ニシキトベフリークみたいな文章になっちゃってるな。
なんだけど、かなりリアルにそう感じてもいて。
リアルの幅が広がったような気がしている。
さて、今日は、リアルに旧東海道を歩くことになります。